◇ あじさい屋敷 ◇

日高会計事務所ひだかかいけいじむしょ』では、毎日、午後三時になるとティータイムがある。

 だいたいお客からの頂き物のお菓子や出張帰りのお土産などをおやつにして、お茶を頂く習慣である。たぶん、この仕来りしきたりが定着したのは、朋子さんが事務員になった十年くらい前からだろうか。見習いの僕は事務所に居ることも多いので、このティータイムは楽しみのひとつである。

「遼くん、コーヒーが入ったわよ」

 コーヒーメーカーから、淹れたてのコーヒーの香りが漂う。

 今日のおやつは、お客が手土産に持ってきたユーハイムのバームクーヘンだった。朋子さんとふたり、応接間のソファーに座って、ティータイムを楽しむ。お客さえ来なければ、このティータイムは延長有りなのだ。

 先日から気になっていたことを朋子さんに聞いてみようと思った。


「うちの顧客の伊達さんについて、朋子さんの知っていることを教えて欲しいんだ。特に個人的な情報とか……」

「こないだ、事務所に来ていた伊達さんのことね」

「そう。家族構成とか人柄について訊きたい」

「先代からのうちの顧客だから、前はいろいろ知っていたけど……先代が亡くなって、先妻が死んで、今の奥さんに代わってからはビジネス以外では、ほとんど付き合いもないのよ」

「じゃあ……、今の当主と先妻について、訊かせて」

「今の当主の伊達尚樹だて なおきさんは三十八歳で典型的な金持ちのお坊ちゃんタイプ。道楽で輸入家具のお店をやっていて、そのためにイタリアやイギリスによく行っているわ。あちらにも家があるらしく一年の半分は海外暮らし。趣味はクルーザーと絵画の収集とか。人柄は洗練された紳士で穏やかで、すごく素敵な人よ!」

 すごく素敵な人よ。――と言った時の朋子さんの目にハートに見えた。

 たぶん、生まれも育ちも良い伊達尚樹という男には生活感がないのだろう。きっと女性が憧れる、いわゆる『白馬の王子さま』という風貌をもっているのかも知れない。


 ――さらに、朋子さんの話は続く。

「伊達さんも、前は事務所にも来てくれたけど、再婚してからは今の奥さんばっかりで、海外からのエアーメールと電話しかかけて来なくなったの。日本には、ほとんどいないみたいだし……」

 ちょっと不満そうな顔で朋子さんがぼやく。

「亡くなった先妻について教えて」

「先妻は侑子ゆうこさんといって大人しくてきれいな人だったよ。病弱だったのであまり見たことはなかったけど……可哀相にねぇー」

「自殺したって言ってたけど……原因は?」

「……詳しい事情は分からないけど、侑子さん結婚して三年目で、やっと妊娠して、待望の赤ちゃんが生まれたんだけど……気の毒に死産だったのよ。そのことがショックでノイローゼ……えっと、今は欝病とかいうのかなあ? それになって療養のために、気候の良いイタリアへ行ったらしいけど……」

 そこで、朋子さんはひと息入れて、バームクーヘンをつまみとコーヒーをゆっくりすする。先が気になる僕は、朋子さんの口元ばかり見ていた。

 マグカップをテーブルに戻すと続きを話し始めた。


「水の都のヴェネツィアに滞在している時に、水上バスから飛び降りて自殺したらしいの。バチャーンと飛び込む水音がして、船の中には履物とバッグが、波間には彼女のエルメスのスカーフが漂い、滞在先のホテルの部屋には夫宛ての遺書が置いてあったとか、二日後にはコートとサングラスが波打ち際で発見されたらしい。だけど、肝心の遺体は上がっていないのよ」

「遺体がないの?」

「そうなのよ。いろいろ捜査したけど……結局、遺体なしで死亡と認められたみたい。海外のことだしね」

「ふーん……」

 ――謎めいているなと、僕は唸ってしまった。

 紫音が脅えていたことと何か関係あるのかな? 僕は黙り込んで、しばし考えていた。

「遼くん、どうしたの? ずいぶん真剣に聞きたがるわね」

 朋子さんが興味深げに、僕の目を覗き込んだので……慌てて、続きを聞く。

「――今の奥さんはどんな人?」

「えっと……名前は知らない。伊達さんの奥さんって呼んでいるから。たしか三十代半ばでおしゃれで頭の切れる人。伊達尚樹さんとは海外で知り合って、結婚したって聞いたけど……ビジネスのことしか話さないから、詳しいことは分からないの」

 世間話をしないお客が、朋子さんのもっとも嫌いなタイプのお客なのだ。超個人情報(噂話)が大好きな朋子さんにとって、そんなお客には面白みがない――。

 たぶん、青羅せいらというキャリアウーマン風の人格が『日高会計事務所』の担当なんだろう。

「朋子さんの情報網から外れるお客もいるんだなー」

 僕がニヤニヤ笑うと、ちょっと憤慨ふんがいした朋子さんが。

「だってねえー、今の奥さんは屋敷に入って、すぐに今までの使用人を全員解雇しちゃったのよ! 先代の時から働いていたお手伝いさんたちも、みんなクビにしちゃったんだもの……ちょっと異常よね。もしかしたら先妻と比べられるのが嫌だったのかしら?」

「それはひどいなあー」

 使用人たちをクビにしたのは、自分の病気が世間にバレるのが怖かったからだろう。

「けど……伊達家に、やけにご執着なのね? 遼くん、何かあったの」

「う、うん。ちょっと意外な場所で奥さんを見かけたから……」

 いきなり、自分に振ってこられて焦った。

 超個人情報集めが趣味の朋子さんの網に引っ掛かりそうで、僕は慌てて口をつぐんだ。


「ねえ、これ届けてきてくれない」

 デスクに座っている僕の目の前に、朋子さんがA4サイズの茶封筒をもってきた。

「なに、これ?」

「遼くんが、伊達家に興味もっているようだから、これを屋敷まで届けてきて欲しいの」

「ええー、それって郵送すればいい書類だろう」

「そうだけど……いいじゃない。それ持って伊達家を調査にいくのよ」

「まるで探偵みたいだなあー」

「そうよ。ここは税金対策に強い探偵社だもの」

「あははっ」

 かあ? そりゃあ面白いな、朋子さんとふたりで笑った。

 どうやら、朋子さんも謎の多い伊達家にはかなり興味をもっている様子だ。さては、僕に行かせて、後で根掘り葉掘り聞こうという魂胆だな。まあいいや、この茶封筒を持って行けば訪問のよい口実にもなるし……。実は僕も伊達家に行ってみたいという気持ちはあったのだ。

「伊達家はあじさい通りにある、一番大きく立派な家。あじさいがたくさん植えられている家だからね。通称あじさい屋敷って近所では呼ばれているよ」

「あじさい屋敷……」

「そうよ。先代の奥さんがあじさい大好きで、世界中から集めたあじさいが3000株以上あるらしいよ。梅雨時は特にきれいなのよ。元々、あの界隈をあじさい通りって呼ぶようになったのは、伊達家のあじさいからイメージして命名されたのだから」

《あじさい屋敷とあじさいの君かあ……》そんな言葉を心の中で呟く。

 あの日、あじさい通りで出会った君はあじさいの花束を手に持っていた。僕に花泥棒をしたと話したが、本当は自宅に咲いていたあじさいだったのだろう――。

 僕は朋子さんから茶封筒を受け取ると、事務所の自動車を借りて伊達家へ向かった。

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