なぜわたしが自殺をしたのか、 ’わたし’ は真相を “わたし” と共に追求していくという核があり、近未来を舞台に語られていきます。
一見、「ややこしそうだな」と引かないでください。
ラストで大きく溜飲が下がると共に、感嘆のため息がもれることでしょう。
わたしを模った ’わたし’ の語りはどこか儚げであり、 “わたし” よりも感情移入できる人間くささを残しております。
静かな水面をゆっくりと風が揺らし、その波紋が徐々に広がっていくさまを畔で見るような物語です。でもその波紋はきっと読み手の心にも共鳴していくと思います。
ダイアログによってすべてが記録され過ちが決して消えず、許されない世界。
その中に横たわる重い秘密。”わたし”の心にあったものとは?
良作です。
お勧めできる理由としては、
・「自己」まつわるSFは数多ありますが、良くも悪くも哲学方面に傾斜してしまいがちです。
しかし、この物語は難解な言葉を使わず、ほぼ女子高生の対話と自問自答と言う形を取って進みます。
・第1話が終わる頃にはこの二人の性格の違いが明瞭に読者に浮かび上がる仕組みになっており、このあたり、大変な構成力です。
また、物語で最重要の冒頭の牽引力は最後まで衰えません。
(ただ、若干の戸惑いを覚えた読者のかたは、作者様の近況ノートである程度の方向性を確認するのも良いでしょう)
そして明かされる謎。
一瞬感じた意外性も、読了と同時に霧散していきます。
「彼女」は許さなかったのか。許されなかったのか。
「彼女」は救ったのだろうか、救われたのだろうか。
その答えは読者によってさまざまでしょう。
読み返すごとに答えが変容することもあるかも知れません。
忘却だけが許しになる「ことも」ある。不滅の意識にはある意味、救いがないのかもしれない。
ゆえに最終章の語りには思わず涙しました。
私はこう思ったのです。
……彼女はこの物語に登場する誰よりも強く、人間らしい人間である、と。
ぜひ『その先』が、読みたいです。
死んだ脳神経細胞を再生できれば! コンピュータの記憶容量や処理速度を向上させたうえ、記憶を要約・整理して『忘れる』機能も与えられれば! そして、両者をもっと緊密にリンクさせられれば!
アニメ『楽園追放』のように、中央頭脳の仮想世界で現実にはとても出来ないような遊びをしたり、人格を生体や機械の人工体にダウンロードして、無線バックアップを取りながら安全に現実の世界を楽しんだりできます(←仕事もしろよ!【笑】)。恒星間移住も夢ではなくなるかもしれません。
ぜひとも、お医者さんや技術者さんに頑張っていただきましょう! でないと私のような残念人生の者は、死んでも死にきれませぬ(泣)!
実現できなきゃ、マシンがなくても化けて出てやる~っ!(←あんまり残したくない種類の人格【笑】)
ありうべき解決の、そのまた先の課題をも考えられるところまで来ている、という現実味のある希望の物語として読めました。
それぞれ人間として欠けてはならないものを持たない二人の人格、しかも記憶を共有した人格が登場するという、想像を絶するはずの状況をここまで説得力を持たせて語れるというのは専門的な知識や発想力にとどまらない、ただならぬ才能を感じます。驚きと尊敬を持って読みました。
専門用語や造語、技術的、理論的な話題がふんだんに盛り込まれているにも関わらず、消化不良を起こさせないのは、文章力、構成力のなせる技でしょうか。
また、全編を通してほぼ二人(ひとり?)の対話とAIの心理描写で成り立っていて、なおかつここまで読ませるというのは、やはりテーマとシナリオが知的好奇心を鷲掴みにするようなものだからでしょう。私は拡張現実やSNS、いわゆるlifeloggingの未来を想像するのが好きで、いつかこれらをテーマに作品を作りたいと思っています。なので、本作を読んで「やられた!」と思うと同時に、好みがどストライクな作品に出会えた喜びを感じています。
さて、ここまで良いことばかり書きましたが、一つだけ残念なことがあります。それは、物語の中核とも言える、わたしが自殺した理由についてです。確かに、伏線と呼べるようなものはありました。誰もが優等生になった社会という下りがあり、バイオローグについても丁寧に描かれています。しかし、それでも自殺の理由に納得がいきませんでした。これは今の世の中とは全く違った場所で、私の持つ社会通念や常識が通用しないのは分かります。だからあえて納得がいかないような理由にしたというなら、それはそれで読者の私は受け容れざるを得ないのかもしれません。しかし、ここまで精巧に練られた作品なのに、この部分が弱いがために作品全体の良さが消されてしまっているような気さえします。
わたしを自殺まで追い込んだ「事件」をもう少し重量感のある出来事にするか、あるいは、そんな些細なことで全てを壊してしまうほどの完璧主義の風潮をもっともっと伏線として用意するか。私が思いつくのはそれぐらいですが、ぜひこの部分を再考して頂きたいと思います。
ありがとうございました。
こんな世界死んでも住みたくないなあ、と俗っぽいことを漏らしつつ。
よい思考実験でした。
SFにはあまり明るくない俺であるが、「社会vs自己」というありふれたテーマを、前提を弄りながら展開していくのがSFの醍醐味のひとつなのだろうなあと思った。
社会が幾ら自分には合わない"呪い"のようなものであるとはいえ、生きていく以上は何らかの形で融合しなければならない。大変難儀なことです。
特によかったのは、自殺の理由が腑に落ちるものとしてきちんと機能してるところかな。ああ、まあ、そりゃあねえ……と。
案外、これを単純な娯楽としてでなく、読みながら自分の社会へのスタンスを考え直したりする人もいるんじゃなかろうか。ともあれ自信を持って人にオススメできる小説でした。
SFには、想像力を開放してエキセントリックな体験をさせてくれるものと、技術的な背景に基づいて陰鬱な内省を迫られるものと、二種類ある。
この『わたし、‘わたし’、“わたし”。』は、完全に後者だ。
デカルト哲学あたりまで、「自己とは何か」と言われれば「それは自己だ」と答えれば完結したのだが、どうも1900年代前半の実存主義の敗北あたりからそうとも言い切れないことが判明する。
そして今、とうとう我々は「自己ではない自己」を創造するテクノロジーを手に入れようとしている。人工知能を巡る議論は、機械に仕事が奪われるなどという極めて低俗なレベルにとどまっているが、本質は、「自己ではない自己が、自己に問う、『自己とは何か』という問題」なのだ。
最初に「陰鬱な内省」と書いた。この極めて暗く難解で、謎に満ちたテーマを物語として成立させるのは至難の業だが、著者の、しっかり芯を持ちながらも軽妙で清潔な文体が、それを可能としている。
こういうものを書いてくれる人が現れるのを待ってました。