第2話 龍斗の運命

 私は高瀬川龍斗、世間ではそこそこ名の通ったネット通販会社に勤めています。

 職責での立場は中堅どころ。自分で言うのも厚かましいのかも知れませんが、割に出来るんですよ、……、仕事が。

 ここではあえてそう言わせて下さい。だって、社長なんかにエレベーターでばったり会ったりすると、「高瀬川君、頑張ってる?」って声を掛けられたりします。経営から結構期待されているんじゃないかと勝手に解釈したりしています。

 えっ、これって、思い上がり過ぎですか?

 そらそうですよね。社長との遭遇、そしてお言葉を頂く、こんなことって、誰にでもありますよね。


 しかし振り返ってみれば、ここに至るまで、私にもいろいろな人生の岐路がありました。それらが私の運命のすべてだと言うほど大した話しではありませんが、この会社に勤められたのも、天から与えられた贈り物だと思っています。

 部長から聞かされた話しですが、私はほとんんど不採用だったそうです。だけれども社長が、あいつちょっと面白いかも、と私の採用に最後までこだわってくれたとか。そのお陰で、今の自分があるのかなあと感謝してます。


 実のところ、私は金融関連の外資系企業に入社したかったのです。生き馬の目を抜くようなビジネス社会で、自分の力を試したい、そう思っていました。

 しかし、これはきっと何かに導かれた運命だったのでしょう。その面接日に遅刻してしまいまして。こんなの初めから失格ですよね。

 それでまるっきりの方向転換をしたのですが、どこも採用してくれません。しかし、こんな大甘おおあまちゃんの私を、この会社が拾ってくれました。


 その後、上司や同僚、それにスタッフから多くのサポートをもらいながら、それはそれなりに頑張って参りました。一介のサラリーマンではありますが、この会社での仕事が自分の天職だと思っています。


 そんな中で、禁断の扉をついつい開けてしまって、佳那瑠に出逢ったのですが、仕事が忙しかったからか、それとも友人を不幸に追い込むことが恐かったのか、深みに嵌まらずに、佳那瑠との関係は単なる友人止まりで、彼女はアパートを去って行きました。

 皆さまにも御心配をお掛けしました。それにしても、佳那瑠もまあさっぱりしたものでして、どう表現したらよいのでしょうか、今は時々会う従兄弟みたいな関係になってます。


 さて、冬から天候不順が春まで続きました。いつまでも冷たい雨が降り、また突風が吹きましたが、それでも月日は流れ、やっと暖かくなってワクワクしている内に、5月の黄金週間もあっと言う間に過ぎ去りました。

 しかし、長いゴールデン・ウイークは晴れた日が続き、良かったですね。お陰様で私もゆっくりと骨休みをさせてもらいました。


 と言いたいところですが、連休中に起こったのですよ、禁断の扉に引き続き――、奇妙な出来事が。

 私の脳細胞が引っ掻き棒で撹拌され、その摩擦熱でドロドロに液状化してしまうような珍事が。

 だが連休明けにはまるで何事もなかったかのように業務に戻り、また頑張ってみようかと気持ちを新たにしたわけですが……。


 しかれどもこの休暇中に経験した出来事、それを運命と呼べば確かにそうなのかも知れません。されどもですよ、これほど不思議に思ったことはかってありません。

 ここに紹介させてもらう私の二番目の経験、皆さまにとってもとても信じられない話しだと思います。だが、それは私の身に起こった事実であり、単に神の悪戯とは言い難いものでした。

 ただこの件についても、禁断の扉と同様、秘密にしておりますので、皆さま限りにしておいて頂きたくお願いします。


 実はですね、当社では優良会員さま向けに、ロイヤルクラブ・絆愛はんあい、このようなものを走らせてます。目的は会員さまとの間に強い絆と深い愛を築き上げ、その信頼関係をもって高級ブランド品などをご購入願おうという取り組みです。

 このリアクションとして、時に折り、会員さまからはいろいろな意見や苦情をメールで頂きます。


 今回メールが届いたのは、連休を前にして、慌ただしい日々を送っていた時のことでした。

 そうですね、それは4月27日の昼下がりのことだったと憶えています。そのメールを起点にして、私はそこから奇妙な経験をすることになるわけです。

 その最初に届いたメールには次のようことが書かれてありました。まずはそれに目を通して下さい。


ロイヤルクラブ・絆愛

 高瀬川龍斗様へ


 突然のメールで申し訳ございません。

 私は会員の沙羅さらと申します。

 いつもこのクラブ・絆愛で、いろいろな物を通販で購入させてもらってます。

 ただ一つ言わせてもらえば、私の夢を実現させるためには物理的な物だけではなく、ここのクラブ名にあるように、強固なきずなというようなものを手に入れたいのです。


 そこでご相談をしたいのですが……、私は困ってます。

 まことに不躾で申し訳ないのですが、ぜひ私を助け出してください。


 実は、私に運命の日が迫ってきています。 

 その運命の日とは、この連休中の5月3日です。

 その日が、どんどんと近付いてきております。

 私にとって、運命の日がどういうものなのかを正直に申し上げますと、驚かないで下さいね。

 実は──のです。


 この迫りくる5月3日という日、その日の向こうに、私は行くことができないのです。

 多分、信じてもらえないかと思いますが。

 現実に、私はこの5月3日という日を越えられない宿命を背負ってしまっているのです。

 つまり、私の中にある時の流れ、それが5月3日で、ピタリと止まってしまうのです。

 そして私は、そのままの状態で、ずっと生きて行かなければなりません。


 私の運命の日、それは5月3日。

 そして今、それを越えられない私がここにいます。


 絆愛の担当者の高瀬川龍斗様、どうかお願いです。

 こんな宿命を背負った私を、その絆と愛で助けて出して下さい。


                   沙羅より


 私は沙羅と名乗る人からこんなメールを突然受けて、心底驚きました。

 皆さまは、これをどう思われますか?

 5月3日という日が越えられないって?

 こんなことって、世の中にあるのかなあと私は疑いました。

 多分文面からすると女性でしょう。

 私も男ですから、こんな真剣に女性から助けて欲しいと懇願されると……。

「うーん、どうしょうかなあ」と唸りながらも、なんとなく嬉しい気分にもなりました。

 そして少し迷いましたが、これも縁かなと思いまして、次のように返事をさせてもらったのです。


沙羅様へ

 いつも本クラブ・絆愛をご愛顧頂き、まことにありがとうございます。

 メールを拝読させてもらいました。

 沙羅様の運命の日は、5月3日。

 それが越えられず、そのままで沙羅様の時間がずっと止まってしまうとか。

 そういうことって世の中にはあるのですね。驚いております。

 なにか大変お困りの御様子にお見受け致しました。

 私では力不足かと思いますが、できる限り沙羅様のご意向に添いたいと思っております。


 そこで早速ですが、私は具体的にどのようなことをさせてもらったら、沙羅様を助け出すことができるのでしょうか?

 遠慮なく仰って下さい。

          ロイヤルクラブ・絆愛 高瀬川龍斗より


 私は何回か書き直し、助け出して欲しいって、具体的にどうすればよいのか、それを尋ねるメールを返信しました。すると沙羅という女性からすぐに返事が返ってきました。


高瀬川様へ

 早速のご返事、ありがとうございます。

 それじゃ遠慮なく申し上げます。

 私の高瀬川様へのお願いは、

 時が普通に流れている高瀬川様の世界に、私を連れ戻して欲しいのです。

 そのためには、次のようなことを実行して頂けないでしょうか。


 高瀬川様の時間の5月4日の正午に、私は京都の一条戻り橋の西詰めにおります。

 その私を東詰めへと、橋を渡って連れ戻して欲しいのです。

 そんな単純なことで結構でございます。

 ただ前もって申し上げておきますと、その時、私はまだ5月3日のままでございます。

 そのため、お会いできるかどうかがちょっと心配です。


 いずれにしても、京都の一条戻り橋にやって来て頂きたいのです。

 よろしくお願い致します。

                  沙羅より


 沙羅さんからの返信は、こんな唐突で、半分意味不明な内容でした。そして私は、京都の一条戻いちじょうもどり橋という地名、それがメール上に不意に表れ、驚きました。

 なぜなら、私は学生時代を京都で過ごしました。だから、京都の一条戻り橋という橋がどういうわれの橋なのかを知っていました。

 しかし、その一条戻り橋と言う橋の背後に隠されている神秘、その物恐ろしさが何となく感じられるような気がしたからです。


 京都は魔界都市。

 時は今から約1,200年前。都は長岡京でした。

 その頃、大洪水が起こり、また疫病が蔓延まんえんしていました。

 このため桓武かんむ天皇は、西暦794年に山背国やましろのくにに遷都しました。


 山背国は三方山に囲まれた地であり、四神相応しじんそうおうの地相として理想です。

 背後にある北の船岡山ふなおかやま玄武げんぶ。それを背にして、左に東の鴨川の青龍せいりゅう、そして右に西の山陰道の白虎びゃっこ。さらに、南に巨椋池おぐらいけ朱雀すざく

 山背国はそれら四神しじんに守られた地でありました。そして、その北東の鬼門には比叡山延暦寺えんりゃくじを配しました。


 このような地を、桓武天皇は平安京としました。

 しかし都では災いが収まりません。その上に、桓武天皇は実弟の早良親王さわらしんのうの怨霊に悩まされました。そのために、鬼、魔物、妖怪を都へと立ち入らせないように、京都御所ごしょ/比叡山延暦寺/貴船きぶね神社の三点を結ぶ三角形で結界けっかいを張りました。

 要は、その中は聖なる地。そしてその外は魑魅魍魎ちみもうりょうの世界なのです。


 しかし結界を張ったとは言え、いろいろな所に中と外が繋がる抜け穴がありました。そのために、鬼、魔物、妖怪の魑魅魍魎が都へと出入りをしていました。 

 その時代から約1,200年の歳月は流れましたが、この時代でも抜け穴は存続しています。そして、現代の京都の町中を今もゴロゴロとうろついています。


 そんな京都の洛中/洛外を繋ぐ抜け穴の一つが、一条戻り橋です。

 それは洛内から魔界へと繋がっている渡橋わたりばし。その橋にはいろんな言い伝えや伝説があります。

 一条戻り橋、元はと言えば、土御門橋つちみかどばしと呼ばれていました。

 延喜一八年(西暦918年)、文章もんじょう博士の三善清行みよしきよつら の葬列がこの橋を通りました。


 その時、紀州熊野から馳せ帰ってきた息子の浄蔵じょうぞうが、橋の上でひつぎにすがって泣き悲しみました。そしてお経を唱えたところ、三善清行が一時蘇生しました。

 そんな出来事があって、その後、この橋は「戻り橋」と呼ばれるようになったのです。


 その他に、和泉式部の和歌があります。

『いづくにも 帰るさまのみ 渡ればや 戻り橋とは 人のいふらん』

 この橋は、どこかへ帰って行こうとする人ばかりが渡って行く、だから戻り橋と言うのかなあ、とうたった。


 そんないわ因縁いんねん付きの一条戻り橋。沙羅さんは、そこで待ち合わせすることを指定してきました。

 だけど私は、沙羅さんを私の時間に連れ戻すために京都へと行くべきなのか、それとも知らない振りをしてやり過ごしてしまうのか、どう返事をしようかと迷いました。

 これって案外、私にとって運命の分かれ道なのかも知れませんね。だから慎重にと思ったのですが、結局はいつものように弾みと勢いで、次のように返事をしてしまいました。


沙羅様へ

 了解しました。

 本当にお役に立てるかどうかわかりませんが、とにかく私の時間で、5月4日の正午に京都の一条戻り橋に参ります。

 それでは現地でお逢い致しましょう。

 念のために、私のケイタイ番号は「090・・・・・・・・」です。

                    高瀬川龍斗より


 サラリーマンにとってのゴールデン・ウイーク、日頃の忙しさから解放されて、新たな鋭気を養う絶好のチャンスです。私も御多分に洩れず、休暇の前半は充分ゆっくりとさせてもらいました。

 そして連休も後半に入った5月4日、朝早めに起きて、東京から京都へと新幹線で向かいました。 

 サンドイッチとコーヒーを車内販売で購入し、席で軽い朝食を取りました。


 だが、そんな最中でも何かずっと気になってまして……。

 なぜなら、この話しって本当に不可解ですよね。

 沙羅と言う女性が、私は5月3日が越えられない、だから助けに来て欲しい、と。

 時が越えられないって、一体どういうことなのでしょうか?

 私にはさっぱりわかりません。


 そして今日は、その5月3日の翌日の5月4日です。とすると、沙羅さんは今、その運命の日が越えられないままで、まだ5月3日にいるのでしょうか?

 これって、沙羅さんにとってどんな事態になっているのでしょうね?

 こんなミステリアスな事態に、私は興味津々でした。

 ぜひとも連れ戻して上げたいなあと、私は思いをどんどんと膨らませていきました。


 だけど、こんな風になってくると、男ってダメですよね。ますます妄想が膨張して行き、沙羅さんて、髪は烏の濡れ羽色。そして透き通った雪の美肌で、眉目秀麗びもくしゅうれいな京美人かも。

 絶対にそうなんだろうなあ、と。

 そして挙げ句の果てに、隠されたオッパイは、うーん、きっとふっくらと膨らんでいるのだろうなあ、とか。朝っぱらからこんな妄想を巡らしていましたら、あっと言う間に10時半。京都駅に何事もなく到着しました。

 だが私はすでに妄想疲れ。目の前がボーとしていました。しかし、気合いを入れ直して、現地に向かうことにしました。


 京都駅から一条戻り橋までの道順。学生時代に過ごした京都です。それは当然知っていました。

 私は、京都駅から南北に走る地下鉄烏丸からすま線に乗って、まずは今出川いまでがわ駅まで行きました。そこで時間の調整をして、京都御所に沿って徒歩で烏丸通りを南へと下がりました。そして一条通りを西へと入って行ったのです。

 その烏丸一条から堀川通りまでの距離、それは歩いて約10分ほど。

 沙羅さんとの約束は正午ですから、その5分前に、一条戻り橋に到達できるように歩行スピードを調整しながら歩きました。


 沙羅さんは、橋の西のたもとで待っていると伝えてきていました。私は、そうですね、正午の3分前くらいに橋の東詰に到着したでしょうか。

 現在の一条戻り橋。それは幅は5メートル、長さは10メートルにも満たない小さな橋です。位置としては、陰陽師おんみょうじ安倍晴明あべのせいめいの晴明神社から堀川通りを少し南に下がった所にあります。


 そんな小さな橋ですから、東から西詰めの様子も全部見通せます。それで私は少し注意深く眺めてみました。

 時折この近所の住人と思われる人たちが、自転車なりウォーキングなりで橋を渡って行かれます。しかし、沙羅さんと思われるような女性はどこにもいません。

 私の妄想での予定では、スーパー美人の沙羅さんが橋の西の袂に立っているはずでした。絶対にそうあって欲しかったわけでして……。だけど、私の目の前を、ワンちゃんがウロウロと通り過ぎて行くだけでした。

「あ~あ、これって、ひょっとしたら、沙羅さんにからかわれたのかなあ」

 私は犬っころをただただ目で追いながら、不安になってきました。そんな気落ちした時でした。着メロが鳴ったのです。


「もしもし、高瀬川ですけど」

 私は話し掛けました。すると若い女性の声で、すぐに応答がありました。

「私、沙羅です。高瀬川さん、今どちらにおられますか?」

 いきなり、どちらにおられますか? と訊かれても、私は当然ここにいますよね。そこで私は、ちょっと不満たらしく言い返しました。

「わざわざ東京から出掛けてきて、今、一条戻り橋の東詰めいるのですが、沙羅さんの姿を一所懸命探しているのですけど、そちらは、名古屋辺りにおられるのですか?」ってね。


 すると沙羅さんが奇異なことをおっしゃってくるのです。

「高瀬川さん、遠くから私を助けに来て頂いて、ありがとうございます。私は5月3日に取り残されたままです。だから私には5月4日が見えないのですよ。ところで、高瀬川さんの所から西の袂に小さな柳の木が見えるでしょ、今、私はそこにいるのですよ。高瀬川さんをそこでお待ちしていますわ」

 私は気を取り直し、言われるままに確認してみました。確かに柳の木が一本ありました。しかし、女性の姿などどこにも見当たりませんでした。


「あのう、沙羅さん、申し訳ないのですが、沙羅さんの姿が見えないのですが」

 私はそんなことをぶつぶつと伝えました。

「そうですか、やっぱりね。高瀬川さんも私の姿が見えないのですか、そういうことなのですね。だって5月4日へと先に進んでらっしゃいますもの」

 沙羅さんはそんなことを特に驚いた風でもなく、単に再確認しているようでした。

 しかし、私はそれを聞いて、5月3日が越えられないということとはそういうことなんだと、なんとなく理解できたような気がしてきました。そしてケイタイを握り締めたまま、柳の木の方に向かって少し姿勢を正しました。


「わかりました。それで沙羅さんを助け出すためには、これから私は、どうさせてもらったら良いのでしょうか?」

 するとこんな問い掛けに間髪入れず、沙羅さんがまたまた珍奇なことを口にします。

「申し訳ないですが、この橋は魔界への抜け穴なのですよ。だからその穴を通って、5月3日に来てもらいたいの。そのためには、私がいる5月3日、5月3日と唱えながらこちらへ渡って来て下さらないかしら」

「へえー、そうなんだ」

 私はただただたまげるばかりで、開いた口が塞がりません。


 しかし、事ここに至ってしまった以上、もう引き返すわけにもいきません。「じゃあ、そのようにさせてもらいます」と、あっさりと引き受けてしまいました。

 それから私は「5月3日、5月3日」と繰り返しながら、東から西へと橋を渡り始めました。

 橋の中央くらいまで渡った時だったでしょうかね、なにか閃光が走ったような気がしました。少し怖くなったのですが、「えーい、もうどうにでもなれ!」と覚悟を決めて、とにかく西詰めへと渡りました。それから私はゆっくりと辺りをぐるぐるっと見回しました。

 すると、さっきまで目に入っていた風景がどことなく微妙に違うような気がしたのです。

 その中でも一番異なったのが、そうなのですよね、柳の木の下にスラリと立っておられたのです、一人の女性が。

 まさにその女性こそが、5月3日の沙羅さんだと私はすぐに見当が付きました。


 その顔かたちは枝垂しだれる柳の枝の影となり、はっきりとは認識できません。しかし、年の頃は私より少し若いくらいかな思いました。だがその雰囲気からして、髪はボーイッシュで、どうも瞳はクリクリッとしていそうな感じでした。

 淡いピンクのワンピースを着こなしていて、清楚なお嬢さんのようなおもむきがありました。庶民的な表現をさせてもらえば、そうですね、飲み物に、特にアルコール類に例えれば純生ビール風、と言うよりカクテルっぽいかな?


 さらに、その立ち姿を女優さんになぞらえば、ちょっと格調が高く、往年のオードリー・ヘップバーンを彷彿させるような女性でした。 

 ということで、新幹線の中で想像を巡らしてきた京美人、つまりふくやかな和風美人とは少しタイプが違いましたが、私は嬉しくなってきました。

「おっおー、やっぱり早起きして、ここまで出掛けてきた値打ちはあったぜ、大正解だよなあ」

 私はこう口走りながら、思い切り胸を高鳴らせて、その女性に歩み寄って行ったのです。


「沙羅さん、お待たせしました。高瀬川です」

 私は元気良く声を掛けました。すると沙羅さんは、私に柔らかな笑みを送ってきてくれたのです。

 まさにその瞬間でした。私はこの歳になるまで、それはそれなりに波瀾万丈にも生きてきました。だが、これほど驚いたことはありませんでした。

「えっ! あっ! ギャッ!」

 度肝を抜かれて、まさにオドロキ、モモノキ、サンショノキ。もうここは感嘆詞の三種盛りでした。ひょっとすると、このままここで卒倒するのではないかと。

 私はこの驚愕を最後に、あの世へとおさらばすることになるのかも知れない。そんな死へのおののきが脳内血管をよりギュッと縮込ませました。実に危ない!


 だがその女性はこんな私を見て、さらに楽しそうに微笑んでくるじゃありませんか。

 それにしても、ここまで来てしまえば、私はこれからの展開がどうなっていくのか予想もつきません。私はもう成るようにしかならないと居直りました。そして腹の底にぐいっと力を入れて、声を絞り出したのです。

「ミッキッコちゃん、なんで……、こんな所にいるんだよ?」

 そうなのです。ミッキッコがそこに突っ立っていたのです。


 ミッキッコは当社の女性スタッフ。

 名前は風早かざはや美月子みつきこ。途方もなく優雅な名前の主です。

 私が所属する部とは異なるのですが、同じフロアーで毎日働いています。

 都会の女性らしく、あか抜けしていてまさに端麗。外見はやっぱり往年のオードリー・ヘップバーンのようにエレガント。そのため、性格は一見おしとやかそうに見えます。

 しかし、これがなかなかの偽装工作ものでして……。仕事ぶりは、めっちゃキッツイやり手なのです。


 私の風早美月子との繋がり、それは会社のクリスマス・パーティーで一緒に飲んだ程度のものでした。

 だがその後、みんなで二次会のカラオケに流れたのですが、どうも人との距離を少し置いているようでした。きっと何か秘めたものを持っているのだろうなあと、私なりに推察していました。

 私はそれがどことなく神秘で、ミッキッコになんとなく好感を持っていました。

 だけれども、そんな彼女が……、なぜ、ここに?

 私が首を傾げていると、ミッキッコはもの柔らかな口調で切り出してきました。

「龍斗さん、ありがとう。だけど、私は沙羅よ。少なくともこの世界ではね」

 私はミッキッコが口走ったの意味がわからず、「どの世界だよ?」と顎に手をやり顔を突き出しました。するとミッキッコは人差し指の先を私のおでこに当て、見事に一言だけで言い切りました。「魔界よ」と。


 私はミッキッコに頭にくるほど生意気な態度を取られたのですが、「魔界? ふうん、魔界ね」と殊勝にも一人呟くしかなかったです。

 あとは「ふふ、ふー」と、ミッキッコは意味ありげに笑いながら、その爽やかな外見とは裏腹に、ねっちりとせがんでくるのです。

「龍斗さん、詳しいことはあとで教えてあげるわ。だから、さっさと私を5月4日に連れ戻してちょうだい。ねっ、お願い」

 そうでした、沙羅さんの願いは5月3日から抜け出すこと。そのためかもう何でもあり、紗羅さんことミッキッコが私の腕に身を預けるように絡んできたのです。

 私はミッキッコが取ったいきなりのこの行動に、びっくり仰天です。しかし、正直に言いますと、嬉しかったです。と言うのも、私はオフィスでいつも遠くの方からミッキッコを眺めて、憧れていましたから。


 その日、ミッキッコが身に着けていたのは、春の薄手のワンピース。それにも関わらず、大胆に、そしてミッキッコは何を考えていたのかよくわかりませんが、私をもう離さないぞというくらいに、その肉体を押し付けてきたのです。

 で、当然のことですが、私はミッキッコの胸の膨らみを、充分感じ取ることができたわけでして。私も男ですから、まあこれで見事に舞い上がりました。

 その隙を狙ってか、またまたミッキッコがびっくりするようなことを言い出しました。

「さあ龍斗さん、ダッコをしてちょうだい。あとはわかるでしょ、今度は反対よ。5月4日、5月4日と唱えながら、私をお姫様ダッコしたまま、この橋を渡って東側へと連れてって」

 お姫様ダッコ? 私は、そんな唐突な言葉に唖然としました。


「えっ、この白昼に、この橋の上で……、お姫様ダッコ?」

 私は首をひねりながら、オッサンでありながらもモジモジと。

「龍斗さん、そんなことにビビルことなんかないわよ。だって考えてみてちょうだい、ここは今、5月3日よ。龍斗さんにとっては明らかに昨日きのうなのよ。だから、龍斗さんはもう過ぎ去ってしまった過去にいるのだから……、はかき捨てよ」

 それにしても、うまいこと言ったものですね。昨日の恥はかき捨て、って。なるほどなあ、と私はただただ感心するしかありませんでした。


 それを機に、私はミッキッコのこの論理的な言葉に勇気付けられたのか、このカクテル風の紗羅さんの足に手を回して、ヨイショと抱え上げました。

 おっ、俺は、不運なお姫様を救い出す王子様か、私はそんなことを勝手に思いながら、ミッキッコをお姫様ダッコをして橋を渡り始めました。だけれども、途中でちょっと気付いたのですよね、ミッキッコって結構重いよな、と。

 そしてうっかり、「おっ、割に骨太じゃん」と、こんな危険な言葉を私は思わず吐いてしまったのです。するとミッキッコは、私の首に腕を巻き付け、蛇のようにギュッと締め付けてきて、耳元で囁いてくれました。

「龍斗さん、安心して、重いのは5月3日よ。夕べから何も食べてないから、橋を渡ったら軽くなってるわ。さあ、5月4日、5月4日と呪文を唱えて、しっかりお仕事をしてちょうだい」


 オフィススタッフのミッキッコ、それとも魔界の沙羅さんと呼ばせてもらえば良いのでしょうか、いずれにしてもしっかりしてますよね。

 私はもう言われるままに、黙々と、5月4日、5月4日と唱えながら、ミッキッコをお姫様ダッコをして、一条戻り橋を西から東へと渡りました。

 途中で、なにか閃光のようなものがまた走っていましたが、もう気にも懸けませんでした。ただ一直線に、ミッキッコを5月4日へと連れ戻してきたのです。


「龍斗さん、ありがとう。これで私、普通通りに時間が刻めるわ。さっ、もうお姫様ダッコから降ろしてくれない」

 手の平を返したような言い草、ミッキッコはそれが止まりません。

「私の運命の日を越えて、この翌日に来るためにはね、この橋の抜け穴を通って、魔界から戻ってくるしかなかったのよ。ただし大地と縁を切りながら宙に浮かんでね、だからお姫様ダッコをお願いしたのよ。龍斗さんが好きだからとか、嫌いだとかの問題じゃないの、誤解しないでね」

 ミッキッコはこんな勝手なことを言い放ちました。


 これには少しカチンときましたが、私はメールで約束した通り、ミッキッコこと沙羅さんを連れ戻してきました。それはこの連休中の個人的な約束、それを果たしたことには変わりありません。だから大満足でした。

 その上に、サラリーマン的発想ですが、ミッキッコには連休明けからまた仕事に戻ってもらい、頑張ってもらえれば嬉しいなあと、そんな天晴あっぱれなことを考えていました。


「なあ、ミッキッコちゃん、お腹空いてない? 5月3日から5月4日へワープし、普通の時間に戻ってきたのだから、まあ業務の一環として、まずはお祝いをさせてもらうよ」

 私は純粋に、ミッキッコをもっと元気付けをしてやりたいと思い、誘いました。

 しかし、心の片隅では、これでひょっとするとミッキッコとの恋が芽生えるかもという邪悪な気持ちもありました。

 そんな気持ちへの正当化、それは邪心をオブラートに包むサラリーマンの魔法の言葉。そう、それは。まったくもって、何事も業務の一環として位置付けてしまえば気が楽になるのですよね。

 これって、サラリーマンのちょっとズッコイところですが、ミッキッコも仕事人、そんなことは合点承知の助です。だから、業務の一環に遠慮がありません。


「嬉しいわ、そうね、この特別な日ので、先斗町ぽんとちょうへでも行って、お食事をご馳走になろうかしら。龍斗さんに伝えておきたいこともあるしね」

 私はこんなミッキッコからのちょっと意味深な快諾をもらって、タクシーを拾いました。

 憧れの風早美月子と、京都先斗町での業務の一環的な初デート。私は少し張り込んで、5月1日からオープンしている京会席料理の納涼床のうりょうゆかへと、ミッキッコをエスコートしました。


 納涼床、それは鴨川へと床が張り出し、眺めが開け、まことに開放的。そして、この5月の旬の食べ物は物集女もずめの朝採りのたけのこ

 立夏も過ぎ、もう初夏を感じさせる鴨川の情景に心身を埋没させ、柔らかな筍を肴に伏見の冷酒を舌の上で転がす。そして色香は、往年のオードリー・ヘップバーンを彷彿させる風早美月子。

 鴨川の清流の響きに耳を傾け、一献いかがと差しつ差されつ。

 美月子も杯が進み、ぽーと赤くなってくる。それは私にとって風流そのもの。サラリーマン人生の至福の一時でした。


 しかし、そんな時でした。ミッキッコがまるで私を睨み付けるように斬りつけてきたのです。

「ねえ、龍斗さん、貴咲佳那瑠きさきかなるっていう女性……、知ってるでしょ」

 ミッキッコの口から飛び出した名前、それは禁断の扉の貴咲佳那瑠。私はそれを耳にして、思わず冷酒のグラスをポトリと落としてしまいました。

 そして私の口を突いて出てきた言葉、それはメッチャ歯切れが悪かったです。

「ああ、まあな」

 それだけでした。


「良いのよ龍斗さん、別に隠さなくっても、佳那瑠とはね、魔界の幼友達だから。彼女言ってたわよ、龍斗さんのこと、禁断の扉をせっかく部屋に貼り付けてあげたのに、龍斗さんてあまり開けてくれないんよってね。それで愛の時間切れでね、魔界に戻ってきたんだって。それって……、本当にそうだったの?」

 ミッキッコが私と佳那瑠の関係をズバリ確認してきました。

「ああ、あの禁断の扉ね。ミッキッコちゃんわかるだろ、俺、仕事が忙しくってね。それに、俺はミッキッコちゃんにぞっこんだから、佳那瑠とは深いお付き合いができなかったんだよなあ」

 私は照れ隠しと言うか、ちょっと嘘も混ぜ込んで、そんな回答を呟き返しました。ミッキッコは、こんな私の話を聞いて、「良かったわ、これで次のステージへと進むことができるわ」と一人納得していました。そして、それからというものは、ミッキッコのお喋りが止まらなくなってしまったのです。


「私ね、5月3日が越えられないということを佳那瑠に相談したのよ。そうしたらね、彼女変なことを言い出したのよね」

 ミッキッコはこの話しの続きを聞いて欲しそうに、私の顔をじっと覗き込んできました。私はその場の空気を読んで、「佳那瑠さんは、どんなことを言い出したの?」と反応良くすぐさま聞き返しました。するとミッキッコは、私のクィックレスポンスにちょっと満足したのか、親しみを込めるように微笑んでくれました。そして、まったく非日常的な話しが飛び出してきたのです。

「龍斗さん、私たちにはね、スーパーナチュラルな血が流れているんだって。だから私たちは──魔界仲間なのよ」

 ミッキッコからのこんなお喋り、私は酒の肴にしばらくお付き合いすることにしました。


「ほー、スーパーナチュラルね、それって超自然的な血っていうこと? それに私たちって、俺も含まれてるのか?」

「もちろんよ、龍斗さん、覚悟しなさいよ」

 ミッキッコはそう言いながら、私の小さなグラスに冷酒を一杯に注いでくれました。

「龍斗さん、知ってるでしょ、京都の守り神の四神を」

「もちろん知ってるよ、それがどうしたんだよ?」

 私は白々しく答えながら、注がれた酒を零さないようにして、口に含みました。


「ねえ龍斗さん、これまじめな話しだよ、だからちゃんと聞いてよね」

 ミッキッコがちょっと不満そう。しかし、私はそれを気にも留めず、ああ聞いてるよ、と邪魔くさそうに答えました。するとミッキッコは、この現実ワールドから遊離し過ぎた言葉を発したのです。

「龍斗さんは、青龍の直系なのよ」

 その後にはなぜか、「この話しって、どうお? 割に面白いでしょ」と同意を求めてきました。私はミッキッコの真意がわかりません。

 それでも私は話しにお愛想あいそ乗りして、「えっ、俺が四神の中の青龍って? 一番カッコ良いじゃん。じゃあ佳那瑠とミッキッコちゃんは何なの?」と大袈裟にニッコリと。するとミッキッコはまさに当然かのように、さらりと言い放ったのです。

「佳那瑠は白虎でね、私は朱雀の末裔らしいわ」


 鴨川の流れが自然のまま体感できる納涼床。そんな京の優雅さの中に埋もれて、オードリー・ヘップバーン風、かつ純生ビールよりカクテル風な風早美月子と同席し、物集女の筍を肴に伏見の冷酒を酌み交わす。そして話題はミステリアスな四神様たち。

 これぞ日々戦士のごとく戦うサラリーマンにとって、忘我陶酔ぼうがとうすいの一時です。


「ほっほー、佳那瑠は白虎だったのか、どおりで禁断の扉を開けたら食い付かれそうだったよ。それにミッキッコちゃんが朱雀って……。ヨッ、カッチョイイー!」

 ミッキッコの非日常的魔界話しに、私は調子付いたのか、こんな掛け声を飛ばしてしまいました。ミッキッコはこれに目をくるくるさせながら、「チョットー、、茶化さないでよ」と即座にクレームを付けてきました。

 沙羅こと、ミッキッコこと、風早美月子、この美しき女性と5月4日に、業務の一環的な初デート。そこで美月子は、私のことを……、私は聞き逃しませんでした。ミッキッコはこの一瞬の隙に、からに呼び捨てにしてくれました。

 これって、話しの内容は別として、思いませんか、絶対に急接近ですよね。私は正直嬉しかったです。


 だが話題は四神様たち。しかし神様が一つ足りません。そこで私は訊きました。

「なあ、。玄武がいなんだけど、その子孫は誰なの?」

 私はこの質問に隠し味を。

 そう、それはお返しにと、からに呼び変えたのです。まさに親愛度レベルアップの表現。


 もちろんミッキッコは、この変化に気付いたはずです。だって私の質問に対するミッキッコの答は、ふふふで始まりましたから。

「ふふふ……、それがね、まだ見付かっていないのよ。だから今、捜索中よ」ってね。そして私は、会話が流れるままに、ごくごく自然に。

「ふうん、そうなの、玄武って亀に似てるんだよなあ、と言うことは、カメっぽいヤツかも、案外近場にいるのかもなあ。ミッキッコ」

 完全に字余りでしたが、私は最後に呼び捨てでミッキッコと付け加えました。これ、ダメ押しです。

 するとミッキッコは、それはそれはキュートに、「龍斗のバーカ、みんな神様なのよ。そんなことを言ったら、メッ!」だって。

 私はこんなミッキッコからのお叱りを受けて、目の前がクラクラクラッと。

 私は思わず、なぜか殊勝に謝りました。「ごめんくっちゃい!」と関西風に。


 それを聞いて、ミッキッコはムッとして、今度は真っ正面に向き直り、きっちりと私に念を押してきました。

「高瀬川龍斗さん、いい、私たちは強い絆で結ばれているのよ。オヤジ臭い冗談は止めて、観念してちょうだい!」

 私は、ミッキッコから発せられた観念と言う言葉を聞いて、男女の絡み含みかなと勘ぐりました。それで、私はこれからのこともありますから、思うところを話してみました。

「ミッキッコとの強い愛の絆、モチ観念するよ。だけどちょっと問題があるんだよなあ。会社ではオフィス・ラブが禁止されているからな。俺たちバレないように、うまく愛を育まなくっちゃね」


「バカッ! 一体何考えてるのよ、そんなセクシャルな絆じゃないわよ。私たちに必要なのは──四神の絆よ」

「えっ、そうなの、そんなの面白くないよなあ」

 私が不満たらしく言いますと、ミッキッコはきっぱりと、「だから、観念がいるのよ」と切り返してきました。さらに、「私たちの四神の絆の証拠にね、龍斗しかいなかったのよ。私を魔界からこの普通の時の流れの世界へ連れ戻してくれることができるのは。これなぜだかわかる? それは龍斗が青龍で、私が朱雀、同じ仲間だからよ」

 私は特にそれに文句を付けるつもりはありませんでした。だが、「そんなの白虎の佳那瑠に頼んだら良かったのに」とついつい漏らしてしまいました。


「ダメよ、あの娘は。この絆を知ってからは性根しょうねを入れ替えたのでしょうね。禁断の扉で引っ掛けた男たちの清算に、今忙しいのだから」

「なるほどね、そりゃ滅茶苦茶御多忙だろうなあ」

 私がそう納得しますと、ミッキッコの目が吊り上がってるじゃありませんか。

「私たちのこの四神の秘密、絶対に他人に言っちゃダメよ、これ約束ね」

 あまりの女の迫力に私の身体は後方へと仰け反り、「俺、こんな話しを、他人になんて言うわけないだろ。アホにされそうだもんね」と図らずもついつい口を滑らしてしまったのです。

 まさにその時でした。

 バシッ! 

 きついビンタが飛んできたのです。ミッキッコは私に痛烈な平手打ちを飛ばし、今にも泣き出しそうな顔に。


「龍斗、もうちょっとまじめに考えてよ。私はあなたと一緒に5月3日を越えて、今日の5月4日に戻ってきたのよ。これは偶然じゃないわ。まだ私たちには、それが何なのかがわからないけど、なにか四神の使命を背負ってしまったような気がするのよ」

 私は、ミッキッコこと風早美月子のここまでの真剣な訴えで、ひょっとすると、これって本当にそうなのかもな、と思い始めました。そして、「ごめんごめん、朱雀さん、四神の青龍、その一員として一所懸命お務めさせてもらいますよ」と私は勢い込んでこんな宣言をしてしまいました。


「そうよ龍斗、私たちはもう切っても切れない運命共同体なの。やっと理解してくれたのね、それで佳那瑠と相談したのだけど……」

 ミッキッコが今度は一転、ニコッと意味ありげに笑いました。私は「何を相談してきたの?」って、滲み出ていたかどうかは不明ですが、親愛の情を思い切り絞り出しました。これにミッキッコは無反応でさらさらと言ってのけたのです。

「青龍さんにね、のリーダーになってもらおってね。これ、よろしくね」


 二人の間にしばらくの沈黙が。そして、やおら私は「おいおいおい、ちょっと待ってくれよ、朱雀さん。俺は仕事が忙しいのだから」と。

 こんな役を引き受けてしまったら、もう見え見えです。必ずミッキッコと佳那瑠のお世話係になってしまう。役回りは、名誉あるアッシー、メッシー、ミツグ君と決まってますよね。

 で、最後は「イヤだー!」と断ったのですが、許されませんでした。

「ダメ! 男らしく、リーダーをやんなさいよ!」

 なんで女性って、ここ一番で、こんなにも怖くなるんでしょうか。私は、「はい、わかりました」としか答えようがありませんでした。

 するとですよ、手の平を返したように、「サスガー! 龍斗って、ホントいい男だわ、ほほほほほ」と。ミッキッコはこのの微笑みで、この交渉に、完璧に決着を付けてくれはりました。


 まあ、しかしですよ、ミッキッコのヤツ、泣いて、怒って、微笑んで。この三つの女の武器を駆使して、私をコロコロッと手玉に取って、上手く落としてくれたものです。

 私はもうミッキッコに逆らうことを諦めました。そして、「まず最初に、どんな活動をしたら良いと思う?」と丸っ切りリーダーらしからぬ人任せな質問をしてみました。

「龍斗、まずはね、玄武さんを探さないとね。そうでしょ、青龍、白虎、朱雀、そして玄武と揃わないと四神にならないでしょ」

 私は、このミッキッコのリーダーシップが発揮された御意見、それに誘導されて最初の行動方針を決めました。

「そらそうだなあ、4枚のカードが揃わないと意味ないよなあ。じゃあ玄武さんの捜索活動を開始しよう」


 ミッキッコは私のこの決断を聞き、さらに励ましてくれるのです。

「もし四神直系の子孫が揃えばね、大きな力を持つことになるわよ。そうだわ、龍斗だってサラリーマンとして実績を出し、出世頭になれるわよ、だから頑張ろうね、青龍ちゃん」

 ミッキッコは四神倶楽部が発足し、まずは走り出したことが余程嬉しかったのでしょうか、満足げな表情になっていました。そして私は、5月3日から救い出してきたミッキッコの笑顔がまことに心地よかったです。

「全部了解だよ。さっ、とりあえずミッキッコに佳那瑠、そして俺の三人でスタートさせ頑張ってみよう」

 私はそう答え、冷酒のグラスを高く掲げました。

「我々の四神倶楽部に、乾杯!」

 私が声を上げると、ミッキッコが言葉を続けました。

「今日は5月4日、四神倶楽部は本日発足ね。世界はどこも魔界のようなもの、これからが楽しみだわ。私たちの摩訶不思議な未来に──乾杯!」

 そして、先の尖った筍を、先っぽからがぶりとかぶりつき、ぐびぐびと伏見の冷酒を二人で同時にあおりました。


 こうして私は、沙羅こと、朱雀こと、風早美月子、そのミッキッコと京都駅に向かい、帰りの新幹線に乗りました。そして新横浜駅を過ぎ、もう僅かで品川駅です。

 ミッキッコも私も品川駅で降車します。到着前の車内アナウンスがあり、降りるために前もって通路に二人で並びました。まさにその時のことでした。二人の姿が車窓にぼんやりと映ったのです。

「あっ!」

 私は驚きました。それはほんの一瞬のことだったのですが、ミッキッコの姿が朱雀に見えたのです。

 それと私の姿が、どうだったのかと言いますと、これも一瞬だったのですが、龍に見えました。私はホント目を疑いましたよ。


 ミッキッコがそんな私に耳元で、「どうお、龍斗、やっと私たちの運命がわかったでしょ」と囁き、ニッコリと笑ってくれるじゃありませんか。

 私は「ほんと、そうだね」としか返す言葉が見つからず、ちょっと放心状態でボーと。そんな私にミッキッコはおっ被せるように、奇妙なことをさらに。

「ねえ龍斗、青龍と朱雀の間にできる子供って、一体どんな子供になるんでしょうね」と。

「ナヌ???」

 青龍と朱雀の間にできる子供? その意味に考えを巡らす私に、ミッキッコは「冗談だってばあ」と言い放ち、あとは「じゃあね! 休暇明けに、またオフィスで会いましょ! バイバイ!」とケロッとした顔で手を一杯振って、さっさと改札口へと消えて行ってしまいました。


 こうして私は、品川駅でミッキッコと別れ、真っ直ぐアパートへ戻ったわけですが、紗羅と名乗る女性から受けた一通のメールから始まった5月4日のミッキッコとの出来事、その奇妙奇天烈さから私の脳細胞はどろどろに液状化してしまったような状態でした。これが原因で、ひょっとするとこのまま気が狂ってしまうのではないかと、人生の危機を覚えるほどでした。


 私はそんな脳が溶解した事態に陥っていたわけですが、ただ一つだけ自分なりに冷静であり、きっちりと自覚していたことがありました。

 そう、それは――私はサラリーマンだということです。この世が魔界であろうが、また現実の普通の世であろうが、花のサラリーマンには変わりはありません。

 まことに非日常的な世界を垣間見た私は、いつもの自称「オフィスの期待の星」に戻るために、何度も「サラリーマン、頑張って!」の励まし言葉「サラバッテ!」を繰り返し冷えたベッドの中で叫びました。

 その甲斐あってか、5月5日の明け方には脳もやや固まり、平常心を取り戻すことができました。


 そして長い5月の連休も明け、私は気合いを入れ直し仕事に戻りました。オフィスは連休前と何も変わっていません。相変わらず活気があり、スタッフたちはメチャクチャ忙しい様相で、ツンツンと尖っています。

 私も休暇明けからすぐに、容赦もなく業務に追われっ放しです。しかし、そんなドタバタ状態の合間を縫って、オフィスフロアを見渡してみました。すると、憧れのミッキッコが柱の向こう側でデスクトップに向かっています。その愛おしい姿がチラチラと見えるじゃありませんか。

 ミッキッコは私の視線を感じ取ったのでしょうか、誰にも気付かれないように、小さく手を振ってきてくれました。もちろん私は、誰にも気付かれないように、そっと手を振り返して応えました。


 この黄金週間に私の祖先は四神青龍だと知らされました。その挙げ句に秘密の四神倶楽部を立ち上げ、それを共有し合った私たち、それを思えば胸に熱いものが込み上げてきました。

 そんな時に、ミッキッコから社内メールが送られてきたのです。私はそれをそっと開いてみました。そこにはこう綴られてありました。


青龍の龍斗へ

 最初のメールで話したでしょ、私は強い絆を手に入れたいと。

 そして、私たちはやっと出逢えたわ。


 私が探し求めていた絆愛。

 私たちは強い絆と大きな愛で結ばれてることが確認できたわ。


 そうなよ、わかって。

 私たちは四神の末裔なの。

 それが一体どういうことなのか、まだよくわからないけど……。


 龍斗とは、同じ宿命を背負って、

 これから共に生きて行くことになりそうだわ。

 だから、四神倶楽部のリーダーとして、頑張って!


 だけど、今のところはサラリーマンだから。

 その時が来るまでは、

 ますます、サラバッテてちょうだいね!

             朱雀のミッキッコより


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