第六話 新たな戦友
青琥元年九月。美奈皇帝は政府首脳並びに一般国民に対して、帝国の改革に関する基本方針を発表した。
一つ 帝国は市民の自由を擁護し、近代自由主義社会に相応しい統治機構と法制度を整備すること。
一つ 産業の自由化を行い、勤労意欲を促進させ、経済水準を引き上げること。
一つ あらゆる文化的活動を保護し、また古来からの伝統文化を擁護すること。
一つ 教育の質を高め、学問を帝国として推奨すること。
一つ 国際社会において、協調精神のもと、名誉ある地位を築き上げること。
私、ロナルド・ジョージが神陽帝国の分割によって新たに設けられた在福岡アメリカ大使館付の参事官として派遣されたのがちょうどこの頃であった。
彼女と初めて会ったのは九月の末に夕食会に招かれたときのこと。青色の着物を身にまとっており、東洋の女性らしい美しさであった。そしてこれも東洋人に特有であるが、顔立ちは幼く見え、黒髪に結ばれた大きな赤いリボンがその印象をより深くした。
夕食会ではこちらの大使と帝国の宰相が主に会話をしており、時々皇帝に話が振られるといった様子であった。後で聞いた話だが、既にこの頃には美奈皇帝は国事の大枠や方向性を決めるだけで、実際の行政は宰相を筆頭とする内閣が行うというシステムが出来上がっていたようだ。
ただこの頃の私は、美奈皇帝というまだ十九歳の少女はあくまでこの国の飾りであり、政治的な関心を富ませるだけの可能性を感じてはいなかった。そもそも平和台のクーデターですら、何かしらの勢力が皇帝を担ぎ上げたに過ぎないと信じていたのだから。
「要するに、アメリカ大使館も私達については静観するということね」
若き女帝の質問に、初老の宰相、東園実世は頷いた。
「左様でございましょう。諸外国としても我が国の改革の方向性自体に文句はありますまい」
「そりゃ……ね」
天神橋での虐殺事件で冷え込んだ外交ではあるが、新政権による改革については近代化志向であったこともあり先進諸国は好意的に捉えていた。ただし、従前の体制が続く形式上は後継国家の東帝国の存在は頭にあったらしく、形式上は分離国家である西帝国と積極的な関係を持とうという国はまだ現れなかった。
「信頼は勝ちとるしかないわね。頼むわ」
「かしこまりました……ところで、陛下」
「何かしら?」
「この前おっしゃられていた政策秘書の件でございますが」
東園宰相は貴族階級の出身で、それでいてフランスへ留学して政治法学を学んだ経験があるという、保守・進歩両党派からの信望の厚い紳士であった。そのため美奈皇帝の信頼も厚く、親政開始の折には直ちに彼に組閣を命じたのであった。
「えぇ、前にも言ったけど、私は大枠を決めるだけといってもできるだけ知識はあったほうがいいし。政治面での参謀役が欲しいのよ」
秘書的存在としては皇太子時代からの付き合いである秋田あゆみが居たが、彼女はやはり身の回りの日常面での仕事が中心であり、使用人として育てられたために教育を受ける機会が十分になかったのだ。彼女自身は聡明で、生い立ちのハンデを埋めるかのように知識を身につけてはいたが、この頃の美奈は、彼女に国政の話はまだ荷が重いと思っていたようだ。
「あのですね、やはり名士の方々は公務だとか大学の教鞭だとかで忙しくて、陛下付きでお仕えいただくのは難しいとのことで」
「それはまぁ……そうだけど……」
「ですので、陛下の秘書には私の孫でもよろしいでしょうか」
ばつの悪そうな顔を東園はする一方、美奈は呆気に取られた顔をした。
「ま、ご?」
「えぇ。陛下より一つ年上で、現在大学で法学を学ばせております。おそらく陛下のお眼鏡にかなうかと」
「成績は良いの?」
「さぁ、大学での成績表を見せてくれないもので……」
どこかおっとりしているのがいかにも公家らしいな、と美奈は思った。
いや、そうではなく。
「大丈夫でしょう、頭は決して悪くないですし、それに陛下とも一度お会いしたことあると」
「向こうは覚えていても、こっちは覚えていないわよ……」
「まぁそういうことでここにお呼びしております。榮太郎、こっちへ」
結局、東園宰相の孫が新たな政策秘書となることになった。
「あ、あんたは……」
「陛下、このような形で再びお会いすることができて光栄です」
その孫とは。
「私をダンボールに詰め込んだ奴じゃない!」
「えぇ、歴史的瞬間に立ち合わせていただいたものです」
戌亥榮太郎。皇帝をダンボール詰めにすることを全く躊躇しなかった、度胸満点の好青年である。
「よろしくお願いします」
「よ、よろしく」
本当に大丈夫かしら、と美奈は溜息をついた。
この戌亥榮太郎にはさっそく大仕事が与えられることになる。それが美奈皇帝最初の――学者によっては「唯一」とも言われるのであるが――事業としてあげられる、憲法制定であった。
神陽帝国に憲法が存在した時期は半世紀も無かった。第二次大戦の前には既に死文化し、まもなく凍結が宣言された。美奈の父である博喜皇帝の時代に至っては、皇帝は絶対的権力を持ち、およそ法による統制など想定もされていなかった。
そこで美奈は新しい憲法と統治機構を作り上げ、帝国の改革を内外に知らしめようとしたわけである。
「で、俺を呼んだと」
「話が早くて助かるわ」
十一月には有識者による憲法調査会を皇帝直属で設置したが、美奈はそれだけでは飽き足らなかった。
「この憲法で私の理念だとか基本方針だとかを示すつもりなの。だったらやっぱり私が臨御したほうがいいじゃない」
「ですね」
「ならそれ相応の知識を持っていた方が良いわけじゃない。その方が自分の理想をより具体化できるし」
「ですよねー」
「だから私に憲法の知識を教えて」
「すみません、どうしても今日中に読み終えたい漫画が」
「へぇ、明日でもいいじゃない」
美奈は逃げ出そうとする榮太郎の手をぎゅっと掴んだ。
「って、あんた私の政策秘書でしょう。仕事しなさいよ」
「いや、だって祖父さんが無理矢理言ってきたし……ぶつぶつ」
榮太郎もよくよく考えればまだ二十歳の青年だ。普通の大学生なら夜は外をほっつき歩きたいところであろう。
無理も無いかな、と美奈は思った。でも、ここで引くわけにはいかない。
「あのね、」
随分昔に似たようなことがあった。使用人として生きていくしかなかった少女を思い出す。
「皇帝の言うことだから聞きなさいとか命令めいたことは言わないし、別にこの国を良くしたいからとか熱血めいたことも言わない。けど」
次に言おうとしている言葉の意味を考える前に、さっと言ってしまう。考えたら負けだ。
「あんたと仕事してみたい、形に残るものを残したい、それじゃ理由にならないかしら……」
一瞬榮太郎の表情が固まった。
「って何言ってるの私。いや、クーデターの時、方法はともあれ私を助けてくれたじゃない。だからあんたとならいい仕事できそうだと思っただけで、ってだから何を言ってるの私は」
ずっと女学院通いだったこともあって、同年代の異性とろくに接したことがないからか、どうもしどろもどろだ。
そんな彼女を見て榮太郎は……にっこりと笑った。
「形に残るものってそんな……子作りなんて気が早すぎますよ、陛下」
「ばしっ」
「あう」
大げさに痛がる榮太郎を見て美奈もくすっと笑った。
「陛下ってずるい人ですね」
「似たようなことは昔言われたわ」
「そうよね。美奈もワンパターン。世の中の人間全員が、その手でひっかかると思わないでよ」
いつの間にか美奈付きの使用人、秋田あゆみが部屋の中に居た。どうやら夜のお茶と菓子を持ってきてくれたらしい。
「って、あゆみ、いつの間に!?」
「いつの間にも何もさっきから居たよねぇ」
榮太郎がちらっとあゆみの方に目をやった。
「さっきからずっと呼んでたんだけど、返事聞こえないから勝手に入った」
「勝手に入らないでよ! あんた達、皇帝なめすぎでしょう、ねぇ!?」
この時、住居不可侵の権利は憲法にきちんと書こうと美奈は誓った。
それから。
「戌亥、今晩は暇?」
「すみません、明日大学で麻雀大会やるので今晩は作戦を考えようと」
「暇ね、入るわよ」
夜な夜な美奈と榮太郎の「会合」は続いた。
「頼まれていた資料ならそこに置いておきました。一応俺なりのコメントは書き込んであります」
「ありがとう。なかなか各国の憲法の原文って手に入らなくて困っていたのよ」
「ですので陛下はまずはその膨大な文章に目を通してください。その間に俺はチートイドラドラする方法を考えておきます」
「……なんだか納得いかないけどいいわ」
真面目に麻雀本を凝視する榮太郎を横にして、美奈は資料に目を通した。
榮太郎自身も大学生だから彼の言っていることは大学教授の学説に他ならない。しかしそれは置いておいても、何度か受けた榮太郎による講義はわかりやすかったし、今目を通しているコメントもよくまとまっている。
彼の能力が優れていることは随分早い段階で美奈が認めるところだった。
「あんたさ……成績いいでしょ?」
「成績ですか……いやぁ、なかなか勝てなくてですね。この前もえらくすられ……って賭博は違法ですね、すみません」
「麻雀の話じゃないってば! 学業よ」
「それは……あまり興味ないんですよ」
ちらっと美奈は榮太郎の方を振り向いたが、彼の視線はずっと本へ向かっていた。
「数字による評価ってあんまり無機質で好きじゃなくって。だから何なの、みたいな」
そんなものかしら、と美奈は小首をかしげた。
「お金とかかかっていたら気合入りますけどね。今度のテストでは祖父さんと何か賭けようと思います」
「……あぁ、そういうことね」
美奈は再び書類に目を向けた。
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