最終話 明日への鎮魂歌
眠れる帝国と市民は目を覚ました。
それから四ヶ月の間、市民総力での防衛戦が続いた。度重なる攻撃に帝国市民は耐え続けたし、皇帝の美奈や帝国首脳も市民達を鼓舞し続け、援助を惜しまなかった。
倹約政治のおかげで国庫が十分潤っていたこと、そして福岡や下関、長崎といった港湾を手離さなかったことで、生命線が切れなかったことが大きかった。
青琥十四年十一月二十三日。ついに休戦を迎えたのである。平真教軍は長引く抵抗についに痺れを切らし、再び国内の情勢も不安になったため、撤兵せざるをえなくなったのであった。
結果として、この戦争――平真教徒による東国内での政権奪取から一連の戦闘は、後に「平真革命戦争」と呼ばれる――により、日本列島の大部分は平真教国のものとなり、西神陽帝国の統治領域は北部九州と山口県のみとなってしまった。
しかしこの後、この両国間で紛争が再度勃発することは結果としてはなかった。東部地域は最高指導者の池原昌広のもと、平真教の教義に基づく宗教国家として、以降の世界史に名を残すことになる。
一方、唯一の「神陽帝国」となった西部地域は、これまで通り皇帝は君臨すれども統治せず、の立憲君主制の国家として、狭い領域ながらも世界有数の海運国家として存続することになるのである。
美奈皇帝が政治の表舞台で輝かしい活躍を見せたのは、あの平和台公園での演説が最後であり、以降の彼女の人生は個人的な事柄がほとんどを占めることになる。
私、ロナルド・ジョージが政治学の教授として久々に帝都福岡を訪れたころ、美奈皇帝は既に年を重ねていた。美奈皇帝が病気がちになった頃に私はアメリカ大使館付参事官を離任して本国に帰還したのであるが、どれほどの月日が経ったのか、数えるだけ野暮というものであろう。
この半生記も美奈皇帝自らの証言によるところが大きいが、政治権力を行使しなくなってからの事柄についても、いくつか昔話として紹介してくれた。最後にエピソードとしてその一つを記して、この半生記を終えることにしたい。
青琥十五年三月二十六日。
美奈はあゆみを供だって、帝都福岡の外れにある小さな教会を訪れた。
少しばかりの緊張とともに。
「来たわよ」
祈りを捧げていたシスターは二人を見ると、むっとした表情をした。
「もう来ないんじゃないかと思ってた。去年の七月だよね」
「ごめんね。色々忙しかったもんでね」
もちろんそれは国の興亡がかかっていたのであるが。
「あんた、本当にシスターやってたんだ。てっきり変装のためだけかと思ったんだけど」
「私としては皇帝よりもやりがいがある仕事よ。姉さんもどう?」
「あはは。私は、八百万の神とか言っているくらいだから神道徒なの。こんな私でも拝んでいっていいかしら?」
年月は姉妹の間にあったわだかまりをも流すことができるのであろうか。子供の頃ですらしなかった姉妹のたわいもない会話を耳にして、あゆみはそう思った。
「それで今日はあんたの話を聞きにきたんだけど。少々の罵詈雑言は覚悟してるわ」
「そんな、皇帝陛下になんて畏れ多い」
「いいのよ。今日はね、私にタメ口使う奴のところを回る日なの」
「そう? じゃぁ、そうだね、姉さんへの罵詈雑言の前に、あゆみさんのためにお話するね」
事実はいともあっさりと切り出された。
「綿谷はね、あれから軍隊に入って若くして活躍した。確か大佐にまでなったのかな。だけど、革命が起こったときに死んじゃった」
「えっ……」
覚悟はしていただろう。だがそれでもあゆみはショックを隠せなかった。
「既に私とは別の女性と結婚してて子供も居たそうだけどね。だけど革命の時は私の本当に側にいて、私をかばうように死んでいって……」
「そう……」
「私はね、変装しながら必死に逃げて。人目を避けるように逃げ続けて。そしたら教会にたどり着いたの。そこで決めたんだ。教会に匿ってもらうって目的もあったけど、ここで綿谷の冥福を祈ろうって」
「それでシスターに……」
「うん。で、福岡の教会に赴任させてもらった。ここなら、いつか姉さんに会えるだろうからね。大分時間はかかったけど」
沙織はどこか達観していた。
神の導きがあったからかもしれない。でもそれ以上にこの十数年の間に起こった出来事が彼女をそうさせたのであろう。
「ごめんね……」
沙織がそのようなことを口にする前に、美奈は謝っていた。
「ごめんなさい。私のせいであなたに辛い思いをさせたと思うの。それなのに私はあなたに何もしてやれないどころか避けるばかりで、おまけに敵として戦うことにもなってしまって……本当にごめんなさい」
何度も何度も美奈は頭を下げた。
沙織の自由を奪ったのは私だから。私が沙織を殺したようなものだから。沙織には私、殺されても仕方ないから。そうやって何年も何年も、美奈は自責の念に駆られ続けた。
「確かにね、姉さんのことを恨んでいたわ」
沙織の表情は柔らかい。
「だって姉さん、私と違って賢いし、皇帝になってからも立派に国を収めたし、私に出来ないことも姉さんはなんでもできるし……。なんで姉さんばっかりで、私はこんなのかなって恨んだこともあった。はっきりいって、姉さんなんか居なきゃよかったのに、って思ったこともあった」
「ごめん」
「でもね」
沙織はそっと手を美奈に差し出して、
「姉さんを恨んでもね、私が幸せになるわけじゃなかったから。だから、もう一回姉さんのことを考え直してみたんだ。そしたらね、やっぱり姉さん凄いなって」
「沙織……」
「姉さんは、私の自慢の姉だよ」
美奈の手を取るとぎゅっと握り締めた。
「ありがとう、沙織。こんなちゃんとお姉ちゃんできなかった姉だけど、許してくれてありがとう……」
「うん、それはどうかな?」
「え?」
「これからはちゃんとお姉ちゃんしてよね。身よりもなく一人で生きていくのは大変なんだよ。だから時々は会いにきてよね」
「うん、そうよね」
この日は美奈の予定が他に控えていたこともあったが、これ以上過去の話をすることはなかった。
だって、また次の機会にすればいいのだから。
三月末の福岡は暖かく、街中にはもう桜の木が咲き誇っている。
「ねぇ、今晩の行事も私付き合うの?」
「当然よ。菜々もぜひあゆみに会いたいって言っているし」
「まぁ、いいけどね……ちょっとは私の立場ってのもわかってよ」
政治の舞台から姿を消した美奈に代わり、あゆみはこれから政治家としてのキャリアを積んでいく段階であった。
「永子は帝国議会議員になるみたいだし、菜々の旦那さんも企業の経営者なんだけど活動をこっちに移すんだって。政治家としてそういう人達に顔を売っておくのは悪くないと思うけどね」
「はいはい。まぁ何も堅苦しいことのない、平城女学院のOG会ですがね」
「もしかして……妬いてるの?」
「はぁ!? なんでそうなる?」
二人が次に向かったのは市内の墓地であった。
その道すがら。
「あのさ、一つ確認しておきたいんだけど、美奈はこれから結婚するつもりないの?」
「良い人が居ればだけど、私ももう三十過ぎたしね。きっと無いよ」
「そう……」
「あぁ後継者は大丈夫。大分遠縁だけど親戚は居るから、私の次はそっちの筋に継がせようと思っているわ」
「いやお世継ぎ問題は別にいいの。私はあんた個人のことが気になるんだけど」
「えぇ」
墓地に着いたようだ。
「この話はここに入るまでに終わらせましょ。――私はね、身はこの国に捧げたの」
「あの人が大事に守ろうとしたこの国に、ってか」
「あ、先に言われた」
「今時キスすらしたこと無い相手にそこまで……って思うけどねぇ。まぁ良いわ、もう好きにしたら」
先にあゆみは墓地へと足を踏み入れていった。
「あぁ、待ってよね!」
「そういえばさ」
二人で手を合わせた後、あゆみは空を見上げながら語りかけた。
「確かあの人、私宛に遺書を残してさ」
「遺書?」
「うん……確かね、美奈の心は傷ついているからあゆみさんが支えてあげてください、みたいな内容だったわ」
「そう……あゆみはその約束を守ってくれたんだね」
もう一度、美奈はお墓の前で手を合わせた。
「いや、私としてはあんまりそのつもりはなかった」
「……は?」
「今更何言ってるのこいつってはらわた煮えくり返ってさ、手紙をびりびりに破り捨ててやったわよ。あぁ、確か今日のように桜舞う季節だったなと……」
「……鬼」
「私は悪くない。あんなとこで美奈を置いていったあの人が悪い」
「…………」
じっと美奈はあゆみをにらみつけた。
「ぷっ。あはははは」
「何で笑うのよ」
「いやまぁ、そんな三十過ぎた女が恋する乙女の目をしてね」
「……くっ」
あゆみは笑いながら、美奈の頬を突付いた。
「手紙破いたのも、あの人が悪いって思っているのもそれは本当だけどさ。だけど、あの人が居なくなった分、あなたを支えてあげなくちゃって思ったのは事実だわ。まぁその当の本人は長らく閉じこもっちゃって、私の愛情に気付かなかったみたいだけどね」
「ごめんなさい。そのことは本当に反省してるから」
「わかればよろしい。じゃ、いつまでもめそめそしてないで、次行くわよ」
あゆみは切り替えも早く、そそくさと桜の舞う墓地の敷地内を後にした。
もう一度美奈はお墓――戌亥榮太郎の眠る墓の方を見やった。
「あっ」
桜の花びらがそっと彼女の掌に舞い降りた。
その花びらの向こう側に、生涯でたった一度だけ恋した青年の笑顔を幻視した。
「――おやすみなさい」
静かに微笑みかけて、大きな赤いリボンがいつまでも似合う女帝は歩き始めた。
「ねぇ、あゆみ!」
そして、桜吹雪の向こう側に居る、永遠の盟友にお願いするのだ。
「今晩は久々に聞かせてよ。あんたの夜想曲を」
(おわり)
昨日の夜想曲 九紫かえで @k_kaede
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