第十三話 陰謀者の苦悩と贖罪
衝撃の一報が帝都福岡に届いたのは青琥十二年九月のことであった。
「それは、本当なの?」
他の首脳達と違わず、最初にその報せを耳にしたときの美奈もその事実が信じられなかった。
「間違いありません。大使館からもそのような連絡が入っていますし――」
「…………」
「陛下?」
「あぁ、ごめんなさい。ともかく、今は同情してられないわね。間違いなく向こうは混乱しているようだから、そこに講和を持ち込むのよ」
「は!」
「本当、なんですね……」
使いの者が去って、今美奈の傍らにいるのはあゆみのみ。
「無事だったら良いんですけどね……」
美奈は何も言うことができなかった。
東帝国帝都江戸で市民による革命が起こり、帝国政府が打倒された。
東帝国は制度改革が遅れ、慢性的な経済不況に陥っており、商業も停滞し、そこにこの戦争による軍備拡大も重なり増税……市民による暴動が度々起こりこれまでは何度も鎮圧されていたのであるが、ついに今回政府転覆に至ってしまったというのだ。
なんとか沙織――東帝国皇帝には生き残ってもらわなくては。美奈が次にやることは決まっていた。
「神戸へ行くわ」
「えっ!?」
「私直々に講和条約の場に赴くの」
「そんな、最前線へあんたが行く必要ないじゃないの!」
「状況は刻一刻と変わってるの。私が動かなくちゃ……守れるものも守れないわ」
「美奈……」
もっとも、あゆみの心配は外れ、東国内の混乱から東軍は既に撤兵した後だった。
美奈の神戸入りはいわば戦勝国の君主が占領地へ入場するようなものであり、拍手喝采で迎えられた。
「美奈!」
もちろんその中に、塚口永子兵庫県知事も居た。
「っといけない、陛下! お待ちしておりました」
「永子……」
頭には気がかりなことが一杯あったが、変わらない旧友の様子を見て美奈は少し頬が緩んだ。
「あんたはバカか。もしうちが味方してなきゃどうするつもりだったのよ」
「お前こそバカだなぁ。お前が味方しないわけねーだろって」
「知事!」
周りの者が皆凍りついている。
「うわ、すみません。これはですね、陛下は私の昔からの旧友なのでつい」
「あはは。私は構わないわ。どうかみんな、こいつの無礼講を今は許してやってよ」
食事会が済んで、美奈皇帝のために宛がわれた部屋には永子とあゆみが会していた。
「菜々はどうしてるの?」
「あぁあいつか。あいつはなぁ、どっかの御曹司の嫁になったそうでな。また落ち着いたら一度連絡取るわ」
そこで展開されていたのは皇帝と知事の会話ではなく、平城女学院の同期生同士のものであった。
「二つほど聞きたいことがあるんだけど」
だが、そうはいってもやはりこの情勢下でいつまでも昔話に花を咲かせるわけにもいかない。
「なんで兵庫県知事になったのかって? 話せば長くなるぞ」
「じゃぁ十文字以内で」
「短すぎるわ!」
美奈が皇帝に即位して以降政治に興味を持つようになり、とある政党に入って草の根の活動をしていたところで、突如知事選の話が舞い込んできた、ということらしい。
「それじゃ、もう一点。なんであんな宣言を?」
「そんなもん、私はあんたの友人だ。あんたの下で働きたいに決まってるだろ」
「だったら、兵庫じゃなくてうちへ来ればいいじゃないの……」
ぼそっとあゆみが呟いた。
「まぁそれもあるけどな。ぶっちゃけここ数年の東帝国は滅茶苦茶でな。ほとんど金も回ってこないんだよ。それだったら、お前の帝国は上手いこといってるみたいだしな、そっちの方がみんな幸せじゃねって?」
永子の言っていることは兵庫県民の立場からすればおそらく正論に違いなかった。でも。
「……たとえ、それで兵士の血を流したとしても?」
しばらくの沈黙が訪れたが、永子はあぁ、と肯定した。
「幸せや平和というものはな、どうしても手を汚さないと得られないもんなんだ。傷つくことを恐れて待っていても変わらないんだよ」
「…………」
「って歴史は教えてくれてると思うんだがな。そうは思わないか、美奈?」
永子とあゆみの視線が美奈に集まる。しばらく考えた後、美奈はゆっくりと言葉を紡いだ。
「そうね……それはあながち間違っていないわね」
「あら? お前だったらもうちょっと良い反論をしてくると期待してたのに」
「ないわ、そんなもの」
美奈はじっと目を閉じる。
「考えてみてよ。今までの人間の歴史の中で、争わずして無秩序から秩序をもたらした例は一例もないわ」
美奈の目の前に過去の記憶が甦る。
「話し合いによる解決があったとしてもか?」
「それは肉体的闘争が知的闘争に変わっただけ。少なかれ勝者と敗者は生まれるわ」
きっと目を開き、永子のほうを見つめる。
今、鋭い目つきであまりにも醜い顔をしている……美奈は自分でもわかっていた。
「それでも……実際に血を流して大勢の人が死んでいくよりは、頭で勝ち負けをつけた方がましだ、とか昔のお前は言っていたような気がするぞ」
「それはそうよ。確かに私も小さい頃からそう思っていたし、学生のころあなた達にも言ったし、今でもそう思っているわ。でもね、頭で勝つってどういうことだと思う? どれだけ人を操れるか。どれだけ人を騙せるか。いわゆる巧みな外交戦術といわれるものね」
「……そうだな」
「いい? 私は今まで己の手を血で汚さないために、自分の領域だけを守って他を切り捨ててきたわ。そして領域が侵されるようなことがあれば、人を騙す、操る。こうして私の大切なものを無傷で守ってきたのよ」
白色クーデター、改革構想と挫折、そして今回の「計画」――自らの欲望のままに人を踊らせる醜い白分……。美奈の声は次第に荒くなっていった。
「良い政治家は優れた人殺しか、優れた陰謀者かよ。そうじゃなければ、ささやかな幸せさえ守れないの」
「何もそこまで言ってないだろうが」
「私は大嘘つきね、陰謀者ね。騙された方の手は汚れ、騙した私の心は汚れる一方」
「おい、美奈!」
「そう。私は己の身を父から守るために、教育を身に付けたわ。そこで巧みに嘘を、策を張り巡らせることも知った。 ……当たり前よね、私は妹を殺したようなものよ。もし妹が死んだとしたらそれは……」
もう限界だった。
「いい加減にしてよ、美奈!」
今までずっと黙っていたあゆみが、机をバンと叩いた。
「あなたはそうやってすぐに自分を卑下しすぎなのよ! もっと自分に自信を持ったらどう?」
美奈の苦悩は知っている。自分をすぐ卑下する性格も知っている。だからこそ、長い間、あゆみは美奈を見守ってこられた。
「だって……」
「だってじゃないわよ! 世の中の腐りきった政治家と比べたら、あんたは十分仕事してるわよ。あなたは皇帝なのよ? もっと自分に自身を持つべきなのよ!」
しかしこの今だけは許せそうになかった。美奈がそこまで自分を傷つけることに躍起になることに。失敗はあったかもしれない。しかしそれでも、美奈は名皇帝と呼ばれるに相応しい実績を残してきたはずなのに……。
友人として信頼し、一国の君主として尊敬している美奈が、自分を否定したがること。それがあゆみにとってはあまりにも悲しかった。人は他人を許せても、自分だけは許せないのか。
あゆみの目から止めどない涙が溢れていた。
「あゆみ……」
「なぁ、美奈。お前……」
恐る恐る永子は尋ねた。
「お前はもう、昔の、あの優しかった美奈じゃないのか……」
その後、美奈皇帝自ら近畿地方に滞在し、和平交渉について指示を与えた。
その結果、十二月に東側に新たに成立した共和国政府との間に、以下の内容の講和条約が結ばれた。
東中国二県、近畿地方全域、北陸三県を西帝国に割譲すること。
西帝国への移住を希望する住民については、それを認めること。
乙酉戦争の結末は、博喜皇帝の崩御してからの十二年の間で、美奈皇帝が統治した西帝国が、国力において正当な後継者であったはずの東国を上回ったことを如実に示していた。
帝都福岡では戦争とは全く無縁で血を見ることすらなかった首都市民達による華やかな凱旋式典が行われていた。
その場では、満面の作り笑顔で、八百万の神と偉大なる帝国市民への謝辞を述べた美奈も、舞台裏へと下がると表情をすぐ硬くした。
「全然嬉かないけどね、私は」
美奈の最大の目的はまだ達せられていない。
そもそもこの戦争の目的は、旧友の永子を助けることと同時に、東帝国を制圧して、妹の沙織やあゆみの幼馴染である綿谷を「助け出す」ことにあった。
だが、東の共和国政府に前皇帝の引渡しを要求しても、行方がわからないとの回答だった。綿谷にしても精鋭の諜謀部隊を派遣しているが、情報を掴めていない。
結果的には流血を招いたとはいえ、帝国としては勝ち戦だ。だがしかし、もし一連の混乱で沙織や綿谷が絶命しているようなことがあれば、それは――。
「それにしても、市民っていうのも平和ボケしているものね」
美奈の横であゆみが何か憂えた表情をしていた。
「勝った相手はたった十数年前には同じ国の人だったのに……」
「そうね。向こうとは経済力が全然違うもの。まるで親が亡くなって別々の家に引き取られ、貧しい境遇の妹を見ているようなものなのでしょうね。それを思うと、うちはそこそこお金があって凄いでしょ、みたいな」
自嘲気味に美奈は笑った。離れ離れの姉妹の例えは、帝国そのものであるとともに、自分達姉妹にもあてはまったから。
「あゆみは優しいね」
「……えっ?」
「まだこの国の将来のことや、市民達のことを本気で心配してくれるなんて」
「…………」
あゆみは何も答えられなかった。
とてもじゃないけど、本当は言うべき言葉をこの国の皇帝にかけることができなかった。
――あなたはもう、諦めているのですか。
「戦争も終わったし、私がでしゃばるのは控えようかな。私が病気になってから、健全に立憲君主制が機能してたんだし」
――あなたにはもう、若い頃のあの情熱は戻ってこないのですか。
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