第十四話 守るべきもの

 乙酉戦争が終わり、最大版図を得て、世界唯一の帝国となった西神陽帝国は、革命後の混乱が続く東部の新共和国と異なり、それまでどおり平和を謳歌していたかのように思えた。

 この頃。美奈皇帝は再び政治的な意欲を取り戻しつつあったかのように外部からは見えた。というのは、美奈皇帝自らが親政を行っていた頃の六大改革構想がこの頃再び政府によって推し進められたからである。

 しかし内実は違う。乙酉戦争勝利で皇帝の人気が再び上昇したのを期に、いわば「美奈皇帝シンパ」の改革派が実権を握って政策を推し進めていただけであり、皇帝自らが采配を振るっていたわけではなかったのだ。ただそれでも、以前よりは政治への関与が増えてきつつあったこともまた事実ではあった。


 経済的に繁栄し、我が世の春がまだまだ続くだろうと誰しもが――少なくとも帝都福岡の市民は、だが――疑わなかった青琥十三年九月。帝国衰退へつながる事件の「第一報」が帝国首脳に舞い込んできたのである。

「報告します。東でまた革命が起こったようです」

「ほう。向こうの混迷も尽きないもんだな」

 この時は宰相の小林順治も重要問題とは捉えていなかった。

「それが……どうも宗教絡みのようなのです」

「宗教?」

「はぁ。なんとも平真教という宗教団体が、瞬く間に信者数を拡大し、臨時政府をも倒したとかなんとかで」

「よくわからんな。一応陛下に報告しておくか……ま、どうせ別の勢力がまた取って代わるだろうよ」


 だが小林宰相の、いや帝国首脳大部分の人間の予想は大きく裏切られることになる。

「講和条約破棄だと!?」

 青琥十三年十二月。東側で成立した新政府は、前年末に結んだ講和条約の破棄を一方的に宣言した。

「はい。それで最高指導者から陛下へこのような文書が」

 

 ここに私は新たな国家を樹立することを宣言する。神陽帝国皇帝は我が国古来から伝わる伝統を破壊し、八百万の神によって付託された権力と称していたずらに改革を推し進め、相互の信頼と道徳によって秩序作られた共同体を破壊し、一部の特権階級に富と幸福を集中させようとする悪魔の手先である。我々はこの日本列島に古来からの古き良き伝統と格式に基づく安定と安寧を取り戻すべく、神陽帝国を滅ぼさん。


「ふ、ふざけやがって!」

「閣下、落ち着いてくださいまし!」

 この新国家の最高指導者であり、平真教なる宗教団体の教祖たる男は、池原昌広。かつて美奈皇帝が六大改革を推し進めた際に反対論文を提出し、結果的に改革を一度挫折させる遠因を作り出した男であった。

 即座に御前会議が開かれ、首脳の間では平真教討つべし!との声が圧倒的多数を占めた。

 その中で、中傷された張本人たる美奈皇帝はなぜか一人冷静であった。

「陛下。再戦の許可を」

 自分に話が振られてからよくやく彼女は口を開いた。

「えぇ、それは構わないというか、どうせ向こうが攻め込んでくるだろうからそうせざるをえないけど……」

 宗教反乱ねぇ、と美奈は呟いた。

「何かを信じる者の勢いは凄いわ。勃興時のイスラム教徒は古代の帝国を滅ぼし、黄巾の乱や太平天国の乱は王朝を壊滅状況に追い込んだわ。最近でもペルシャでイスラム革命があったでしょ」

「はぁ……」

 こんなヒートアップしているときに客観的に歴史の知識の披露をしなくても、と首脳陣は思ったのだろうか。それも美奈はわかったらしく。

「要するに気を抜くなってこと。前よりは士気が高いだろうし、先の戦争でうちの軍は多少は疲弊しているからね。司令官には十分気をつけるように伝えなさい」

「はっ!」


「どうしたの美奈? なんかずっと暗い表情だね」

「…………」

 広報大臣として会議に参加していたあゆみは、先程からの美奈の様子が気にかかっていた。

「それにしてもあの池原ってやつは、とことん美奈の邪魔をする奴よね。ったく何だと」

「ねぇ、あゆみ」

 誰にも聞かれたくない話なのだろう。美奈はあゆみを自室へ招くと。

「まずいことになったかもしれない」

 部屋の鍵をかけるなり切り出した。

「私はね、そもそも去年の戦争も勝ったとは思っていないの。あれはね、たまたま向こうが国全体が混乱していて、革命の火種が燻ってて、政府軍は戦争どころじゃなかった。だから持ちこたえられたし、実際向こうは一度は撤兵した」

「どういうこと……」

「万全で臨んだ我が帝国軍は、内紛で崩壊寸前の東帝国の軍隊による神戸侵攻をぎりぎりでなんとか食い止めていたということよ。完全に押し返すことはできずにね」

 戦争に勝ったせいで、誰もがそのことと領土を奪ったという事実しか目に入っていなかった。

「それって……」

「もし向こうが士気を高めて、一致団結したらうちは歯が立たない。向こうはね、貧乏だけどね、軍事にだけは力を入れてたの」

 一方うちは、軍事費を抑え目で経済発展に使ってきたところがあるから、と付け加えた。

「そんな。それって……」

「あとはそうねぇ……こんなのはどう? 日本列島随一の帝都福岡。攻略したら経済的にも復興の兆しになるでしょうね。もし池原がそんな風に煽ったとしたら」

「……嘘だ」

 あゆみはばっさりと美奈の考えを切り捨てた。

「あんた、去年の戦争のとき、普通にやったら東に勝てるって言ったじゃない。それは向こうが普通の状態を見越してもそう踏んでいたんでしょ。だったらなんで……」

「去年と今じゃ状況が違うの」

「どういうこと……?」

「二連勝するのは難しいってことよ。一人勝ちはね、嫌われるのよ。この世界では」

 あゆみにはまだ理解できなかった。

 いや、理解したくなかったのかもしれない。きっとそれは国の平和を願うだれしもがそうだったに違いない。

 ただ一人、美奈だけがこの後訪れる未来を受け入れていた。


 年が改まって青琥十四年。

 帝国軍は連戦連敗を繰り返した。

 三月に大阪が陥落。翌四月には神戸も陥落した。そして戦線は西へと動き、ついに中国地方に突入した。

 この頃になると、帝国首脳は現実に気付かされることになる。

 祖国――西神陽帝国の軍が強くないということ。

 敵国――平真教軍の士気が高いということ。

 そして――敵軍が本来持っていないはずの最新鋭・高性能の武器を有しているということ。


 つまり。経済大国である西神陽帝国の一人勝ちを許したくない「第三者」が平真教国へ武器供与等を通じて加担しているのだ。それこそが一度勝つことはできても、二連勝するのは難しい、という美奈の言葉の真意だったのである。


「このままでは帝都防衛も危ない」

 青琥十四年七月。

 亡国の危機がそこまで迫っていた。

「元々中国地方は帝都福岡へ反発する者も多く県指導者や住民の一部が寝返っているとの情報も入っています」

「くっ……」

 毎日のように開かれる御前会議。

「こうなったら徴兵を」

「それは無駄だわ」

 美奈が小林宰相の意見をばっさりと否定した。

「裕福な帝都市民にそんな命を懸けてまで国を守ろうなんて愛国心のある人は居ないし、地方の民衆は反乱軍に同情的だもの」

「陛下……」

 美奈は会議の場にいた首脳全員の顔を見回した。

「打つべき手はまだあるのだけど」

 そして小林の目を見つめた。

「あなたは何を守りたいの?」

 予想外の問いかけに小林はすぐに返答できなかった。

「この国です」

 小林に代わって答えを返したのはあゆみだった。

「あなた……陛下が情熱を捧げた、この国です」

 しばらくの沈黙に続いて、小林もそうです、我が国を守らなくてどうするんです、と続けた。

「この国というのは、私の治める神陽帝国のこと? それともいわゆる大和民族が住んでるこの島全体のこと?」

「そ、それは……」

 あゆみはかつて美奈に語りかけた言葉を思い出した。「たった十数年前には同じ国の人だったのに」という。

 だが誰かがそれはもちろん神陽帝国のことです、と言い出すと他の者がそれに続いた。

「そう。……覚悟は決まった、と見ていいかしらね」

 美奈は立ち上がると、何も言わずにその場を後にした。


 そのまま美奈は一人で市内の公園へと足を運んでいた。

 公園では十人ほどの幼稚園児と思われる子供達が遊具で遊んでいた。美奈は端にあるベンチに腰掛け、ただ子供達の様子をじっと見つめていた。

 思えば自らが幼い頃。勉強が一段落して、ふと窓の外を見たとき、沙織、あゆみ、綿谷の三人が鬼ごっこをしていたことがあった。その時は、ただ遊んでいる暇はない、もっと学問を身につけて、父に勝る名皇帝にならなくちゃとばかり思っていた。

 その結果美奈は教養を兼ね備えた皇帝になった。歴史に名を残す業績も築いた。ただ……どうして、心が痛むのだろう。今、もう美奈の手元には何も残されていない。

 改革を推し進めて父に勝る皇帝になろうという若き頃の夢も。

 父からの呪縛を解いて仲直りするべきだった妹も。

 幼馴染と今一度会わせてあげたいという親友のための儚い願いも。

 夢に突き進んだ自分をわかってくれて一緒に歩いてくれた人への想いも。

 もう……何も。

「あの時……もっとあの子達の輪に加わっていたら……私は変わっていたのかな……?」

 小声でぽつりと美奈はつぶやいた。

「お姉ちゃん、どうして泣いているの?」

 さっきまで遊具で遊んでいた一人の男の子が目の前にやってきた。この時初めて、美奈は自分が涙を流していたことに気付いた。

 美奈はこの子の様子に見とれてしまった。汚れが無く、まっすぐで希望に満ちた瞳に。

 もうこの子にあるもの全てが、今の自分にないことを美奈は確信してしまった。あまりにそれが悲しかった。

「お姉ちゃん……?」

「あ、ごめんなさい」

 美奈は立ち上がった。もうここにいるべき存在ではないから。

 そして去り際に、男の子に優しくこう告げた。

「僕……思いっきり遊ぶんだよ。思いっきり笑うんだよ」

 今まで三十余年の人生の中で思ってもいなかったことだった。男の子の反応を見ることなく、美奈は公園を後にしようとした。

「――姉さん」

 が、その歩みは聞き覚えのある、背後からかけられた懐かしい声によって遮られた。

 振り返ると黒いベールを覆い、シスターのような格好をしている。だが見間違うはずも無い。

「……さ、おり?」

 彼女のたった一人の妹を。

「久しぶりだね、姉さん」

 彼女は美奈に便箋を手渡した。

「もし私と話す決心がついたら、外れにある教会まで来てほしいの。わかった?」

 それだけ言い残して、美奈が呆然としている間に、彼女は去っていった。

 ほんの、先程の涙も乾かないうちの、ほんの一瞬の出来事であった。

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