第五話 掌に国を収めし時
青琥元年七月七日。この日、福岡市内の中心部にある平和台公園では夏祭りと花火大会が行われる予定であった。
異常の第一報が政府首脳に伝えられたのは、午後八時半のことだった。
「総理、大変です! 暴動です。平和台公園で暴動です! 自由化を求める暴動が起こりました!」
「何だって!?」
帝国宰相を務めていた野田義雄の顔は青ざめた。
自由化を求める運動は何も今回が初めてではない。わずか二年前の称烈十七年に起こったあの天神橋事件のことだ。あの時博喜皇帝を中心とした帝国政府は武力弾圧を行ったが、諸外国から対応を非難されて経済制裁を受けたのであった。
「どうします、総理。またあの時のように……」
「あのような事態はなるべく避けたいのだが……。陛下はどこだ? 陛下のお言葉で暴動を鎮められないか?」
「それが……」
側近の顔から血の気がみるみる無くなっていっている。
「陛下……いないんですよ」
「ああっ!?」
宰相の血の気もなくなっていった。
「急いで陛下を捜し出して連れ戻せ! あと今すぐ軍を招集しろ!」
時計の針を戻して午後五時。
「あぁ……」
ぐいっと美奈は手元にあるお茶を飲み干す。
「お茶、おいしいわね」
ものすごく引きつった顔で。
「あんた、そんな顔してたらすぐバレるよ?」
「困ったことに足も震えちゃってね」
「はぁ……」
あゆみは今日何度目かの溜息をつく。彼女自身も緊張しているのだが、目の前の人間があまりにおろおろしているので、どこかへ飛んでいってしまっていた。
「大体のことは大原様がやってくださって、今頃はもう準備万全だと思う。それで私ももうすぐ買い物だとかこつけてここを離れるわ。それで美奈は……逃げる手はずは整えておいた。合図があったらそこから逃げて」
「合図?」
「うん。これもある人にお願いしておいた」
「……わかった」
生き残るためにはクーデターを起こすしかない――これが実権無き美奈皇帝の賭けだった。軍隊を掌握していない美奈にとっては無謀ともいえる賭け。少しでも外にばれてしまったらおしまいだ。
しかし美奈には確かな勝算があった。少しでも狂ったら全てが壊れかねない計算をこの二ヶ月の間重ね、そしていよいよ今晩が決行日なのだ。
午後七時。
(うぅ、胃がむかつく……)
怪しまれないように夕食は必死の思いでなんとか取ったが、今まさに気持ち悪さに襲われているといったところ。元来美奈はあまり体が強くなく、特に胃腸に関してはずっと悩まされていた。
その時。
「陛下、お体の具合はいかがですか?」
一人の若い青年が部屋に入ってきた。どうだろう、年からすると美奈と同年代といったところか。宅配便会社のものと思われる制服を着ている。
「さて、と」
彼は手に持っていたダンボールを置くと、それを組み立て始めた。相当大きなダンボールだ。中には何も入ってない。 目の前で繰り広げられる現象を最初こそ美奈はわからなかったが、やがて気付いた。
「……入れってこと?」
「ご名答です。さすが陛下、物分りが早い」
はぁ、と美奈は溜息をついた。こんなアイデアを考えたのは誰だろうか? きっとあゆみに違いない。
「古今東西、皇帝をダンボールの中に詰め込んで運んだ国はうち以外ないと思うわ」
「史上唯一のケースに遭遇できて大変幸運です」
青年は皇帝の前だというのに、外部に漏れたら自分も処刑されるだろうに、けろっとしていた。きっとこの度胸が買われたのであろう。
「それじゃ『荷物』運搬頼むわ」
「畏まりました」
その後しばらくの詳しいことは箱の中の美奈にはわからない。もう一人の男が現れたらしいということ、「荷物」は車の中へ運び込まれたということ、「もう一人の男」が運転手らしく随分と手荒い運転をお見舞いされたということくらいだ。ただでさえ胃の調子が悪いのに車酔いがプラスされた美奈は、そういえばトロイの木馬はこんな感じだったのかもしれない、などと気を紛らわすためにあれこれ物思いに耽っていた。
その頃、平和台公園では「裏切り者」達が続々と集まっていた。二ヶ月の間に美奈はあれこれ話をする中で、特に信頼するに足ると判断した少数精鋭の官僚部隊だ。
その代表格で今回の民衆扇動のシナリオを綿密に作り上げたのは、大原誠三という名の四十にさしかかったばかりの人物だった。彼は現在の政治に対して不満を持っていたこともあり、率先して極秘クーデターに名をあげた。事前に祭りの実行委員会や町の自治会長とも交渉し、着々と準備を進めた。
「我が国はこのままでいいのか!」
午後八時前の平和台公園ではその大原が演説していた。
「自由主義の皇帝陛下を幽閉し、自分達の利益ばかりを追い求めている現在の帝国首脳はもういらない! 今こそ我々の力で陛下を救い出し、陛下の下で改革を進めようではないか!」
平和台公園に皇帝美奈が到着したのは午後八時半頃――ちょうど宮殿に第一報が入った頃だった。
車内でダンボールの箱から出てきたときはげんなりとしていた美奈だったが、車から降りるやいなや民衆達の熱狂的な声が聞こえてきた。
『皇帝陛下万歳!』
「うわ、すっごい迫力だなー」
この騒ぎを引き起こした張本人であるはずの美奈も度肝を抜かされていた。
「時間がないです。早くしましょう」
周りに促されると、どこからか拡声器が美奈の元に届いた。
あとは最後の仕上げだ。
「皆さん!」
美奈は群衆に向かって叫んだ。
「我が偉大なる父はもう亡くなりました。あの長く悲惨で血で血を争った戦乱の時代は終わり、我が帝国にようやく平穏な時代がやってきました。強力な権力を以て平和をもたらしました。しかしいつまでもそのままで良いのでしょうか? 我が父によって守られなければ生きていけなかったあなた方市民も、今では立派に成長しました。もう立派な大人です。自分の意思をもって行動できる者を縛り付けることは害悪に他なりません。新たなる成長を放棄したのも同然です。成長亡き社会は滅びを待つのみです。今こそあなた方市民の手で自由を勝ち取るときです。経済の自由を、学問の自由を、言論の自由を」
美奈は一息ついた後、さらに大声で張り上げた。
「朕、神陽皇帝たる美奈はあなた方市民の自由の擁護者たることをここに誓います。そして、あなた方市民は父たる帝国の栄光のために自由を勝ち取ることを誓っていただきたい。錦の御旗を掲げ、朕に反したる、朝敵たる現政府を打ち倒しましょう。市民の皆さん、今こそ我が神陽帝国の市民たる誇りを持つときです。自分の足で立つべきときです!」
「軍隊はどうしたぁ! 警官隊は!?」
午後八時四十五分。明らかに宰相は苛立ってきている。軍隊が集まってこないのだ。宰相の元にやってきた軍はわずか三十人である。
「恐れながら申し上げます。陛下が我々を朝敵として討伐するよう、民衆に命じた模様です。それで軍人達も陛下に対して銃を向けることを恐れているようです」
「な……」
美奈が計算に入れて、宰相が失念していたこと。それはまさに「皇帝の権威」であった。美奈は権力こそ奪われていたが、権威は持っていた。皮肉にも自らが嫌った父の独裁政治によって高められた皇帝権威を。そしてそれは皇帝以外のいかなる強大な権力者にも持ち得ないものだった。
「数の力か……」
そしてもう一つ。美奈自身には父のような絶大な権力はなかった。そこで持ち出したのが「数の論理」だった。彼女が指向していたものと、この国の市民や現体制で苦渋を味わわされた官僚達が求めたものは一致していた。だからこそ、わずかな時間で、強大なカを生み出すことができたのだ。
彼女の言うとおり、今こそが変わるべき時だったのかもしれない。
「それでは総理。長い間お世話になりました。私はこれでお暇させていただきたく。あ、民衆がもうすぐ側まで来ているみたいなので、逃げるのなら早くした方が良いですよ」
「ちょっ、待って。待ってって!」
そしてさらに付け加えるのならば、帝国分裂の時点で博喜皇帝に忠実だった有能な官僚は全て東帝国に残留していた。「おまけ」にすぎない西帝国へ「飛ばされた」官僚というのは能力が低いか、美奈と同様自由主義的で今まで疎んじられていたかどちらかである。
確かにこの日までは圧倒的に美奈皇帝が不利な局面だった。しかし初めからこの勝負は手筈さえ間違えなければ美奈が勝てるように仕組まれていたのだ。
「あぁ、やっぱり貧乏くじだった! こんなことならとっとと陛下に好き勝手させてた方が良かったじゃないかぁ!」
その後、野田宰相が表舞台に現れることは無かった。
美奈が多数の市民達と共に宮殿に帰ったのは午後九時三十分のことだった。
「お帰りなさい、陛下。総理他政府首脳は逃走いたしました。今官殿にいる者は皆陛下への忠誠を誓っております」
宮殿に残しておいた皇帝派の官僚の一人であった。
「ご苦労様。……こんなに上手く行くとは思わなかった。多少の武力衝突は覚悟したけど、まさか一滴の血も流さずにクーデターをやっちやうとは」
「やっぱあんた凄いよ。よくやったよ、美奈」
あゆみは美奈の手を取った。
「ほら、万歳三唱しよう。美奈」
万歳! の声がしばらくは止むことがなかった。
「いやー……夢みたいね」
彼女はこの時には薄々気付いていたのかもしれない。このドラマを仕組んだ張本人を。
(お父様。あなたと戦うのはこれからだわ)
ようやく今、スタートラインに立ったのだ。
翌日。世界中のどこの新聞でも、この前代未聞の白色無血クーデターが取り上げられた。かつて急速な近代化を成し遂げて世界に強烈な印象を与えたこの国が、再び世界に名だたる国へと生まれ変わる第一歩であった。
美奈皇帝による親政の始まりとともに、政府首脳も一新され、クーデターで活躍した皇帝派の官僚達が重要ポストに任ぜられた。例えばクーデターの中心人物だった大原誠三は外務大臣に任命されるといったように。
(第一部完)
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