第四話 帝衣を纏う者の決意

 称烈十九年一月十日、神陽帝国中興の祖であった博喜皇帝が崩御した。独裁者であった彼の死で、国中の空気は重く沈み、追悼一色であった。

 もちろん翌日朝の平城女学院でも例外ではなかった。が、黙祷を済ませた後、担任教諭に促されて教壇に立った生徒がここには居た。

「我が父へ哀悼の意を表してくださり、真にありがとうございます」

 深々と一礼したあと、彼女は前を向いて話し始めた。

「私は今日より父の意志を継ぎ、皇帝としてこの国のために身を捧げます。父の遺言でこの奈良の地は私が収めることにはなりませんが、私にとってこの学び舎は宮殿以上に居心地の良い思い出の場所です。この後の人生でもきっとここへの望郷の念に駆られることでしょう」

 この後いくつもの演説が彼女の口からなされたが、最初の演説は皇帝としてではなく一女学生としてのものだった。

「これから大変なこともあると思いますが、皆さんはまず目の前の……大学受験を頑張ってください。同級生として陰から応援します。そしていつか、この国の幸せのために貢献できるように、私のお力になっていただけるのなら幸いです」

 ふぅ、と一息ついて。零れ落ちそうになる涙をこらえながら彼女は宣言した。

「長い間ありがとうございました。それでは私は……行ってきます」

 溢れんばかりの拍手と、頑張れという声援と、両手で抱えるほどの大きな花束と。

 法的には「皇帝初日」となるこの日、若き新皇帝美奈にとっては「学園生活最後の日」となった。

「せいぜい頑張って来い。間違っても出戻ってくんなよ」

 皇帝への態度とは思えない、永子のきつい励ましと。

「私はどこに居ても美奈ちゃんを応援するからね~。ニュースに出てきたらちゃんと録画するよ~」

 菜々のゆるーい応援を受けつつ。

『行ってらっしゃい』


 神陽帝国の西部皇帝となった美奈の都は九州の北部にある福岡という港町だった。特に何もない一地方都市である。今まで彼女達が住んでいた大阪には遠く及ばない。当時は博喜の帝国の正当な後継者は近畿や関東といった主要部分を相続した東方の沙織であり、九州と西中国、四国しか領域に持たない西方はあくまで「長女への配慮」にすぎなかった。

 美奈と共に福岡へ――事実上の「都落ち」してきたのは、彼女付きの使用人だったあゆみを始め、数人の身の回りを世話する者達だけ。その他はみんな、今まで福岡にいた官僚達である。

「はー、疲れた。即位式ってこんな面倒なものだとは思わなかったわ」

「まあまあ……」

「こんなとこでお金を使っている余裕があるなら、他に使うとこあるよね」

「えらく毒舌ね」

「それだけ疲れたってことよ」

 美奈の即位で元号も改まって、青琥元年二月十六日。

 ようやく即位のイベントも終わり、一段落できるときがやってきた。新たな宮殿――といっても、かつての福岡県庁の建物を間借りしただけの簡素なものなのだが――の新たな部屋には、大阪時代と同じように、新皇帝の美奈とあゆみがお茶を飲みながらくつろいでいた。

「それにしても感じ悪くないかしら?」

「誰が?」

「大臣達よ。さも自分達がえらそうにして威張り散らしちゃってね。新皇帝のご登場というのに、全然従いそうにもないじやない」

「そうですよ。これって、ほとんど幽閉ですよね……。一体陛下をなんだと」

「こらこら、あゆみ」

 美奈はあゆみの頭を軽く叩いた。

「は、はい、陛下!?」

「だから陛下って呼ぶのは止めてよ。プライベートな場では本名で呼んで」

 初めて出会った時は「殿下」、それが時をかけて「美奈」になったのに、皇帝になったらついつい「陛下」と畏まってしまうのだから、皇帝の威厳は計り知れないものがある。

「ごめん、美奈」

「よしよし。まぁ、まったりと引きこもるには丁度良いんじゃないかしら?」

「へい……じゃなくて美奈! そんなことで良いの、皇帝って」

「いいのよ。沙織には相互不干渉宣言を突きつけてきたし、私はこっちでのんびりとやらせてもらうよ」

「あぁ……」

 あゆみは複雑な表情を浮かべた。

「沙織はね、良い子なんだけどね……。それだけにあぁいうことになっちゃって……」

 慎重に言葉を選びながら話す。「あぁいうこと」というのは沙織が紆余曲折を経て、姉の美奈と会話を交わさず恨むようになってしまったこと。その「紆余曲折」というのは、美奈を「反面教師」にした博喜皇帝が沙織から自由と学問を奪ったことだった。

「仕方ないよ。沙織は悪くない。小さい頃から彼女と面と向かって話をしようとしなかった私も悪いわ」

 この話はもう止めましょう、と言わんばかりに美奈は神陽帝国の白地図を広げた。そのうち彼女が引き継いだ西部が赤い色で塗られている。

「この国はね、世界から見ると狭いけど、いきなり何か大きなことをしようと思えば広すぎるわ。まして今までのものをガラッと変えるなら」

「だったらこれくらいの領域の方がちょうどいいってわけね」

 しかし、だ。

 若き新皇帝の美奈には何の決定権もなかった。というのも当時、宰相を始めとした先帝時代からの官僚勢力が政治を牛耳っていたのだ。


 何もできないまま二ヶ月経ったある晩。

 ピアノのメロディがどこからか聞こえてきた。

 静かで重く美しく、そしてどこかもの悲しい夜想曲(ノクターン)。

 誰もが目を閉じて静かに聴きふける、美しい曲だった。

 コンコン。扉を叩く音がすると、夜想曲の演奏は止まった。

「お取り込み中? 入っても良いかしら」

「いいわよ」

 客人は赤いリボンを付けた女性、皇帝の美奈であった。そして今ピアノを弾いていたお団子頭の女性が彼女の友人のあゆみである。

「せっかくだから最後まで聞かせてよ、夜想曲」

 美奈の言葉にあゆみは軽く頷くと再びピアノの鍵盤の上で指を踊らせ始めた。

 演奏が終わると、美奈は軽く手を叩いた。

「お見事ね。いつ聞いても心安らぐわ」

「さてはまた機嫌が悪くなることでも?」

「それは毎日だけどね」

 美奈は扉の方を見つめた。鍵は閉まっている。そして四方を確認。なぜならこれからする話は、誰にも聞かれてはいけないから。

「どうやらね、思ったよりも私に残されている時間は少ないみたいなの。奴らね、今は私が未成年であることを利用して、私に発言権を与えてないみたい。『未成年である以上はいかなる法律上の行為も、後見人たる我々の同意無しには効果がありません』だなんて、皇帝の意味無いじゃないという」

「もしかして、先帝の命令?」

「だろうね。ということは、私が二十歳になる前に奴らは私を退位させるわ。うまくいかなけりゃ殺す。そして東と再合併するか別の人間を皇帝にでっち上げるかで、傀儡政権を続けるつもりよ」

「何それ……」

あゆみは肩をふるわせた。顔は真っ赤。見ているだけで怒りが伝わってくる。

「それじゃ美奈の存在価値って何……ただの道具だっての?」

「いいえ。彼らにとっては道具以下でしょうね」

 あはは、と寂しい笑みを美奈は浮かべた。

「帝位継承の正統性を保つために、一度は私を皇帝にする。……実は役目はこれで終わってるのよね。自由主義者で下手に悪知恵の働く皇帝は彼らにとっては害悪そのもの。できるだけ早いうちに駆除したいところでしょ」

「そんなっ……酷いっ、酷すぎるよ!」

 バン! あゆみはピアノの鍵盤を力強く叩いた。

「あらら。ピアノさんが痛がってるわ。もっと優しくしてあげないと」

「そんなのんきなこと言っている場合じゃないでしょ。あなた今の状況わかってる? くびり殺されるかもしれないんだよ、美奈」

「ええそうよ。だから、こっちが先に手を打つ。じゃないと私達に勝ち目はないわ」

 美奈はにっこりと屈託のない笑みを見せた。まるで子供が、無邪気に悪戯をしかけようかとでもいうような。

「……はい?」

 突然の笑みに、あゆみは呆気にとられてしまった。

「だから、もうちょっと声の音量を下げなさいな。それで紙と鉛筆ちょうだい」

 美奈は一つ一つ丁寧に『計画』の手順を説明していった。

「これでめでたしめでたし、と。で、何か質問は?」

「あのさ、美奈」

 あゆみははぁと溜息をついた。

「小説の読み過ぎじゃない?」

「かもね。あと歴史書もね。だって暇だし」

「なるほど。……じやないわよっ!」

 あゆみは美奈の額をぺしっと叩いた。

「『民衆がかわいそうな女王様を暗黒の手から救い出しましたとさ。めでたしめでたし』って、そんなに事が上手いこと進むかぁ!」

「あら、民衆をなめちゃいけないわよ。例えば、ナポレオンとかね」

「ナポレオンとあんたじゃ話が違うでしょうがっ!」

「まぁそうね。こっちは全く軍事力ないしね。まぁ、動員する方法は実は考えている途中だけど」

 あゆみは今日何度目かの溜息をついた。

「……あのさ、美奈」

 ようやくあゆみも落ち着いてきたようであった。

「あのね、美奈。こういう大きな事をするのには凄く行動力と勇気がいるのよ。あなたって気弱な子だったじゃない。怖いことだとか揉め事だとかからずっと逃げてきたじゃない」

「そうね」

「別にあなたをけなしたいつもりじゃないわ。あなたに傷ついて欲しくないの。気弱な優しい女の子に、多くを背負って欲しくないだけなの」

 真剣な顔でじっとあゆみは美奈の顔を見つめている。

「わかってるよ。本当は凄く怖いし、いろいろ考えるだけで胸が痛むわ。……だけど、他に何か方法があるの?」

「一番安全なのは今すぐ退位して、一般人として今後を過ごすことだと思う。この選択肢はあなたにはないの?」

 あゆみの言葉を受けて美奈は即座に首を横に振った。

「『帝衣は最高の死に装束なり』」

 そして毅然と言い放った。

「かの東ローマ皇帝ユスティニアヌスの皇妃テオドラの言葉よ。逃げて不名誉な生き恥をさらすくらいなら、名誉ある皇帝のまま死んだ方が良いと」

「なっ……」

「だけどね。これには含まれた意味があるの。退位してどこかで隠居したとしても、元皇帝は政権の不満分子に担ぎ上げられてしまうものなの。そこで醜い戦いに巻き込まれるか。もしくは初めからそのことを警戒されて、とっとと新政権に追われて殺されるかね。そんな悲惨な末路をたどった元君主が世界にはごまんといるの」

「…………」

「一度人の上に立ってしまった者に退路はないわ。それならば、今皇帝としてできることをやろうってこと。幸いにも私にはやることがあるんだから」

 美奈はあゆみの胸をポンと叩いた。

「言ったでしょう。我が帝室があなたの家族に行ったことの責任を償うって。それまでは……私は死なない。死ねないから」

「う、うう……み、美奈ぁ」

 あゆみは美奈の華著な体に抱きついた。

「これからも迷惑かけるだろうけど……よろしくお願いね」

 美奈は胸で泣きじゃくるあゆみの頭をそっと撫でた。

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