第三話 新たな夜明け前
天神橋での大量虐殺事件に対して、多くの先進欧米諸国が遺憾の意を表し、中には経済制裁に出たり、事実上断交した国も出てきていた。
「あぁ、もう嫌っ!」
部屋へ戻るなり美奈はベッドの上で大の字に横になった。
「どうする気もないなら聞くなっつーの!」
「…………」
「もう帰っ……て、私が一人だけになってもずっとイライラしてそうだから、やっぱしばらくここに居て」
どうしたらいいのと心の中であゆみは思ったが、どうすることもできないので鍵を閉めて美奈の部屋の中に居ることにした。
政府首脳の中に、独裁者の博喜皇帝に対して異を唱えるものは誰も居ない。ただ唯一彼に対して「口答え」が許されていたのが、実の娘である美奈内親王その人だった。
今回の件でも「どうして諸外国が制裁に出るのかわからない」と言うものなので、「無差別殺人なんてやったら人権問題だからこうなるのは当然」と返したまで。だが西欧風の人権なんて観念のない――そもそも君主は国民の生殺与奪を握っていると考えている博喜からすればわかるはずもない。彼にすれば自分と自分が治める国が全て正しくて、外の世界が間違っているのだ。
……と、こんな感じで美奈の貴重な反対意見が採用される日はやってこない。そもそも博喜からすれば意見ではなく「口答え」にすぎないのだ。もちろん皇族以外の人間が「口答え」しようものなら即死刑だが。
「どうするのかしらねー……外国と付き合わずにやっていくつもりかしら?」
「それでも何とかなるのでは」
「ならない。食料自給率考えなさいよ」
そう言ってもあゆみは不思議そうな顔をしたまま。
「簡単に言うと、外国から物が入ってこなければパンとうどんが超貴重物になる。おそらく豆腐も」
「そうなんだ」
「……一つ聞いていい? あなたって勉強したことある?」
「え? 読み書きそろばん。あとは家事、たまにピアノ」
最近こそ親しくしていたので忘れていたが、あゆみは元々は奴隷扱いだったことを思い出した。宮殿の使用人に対してまともな教育が行われていることを期待する方が間違っていたというものであろう。
「うん。じゃ、今からでも遅くないから勉強しましょう、いろいろ」
「はい……って、は?」
「将来、私の片腕になる人間がまともに教育も受けていないのでは問題大有りよ。せめて社会科、うん、地理歴史公民くらいは最低限身につけておいてもらわないと。そういうわけで、今日から暇なときは私が授業やってあげるわ」
あゆみはしばらく呆然とした後、
「ちょっと待って、私みたいな奴隷あがりの無学な人間をあなたの片腕だなんて……ずっと身の回りの世話をするものだと……」
「うん、それじゃ困るの。だってさ」
美奈は溜め息一つついてから、
「お父様のイエスマンしか居ないのよ、今の帝国首脳には。彼らに私一人で立ち向かっていくなんて無理だわ」
「そうだけど……私ができることなんて、ほんと微力だよ? ほとんど戦力にもならないよ」
「うん、そうかもしれない。だけどね、私は一に〇、〇一を足したとしても二か、あるいはそれ以上にもなると思うの」
一 足す 〇、〇一 は 一、〇一。これが算数の答え。
「それが仲間が居るってことよ」
「うーん……美奈は私を買いかぶりすぎてないかしら?」
「そうかもしれないわね。でもあなたは頭も切れると思うし、その気になれば〇、〇一どころか一を超えるかもしれないわよ」
「……おだててるの?」
「私は誉めて人を伸ばすタイプでね」
くすくすっと美奈は笑った。得てして才能なんて自分自身より他人が見つけ出すもの。美奈の予感の方が正しかったことはすぐにわかることになる。
「それじゃさっそく授業に行きましょ。まずはせっかくだから食料自給率の話をするわ」
「はいはい、殿下直々のありがたい授業にお付き合いいたしますよー……」
青少年の時代における教育の役割は大きなものがある。教育内容をコントロールすることが、当人の人格形成をもコントロールするといっても良いだろう。
そういう点で、次男坊だった博喜はごくごく一般的な――彼が生まれ育った時代には適合していたような教育しか受けておらず、それ以上の発展的な知識は持ちあわせていなかった。それに得てして皇族の教育というものは、伝統的・保守的な内容のものに傾倒しがちである。
彼の長女である美奈は幼少時から学問に親しんでいたこともあって平城女学院という名門女学校に通った。高度な中等教育と、名門の割には自由を尊んでいたこの学校の空気が美奈に与えた影響は計りしれない。
そして美奈の妹にあたる次女の沙織は、父親に似たのかあまり勉強熱心ではなく、これまで数多くの皇族が通っていた学校に進学した。そこでの教育は今までの保守的な内容。
他にも沙織への教育方針については姉の美奈とは大きな違いがあった。それは美奈が触れてきたような自由だとか裏づけとなる学問を身につけさせないこと。
「陛下は沙織様を後継者に考えているようだ」
政府首脳ではこのような声がちらほらと上がっていた。博喜には男子が居ないので、本来は甥の悠斗親王が次に即位すべきであろうが彼は早くから博喜の不興を買っており、血を引かない彼が後継者になることはまずないと思われていた。となると、次は長女である美奈が継ぐべきであるが、自らの業績を否定するかのように「口答え」する彼女よりかは、独善的なところが自分に似て「余計な知識」を身につけないように仕組んだ妹の沙織の方が彼からすれば都合がいいだろうという予測だった。
幼少時から美奈と沙織は姉妹であるにも関わらずあまり接点が無かった。そのためか姉妹仲は微妙で、たまに会ったとしても会話を交わすこともほどんと無かったようである。
博喜の体調がにわかに悪化し始めたのは、称烈十八年に入ってからのことだった。秋にもなると病状が急激に重くなり、後継者問題が現実のものとして沸き起こっていた。
「よっしゃ、A判定!」
「あぁC判定か~」
「うーん……」
この頃当事者の美奈は高校三年生。大学受験の時期であった。友人の永子や菜々も例外ではなかった。
「なんだお前もA判定か。さすがだね」
「その割には浮かない顔してるね~」
「いや、だって行けるかどうかわからないし」
『…………』
もし近いうちに博喜が亡くなって自分が皇帝になったとしたら大学へ行っている暇などもちろん無い。
「そっか、お前の分まで大学生活楽しんできてやる」
「私はいつまでも美奈ちゃんのファンだよ~」
「……うん」
皇帝になることが自らの定めだとわかっていても、この国を皇帝として変えていかなければならないことはわかっていても。
十八歳の少女にとって大切な友人との日々が奪われることは辛いことだったに違いない。
宮殿の自室に戻り、例によって読書をしているところで、部屋のドアがノックされた。
「お帰りでしょうか、美奈様。あゆみです」
「入って」
鍵を閉めたのを確認してから、あゆみはヒソヒソ声で話しかけた。
「陛下の余命もあと幾ばくとのことで、本日お世継ぎを決めるってあちこちで噂が」
「そう……ついにこの時が来たのね」
美奈の生まれた翌年に博喜が即位しているから、彼女の今までの人生はほとんど父による独裁政治の時代であった。
「カリスマのある中興の祖、ついに天寿を全うす、か……」
「えらく他人事ね。自分の父親なのに」
「単に父親なだけだったら良かったんだけどね……むしろあなたば喜ぶべきでしょうね。両親を私の父に殺されたんだから」
思わず美奈は呟いてしまった。こんなことを言っても彼女は何も言えないのに。
「…………」
両親が処刑されたとき、一人娘のあゆみは五歳だった。きっと自分の娘と同年代の女の子まで殺されるのは耐えられなかったからかもしれないが、美奈の母にあたる皇后が助命を願ったことによって彼女は命だけは救われ、使用人として一生宮殿に閉じこめられることとなったのだ。
「ねえ、あゆみ。私に責任取らせてくれないかな」
美奈の発言に、あゆみはぶんぶんと顔を横に振った。
「何言ってるの。あなたには何も責任なんか無いじゃない」
「そうね。私に責任はないわ。あれは父の責任よ。本当は父に償わせたかった。でもそれももう叶わぬ夢。だから…… 私の手でやるわ」
何かをあゆみは言おうとしたがすぐに止めてしまった。普段は温厚な美奈の目があまりにも強かったから。いつも父に対して愚痴を言っている時でもこんな目をしたことはなかった。
「あなた……何をするつもりなの?」
「一言では言えないわ。だから見ていて。私の一番近い場所で」
この日に皇位の継承、帝国の相続について帝室関係者内で極秘発表された。
帝国は鳥取・岡山―島根・広島を境にして、東中国・近畿以東を次女の沙織が、西中国・四国・九州を長女の美奈がそれぞれ相続することとなった。帝国の主要部分を沙織に継がせ、美奈は西方の一部のみの皇帝として即位する――結局のところ、「次女に帝国を継がせたい」という博喜の願いと「長女を差し置くべきでない」という意見の中間を取った形となった。
「これで……良かったのでしょうか?」
この日の夜遅く、博喜の寝室を宰相の山崎が訪れていた。
「何がだ?」
「陛下でしたら自らの思うとおりにお世継ぎを決めることができたでしょうに。どうして美奈様に配慮されたのですか?」
「意見が合わなくても実の娘には違いないからな」
「……大変失礼いたしました」
山崎が去ってから博喜は一人考える。
何かと自分と意見を異にして反発してきた長女の美奈であるが、彼は必ずしも自分と美奈とが正反対の存在だとは思わなかった。
もし彼の考えが正しかったとしたら――。
「……見物だな」
自分の帝国は自らが亡くなっても沙織の帝国という形で続いていく。その横で美奈の帝国はどのような運命をたどるのか――。
いくつもの可能性を思い浮かべながら、翌年の正月に博喜は崩御した。享年五十。帝国は彼の遺言通り二分され、これ以降、二つの帝国は別々の道を歩むこととなる。
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