第九話 皇帝だから
「地位保障問題」は結果としては帝国政府の地盤強化へとつながった。美奈皇帝と東園宰相を首班とする内閣への国民の支持はこの当時圧倒的なものがあった。
その勢いに乗って、美奈皇帝はさらなる大改革を打ち出した。行政改革、財政改革、経済構造改革、金融改革、社会保障改革、教育改革……次々と改革構想を発表した。
「これからの世界で生き残るためには、我が国はもっと欧米のようにきちんと制度を整備して、そのうえで国際競争に勝ち残っていかないとダメだわ」
「そうですねー」
美奈が理想をつらつらと述べている横で、榮太郎はゲームに勤しんでいた。
「そんなことより陛下、最近のロールプレイングは面白いですよ」
「私の理想論はゲーム以下なの、ねぇ!?」
「そんなことないですよ。ただ、今の俺はゲームがしたいんですよ。その限りにおいては最優先事項はゲームですね」
はぁ、と美奈はため息。
「だいたいね、」
榮太郎は少し恨めしそうな目を美奈に向けた。
「あなたは理想を述べるだけでいいですけど、実際あんだけの改革を一気にするとなるとすんごく大変なんですよ。わかってます、そのこと?」
美奈皇帝が打ち出したいわゆる「六大改革」は神陽帝国が成立して以来の社会構造を大きく変える一大プロジェクトであった。そもそも現在の社会制度ができたのは百年以上も前。当然その後の社会変化に対応して付け焼刃の変革はあったものの、これではまさに整理されていない散らかったデスクと一緒。合理的でないような制度が残存する一方、今まさに必要とされている制度が不存在であったりと、「大掃除」の必要性は明らかであった。
だからこそ美奈は新しい帝国を象徴するような大改革を志したのだが――
「命じるだけなら簡単なんですよ、『ナポレオン好きのお嬢さん』」
夏の外遊以降、榮太郎はこの表現を好んで使うようになっていた。
「そうだけど……でも私が言い出さないと事は動かないと思うの。音頭取りも重要なのよ」
「えぇ。あなたがやろうとしていることは間違っていませんよ。実際一学生としても現状の社会制度だと何かと不具合を起こしていることが多いと思います。ただですね……」
「ただ?」
「世の中には様々な考え方があるということ、あなたの理想を嫌う人も居ることを忘れないでください」
年が改まって青琥四年正月の帝都福岡。
一般参賀の日に民衆の前に姿を現した美奈皇帝は、和服姿の多い彼女にしては珍しく、美しく煌びやかな水色のドレスを着ていた。一方で長く艶やかな黒髪には、いつもと同じ赤く大きなリボンが結ばれていた。
「えー……あけましておめでとうございます。皆さんご機嫌はいかがですか?」
顔は少し引きつっている。即位してからもうすぐ三年経つが、やはり大勢の人前で話すことはすぐには慣れないようだった。
「我が国に自由がもたらされてはや二年半。皆さん一人一人の努力もあって、我が国の経済、文化水準は大幅に向上しました。いよいよ世界の列強諸国に肩を並べる水準にまで回復してきています。暴力によって世界を席巻し、帝国を築き上げる時代はとうに終わりました。今、我が国が新たな世界の盟主として、経済的文化的な大帝国を築き、尊敬されることを、私は望んでいます。国を構成する個人の幸福なくして国の幸福なし。あなたがた市民と我が帝国に、八百万の神のご寵愛あれ」
拍手と声援の中、側にいたあゆみが声をかけてきた。
「大きく出ましたね、陛下」
普段は本名で呼び合っている二人だが、公の場では皇帝と臣下の立場をわきまえて発言している。もっともこれはあゆみが説得したもので、皇帝の美奈のほうは、あまりあゆみに陛下とは呼ばれたくないらしい。
「いろいろデータを見るとね、そうでもないのよ。間違いなくうちの国は世界を引っ張る存在になっていってるよ。……もっとも、ここまでくるまでもっと時間がかかるかなと思ったんだけど」
美奈皇帝の影響が強い東園内閣の政策について、核となるのは自由化・効率化であった。肥大した官僚組織の力をそぐためにした分割・民営化政策。学力・能力重視の公務員登用。先帝による統制経済下の規制の緩和、などなど。
確かにこれらの自由化政策によって、少しずつ国民の活力はよみがえっていった。努力は報われ、働いた分だけ収入が入ってくる。経済の繁栄は文化への投資につながり、古くからの文化遺産の保存や、新しい文化の導入に大きく貢献した。
西神陽帝国には帝都福岡や長崎といった良港を多く抱えていたことから、海運業・貿易業が特に盛んであった。アジアや太平洋の海洋国家群の盟主に、西神陽帝国が君臨するまでそう時間はかからなかった。
三年前には帝国の一地方都市にすぎなかったこの帝都福岡も、今では東帝国も含めて一番の大都会になっていた。
夜もネオンがまぶしいばかりに光り輝いている。宮殿のとある一室からも、まばゆい光と賑やかな声がこぼれていた。
「戌亥、今晩は暇?」
「すみません、今三途の川の川幅を求める方程式を解こうと必死に頭を捻って」
「入るわね」
美奈が榮太郎の部屋へ立ち入るときにはお約束のやり取りになっていた。よくもまぁ榮太郎のほうもレパートリーが尽きないものである。
「完成したら見せてほしいものね。その三途の川の方程式とやらを」
「残念ながら今のところ死ぬ予定は無いので大分遅れることになりそうですね」
方程式の代わりに榮太郎が美奈に提示したのは改革の一環としてのとある新しい法律の資料だった。
「こんな感じになると思います。とりあえず一度目を通していただいて何か注文することがあればメモっておいてください」
「その間あんたは?」
どうせゲームでもするんでしょう、と。
「そうですね。じゃぁ陛下をじっと見つめることにします」
…………。
…………。
…………。
「そんなにずっと見つめられると読んでも頭に入ってこないわ!」
「それは十分集中できていない証拠ですよ」
「うぐっ」
美奈はなんとか邪念を払って書類に目を落とした。
しばらく続いた静寂。それを破ったのは榮太郎のほうだった。
「陛下って……」
榮太郎は一息ついた。
「陛下って、行動力ありますよね。やりたいってことがあって、それを本当に実現させちゃうあたり、すごいと思うんですよ」
「実現させているのは私じゃなくって大臣や官僚達だけどね」
「でも、です。前に陛下が言っていましたがあなたが音頭を取ることに意味があるのです。先帝の時代から社会を変えようと、あなたは次々と改革の夢を打ち出していった。そしてそれを実現させちゃうんですもん。すごいですよ」
あなたがしっかりした夢を持っていたからこそこの帝国は生まれ変われたのですよ、と榮太郎は付け加えた。
「そしてそんなあなたの力になりたいと人が集まってくる。だからこそ成功することができる。先帝みたいに上から力付くで押さえるだけじゃない、こういうカリスマもあるんだなって」
「誉められてるけど……なんだか結果オーライな気がしないでもないわね」
「運も実力のうちですよ。勝てば官軍でしょう、歴史って」
「そうだけど……」
口では慎重なことを言いつつも、榮太郎に誉められて美奈は悪い気はしなかった。
「でも……あんたがそう言うのなら、そうなのかもね」
榮太郎は少し驚いたような顔をした。
「あら。俺の甘い言葉にあっさり乗ってくるとは」
「私はあんたの目利きを評価してるのよ」
くすっと美奈は笑った。
「手と目が止まってますよ」
「あぁ、そうね」
再び美奈は書類に目を通す。
「俺の独り言ですから言葉は返さなくていいですよ、陛下」
そう前置きして榮太郎は続けた。
「俺、陛下に出会うまでは何の夢もなかったんです。ただ漠然と生きていけたらいいなとか、そこそこお金もらってそこそこの生活ができたらいいなって」
なぜだろう……美奈は胸の鼓動が高鳴っていくのを感じていた。
「でも陛下と出会えて気付いたんです。そんなの面白くないなって」
なんだかふわふわして、目に入ってくる字がぼやけている。
「だから俺、陛下みたいにやりたいことは叶えられる、一緒に叶えてくれる仲間が居る、そんな立派な人間になりたいです」
その後、榮太郎はまた無言になり、いくらか書類についての意見交換をしたはずだが、美奈は内容を詳しく覚えていなかった。
山がちな神陽帝国には多くの緑が残っている。帝都の福岡でも都心部から少し歩けば、季節と共に移りゆく木々を味わうことができる。
ひっそりとした夜はどこか寂しいもの。宮殿のとある一室からも、美しく、それゆえに儚げなピアノの音色が鳴り響いていた。
ショパンの夜想曲――あゆみの十八番であり、美奈のお気に入りの曲。
「はぁぁ」
あゆみは深くため息をついた。
「また振られちゃったよ」
「海軍にいる現代風の顔立ちの子だっけ?」
「違う。某スポーツチームのイケメン内野手よ」
「そりゃまた、高嶺の花ですね……ってイタイイタイ」
あゆみは美奈の頬をぎゅっとひねった。
「なんだ。私はずっとあんたは綿谷のことを……って痛いって! ごめんってば!」
「そんな子に育てた覚えはありませんよ、コウテイヘイカ」
あゆみの手に入るカがさらに強くなった。名前で呼ばないところが、かなり怒っていることを示している。
綿谷修司。あゆみの幼なじみの男性で、初恋の相手。
「でも……」
「確かに綿谷のことはずっと意識してた。今でも意識してないといえば嘘になる。でも、もう戻れないの。あいつが求めている人は私じゃないことを知っちゃったから」
綿谷が思いを抱いていたのはあゆみではなく、沙織の方だった。だから東西分裂の際も、東帝国に残ることを彼は選んだのだ。
「そっか……野暮なことを聞いちゃったね」
話題が途切れ、気まずい空気が流れた。
「あ、でも。あゆみはその気になればもてると思うよ。美人だし、頭良いし、要領良いし」
「それ、お世辞に聞こえるわ……」
「そんなことないってば! 現に若手官僚の間では人気らしいよ。稀に私に恋の相談してくる子もいるし」
「……ちょっと待て、何でそんなことをあんたが知ってるの?」
「私は皇帝だよ。部下の悩みを聞くのは上司の務めだよ」
えっへん、と美奈は胸を張った。理由になっていないような気がするが。
「だから自信持ちなさいな。今はまだ仕事が忙しいけど、その分将来休みもあげるから。結婚しても子供産んでもクビにはしないから」
「一生私をこきつかう気ね」
少なくとも美奈皇帝が生きている限り、あゆみは衣食住には困らない。
「で、あんたはなどうなのよ?」
「ほえっ?」
急に自分のことに話が振られて、美奈は素っ頓狂な声を上げた。
「人の恋愛茶化しておいて自分はどうなのよ、ってこと」
「そんなこと言われても……」
幼少の頃は勉学に励み、中学高校と女子校に通い、そして皇帝に即位してからは、政治に全てを捧げてきた。浮いた話など、美奈にとっては程遠い話だった。
はずだった……のだけれど。
「私にはそんなこと縁がないもん」
わからない。
「私だけが男見つけて幸せになっても仕方ないじゃない」
「あー、いや……」
最近少しばかり意識してしまう人がいるけど、あの人は……。
「美奈も皇帝である以前に一人の女性なんだから」
いや、でもそれは……そんなことは……。
「仕事が一段落したらね、」
「そういうことはいいんだってば!」
いつもは温厚な美奈が、珍しくあゆみの発言を遮って声を荒げた。
「あ、ごめん。あゆみ」
美奈は急に我に帰った。
「…………」
わからない。いくら考えてももやもやしたままで答えが出てこない。ただ今の美奈にとっておそらく言えそうなことは。
「ごめんなさい。今は皇帝としての職務を全うしたい、まずは立派な一人前の皇帝になりたいの。他のこと考えちゃうとおかしくなっちゃいそう」
こういうことだった。
「私は――皇帝なの」
「……私も不用意だったわ。ごめんなさい」
あゆみの顔は心なしか悲しそうだった。
本当にあなたはそれでいいの?――その言葉をあゆみは言い出せなかった。
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