第十話
暗くて目立たないが、壁と床に散ったものからは鉄臭いにおいがする。エインは獣を何度もさばいているのですぐに理解した。血のにおいだと。
半分閉じていた扉を弾き飛ばし、他の家へ飛びこむ。ここも血のにおいがした。
その次の家の扉を開けた瞬間、真剣な表情を浮かべていた顔が、一瞬で無表情に変化した。それだけではなく顔から血の気が引いてゆく。無機質な仮面のように白い。おぼつかない足取りで、一歩二歩と進み、それ以上動けなくなる。
「あ、ああ……」
言葉にならない嘆きが、口から漏れる。
鼻を刺すのは、むせるほどの血臭。肌を刺すのは冷たい死の空気。目の前に広がるのは、無造作に投げ出された、いくつもの死体。
ある者は背中を切り裂かれ、ある者は腹から臓物をはみ出させ、ある者は苦悶の表情で、ある子供は胸を貫かれ、みんな死んでいた。
流れた血は床を埋め尽くしていた。すでに乾いている。血でできたどす黒い絨毯の上を、エインはぎこちなく歩く。関節が固まったかのようだ。
緩慢な動作で首を動かすと、倒れた人々の骸をひとつひとつ確認する。誰もこの村で見た事がある顔だ。もともと村の人数は多くない。全員の顔は覚えている。
その中のとある死体を目にした瞬間、思わず駆け寄って膝をついた。
「あ……」
震える指先をのばす。頬に触れるが、氷のように冷たい。冬の冷気ですでに生前の暖かさは失われてしまっている。それを理解すると、背を反らして絶叫した。
「うああああああああああっ!」
その声は村の入り口にいたネミールたち二人にも聞こえた。馬車から二人とも降りていたが、どうすればいいのか見当がつかなかったのだ。
「何っ?」
「あの少年の声のようでしたが。行ってみましょう」
二人は早足でエインの声が聞こえた方向へ向かう。声は途切れることなく続く。近づくとそれは悲痛な叫び声だとわかった。
「泣いてる?」
「何があったのでしょうか」
声が聞こえるのはこの家のようだった。扉が半分開いているが、暗くて中までは見えない。そっと近づいて開ける。光が入り中の後継が見えた瞬間、ネミールは青い顔で口を手で押さえ、アイリーンも思わず後ずさりした。
「なに、何なのこれ……!」
「死んで、いるのですか……?」
声も無くただ二人は立ちすくむ。エインの絶叫は止まらない。
それは長い時間ではなかった。だが短いわけでもなく、そこまで続いた絶叫は唐突に終わった。
家から亡霊のような黒い影が出てくる。それは俯いたエインだった。腕に何かを抱いている。それは幼い赤子だ。生命力に溢れているはずの顔は白く、その子がすでに亡くなっている事は明白だった。
エインは言葉を発することなく、機械的に足を動かす。その異様さにネミールとアイリーンは数歩下がった。二人を気にすることなく通りすぎるエイン。
エインが向かったのは村の片隅にある墓地だ。墓を示す盛り土と置かれた石がいくつもある。
エインは大切そうに赤子を地面へ置くと家へ戻り、男性と女性一人ずつの遺体を同じように運ぶ。二人は赤子の両親だった。
エインはどこからかクワを探してきて穴を掘る。小柄な体からは想像できない早さで深い穴を掘った。そこに父親と母親の遺体を並べ、その間に赤子の遺体を置く。仮面のような表情でその光景をしばらく見つめた後、遺体の上に土をかぶせた。小さく盛り上がった土の上に一抱えほどの石を置く。これで墓は完成した。
それが終わるまで、ネミールとアイリーンはただ無言で見ている事しかできなかった。
「どういうことだよ……一体、何があったっていうんだよっ!」
エインが叫ぶ。
「何で、何で村の人たちが、みんな死んでるんだよ! どうして殺されてるんだ!」
エインは急に振り返ると、怒りに歪んだ顔でネミールたちを睨む。そこに込められた圧倒的な殺気に、二人の背筋が震える。
「あいつか! あいつら騎士がやったのか!」
鬼の形相で迫るエインにネミールが後ずさる。それを守るようにアイリーンが彼女を背後に隠した。エインは目の前までくると、身長差など気にせずアイリーンの胸倉を両手でつかんだ。
「村から馬に乗った騎士が走ってきたって、昨日言ってたよね! それはここでしょ! あの騎士は誰なんだ、教えろっ!」
「っ……私は、何も知りません。遠くからだったので、村の中の様子は、わかりませんでした……騎士も、あの鎧の紋章が本物なら、ノゴ地方領の騎士だとしか……っ!」
その体つきからは想像できない力でアイリーンの首元を絞める。エインが掴む服からは、今にも布が千切れそうな音が聞こえた。アイリーンは苦しそうに首元の手を掴むが、万力のような腕は全く動かない。
「ア、アイリーンをはなして!」
ネミールがエインの腕に飛びつくが、これでも緩むことは無い。アイリーンは顔を歪め、ネミールは泣きながら腕を掴む。
不意にエインの指が開かれた。開放されたアイリーンは、ふらりと地面へ尻をついてしまう。苦しそうに首を手でおさえる。
「ぐ……ごほっ」
「大丈夫アイリーン!」
「は、はい。平気ですよネミール様……」
いつもなら大げさに感謝を示すところだが、そんな余裕も無かった。
倒れたアイリーンとそれを介抱するネミールを、エインは冷たい目でただ見下ろしていた。それはわずかな時間で、すぐに向きを変えて歩いていく。
「ど、どこに行くのですか……」
「追いかける。それで誰がやったのか、どうしてこんなことをしたのか聞き出す」
「どうやって……」
「力ずくでもだ」
その言葉に込められた怒りと覚悟に、二人は黙る。歩いて行くエインの背中に、アイリーンは言う。
「一人では無理です。本当にあれをやったのがノゴ地方領の騎士団だとしたら、何百人もいるんですよ。騎士だけじゃなく傭兵達も大勢。それでどうするというのですか」
「だったら何もするなって言うの」
ふり返り、エインは怒りと悲しみを複雑に混ぜた表情で言う。
「……この村の人たちとはずっと一緒だったんだ。じいちゃんとばあちゃんが死んだ後もいろいろ世話してくれて……それなのに……」
堪えきれない涙がエインの頬を濡らす。嗚咽がこぼれ、涙が雪の上へ落ちる。固く握り締められた両手は大きく震えていた。
その痛ましい様子にアイリーンは視線を外すが、眉を吊り上げ毅然とした顔になると、エインを見据える。
「ネルゴット様と合流しましょう」
「……なに」
「誰がやったにしても、村の全ての住人を殺害するなど、重大すぎる犯罪です。しかもここはネルゴット様の夫、エル地方領主ルカール様の領地。お二人とも誰よりも領地の民のことをお考えになられている方です。この事件を聞けば心をお痛みになり、かならず真相を究明して犯人を絶対に裁きにかけることでしょう」
「つまり、どういうこと」
「この恐ろしい事を行ったのが騎士団だとして、その真相をあなた一人で解き明かし、裁くことなどできません。しかし領主様がたの力があればそれが可能です。相手がたとえ貴族だとしても」
騎士というのはほとんどが貴族だ。平民出身の者もいるが、その数は少ない。そして貴族と平民の間には明らかな身分の隔たりがある。貴族が平民相手に犯罪行為をしたが貴族が裁かれることは無く、反対に平民が裁かれるなどということはよくある話だった。
「本当にやってくれるの?」
「はい。私と、お嬢様が約束します。領主様とネルゴット様にそう頼みますから。そうですよね、お嬢様」
「えっ、あ、うん」
急に話をふられて慌てながらネミールは頷く。エインは二人をじっと無機質な目でしばらく睨み、ふいと逸らした。
「わかった。二人をネルゴットさまのところまで連れて行く。それで約束は守ってくれるんだよね」
二人が大きく頷くと、エインは歩き出す。
「早く行こう。急げば夜までに次の村へ行けるから」
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