第五話

「お嬢様、これにお乗りください」

 それは小さな馬車だった。小さいが使われる木材は太く厚いもので、かなり頑丈なものだ。その分荷物や人を乗せるスペースは狭い。

「食料や着替えは最低限のものを積みました。足りないものは途中の村で買いましょう」

「わかったわ。ありがとうアイリーン。ワガママを聞いてくれて」

 ネミールは質素な格好をしていた。といっても貴族としてはというだけで、布は上等なドレスだ。普段との違いは白やピンクといった明るい色ではなく落ち着いた暗い緑色で、フリルなどの装飾が少ないことぐらいだった。

 そしてアイリーンはというと、いつもと同じメイド服だ。これからこっそりと城を出るというのに、かなり目立つ格好である。ネミールは箱入りの貴族のためそこまでの考えが無いからだが、アイリーンはそれを知ったうえで「お嬢様に平民と同じ格好させるなんて論外。メイド服はお嬢様に仕えるための正装」という論理のままこの服装を選択した。

「では行きましょう」

「うん」

 こんな目立つ格好なのに無事出られたのは、城内がまだ混乱していたことと、騎士のほとんどが出て行ったためあまりにも人手が足りなかったせいだ。もう少し見張りの人間が多ければ二人は城から出ることはできなかっただろう。

「ねえ、アイリーン。このまま追いかけてお母様に追いつけるの?」

「すでに一日遅れていますから、そのまま追いかけても難しいでしょう。ですが、調べて来ました。その荷物の中に地図があると思うのですが」

「これ?」

「見ての通り、ここの土地は折れ曲がっています。その狭い折れ曲がった土地の中で、山や川などで道はさらに折れ曲がっているのがわかりますか? そのせいでそれほど距離が無いのに移動には時間がかかってしまいます。では山を越えるなりすればいいと考えましても、少数ならまだしも今回のように大人数では広い道を行くしかないでしょう。また全員が馬を使っているわけではないので進行速度もそれほど速くありません。ですが、それでも追いつくのは難しいです」

 ネミールの眉が下がる。

「どうすればいいの?」

「近道を使います。細くて大人数の移動には難しく、また上り下りが多く疲れやすい道です。しかしこれを使えば一日の遅れは取り戻せるかもしれません」

「どの道なの」

「ここエル地方領はWの形をしています。城があるのが左端。そこから少し離れた場所に山を貫いて、真ん中の山形に折れた頂点へ繋がる道があるのです。それを使います。しかし完全にネルゴット様とは違う道程になりますので、最悪追い越してしまうこともありますが……」

「でも、それなら追いつけるかもしれないのでしょう。だったらそれでいいわ」

「分かりました」

 ネミールは馬車を引く馬の手綱を操り、速度を上げた。

 大きな道から左の細い道へ曲がる。その先は山だ。雪が薄く積もる山道を馬車は進む。急ぎたいがあまり手入れをされていないこの道は、ところどころ穴や石が転がっている。もしそれで馬車が壊れたり、最悪転倒などしてしまえばそれ以上進むことも戻ることもできなくなってしまう。慎重にいかなければならない。

 冬山は生き物の気配が少ない。葉が落ちた裸の木々はどこか恐ろしい雰囲気を感じる。音がしたと思ったら、木の枝から行くが落ちただけだった。

「寒い……」

 すでに何枚か服を重ねているが、それだけでは我慢できないほどの寒さだ。

「頑張ってください。もう少しで村が見えます。太陽ももうすぐ隠れてしまう。早めに到着したいところですね……」

 ようやく村が見えてきた。城とはちがい石の壁ではなく木製の柵が囲んでいるだけの村だ。家の数も多くない。いるのは農民たちだけで、騎士や傭兵などの村を守る人間もいない小さな村だ。

「村です。もうすぐ着きますよ」

「よかったあ」

 二人が安堵の息をつく。すでに太陽は山に隠れようとしていた。冬のこの時期はあっというまに真っ暗になってしまう。その前にたどり着けて一安心だ。

 そう思っていたが村へ近づいていくと、何だか様子がおかしかった。人の叫び声や、争う声などが聞こえている。

「お嬢様……様子が変です。一旦離れましょう」

「でも、村はすぐそこだよ」

 村の入り口に人影が出てきた。遠目ではよく分からないが、粗末な革鎧と武器を持っている。二人組みの片方が村の中へ走っていった。

「どうしたんだろう」

「お嬢様、戻ります」

 そう言うと手綱を操り、馬に方向転換を指示した。ゆっくりと馬車が回転する。

「えっ、どうして?」

「何だか嫌な予感がします……」

 アイリーンは真剣な目で村の入り口を見つめ続けた。そして馬車の方向転換が終わったころ、村の入り口に土煙があがった。馬に乗った騎士が二人こちらに向けて駆けてくる。

「お嬢様、何かに掴まってください!」

 アイリーンは迷わず馬の尻に鞭をいれた。弾かれたように馬は馬車を引きずりながら走り出す。急な動きにネミールは転倒してしまう。

「大丈夫ですか!」

「な、なにがあったの?」

「わかりません! ですが彼らに捕まると大変なことになりそうです!」

 距離があったため騎士たちはまだ追いつけない。しかし馬車という重りがあるため速さには明確な差がある。いつか追いつかれてしまうだろう。

「くっ!」

 アイリーンはここまでたどって来た道を外れ、地図には乗っていない細い道へ入った。その先は山深いほうへ続いている。これは賭けだった。木々の多く見通しが悪い場所へ入れば、こちらを見失ってくれるかもしれない。また荒れた道を行けば何かのアクシデントで追跡ができなくなるかもしれない。だがそれは、騎士たちだけでなく自分達にも言えることだった。

「アイリーン! 近づいてる!」

 アイリーンは必死で鞭を振るうが速度は上がらない。

 周囲は木々が多く暗い。暗すぎるぐらいだった。

 強い風が吹いた。顔に冷たいものが当たる。それは雪だった。

「雪?」

 空を見ると、いつの間にか黒い雲が覆っていた。風はあっという間に強風となり、雪は量を増して吹雪となる。一歩先も見えない。

 道が見えない状態で馬車を走らせるのは危険なので停止する。そして途方に暮れた。

 周囲は確認できず、ここがどこかもわからない。なにしろ地図に無い場所をやみくもに走っていたのだ。騎士たちはまけたようだが、このままでは遭難してしまう。

 アイリーンは御者台を降り、馬車の扉を開ける。

「お嬢様!」

「ア、アイリーン……」

 何枚もの服に包まれて、ネミールは自分の魔法である火の小鳥で暖をとっていた。

「ど、どうなったの?」

「吹雪です。何も見えません。騎士たちはまけたようですが、身動きできません」

「じゃあ、ここで一晩過ごすの?」

「それは難しいですね。この馬車の中で火を使うことは不可能です。いくら屋根と壁があっても凍えてしまうでしょう。一晩ならいいですが、もしかしたら数日吹雪が続く可能性もあります」

 この馬車の中で吹雪をやり過ごすのが無理だとすればどうすればいいのか。地図に無い道を進んできたため、現在位置も分からない。吹雪で視界は完全に閉ざされている。八方塞がりだ。

 重苦しい沈黙が馬車に満ちる。吹雪が馬車を揺らす音だけが響く。

「そうですお嬢様。お嬢様の魔法で近くに家が無いか調べられませんか。最悪廃屋でもかまいません。屋根と壁があり、火で暖が取れる場所ならなんでもいいのです」

「う、うん。わかった」

 ネミールはわずかに開けた馬車の扉から、吹雪で荒れた外へ小鳥を出した。強い風にもかかわらず、力強く羽を動かして飛び立った。

「やっぱり、吹雪で何も見えないよ」

 温かい火の小鳥がいなくなったことで、激しくネミールは歯を鳴らしている。

「がんばってください、お嬢様」

 ネミールが魔法で作った小鳥は火を吹くだけでなく、小鳥が見た景色を彼女も見ることができる。しかし今は猛烈な吹雪で閉ざされてしまっていた。

「何も見えない……あれ?」

「どうしました」

「何か光って……そっちに行ってみるね……あっ、家だ」

「家に明かりがあるということは、そこに人がいるということです。その家に入れてもらいましょう。どのぐらい離れていますか?」

「そんなに遠くないと思うけど。でも、家に入れてくれるかな?」

 このままでは凍死する可能性がある。それに相手が領主の娘なら無下にはしないだろう。そう結論すると、二人は意を決して馬車から出る。

 外に出た途端、殴りつけるような雪と風でネミールは倒れかけた。それをアイリーンが支える。

 荷物は置いてきた。ネミールは輪郭がわからなくなるほど何重にも服を巻いている。それでも寒さは全身を蝕んでいた。対照的にアイリーンはメイド服。全ての服をネミールに譲ったからだ。

 すでに足首近くまで積もった雪を踏んで、二人は吹雪の山を進む。先導するのは火の小鳥だ。小鳥が放つ光でなんとか足元が確認できる。

 家まではたしかに遠くなかった。しかし吹雪のなかを進むのはあまりにも大変だった。日が落ちてしまったうえに吹雪ではあまりに暗く、なかなか進めない。さらに壮絶な寒さで体力をあっという間に削っていく。家の前までたどり着いたときには二人とも、息も絶え絶えになっていた。気を抜けば倒れてしまう。

 固まって動かない腕を何とか動かしてアイリーンは家の扉を叩く。叩いた腕にもう感覚が無い。凍りかけた口を動かして叫ぶ。

「すいません! 助けてください! 領主様のお嬢様、ネミール様がいるんです! お願いします! 開けてください!」

 長い時間はかからなかった。しかし彼女達には永遠に感じられた。

「誰ですか?」

 天国への扉が開いた。わずかな隙間から漏れた暖かい空気だけで彼女はそう思った。

 見えた姿にアイリーンは驚く。十代前半にしか見えない少年だったからだ。その少年も驚いた顔をしていた。

「何ですかその変な服」

 第一声がそれだった。瞬間的に怒りが沸く。こっちは死ぬ思いをしてまでここまで来たというのに、なんだその言い草は。ここにはお嬢様もいるというのに。

 極限状態の混乱のせいか、思いもしない攻撃的な言葉がアイリーンの口から出る。一刻も早く家に入るため下手に出るのが最善だというのにだ。

 それはネミールが哀れな懇願を見せるまで続いた。

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