第十一話
かなりの速度で走るエインが跨る馬を、アイリーンは必死で追いかける。馬車という重りがあるため、どうしても遅れてしまう。
道が悪いため、地面の穴や膨らみを車輪が踏むたび大きく跳ねる。さらに上り下りのくり返しで速度調整が大変だし、ノコギリ山道ほどではないが道が何度も曲がっていた。小回りが利かない馬車で走るのはひどく疲れた。
「大丈夫、アイリーン?」
馬車の小窓から顔を覗かせたネミールが、心配そうにアイリーンへ声をかけた。
返事をしようとしたところで馬車が跳ねた。ネミールが悲鳴をあげる。
「お嬢様、大丈夫ですか!」
「う、うん。ちょっとバランスを崩しただけだから」
「よかった。怪我はありませんね」
アイリーンは胸を撫で下ろす。もしもネミールの肌に傷がついたらと考えると、背骨に氷柱を刺し込まれたかのように震えた。
急ぐのは仕方ないが、こちらのことももっと考えてほしい。もし馬車が横転などしたらどうするというのだ。恨みがましい視線を、前方を走るエインへ向ける。
「……エイン、辛いんだろうね……」
ネミールはアイリーンとは違う視線を少年へ送っていた。
たしかに親しかった村人が全て殺害されてしまったエインの気持ちは、思いも付かないほど辛いものだろう。そこにネミールは母親を思う気持ちを重ねて見ているようだ。
アイリーンはそれが気に入らない。たしかに辛いだろう、悲しいだろう。だがそれでネミールの、敬愛なるお嬢様の心を乱すことが許せなかった。自然、目に力がこもる。
「私も……もしお母様が死んでしまったら……」
「そんなことを考えてはいけません、お嬢様!」
「うん、そうだね……」
涙声でネミールは涙を手で拭く。
アイリーンは馬に跨るエインの背中を睨みながら考える。彼は本当にネルゴット様と合流するまでついてきてくれるのか。そして何かあったときネミールを守ってくれるのか。
二人の騎士を倒した手際は素晴らしかった。しかし、凄すぎた。おそらく十五ほどの少年が訓練を受けた正式な騎士を圧倒するなど、はっきり言って夢のような話だ。
それにまず得体が知れない。あんな山奥の家に一人で子供が住んでいるのが疑問だ。話からすると以前は祖父母と住んでいたようだが、それが本当か怪しい。ただ濡れた服の代わりに渡された服は、古いがたしかに女物だった。
普通に考えるなら、エインを鍛えたのは祖父だろう。おそらく優秀な狩人だったはずだ。それはエインの動きで分かる。だがそれにしてはおかしいのが、彼の持ち物だった。狩人なら絶対持っているはずの道具、弓矢が見当たらなかったのだ。
騎士を倒したナイフ投げの技術は凄い。だが、それは狩人に必要な技術なのだろうか。ナイフではなく弓を使えばもっと遠くから狙えるし安全だ。高い木の枝にいる鳥も打ち落とすことができる。
しかし、もしかしたらナイフで鳥を落とすことができるかもしれない。そんな感想を抱かせる雰囲気をエインは持っていた。
短い時間だが一緒に過ごし、エインはそれなりに信用できるとは感じている。しかし人に躊躇うことなく致命傷を与えたところと、ときおり見せる危険な気配で総合的にはまだ要注意人物だとアイリーンは結論していた。
「でも、積極的に私達を傷つけようとは考えていない」
突然訪問してきた二人に着替えと食事を用意してくれた。あのまま吹雪の外に放っておくこともできたはずなのに。寝るときにも焼いた石をベッドに持ってきてくれて、家を出るときにはわざわざネミールにえり巻きをあげた。
「根は優しい少年なのでしょうか。しかし、どこか歪んだ性格ですね」
太陽が完全に隠れる前に村へたどり着けた。先ほどの村と同じ程度の規模で、木製の柵や細い枠組みだけの門も同じだった。
この村には宿屋など無い。旅人や頻繁にこんな場所へ来る人間がいないからだ。たまに行商人が年に何度かやってくるぐらい。その時はいつも少し他の家より大きな村長の家に宿泊することになっていた。この村には何度かエインは来たことがあるので、彼が村長に泊めてもらえるよう交渉することになった。
エインたち三人は村長の家の中で待っていた。家の中で一番広い部屋で、エインの家のテーブルより一回り大きい物が置いてあるが、全く狭く感じない。
三人は椅子に座り、目の前には温かいお茶が置かれていた。村長の奥さんである白髪のお婆さんが用意してくれたものだ。冷たい風にさらされて強張った体が、温かいお茶で徐々に溶かされていく。
扉が開き白髪と長いひげが特徴のお爺さんが入ってきた。杖をついているが足運びは達者だ。しわだらけの顔が優しい印象をあたえる。
「どうも。わたくしがこの村の村長をやっております者ですじゃ。それで、お三人はここに泊まりたいということで?」
「はい。一晩屋根を貸してもらえればと思って」
「ふぉふぉ。こんな家でよければかまいませんぞ。ですが、寝るだけならいいのですけれど、ろくなまかないができませんので……」
村長が申し訳無さそうに言う。
「何があったんです?」
「はい。急に隣のノゴ地方領の騎士団の方々が傭兵を何人も連れてやってきまして」
「この村にも来たんですか!」
思わず大声になってしまうエイン。急な大声に村長は垂れ下がった皮膚で隠されていた目を大きく見開く。
「あ、ごめんなさい。急に叫んで」
「いや、気にすることはないぞ。それでですな、何事かと聞いてみれば、酒と食べ物を出せと。どれほどの量が必要かと聞くとですな、なんとあるだけ出せと言ったのです。それはいくらなんでも無茶なことですし、領主様の許しはあるのかと聞けば、そんなことは関係ないと……」
「それで本当に全部渡したのですか?」
思わずアイリーンは口をはさんでしまった。
ここはエル地方領だ。この領地は全て領主であるルカールのものであり、そこに存在する村の食料も全てルカール様のものである。なのでそれを自由に使えるのは領主であるルカールだけだ。
だというのに他領の人間が勝手に村の食料を徴収したとなれば大問題になる。領主の財産を盗んだということになるのだから。下手をすれば領地同士の戦争になってしまう。
「無理ですと言うと、今度は力ずくでも持って行くなどと言いまして、騎士たちが剣を抜いて脅迫を……それで仕方なく。備蓄食料はほとんど無くなり、酒は村にあった全てを飲みつくされました。私が秘蔵していた酒も飲まれてしましたぞ……」
村長は心から無念のこもった声を出す。
「村の全部の酒をですか。なぜそんなに大量に」
「騎士だけで二百人ほどはいたでしょうか。さらにそれの倍以上の傭兵達でしたから。その傭兵達はいかにも荒くれ者といった風情でして、機嫌を損ねたら何をやるのか。彼らは奪った食べ物と酒を飲み食いしながら、意気揚々と北へ向かっていきました」
「ということは、今この村にはそいつらはいないのか……」
暗い熱を帯びたエインのつぶやき。もし村に騎士と傭兵達がいたら、少年は何をしていたのだろうか。その危ない雰囲気を感じ取り、アイリーンは冷や汗を流す。
「では、彼らに村の人が傷つけられたということは無かったのですね」
「はい。食料や酒を渡す渡さないで多少揉め事はありましたが、特に何かあったという報告はありませんでした。村に来たのは昼ごろで、休憩ついでに立ち寄っただけなのでしょう」
ふむ、とアイリーンは指をあごに当てて考える。
犯人はノゴ地方領の騎士団と傭兵だという証拠は無いが、おそらく間違ってはいないだろう。こんな辺境に村を虐殺できるような規模の集団が、同じ場所に二つもあるはずがない。ここには盗賊が狙うほどの富は存在せず、そのため少人数の盗賊団すらいないのだ。
二つの村に明確な差異は無い。規模は同じ。特別な産業など無く、同じ作物を畑で育てている。ならばなぜこの村は見逃され、あっちの村は住民が全て殺されてしまったのか。向こうの村で何かトラブルがあったのか。例えば食料の提出を拒否して、村の住民達と戦闘になったとか。
アイリーンはそれを否定する。まず戦力が違いすぎる。百に満たない農民と、数百人規模の武装集団。これでは内心はともかく、反抗しようなどとは考えないはずだ。
となると、騎士と傭兵が明確な殺意を持って住民を皆殺しにしたことになる。その理由はと考えても、何も出てこない。粗野な傭兵達だけならありえるかもしれないが、王国の正式な騎士団が一緒にいるだから、普通に考えるならありえない。しかし、その普通ではない出来事が実際に起こっている。
「なぜ騎士は傭兵の蛮行を見逃したのか……または騎士が指示をした……?」
「おや、どうかしましたか?」
「……いえ。なんでもありません」
いつの間にか深く考え込んでいて、アイリーンの意識は飛んでいたようだ。
視線を感じて目を向けると、ナイフのように鋭く光るエインの両目が、じっとアイリーンを狙っていた。動揺を顔に出すことをなんとか抑える。
「まあこういうわけでして、みなさんに出せる食事も酒も無いのですじゃ。すいませんのう」
「いえ。食べ物なら自分達で持ってきているので。こうして暖かい宿と温かいお茶をもらえるだけでありがたいです」
部屋の扉が開く音がした。村長の妻が料理を運んできたのだ。
「どうやら料理ができたようですじゃ。さあ食べましょう」
食卓には温かい具沢山のスープに、固いが大きいパン。このパンはスープにひたすことで柔らかくして食べる。
「みなさんがくださった食材のおかげで、豪華な夕食になりました。ありがとうございます」
村長の妻が深々とお辞儀をする。
アイリーンは今夜の宿代がわりに馬車に積んでいた食料をいくつか分けてあげたのだ。馬車には固いパンや干し肉といった保存食の他に、なぜか芋や野菜といったものがあったのだ。これはアイリーンが城から出るときに準備した馬車のせいだった。
彼女は目立つことを避けるため、商人が使っていた馬車を積荷ごと買い取ったからだ。なぜそんな大金をアイリーンが持っているかといえば、全部自分の貯金だった。彼女は生活の全てをネミールに捧げているため、給金を使うことが全く無く、それが貯まりに貯まっている。領主の娘の専属メイドというのはそれなりに地位が高い職業だ。貴族の騎士団長まではいかないが、平民の騎士よりかなり多くの給金をもらっている。
「おいしい!」
スープを口に入れると、ネミールは歓声をあげた。昨日食べた夕食の何倍も具が多い滋養あるスープが、長距離移動に疲弊した体に染み入る。
その微笑ましい様子を、村長は孫を見るかのような眼差しで見る。妻のほうも目尻を下げて微笑む。
「まだたくさんあるから、ゆっくり食べてね」
「うん!」
頷いたが言われたこととは反対に、猛烈なペースで食べる。貴族の娘とは思えないはしたなさだ。アイリーンはそれを咎めることなく、うっとりと眺めていた。
「ふふ、口いっぱいに頬張る姿はまるで小動物のような愛らしさです、お嬢様」
ネミールが食べる姿を鑑賞しながら、アイリーンは優雅にスープを飲む。
エインはというと、無表情で手と口を動かし、機械のように食べ物を咀嚼するだけだった。感情がまったく読み取れない。
「しかし、こんな子供とお嬢さんだけで旅に出させるなんて、厳しいお父様じゃのう」
村長の言葉にアイリーンは完璧な微笑み、ネミールは曖昧な笑顔を見せた。
ネミールが領主の娘、アイリーンがそのメイドだということは村長に隠している。ネミールはとある大商人の一人娘でアイリーンはその世話役メイド、エインはこのあたりの案内役、と説明していた。ネミールは父親から家業を継ぐためにも世間を勉強するように言われ、こうして供を連れて旅をしている、という設定だ。これを村長は疑うことなく信じた。
もし正直にネミールが領主の娘だと教えたなら、大変な騒ぎになるだろう。なにしろ自分が治める村がある領地の主人の娘なのだ。何か粗相があれば自分の首が飛ぶかもしれない。村中総出で盛大なもてなしをしようとするだろう。それは面倒だ。
それになぜ領主の娘がわざわざこんな村に来るのかと、その説明を要求されるだろう。正直にイヴュル帝国が攻めてきたのでそれと戦いに行った母親に会いに行く、などと言ったら大混乱になってしまう。それを防ぐためと、どうせ嘘をつくなら最初から全部偽ることにしたのだ。幸いなことに村長たちはネミールの顔を知らなかった。
イヴュル帝国が侵攻してきた事を知っているのはノコギリ山道の村々だけである。なぜなら侵攻を知らせる早馬が通ったのがノコギリ山道だからだ。この時代の移動手段は馬か馬車しか無い。遠い場所へ迅速に連絡する方法はそれのみだ。この村のように主要道路から外れた村はどうしても連絡が後回しになってしまう。
食事が終わると、そそくさと寝室へ向かう。疲れているし、明日も早朝から出発しなければならない。村長の妻が案内をしてくれる。
「すいません。こんな場所で」
村長の家とはいっても大きな家ではない。寝室はエインの家の寝室を少し大きくした程度。それにベッドは一つきりだ。
「ベッドは一つだけですが」
「いえ。お嬢様が安らかに眠れるのは喜ばしいことです。私達は床で十分ですよ」
ベッドは敷き毛布は無いが、毛皮ではなく多少くたびれてはいるが鳥の羽毛が入った布団だ。床で寝る二人のためにも厚手の布が敷かれ、布団が用意されていた。
「では。おやすみなさい」
村長の妻が寝室の扉を閉めると、エインは無言で床に敷かれた布団へ入っていった。それをネミールとアイリーンは無言で見ているしかない。
「……あのっ」
ネミールが意を決して話しかける。しかしエインは無反応だ。
「その……村の人たちがあんなことになって、すごく辛いと思う。私も、えっと、悲しいし……だから……お母様とお父様に頼んで、犯人をぜったい捕まえてみせるから! だから、その、元気出してね!」
しどろもどろで所々つっかえながら、それでも何とか少年を励まそうとする気持ちがこもった言葉だった。
「……早く寝て。明日は日の出から出発するから」
帰ってきたのはそれだけだった。声に感情の色は無く、空虚だ。
「あなたはせっかくお嬢様が励まそうとしてくれたのに、なんてことを! お嬢様がいったいどんな気持ちでいると……!」
「い、いいよアイリーン」
寝ているエインに詰め寄ろうとするアイリーンを、ネミールは腕を引いて止める。
「ですが」
ネミールは首を振って懇願する。それを見下ろしながらアイリーンは大きく息をはく。
「わかりました……ではお嬢様、ベッドに」
「うん。それでね、アイリーン……」
そこまで言うとネミールは恥ずかしそうに言葉をにごす。
「どうされましたか、お嬢様?」
「その、今日は一緒に寝てくれないかなー、なんて……」
アイリーンの全身が硬直する。震える声でネミールに聞き返す。
「そ、それは、どういうことで……?」
「だ、だからね、私だけベッドで寝るなんて申し訳ないし。もともと私のワガママに付き合わせただけなんだから。イヤじゃなかったら二人でベッドに……」
「もちろんでございます、お嬢様! お嬢様と同じベッド眠れるなんて興奮……いえ、名誉なことでございます! 嫌だなんてとんでもない! 私からお願いしたいぐらいです!」
「う、うん? そう?」
鼻息がやたら荒いアイリーンに若干気圧されながら、ネミールはベッドへ入る。アイリーンも嬉々とした顔で同じベッドへもぐりこんだ。
「狭くない?」
「そんなことはありません。逆にお嬢様に密着できて嬉しいです!」
「それならいいけど……って何してるの」
「服を脱いでいます」
布団の隙間から手が出ると、その先に持っていた服をベッドの外に放り出す。白いエプロンとメイド服が床へ落ちる。
「なんで服を脱ぐの!」
「私は服を着たままでは眠れない体質なのです」
「で、でも昨日は服を着ていたような?」
アイリーンの声は落ち着いていて、慌てている自分がおかしいのではとネミールは考えてしまう。
「昨日は寒かったので」
「今日も寒いけど」
「お嬢様は雪山で遭難した場合、どうすればいいか知っていますか。裸になって抱き合い温め合うのです。ですからこれは合理的な考えなのです。温かくなってきませんか、お嬢様」
「たしかにそうかも……」
ここは雪山ではないのでアイリーンが裸になる必要は無いのだが、ネミールは丸め込まれてしまった。
「お嬢様。もっと近づいてください」
「うん……」
すでにネミールは半分眠っていた。言われるままアイリーンの胸に顔をうずめる。
「うふっ。お嬢様の顔が私の素肌に! 肌と肌が直接触れ合って、なんて滑らかな! 最高のシルクより素晴らしい肌触りです! そして匂いも!」
アイリーンは気持ち悪い笑顔を浮かべながら、ネミールの首筋へ鼻を近づけてその香りを吸い込む。誰かが見れば彼女を性犯罪者として捕まえるだろう。しかしそんな彼女を見咎める人物はどこにもいなかった。
アイリーンのくぐもった笑い声が聞こえるなか、夜は更けていった。
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