第十二話
翌日は夜が明けてすぐに出発した。
エインは夜明け前に起きだし、出発の準備を暗いなかはじめた。その音でアイリーンとネミールも起きる。暗闇で動く影を見て、アイリーンは賊かと身を固くし、ネミールは悲鳴をあげた。それを聞いて村長たちも起きたようで、寝室へ様子を見に来た。
朝食を一緒にどうかと勧める村長の言葉を丁重に断る。アイリーンとしてはそれでもいいかと思ったが、エインの雰囲気がそれを許さなかった。
出発の際にアイリーンは数枚の銀貨を渡す。村長は断ろうとしたが、強引に握らせた。
「…………」
三人の間に会話は無い。
エインはともかく、ネミールとアイリーンの間に会話が一つも無いのはおかしい。ネミールはもともとおしゃべりな女性ではないが、今日は特に口を開くことがなかった。
「コホコホ」
「大丈夫ですか、お嬢様?」
「うん……平気……コホ」
ネミールは目覚めてから断続的に咳をしていた。熱っぽく食欲も無い。二日間の過酷な旅で体調を崩したようだ。
「がんばってください。すぐに次の村に着きますから」
地図によるとこの先に小さな村とも言えない集落があるようだ。可能性は少ないが、そこに薬があるかもしれない。城から出る準備をした際に薬を用意しなかった自分をアイリーンは罵倒した。
馬車の中からネミールの咳が小さく聞こえる。
もう少しでその村が見えるだろうというところで、急にエインが馬を停止させた。
「どうしたのですか?」
エインはそれに答えず、進んできた道の先とは違う方向へ目を向けていた。
かすかに道らしきものが伸びている。その先は木々が並ぶ山の斜面へ続いていた。
「その道がどうしました?」
「こっちへ行く」
突然の宣言に、アイリーンは目をむいて驚いた表情になる。
「どういうことですか! その道は地図に無いものですよ。それにもうすぐ行けば村が」
「……騎士たちの目的地は、移動速度から考えると二つ目の村。そのころには夕暮れになってる」
ノコギリ山道へ出るまでの間で、この道には村があと二つある。二つ目の村はノコギリ山道直前の場所にあった。
「たぶんそこで追いつける。けど、それじゃ駄目だ」
エインは馬上で首だけを振り向かせ、アイリーンを見据える。
「追いついてどうするの」
「どうする……?」
そう言われても、アイリーンは困惑するだけだ。そもそも目的はネミールを母親のネルゴットのもとへ送り届けることである。ノゴ地方領騎士団を追っているのはエインだけだ。無情な言い方をすれば、殺された村人達を気にしているのはエインのみで、アイリーンは同情はしているが正直特に気にしてはいない。彼女にとって大事なのはネミールのみだ。
「二人はその騎士団の人間に襲われたこと覚えてない? 見つかったら殺されるよ」
アイリーンは目を見張る。ノゴ地方領騎士団はわざわざ探してまで二人を殺そうとしていたのだ。
追いかけてきたあの騎士二人しかアイリーンの顔を知らない可能性もある。しかし会話していた内容によると、上司の団長に報告をしているようだ。そのことが全体に連絡されていたとすれば、見られた瞬間に捕らえられ、最悪殺されてしまう。
アイリーン一人が殺されるだけですむならそれでいい。だが、もしもネミールに危害が加えられるような事態になってしまえば、彼女は死んでも死に切れない。
「見つからないようにすれば……」
「相手は何百人もいる。そんな人数相手に見つからず村に入るなんて無理だ。大きな町なら可能かもしれないけど、家が十件ぐらいしかない。隠れる場所なんか無いよ。二人が村で休まないっていうなら別だけど」
「それは無理です」
アイリーンはちらりとネミールがいる馬車へと目を向ける。今も小さな咳が聞こえた。ネミールの体調を考えるなら、絶対に家の中で休憩させなければならない。
「ではまだ日が高いですが、次の村で宿泊するのはどうでしょう。それならば騎士団と出会うこともありません」
「ネルゴットさまと合流するのが遅くなるならいいけど。追いつくころにはイヴュル帝国と戦ってるかもしれない」
アイリーンは唇を噛む。戦闘状態になってしまえばネミールをネルゴットの元へ送るのは不可能だろう。
「それに本当にあの騎士たちを放っておいていいのかな。援軍らしいけど、信用できるの」
たしかに救援に向かった先の村を滅ぼすなど、普通なら考えられない。助けるどころか自分達で攻撃しているようなものだ。
「では、どうしようというのですか……?」
「先回りする。この道は右の山を回りこむように右へ曲がってる。その先が二つ目の村なんだ。だから、あの山を越えれば騎士たちより先に村へ着けるかもしれない」
エインが指さす先には、白く雪を被った山がある。そこはただ山とだけ地図に描かれている場所だ。道があるかどうか、それどころか人が進めるかどうかもわからない。
「あんな場所どうやって進むというのです!」
「僕は何度もじいちゃんと一緒にあの山を越えた。行き方は全部覚えてる」
自信に裏打ちされた力強い声だった。大きな声でもないのに、アイリーンの全身を震わせた。一瞬、その迫力に飲まれる。
「行こうよ」
その声は小窓から顔をのぞかせたネミールのものだった。顔は熱で赤く、極寒の気温なのに額には汗をかいている。
「お嬢様!」
「時間が無いんでしょ。だったら急がないとね」
体調がすぐれないのに、ネミールは気丈に微笑んで見せた。その顔をみてしまえば、アイリーンは何も言えない。
「……分かりました。先導をお願いします」
エインは顔を前に戻すと馬の向きを変えて進ませる。その後ろへ馬車も続いた。
「あっ!」
大きな音がして馬車が傾く。穴に車輪がはまり込んだのだ。
「お嬢様、怪我はありませんか!」
「うん……」
ネミールの声は弱々しい。体調が悪化しているのだ。
馬車の前を進んでいた馬を停止させ、エインが振り向く。その目は冷たく無表情だ。
アイリーンは手綱を操り馬の尻に鞭を振るうが、傾いた馬車は動かない。穴が深くて車輪が抜けないのだ。エインが乗っていた馬も使い二頭で引っ張ってみたが、それでも動かない。
「馬車は置いていくしかないね」
「何を言っているのですか! こんな雪山の中をお嬢様に歩かせるのですか!」
三人は深い山の中を進んでいた。すでに道は無い。エインの先導が全てだ。
周囲は木々と、起伏に富んだ複雑な山肌に囲まれ、すでに自分がどこにいるのか分からない。もしエインとはぐれてしまっては遭難してしまうのが明白だった。
アイリーンは慎重に慎重を課して馬車を進ませた。エインも馬車が通れるような場所を案内している。しかし場所が場所だ。馬車が通るどころか人が通ることすらないような道なき道。ここまで進めただけでも上出来だろう。
「私は大丈夫だよ」
ネミールは馬車の扉を開けて降りる。しかしふらついて雪へ膝を着いてしまった。それでも汗が浮いた顔で微笑む。
「お嬢様……」
「早くお母様のところに行かなくちゃ」
歩こうとしてまた体が揺らぐ。慌ててアイリーンは御者台から飛び下りて駆け寄る。
「無理しないでください!」
「でも行かなくちゃ……」
エインも馬から降りて近寄った。熱でぼうっとした瞳でネミールは少年を見る。
「乗って」
エインは背負子に積んでいた荷物を外すと、そこに座るように言った。
「え?」
「馬には乗れないだろうから、僕が背負う」
尻が痛くないように何枚か折りたたんだ服を敷いて背負子に座る。そしてネミールの体を二枚の毛皮で包み、その上から縄で縛った。これは彼女が落ちないようにするためだ。
「お嬢様を縄で縛るなんて……!」
アイリーンは殺意を込めてエインを睨んでいる。
「行くぞ」
エインはネミールを乗せた背負子を背負い、二頭の馬の手綱を引いて歩く。アイリーンは二頭の馬の片方に跨るというかしがみついている。馬車は操れるが乗馬は初めてなのだ。
「面白い格好だねアイリーン」
「見ないでくださいお嬢様……」
ネミールはエインと背中合わせの状態だ。なので馬の背にいるアイリーンとはお互いの顔が見える状態だった。
「……ねえエイン。あの村の人たちとは親しかったんだよね」
ネミールは熱で上擦った声で話しかける。しばらく間があったが、エインは口を開いた。
「……村の人たちは僕のことを本当の子供や孫みたいに可愛がってくれたんだ。村はもともと人が少ないから、子供は村全員の子供のようなものだって。村には住んでないけど、村の子供と同じように世話してくれた」
「エインのお父様とお母様は?」
「知らない。じいちゃんとばあちゃんだけ。だから村の人が、トスーヤとロファが僕の父ちゃんと母ちゃんみたいなものだったんだ」
エインの顔が歪み、怒りで噛みしめた奥歯が音をたてて軋む。
「……トスーヤとロファは夫婦で、でもなかなか子供ができなかったんだ。だから二人は僕を本当の子供のように可愛がってくれた。血はつながっていないけど、私たちは本当の親子なんだよって言って……それで一年前、やっと二人に子供が産まれたんだ」
二人に子供ができたことは、最初は単純に嬉しかった。でも二人の子供が産まれたら自分はどうなるんだろう。そう考えると急に怖くなった。エインはもういらないのではないか。
「だけど二人はこう言ってくれたんだ。エインの弟か妹だから仲良くしてねって。僕はお兄ちゃんなるんだ。そう思うと嬉しかった。産まれたのは男の子だったから、大きくなったら狩りのやり方を教えてあげよう、それで一緒に狩りをしようと思ったんだ。それなのに……なのに……」
最後のほうは涙声だった。エインの歩みは変わらないが、その肩は震えている。
「お墓に埋めたのがその人たちなんだ……」
「だから、だから絶対にトスーヤとロファと弟を殺した奴は許さない。絶対に見つけて仇をとる」
しばらく誰も口を開かなかった。エインと馬が雪を踏む音が静かに聞こえるのみ。
「……エインはそのお父様とお母様が大好きだったんだね」
「うん」
「私もお父様とお母様は大好き。二人とも私のこと大事にしてくれる。でも……私が魔法が使えない、出来損ないの子供だから……」
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