第九話
騎士が完全に気絶したことを確認すると、少年は首にナイフが刺さった騎士へと近づく。血を流す死体に躊躇無く近づくと、首に刺さるナイフを抜いた。騎士の服で血を拭くと腰の鞘へ収める。
それはあまりに淡々とした作業で、普段からやりなれているかのようだった。
エインは気絶した騎士を手早く拘束し、猿轡までする。
「こっちきてよ」
エインが二人を手招きする。それに体を震わせて反応した彼女達。アイリーンは恐怖を押さえ込み、わざと目を吊り上げて自分を鼓舞する。
「行きましょう、お嬢様」
「う、うん……」
ネミールは恐怖に顔を歪めながら、アイリーンに手を引かれて斜面を下りる。彼女の目はちらちらと、どうしても倒れた死体へ目が向いてしまう。
「お嬢様は見ないでください」
「…………」
二人は拘束された騎士を見下ろす。
「この人が二人を追いかけてきた人?」
「いえ、後ろを振り返る余裕などなかったので」
「私も顔はよく覚えてない……」
「これって領主様のところの騎士なのかな」
「いいえ、違います。この顔は見たことがありません。それに鎧の紋章が違います」
ボラス王国の騎士は、鎧に必ず紋章を刻印することが決まっていた。所属が一目でわかるようにするためだ。貴族の場合所属する騎士団の紋章のほかに、自らの家の紋章を刻印することになっている。見たところ一種類しか無いので、普通の騎士のようだ。
「この紋章は、隣のノゴ地方領のものですね……なぜこんな所にいるのでしょう?」
「お母様たちへの援軍じゃないの? 城を出る前に出発してたし」
「だからおかしいのです、お嬢様。ネルゴット様たちは私達が通った道ではなく、ノコギリ山道を進んでいます。そちらを使わなければ援軍になりません」
ノコギリ山道は、エル地方領の主要道路だ。まるでノコギリの刃のように折れ曲がっている事からそう名付けられた。
「私達みたいに早く追いつきたいから、とか?」
「出発するときに言いましたが、ネルゴット様たちを追い抜いてしまう恐れがあります。また逆もありえます。近くにいればいいですが、距離がある場合だと北と南どちらに行けばいいのか判断に困ってしまいます。すでに戦闘があった場合、間に合わない危険性があるのです。なので普通ならノコギリ山道を絶対に使います」
「それなら、何で……?」
「本当に仲間なの、この人たち? 二人を殺そうとしてたのに」
エインの言葉で二人の表情が歪む。
「だっておかしいよね。騎士が二人をわざわざ追いかけて殺そうとするなんて。二人は何か恨まれるようなことってある?」
「いえ。特には思い当たりませんね」
「私もだよ……」
ネミールとアイリーンの二人は頭を振る。
「それに二人の会話を聞くと、きみたちを探すように誰かに言われたみたいだし。つまり二人を逃がすとその誰かにとって不利なことがあるっていうことだよね。それが何かわからないけど」
「たしか……団長に怒られるとか、そう言っていましたね。二人が本当にノゴ地方領の騎士だとすると、それは正式な騎士団の団長……しかしなぜ私達を殺す理由があるのか……」
アイリーンはブツブツつぶやきながらアゴに手をやって考えるが、何も思い浮かばない。その間にエインは死体となった騎士と、気を失っている騎士の体を探る。が、特に何も見つからなかった。いくつかの貨幣が入った袋ぐらいだ。とりあえず剣は取り上げて馬車の中へ放り込む。
「それで地図はどこ」
アイリーンの思考に沈んでいた意識が戻る。そしてエインの顔をじっと見ると、こう言った。
「あなたに……護衛を頼みたいのです」
「護衛?」
「はい。理由はわかりませんが、私達は命を狙われているようです。さきほどの事を見ると、あなたはかなり腕が立つようなので私達の護衛をしてほしいのです。見て分かるとおり、私達は騎士と戦うような力はありません。どうかお願いします」
アイリーンは深々と頭を下げるが、エインは全く気の無い様子で頭を指でかいている。
「僕はただの狩人だし。獣相手には強いかもしれないけど。それに護衛なんてやったことないし、やる理由も無いよ」
「お願いします。報酬も後で必ずお支払いいたしますので」
「べつにいらないよ」
本当にいらないのだろう。迷う素振りも無くエインは言う。それでも諦めずアイリーンは必死に頼み込む。
「どうかお願いいたします。近くの村まででもいいですので」
「そう言われてもねえ……」
「わ、私からもお願いします……」
ネミールも頭を下げた。それに慌てたのはアイリーンだ。
「お嬢様! そんな、お嬢様が頭を下げる必要なんてないのですよ! 悪いのはあっちなんです、お嬢様を守るなんていう物語でもないような幸運を断る少年がおかしいのです!」
叫ぶアイリーンを無視してネミールは言う。
「どうしても、どうしてもお母様のところへ行きたいの。今、もしかしたら命がけで戦っているのかもしれなくて、それで、もし死んでしまっていたら、私、私……! お願い、私をお母様のところへ連れて行って!」
「お嬢様……」
ネミールは頭を下げ続ける。しばらくして、エインは根負けした風に息を漏らした。
「わかった。村まででいいよね」
「あ、ありがとう!」
「じゃ、ちょっと戻って準備してくるから。それまでに馬車を出せるようにしておいて」
馬車の馬は殺されてしまったが、騎士たちが乗ってきた馬が二頭、近くの木につながれていた。これを使えばいい。
アイリーンが馬車に馬をつなぎ終えたころ、エインが戻ってきた。背中に木で組んだ背負子があり、いくつか荷物が乗せてある。
「じゃ、行こう」
「あの、この人たちどうするの?」
ネミールのおびえた目が気絶した騎士と、馬と騎士の死体をちらりと見やる。
「死体は置いておけば山の獣が食べるよ。気絶しているのは、そこらへんに置いておけばいいんじゃない。凍死しようがどうでもいいし」
「たしかにそうですね」
エインは騎士が乗っていた、もう一頭の馬へ向かう。
「馬に乗るのですか?」
「うん。久しぶりだけど、たぶん大丈夫」
背負子を背負ったまま、ひらりと馬へ飛び乗る。小柄な体格だというのに、大きな馬へ苦も無く簡単に跨ってしまった。馬の腹を軽く蹴ると、ゆっくり歩き出す。慌ててアイリーンも御者台へ上り、手綱を取った。
エインの先導でいくらか行くと、地図にある道に出ることができた。
「この道をしばらく行けば村に着くよ」
「どのぐらいですか」
「昼をいくらか過ぎたぐらいかな? 夕暮れほど遅くはならないよ」
特に話すようなことは無く、三人は無言で進む。昼過ぎには到着するということなので休憩も必要ない。何事も無く村が見えてきた。しかし様子が変だ。
「おかしい……」
エインの表情が鋭いものに変化する。馬の歩みを速めた。馬車も続く。
細い木枠だけの門をくぐると、そこが村だった。家の数が少ない小さな村だ。しかしどれだけ小さくても、人の声が一切しないということはありえない。普通なら農作業をしている村人達や井戸端会議をする女性たち、遊びまわる子供がいるはずだ。しかし、それが無い。
まるで廃村のように誰もいない。しかし家はどれも朽ちてはいない。人が住んでいた形跡はある。そのことを誰よりもエインは知っていた。この村へは定期的に狩った獣の肉や毛皮を売りに持ってきていたのだから。
「どうしたんだ……」
村のあまりの変わりように、エインは絶句する。馬を止めて周囲を見回すが、人影はない。
「おーい、誰かー!」
呼んでも答えはない。エインは馬から飛び下りると、近くの家の扉を開けた。薄暗い家の中に人の気配は無い。その家を出ると他の家へ入る。ここも人の気配がない。
中を調べていたエインの目が細められる。壁際にある物入れが荒らされ、下に物が転がっていた。さらに他の家々を調べると、どこも荒らされた痕跡がある。そしてとある家を見て、エインの目が大きく見開かれた。
「これは、血……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます