第十七話

「やっと休めるな……」

 ザリーヌ・ノコ・ベイは疲れた声を漏らした。出発してからすでに四日。この寒い季節に馬の上で長い時間移動することは過酷だった。体調を崩していないことが奇跡のようだ。

「お疲れのようで団長様。まあ、俺もですがね」

 ザリーヌに近づいてきた男は、馬の上に乗ったまま声をかけてきた。その無礼な態度に一瞬眉をしかめたが、いまさらのことだと気をとりなおした。顔だけを向ける。

「どうしたのかね、グイルどの?」

 グイルは大柄で粗野な印象を抱かせる男だった。髪はまとまりがなくボサボサで、身につけている革鎧も服もすべて汚れが目立つ。背中に大剣を背負っていた。

 グイルはその名もグイル傭兵団の頭であり、ここにいる大量の傭兵達のまとめ役でもあった。なので騎士団長であるザリーヌとは何度か話をしていた。

「いやね、うちのバカどもの不満がたまっていましてね。ここらでひとつ、それを解消させてやりたいんですがねえ?」

 グイルは人を馬鹿にしたようないやらしい笑みを浮かべる。しかし内心はともかく、ザリーヌはそれに反応した顔を見せない。そうしたところで無駄だからだ。

「だめだ。おとなしくしていろ。村にある酒は全部出させる。それで我慢するんだ」

 露骨に舌打ちをするグイル。

「ああん? こっちは雇われの傭兵なんですがね? そっちに頼まれて来たんだぞ」

「不満があるなら帰れ。ただし報酬は払わんがな」

 毅然とした顔でザリーヌが言うと、グイルは顔を歪めると地面へツバをはいて馬の向きを変え去っていった。その背中を怒りに満ちた目でザリーヌは睨んだ。

「ふん! 卑しい傭兵風情が。これが父上の命令でなければ貴様らなど雇うはずがないだろうがっ」

 ザリーヌはエル地方領の西隣にある、ノゴ地方領領主、ヒルレーム・ノゴ・ベイの四番目の息子だ。彼はエル地方領主城から一番近い町をまかされていた。イヴュル帝国の侵攻による救援を求める早馬がたどり着いたのがその町だ。

「まったく……なぜ父上はあんな悪名高い傭兵団を……」

 グイル率いるグイル傭兵団は、その実力と粗暴さから有名だった。敵と戦えば自らのことなど構わず進む、命知らずの恐怖の傭兵。しかし誰も彼もが荒くれ物で、犯罪を犯していないものが一人としていない。他の傭兵たちとのイザコザは当たり前で、仲間であるはずの傭兵を何人も殺してしまうことも多かった。

 そんな危険な傭兵達と旅をするのは嫌だったが、父親であるヒルレーヌの言葉に従わないわけにはいかなかった。なぜならザリーヌはたしかにヒルレーヌの息子だが、母親が第三夫人だったからだ。町を一つと騎士団をまかされているが、それ以上は望むべくも無い。父親の命令に逆らえば、簡単に放り出されてしまうだろう。

 しかしザリーヌはまだ幸運な人間だった。ノゴ地方領は広く豊かで、何人もの子供達を育てる余裕があったからだ。他の領地では妾の子供などは放置されることのほうが多い。それを知っているザリーヌはこの幸運を手放すつもりは全く無かった。

「それにしても、何も無い村だな」

 ザリーヌは村を見回す。ノゴ地方領の豊かな村しか知らない彼にとって、数十軒の粗末な家しかないこの村は廃墟同然に見えた。

「あの傭兵どもを満足させるだけの酒があればいいが……」

 憂鬱な表情を隠そうともせず、ザリーヌは村長の家に向かう。


「何やら騒がしいのう」

 老婆はこれまで感じたことのない村の雰囲気に、落ち着かない様子で外を気にしていた。

 エインは静かに気配を殺して窓から騎士と傭兵達を観察し続けていた。すると他の騎士とは違った雰囲気の騎士が、何人かの供を連れて移動し始めた。

「ナオばあちゃん、向こうには何があるの」

「ん? ああ、向こうには村長の家があるのう」

 エインは頷きを返すこともせず、ただ観察を続けていた。

 しばらくすると騎士達が戻ってくる。雰囲気が違う騎士がなにやら傭兵達に話しかけると、大きな歓声が上がった。そして彼らは村の中を我が物顔で歩き始めた。そして村人達が大慌てで走り回る。

「どうしたんかのう?」

 しばらくして一人の男が老婆の家の扉を叩いた。男は慌てた様子で何かを言おうとしたところで、見慣れないエインの姿を見つけた。

「ばあさん、こいつは誰なんだ?」

「わしの知り合いじゃよ。今日この村へきたんじゃ」

「そうか。わざわざこんな時に来なくてもよかったのに」

 男は哀れみの目をエインへ向けた。

「村が騒がしいが、何があったんじゃ?」

「よくわからんが隣の領地の騎士団と傭兵達が、とんでもない人数でやってきたんだ。それで村長が寝る場所と食べ物と酒を持って来いって言われたらしい。そんなの無茶だって村長は言ったけど聞き分けなくて、傭兵も危なそうなやつらばっかりだから抵抗すると村人にも危害を加えそうだし。それで仕方なく村長は了解したらしい」

 男は深い深いため息をついた。心なしか頬がこけている。

「そうは言っても、村にそんな人数を泊まらせられる場所は無いぞえ」

「だから村人の家を使わせるんだ。村人達はいくつかの家にまとめて今日は寝ることになる。ばあさんの家も使わせてもらうぞ」

「そりゃあかまわんが、ここには客人がいるじゃが」

「その客人にはちょっと我慢してもらう。こんなときに村へ来た不運を呪ってくれ。じゃあな。これから村中の酒を集めなきゃならないんだ!」

 そう言うと男は走り去って行ってしまった。

「行ってしもうた。大変なことになっとるみたいじゃ。エインやあのお嬢ちゃんたちにも不便をかけることになるのう」

「ううん。大丈夫だよ。二人に説明してくるね」

 エインは隣の寝室の扉を開けた。すると中にいた二人は肩を抱き合ってこちらを睨んでいた。エインは首を傾げた。

「どうしたの?」

「どうしたの、ではありません。急に扉を開けないでください。騎士達かと思ったではありませんか。あなたが開けるなと言っていたのですよ」

 アイリーンは怒りを込めてエインを睨む。ネミールは扉を開けたのがエインとわかって胸を撫で下ろしていた。

「ちょっと話すことが起きたんだ」

 エインはさきほど男が説明していたことを二人に話した。

「つまり、その騎士達と傭兵達のせいでこの家に村人達が押し込められるというわけですね。まったく迷惑な奴らです。後で迷惑料を請求しましょう」

「そういうことだから、ちょっと窮屈になるけど我慢して」

「病み上がりのお嬢様がいるので断りたいところですが、そういうわけにもいけませんね」

「アイリーン、私は大丈夫だから」

「まだ体調が完全に元に戻ったわけではないので無理はしないでください」

 家の外が騒がしくなる。どうやらこの家に泊まる村人達がやってきたようだ。

「…………」

 エインはそちらへ視線を向けた。しかし向けられているのは村人にではなく、それらを通りすぎて遠くの別の場所を覗き込んでいるかのような、透明な目をしているのだった。


 村は夜の闇に閉ざされていた。家の中に明かりは無く、自分の手ですら見ることができない。そんな部屋の片隅で動く影があった。

 それはエインだった。立ち上がると部屋の床に隙間無く寝ている子供や女性達を、器用に跨いで踏まないように移動する。老婆の家は村の子供と女性たちのための宿泊場所になっていた。男達は違う家で寝ている。

 遠くからかすかに声が聞こえていた。夜も深い時間だと言うのに、傭兵達は今も酒盛りを続けているようだった。

 エインは音を出さないようにしてゆっくり家の扉を開いた。夜になり一層冷たくなった空気が肌を刺す。しかしそれに表情を眉一つ動かすことなく、エインは足を踏み出して暗闇の中へと進んでいった。

「……うおーっと」

 千鳥足の男が続く酒盛りの輪から離れ、家の裏手にある暗がりへ向かう。適当な場所まで行くと、男はズボンずらし股間をまさぐる。用を足しにきたのだ。調子はずれな鼻歌を歌いながら出し切る。そしてズボンを直そうとした瞬間、突然後ろから襲いかかられた。

 悲鳴をあげることはできなかった。口を手で押さえられていたからだ。地面へ投げ倒され、首筋に冷たい物が当てられる。ナイフだ。男は冷や汗が体中から吹き出すのを感じた。

「大きな声を出すな。もし出したら、殺す」

 無機質な殺すことに慣れた人間特有の声だった。傭兵として何年も過ごしてきた男は、こういう声を出す人間を何人も知っていた。彼らは人を殺すことに何の感情を持たない。

 男はゆっくりと頷いた。

「質問に答えて。お前達の人数は?」

「た、たしか騎士が二百で、傭兵が八百ぐらいだったと思う。詳しい人数は知らない」

「目的はなんだ」

「それは……俺は知らない。本当だ! お頭がどっかからいい仕事があったって言って、実際前金でかなりの金がもらえたから、それでついてきただけだ」

 首に当てられたナイフがわずかに押し込められる。皮を一枚だけ裂く、微妙な力加減だ。男の顔が一気に青褪めた。

「たた、たしか、どこかの騎士団をやるとかなんとか……! 仲間がいて、合流するはずだったけど、そいつらが先に出発してたせいで急がなきゃいけないとか、誰かが噂してたような……俺は本当に何も知らないんだ! 助けてくれ!」

 男の悲痛な声は無視された。ナイフは首に当てられたまま動かない。

「……最後の質問。なぜ村人達を殺した」

「っ! あの村のことか! お、俺は関係ねえ。あれはグイル傭兵団のやつらが勝手にやったんだ! いくらなんでも村を滅ぼしたりなんかやったりしねえよ!」

「……本当にやってないんだな」

「ああ! やったのはグイルとグイル傭兵団だ! 俺じゃない!」

「騎士は?」

「あ、あいつらはどうか知らない! ただ止めようとはしてなかった! なあ、もういいだろ。俺は本当に何も……」

 その瞬間、背後から回された腕が男の首を瞬間的に締め上げた。一瞬で男は昏倒する。そして弛緩したその体を、何者かはズルズルと闇の奥へと引きずっていく。やがて音は聞こえなくなり、そこには夜の闇が存在するだけとなった。酒盛りは終わらない。

 音も無く扉が開き、影が滑るように入ってきた。影は足音をたてず躍るように眠る人々の間を通り抜け、部屋の片隅にある自分の睡眠場所までたどり着いた。目を閉じようとしたとき、声をかけられる。

「……エイン」

 それはネミールの声だった。

「……眠れないの」

「一度寝てたからかな? なかなか眠れなくて、そうしたらエインが出て行くのに気付いて……何してたの?」

 しばらく黙った後、エインは静かに言った。

「……傭兵を、尋問してた」

「えっ! あ、危ないよ!」

「平気。気絶させて縛っておいたから」

「そういう問題じゃないと思う……」

 暗闇の部屋にネミールのため息が広がる。

「何かわかったの?」

「……村を襲ったのはグイル傭兵団っていうのだけはわかった。もっと尋問したかったけど、人が多くて無理だった」

 エインの声に込められた激情に、ネミールは息を呑む。暗闇の中でその体から発する恐ろしいまでの気配に、エインの姿が浮き上がって見えそうだ。

「ねえ、エイン……私はそんなにたくさんの家族をなくしたことはないけど……でも、その気持ちを少しはわかってるつもりだよ……」

 エインは何も反応しない。それでもネミールは言葉を続ける。

「私も……もしお母様が、もう死んじゃってたりしたら、私……こんなこと考えないようにしてるけど、やっぱり不安だから……」

 ネミールの声に涙が混じる。

「お母様たちに置いていかれる悪夢を見てたって話したでしょ。あれ、今もたまに見るんだ。さっき倒れて寝てたときも……起きたときに夢だとわかってほっとしたけど、でも、お母様は遠くにいて、イヴュル帝国の騎士たちと戦って死んでるかもしれない。なんだか、夢が現実になったみたいで、怖くて仕方がないの……」

「……きっとネルゴットさまは無事だよ。明日には会える」

 ネミールが鼻をすする音が部屋に響く。

「ずずっ……そうだね。エイン、ありがとうここまで連れてきてくれて」

「お互いさまだと思う。きみたちがいなかったら、僕は村のこと、みんなが何であんなことになったのか知ることができなかったから……」

 重い沈黙が部屋に満ちる。

「……エインはたくさん家族をなくしたけど、でも……ひとりじゃないよ。私や、アイリーンが、その、家族みたいなものだよ。家で一緒に寝たし、今もこうして一緒に寝てるし」

「それは人目がある場所で口にしないようにしてください。誤解されますので」

「ア、アイリーン! 起きてたの!」

「私はネミール様の寝顔を見なければ寝れませんので。長年お嬢様の寝顔を見てきた私には、お嬢様が寝ていないということは簡単に気付きました」

「そ、そうなんだ……」

「早く寝てくださいお嬢様。お体にさわります。それに夜更かしは美容の天敵ですから」

 闇の中でアイリーンの目が光り、エインを睨む。

「そして、あなたは調子に乗らないでください。たかが数日前に会っただけの人間が、お嬢様の家族だなどと。産まれたときから一緒にいる私ですら家族ではないというのに」

「あ、でもアイリーンは家族みたいなものだよ。だってずっと一緒だから」

「お嬢様っ! ああ、私を家族だなんて、そんな、感激ですっ!」

「こ、声が大きいよ、みんな起きちゃう。じゃあ、おやすみ。アイリーン、エイン」

「おやすみなさいませ、お嬢様」

 ずいぶん間が空いた後、エインは小さな声で言った。

「……おやすみ」

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