第十六話
「……ねえ、エインのおじい様とおばあ様ってどんな人だったの?」
ネミールの質問に、エインは不思議そうな表情になる。
「なんでそんなことが聞きたいの?」
「さっき向こうで寝てたとき、おじい様とおばあ様の話が聞こえていたから気になって。エインって不思議な人だから、どんな風に生活してきたのかなっていうのも気になるし」
「特に面白いことはないと思うけど。聞いてたならわかるけど、最初は村で暮らしてたんだ。家ができたのはたしか五歳ぐらいのとき。それからその家で暮らすようになったんだ」
エインの祖父母は二人とも優れた狩人だった。すでにかなりの高齢にもかかわらず、荒れた地面や急な斜面などものともせず素早く移動できた。
弓矢を使えば空を飛ぶ鳥も落とせた。弓矢の腕だけでなく、気配を消すことも非常にうまい。音もたてず痕跡も残さずに深い山の中を進む。呼吸を浅くして、気配に敏感な獣にすら気付かれずに接近できた。
「木登りも上手で、まるで猿みたいに早く木の一番上まで行く。それで枝から枝へ、別の木へ飛んで移動もできたんだ。初めて見たときは驚いた。じいちゃんとばあちゃんは羽がはえているんじゃないかと思って」
それは本当にただの狩人なのだろうかと、ネミールとアイリーンは驚きと困惑が混じった表情でそれを聞いていた。
弓矢で飛んでいる鳥を落とすというのはたしかに優れた技だが、できる人間はそれなりにいるだろう。しかし高齢の老人があの山を縦横無尽に駆け巡り、さらに木を登って枝から枝へ飛び移るなど信じられない。
この村へ来る途中、ネミールたちは山を抜けてきた。平らな場所など一切無く、急な斜面と荒れた地面がひたすら続く。木々も多くて視界がきかず、たまに根が地面から飛び出していて、歩こうものならその足を引っ掛けてしまうだろう。そんな場所を白髪の老人が進むのがどれだけ困難なのか。
しかしエインの顔はいたって普通だ。それが変なことだとは思っていない。
「じいちゃんもばあちゃんも弓矢の腕はすごいんだけど、それよりすごいのがナイフなんだ。だって熊にもナイフで勝てるんだよ」
二人はエインを五歳のときから狩りに同行させた。実地で狩猟方法を教えるためだ。
山を移動するための歩き方と道の選び方。足跡を残さない歩き方。獣の足跡の見分け方。危険な獣からの隠れ方と、見つかった場合の逃げ方。獲物を追跡する方法。などなど、子供のころから英才教育を老人二人はエインに施した。
「まず教えられたのは山を速く移動する方法。歩き方にコツがあって、これができると疲れないで歩けるんだ。それと隠れ方。まず姿勢を低くすることと山と一緒になるのが大事。獣は気配と臭いに敏感だからなるべく風下を移動して、音をたてないようにするんだ。次に教えられたのは、獲物は追うんじゃなくてじっと待つこと」
「待つの? 追いかけるんじゃなくて?」
ネミールは質問する。狩人と聞くと、獣を追いかけて弓矢で射るイメージしかなかった。
「追いかけようとしても、山じゃ獣のほうが人間より素早い。絶対に追いつけない。だから待ち伏せして、絶対にしとめられる距離まで待つんだ」
幼いエインは山の中でじっと動かない。白い息がかすかに漏れる。
すでに山は雪に覆われ、エインの足首が埋まるほど積もっていた。いまも空から雪が降っていて、徐々にその高さを増している。
すでにここに待機してからかなりの時間が経過していた。どれぐらい経過したのか、すでにエインはそのことを気にするのを止めていた。
エインがこの訓練を祖父から言われて数日が過ぎていた。訓練内容は、ひたすら待機して近づいてきた獣を狩ること。
冷たくてエインの顔は凍りつき、手足の感覚も麻痺してきているが、いざというときに動かないことが無いよう指を定期的に動かしていた。それでもやはり動きはにぶい。なにしろ雪の上にずっと伏せていたのだから。
エインは雪に埋もれながら周囲の気配を探っている。音がしたと思ったら木の枝から雪が落ちただけだった。祖父母と違い、まだ音で獣なのかどうか聞き分けることもできない。祖父母は足音だけで獣の種類までわかるのだ。
エインは腰のナイフの柄に添えた片手を静かに動かす。まだ獲物の姿はない。焦る気持ちを抑え、ただ山と同化することを念じる。
すでにエインの上には多くの雪が積もっていた。分厚く重ねた毛皮の上からでも冷気が染み込んでくる。今日も駄目かと諦めかけたそのとき、小さな気配を感じた。
エインの体が緊張する。それは前方からこちらへやってくる小さな影。ウサギだ。白い毛皮は雪山の中では迷彩として効果がある。普通の人間にはなかなか見つけられない。しかしエインは幼いながら訓練された狩人だった。
ウサギは小刻みに跳ねて雪の上を進む。小さいので着地のたびに頭を残して雪へ埋まるのだが、そんなことは気にしていない。
ウサギは立ち止まると、周囲に頭をめぐらせて警戒する。鼻をなんどもひくつかせ、自分を脅かすものはいないかしつこいほど確認していた。
危険が無いことを確認したのか雪を掘り、さらにその下の地面を掘る。食料を探すためだ。雪に隠れてウサギの体はほとんど見えない。
エインはナイフの柄をきつく握った。本当は祖父母のように弓矢が使いたかったのだが、子供の筋力では満足に扱うことができなかった。
ナイフは子供でも扱えるほど小ぶりなものだ。それでもあのウサギを狩るには十分である。ただし、当たればの話だが。
相手は小さいとはいえ野生の獣。こちらは幼い五歳の子供だ。圧倒的に前者のほうに分があるだろう。それでもエインはナイフを抜いた。
地面を掘っていたウサギの動きが止まる。口に小さな根っこを咥えていた。そして跳ねようとした瞬間、エインの手が振られた。投擲したナイフは狙いを外さず、ウサギに突き刺さる。
「やった!」
思わず声をあげてエインは立ち上がった。体に積もっていた雪がはね飛ばされて白く舞う。エインは笑顔で倒れたウサギへ駆け寄った。
エインが伏せていた場所とウサギまでの距離はそれほど遠くなかった。大人なら数歩の距離だ。それでも子供がこの距離でナイフを投げて狙いを外さないのは脅威と言えた。
エインはウサギの耳を片手で持って持ち上げた。初めての獲物はその体の重みだけではない何かを、エインの心に感じさせた。それは達成感だ。
「できたな」
その声に振り向く。そこにはいつの間にか祖父がいた。
「じいちゃん!」
祖父は一人で獲物を待つエインに危険な獣が近づかないよう見張っていた。しかしどこにいたのだろうか。エインの周囲には全く祖父の気配も獣の姿も無かったはずなのに。
「見て見て! ほら、ぼくできたよ! ウサギをしとめたよ!」
「そうじゃな、よくやったの」
祖父は笑顔でエインの頭を撫でる。エインは満面の笑顔だ。
「寒かったろう。すぐに帰ろう。今日は熊鍋じゃ」
「くま? いつしとめたの?」
「さっきじゃ。あいつはエインのおる方へ行こうとしたからの。咽を掻っ捌いてやったわ」
祖父について行くと、たしかに熊の姿があった。咽を真一文字に裂かれていて、そこから血が地面へ流れ落ちていた。
「血抜きはだいぶできたかの?」
熊の死体は地面から宙に吊るされていた。足に縄をかけられ、木の枝からぶら下げられていた。大きい。もしかしたらエインの三倍以上あるのではないだろうか。
その巨体を地面に下ろすと、その体の下に何かを置き始めた。それは木の板だ。それと熊の体をしっかり縄で縛る。これで熊はソリのように動かせるようになった。
「よし。行くぞ」
「ぼくもひっぱるー!」
祖父とエインは仲良く熊の体に繋がった縄を引く。その巨体が嘘のように動き出した。
「……それが僕の初めての狩り。あのあと食べた熊とウサギの鍋は本当においしかった」
エインの話が終わると、ネミールもアイリーンも揃って絶句してしまった。老婆は「そりゃあすごいねえ」と笑っていたが、そっちのほうがおかしい。
まず五歳の子供にそんな過酷な訓練をさせるのがおかしい。そして一人で熊を倒せる老人もおかしい。異常すぎる。
「……その、おばあ様も狩人だったんだよね? その人も熊を狩ったの?」
ネミールが恐る恐る聞くと、エインは頷く。
「僕は見たこと無いけど、じいちゃんが熊ぐらいばあちゃんでも仕留めれるって言ってたからできると思う。それにばあちゃんは一度に狼を十匹仕留めたこともあるし」
「十匹!」
その日エインの祖母が帰ってきたとき、肩に三匹の狼を担いでいた。それを見たエインは歓声をあげた。
「ばあちゃん、すごい!」
「まだ一杯いるから手伝っておくれ、エイン」
祖母に連れて行かれると、真っ赤に染まった雪に倒れる何匹もの狼の姿があった。一匹残らず絶命している。どれも首を刃物で切り裂かれていた。
「じいちゃんとばあちゃんからナイフの使い方習ったけど、二人には全然勝てなかったよ。手の動きがすごく速くて見えなくて。でも気配を隠して移動するのはすごく上手だってほめてくれたんだ」
祖父だけでなく祖母も異常な人間だった。狼は一匹でも人間にとっては手に余る危険な獣だ。それを十匹相手にナイフだけで、しかも首を一撃でとは信じられない。
ネミールとアイリーンは言葉がないが、老婆は笑っている。
「じいさんとばあさんは本当によい腕の狩人じゃよ。一度にいくつもの毛皮をもって来てくれたんじゃ。二人は元気かのう?」
エインの顔が曇る。
「……死んじゃったんだ」
「なんと! いつじゃ?」
「二年前ぐらい。先にばあちゃんが死んで、そのあとじいちゃんも……」
「そうかえ……辛かったろう……」
「じいちゃんもばあちゃんも、これが寿命なんだって笑ってた。死ぬ前に僕を一人前まで育てられて良かったって……そんなことないのに。結局一度も二人に訓練で勝てなかったんだから……まだ教えて欲しいこといっぱいあったのに……」
エインは言葉を途切れさせる。老婆も涙を浮かべた。重い雰囲気にネミールとアイリーンも何も言えずにいると、家の外が急に騒がしくなった。老婆が驚いた顔になる。
「なんじゃ?」
「二人は部屋に隠れて!」
エインは真剣な顔でさっき二人が寝ていた部屋へ入るように指示する。
「えっ、なに?」
「騎士達が来たのかもしれない。顔を見られたら危ないんだ」
その言葉に二人は顔色を変えて、急いで部屋へ逃げる。
「絶対に顔は出さないで。何があっても部屋から出てきたらだめだよ」
大勢の人の声と馬が歩く音、鎧や武器が鳴らす金属音が聞こえてきた。
「エインはどうするの?」
「僕は顔を知られていないから平気。さあ、早く」
心配そうなネミールをアイリーンが引っ張って部屋に連れて行った。扉が閉まるとエインは音がする方向の壁に寄り、窓から密かに外を観察する。
この家は村の入り口からは離れていて、姿は見えにくい。しかし狩人として鍛えられたエインの目はその姿を鮮明に見ることができた。
大人数だ。この小さな村の何倍だろうか。鎧を装着し、馬に乗っている人数は全体で見ると小数だった。他の大多数は鎧といっても革製のものが大半で、防具を身につけていない者も多かった。見た目も髪の毛や髭を伸び放題にしていて綺麗とは言えない。それは傭兵たちだった。騎士達にはある品位が全く見えない。
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