第十九話
騎士と傭兵達が村から出発する。彼らの姿が消えて人々はほっと胸を撫で下ろし、やっといつもの平和な雰囲気が戻ってくる。
そんな優しい笑顔を浮かべた人が多い村の中で、違う表情を浮かべた三人がいた。エイン達、これから騎士達を追いかける者だ。
三人は馬に跨っていた。一頭の馬にはエインとネミール。もう一頭にアイリーンだ。
「どうして私がお嬢様と一緒じゃないのですか……」
ギリギリと唇を噛みながら、アイリーンはエインへと憎悪のこもった視線を向けている。
「だって馬に乗れないでしょ?」
アイリーンは昨日と同じく、情けない姿で馬の首にしがみついて、なんとか馬に跨っている有様だった。たった一日で乗馬ができるようにはならなかった。
「くっ! 村に馬車があれば……」
アイリーンは村で馬車を探したが、そもそも馬がいないので馬車などはなかった。農作物などを運ぶための台車はあったが、これも人が使うものなので馬に繋げることはできなかったのだ。彼女は大きく肩を落とす。
「きみは落ちないように気をつけてね。鞍をしっかり掴むんだ」
「う、うん。がんばる」
ネミールは鞍に跨るエインの前に座っていた。馬に慣れていない人間は、後ろよりこっちのほうが安全なのだ。
馬に装着してある鞍は一人用のものだが、小柄な二人ならなんとか座れる大きさだった。
「じゃ、行くよ」
「わっ」
手綱を操り、エインは馬を進ませる。初めての揺れる馬の背中にネミールは慌てたが、しっかり鞍を掴むことでなんとか落馬することはなかった。
「お嬢様、気をつけて!」
そう叫ぶアイリーンのほうが今にも馬から落ちそうになっていた。
老婆の見送りを受けて、三人は村を出た。
その先は一面の雪と、白い山の連なり。まったく代わり映えのしない景色だ。
三人は無言だ。アイリーンは馬から落ちないように必死で、エインは無表情でもともと言葉数も少ない。ネミールはちらちらと後ろのエインを盗み見しているが、何を言っていいのかもわからない。
(それに……ちょっと恥ずかしい……)
ネミールは背中に感じる体温に、頬を赤らめる。彼女の背中にはエインの胸が接触していた。二人の体が近いほうが馬を乗るのにはいいのだが、箱入り娘で同年代の異性と接したことが無いネミールには刺激が強すぎた。手綱を持つためエインの腕はネミールの体の横にあるのだが、それがまるで抱きしめられているようだと思い、さらに少女の顔が赤くなる。
(お父様より体は小さいけど、なんだか固くて逞しい気がする……)
そんな事を思っていると、エインに話しかけられた。
「ねえ」
「えっ、なに?」
「きみのお母さんってどんな人?」
「お、お母様?」
ネミールは赤くなった頬を見られていないかと心配しながら、エインの顔を目だけで見る。エインはこくりと頷いた。
「今から帝国の敵と戦うんでしょ。武器を持って戦うようなお母さんって見たこと無いから不思議なんだ。村で棒とか持ってお父さんや子供を追いかけてる姿を見たことはあるけど。ばあちゃんがすごい強いからみんなもそうなのかなって聞いたら、みんな笑ってばあちゃんは特別だって」
「そ、そうなんだ。そういえば、エインのお父様とお母様ってどんな人だったの?」
「……じいちゃんもばあちゃんも教えてくれなかった。僕が産まれてすぐ死んだって、それだけ」
「えっ、ごめん。その、悪いこと聞いちゃって……」
エインは首を振る。
「だからかな。ひとのお母さんとかお父さんが気になるんだ。教えてよ」
「うん。お母さんは優しいけど、怒るとすごく怖いんだ。棒を持って追いかけたりしないけど、お父様が怒られて泣いてるところは何度もみたなあ。それと、お母様はすごい魔法が使えるんだ」
「そういえば、それがどんな魔法なのか知らないや」
「お母様はね、私なんかよりすっごく大きい火の鳥を出せるんだ。私も一度しか見たことないけど、家よりも大きいんだよ!」
ネミールの母親ネルゴットが初めて魔法を使ったときは、ネミールと同じ小鳥を出すことしかできなかった。それが月日が経過するごとに小鳥は大きくなり、鳥を優に超える家よりも巨大な怪鳥へと変化していった。そこまでの大きさになったのは、彼女が十二歳のときだ。
魔法は鳥は大きさを増すごとに、その攻撃力も大きくなった。
その燃える体で体当たりされれば、一瞬で黒焦げになってしまう。さらに生き物ではないので剣や槍でいくら刺しても傷つけることすらできない。さらに炎の怪鳥は、その口から巨大な火の玉を発射することができた。その射程距離は弓矢ほどもあり、遠くから飛んでくる火の玉は一方的に敵を焼き尽くす。
ネルゴットの名前がボラス王国中に知れ渡ったのは、十三歳のときだ。王国の南から大量の蛮族が攻めてきた。蛮族はその数をもって王国の騎士達を苦戦させ、徐々に戦線を押し込み続ける。ついにはボラス王国の王城まであと少しというところまで蛮族達は攻め込んできた。
この緊急事態に、まだ十三歳であり騎士見習いであったネルゴットを王命により前線へ投入することが決まる。それまで訓練しかしていなかったネルゴットは、この大規模な戦いが初陣となった。
ネルゴットの両親や祖父は反対したが、その魔法の威力は知られており、これを使わなければ王国は存亡の危機にある、そう王から言われてしまえば従うしかなかった。
ネルゴットは初陣ながら落ち着いている。日ごろ訓練と、その身に流れる長年の武人の血のおかげか、迫り来る蛮族の大群に全く恐怖を感じていなかった。
「いくぞ!」
かけ声とともに巨大な炎の鳥がネルゴットの頭上へ出現する。大きく羽ばたくその姿は、まるで神話の物語がこの世に現れたかのように見えた。
炎の鳥は高く一声鳴くと、口から巨大な火の玉を発射した。それは蛮族の群れの中へ高速で飛び、何十人という人間を巻き込んで爆発した。黒焦げになった体が、四方八方へ吹き飛ぶ。吹き飛ぶことなく炭となり崩れ去った者も多数だった。
半年以上続いた蛮族との戦いは、こうしてネルゴットの活躍により、その後数日でボラス王国の勝利となった。ネルゴットは救国の英雄として人々から賞賛された。
「そのときお母様は誇らしくて嬉しかったけど、その後が大変だったんだって。いろんな人から贈り物が届いたり、毎日晩餐会へ行かなくちゃいけなかったり。それとお見合いの誘いがやたら増えたり、貴族の男の人たちにつきまとわれたり……お母様は疲れた顔で、あんなことになるなら行かなければよかったって、そう言ってたの」
「ふうん。そんなにすごい魔法なんだ。魔法がすごいのはわかったけど、お母さんは騎士なんだよね。剣とか使えるの?」
「うん。お母様は子供のころから剣術も上手で、今は男の人でも勝てないんだよ」
「へー。それはすごいなあ」
表情はあまり変わらないが、感心したエインの声を聞いてネミールが笑顔になる。しかしすぐにその笑顔は消えた。
「……私、お母様みたいな魔法が使えるようになるんだって、子供ころは思ってた。でも全然魔法は強くならなくて、ずっと小鳥のまま」
ネミールは小さな火の鳥を生み出す。それはネミールとエインの目の前を自由に飛ぶ。
「こんなのじゃちょっと火傷させたり寒いときに温かかったり、松明やロウソクのかわりにしかならないよね……」
ネミールは宙を舞う小鳥を悲しげに見る。
「だから、せめてお母様ぐらい強くなれなくてもいいから剣術ができるようになろうと思ったんだけど、お母様もお父様も危ないからダメだって。だから隠れて剣を練習しようとしたら、持ち上げたところで重くて手を離しちゃったんだ。それで頭をケガして……すごい怒られて、もう剣を持っちゃダメだって……」
ネミールの顔がどんどん俯いていく。
「……私のせいでお父様とお母様が悪く言われるのが辛くて。なんでお父様と結婚したんだ、とか、離婚して違う人の子供を産みなさいとか……城に来た人がお母様に言ってるの聞いたことがあるの……だからがんばったんだけど、ダメだったんだ……」
「その剣ってどんなの?」
エインの質問の意味がわからず、つい涙が浮いた目でネミールは疑問視線を向けた。
「重すぎて落としたんだよね。それはネミールの剣なの?」
「ううん。アイリーンに騎士が使ってる剣を持ってきてもらったんだけど」
「じゃあ無理だよ。体にあった物を使わないと」
エインが何を言っているのかわからず、ネミールは目を瞬かせる。
「僕はじいちゃんに頼んで狩りの方法を教えてもらったけど、その時よく言われたのは、自分の身の丈に合ったことだけをするんじゃ、って」
「自分の身の丈?」
エインは小さく頷いた。
「そう。僕もじいちゃんみたいに大きなナイフが使いたいって言ったら、それは駄目だって言われたよ。それで最初に使わせてくれたのがこのナイフ」
エインが懐に手を入れて出すと、指先に小さなナイフを挟んでいた。長さは手の平より少し先が出る程度だ。
「今はこれを投げるときに使ってるけど、そのころは手に持つナイフで使ってたよ。このぐらいの大きさじゃないと小さい子供の手じゃうまく持てないから。だから大人の騎士が使う剣じゃなくて、体に合った剣にすればよかったんだよ」
そう言うとエインはナイフをしまった。
「それと、きみのお父さんとお母さんはひどいね。やりたいことをやらしてもらえないなんて」
「お父様もお母様も悪くない。私ができそこないだから……」
ネミールが落ち込んだ声を出すと、エインは少し強い口調で言った。
「やってみなくちゃわからないよ。僕だって最初は何もできなかった。でも、じいちゃんとばあちゃんに教えてもらって、それでちょっとずつできるようになったんだ」
ネミールは背後のエインを見る。エインの目は彼女ではなく前方に向けられていた。
「魔法も剣もだめだったら、違うことをやってみればいいのに。弓矢ならそんなに力はいらないし、女の人でもできると思うよ」
「弓矢?」
「うん。ばあちゃんは弓矢がすごく上手だったんだ。じいちゃんよりも上手で、遠くの獲物でも百発百中なんだよ。教えてもらったけど、僕は弓矢の才能が無かったんだ」
「そうなの?」
ネミールは驚いてエインへと顔を振り向かせた。するとすぐ近くに顔があり、鼻が触れそうに顔が赤くなる。エインは顔が近いことなど気にしていない様子で話を続ける。
「うん。狙いをつけるのが下手みたいで、ちょっと離れると全然当たらないんだ。ナイフを投げたほうがよく当たるぐらい。でも足音をたてずに歩く方法や、獣に気付かれないように隠れるのは上手だって褒めてくれたよ。だからきっと、きみにも得意なことがあると思う」
「そうなのかな。今度弓矢の練習してみようかな?」
「もしかしたら僕より上手になるかもね」
「そうだったら嬉しいなあ」
ネミールは笑顔になる。エインも口元に小さな笑みが浮かんだ。そしてネミールが何か言おうとしたとき、それを遮って声が聞こえた。
「何をのんびり話しているのですか」
アイリーンは馬の首にしがみつきながら、吊り上げた目でエインを睨んでいた。
「あなたはお嬢様の護衛でもあるのですよ。それが無駄話をベラベラと。ちゃんと周囲に気を配っていてください。もしあの騎士たちがいたらどうするのですか!」
目つきも言葉も鋭いのだが、いまにも落ちそうな格好で言われても全く迫力というものが存在しなかった。
「大丈夫。近くにそんな気配はないよ」
「そんなのわからないでしょう! ああ、なんで私のところにお嬢様がいないのか! そんなにくっついて、楽しそうにお喋りなんかして。さらには顔と顔が触れそうにっ! キイイイイ! うらやましい! 私とかわれえええ!」
アイリーンの剣幕に馬が反応し、体を揺らしたので彼女の体が落ちそうになる。しかし興奮してそのことに気付かない。
「落ち着いてアイリーン。そのままじゃ落ちちゃう」
「お嬢様! そんな男のところではなく私のところに!」
やっと落ち着いたアイリーンは、エインへとその視線を向ける。
「しかし驚きました。あなたなら私がどう言おうと一人で行くものと思っていました」
「……狩りは待たなきゃいけない。ある狩人は子供の狼を手負いにして、それを追いかけた。しかし狼の群れが待ち伏せしていてのど笛を噛み千切られる。焦っちゃだめなんだ。相手を確実に仕留める機会までじっと待機するんだ」
「……今は狩りの最中、ということですか」
そのとき、遠くから大きな歓声が聞こえた。大勢の人間が一斉にあげた叫び声。それに込められた熱が自然に肌を粟立たせる。
「これって……」
「まさか戦いがはじまった? 急ぎましょうお嬢様!」
エインは馬の腹を蹴る。蹄が力強く地面を蹴ると、馬は軽快に走り出した。アイリーンの体がさらにずり落ちそうになるが、気にしてはいられない。
「お母様……」
戦場にいるかもしれない母親を思い、ネミールは強く鞍を掴んだ。
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