第二十話

 騎士たちが慌ただしく陣形を整えていた。殺気だった彼らの目は血走り、数日に及ぶ過酷な行軍で疲れているが全身に力強い気迫が溢れている。

 斥候の人間が前方にイヴュル帝国の集団を発見したのだ。報告によると全体で三千ほど。騎士はそのうち千人。馬に乗っているのはその半数ほど。

 まだ遠く姿が見えないイヴュル帝国を透視するかのように、ネルゴットは前方を睨みつけていた。その両目には炎のような覚悟が揺らめいていた。

「最初に知らせてきた早馬の言った通りですね。約三千人。私達の三倍ですか」

 ネルゴットの補佐役である騎士が同じように前を見つめる。

「人数は多いかもしれないけど、騎士の数は少ないわ。それに戦える人間も多くない」

 斥候によると傭兵達の人数は二千と多いが、戦えそうに無い者の姿が多かったようだ。鎧を着ている者はほとんどいない。さらには手に槍や剣ではなく、クワや木こりが使うような斧を持った人間も多くいたという。どう見ても傭兵には見えない姿だ。

「おそらく帝国の農民達。無理矢理連れて来たのでしょうね。彼らの多くは命を賭けて戦おうなんて思っていないわ。ちょっと自分達が不利になればすぐに逃げ出すわ。でも、そんなことは相手もわかっているでしょうね……」

「ということは、やはり」

「捨て駒なんでしょうね……まったく、民を何だと思っているのかしら!」

 ネルゴットは忌々しげに吐き捨てた。唇が歪んでいる。

「たとえ傭兵でなくとも、その数は脅威です。もし少しでもこっちが崩れるようなことがあれば、一気に襲い掛かってくるでしょう」

 戦闘で一番恐ろしいのは数だ。単純に数が多ければ多いほどいい。相手がいくら弱兵だとしても、その数で圧倒される可能性はあるのだ。

「悲観的なことばかり考えてもいけないわ。そうね……良い事もあったはずよ」

「それは?」

「傭兵の数よ。思ったよりかなり多かったわ。嬉しい誤算よ」

 早馬が来てからすぐ城下の町で傭兵をかき集めた。エル地方領は辺境なので傭兵のような流れ者はほとんどいない。仕事が無いのだ。五十人も集まればいいと思っていたが、集めてみるとなんと二百人を超えていたのだ。

「住民から傭兵が増えて治安が悪くなっていると聞いていたけど、おかげで戦力が増えたわ。何が幸いするかわからないわね」

 一月ほど前から、なぜか傭兵達の数が増えていたのだ。そのこと自体はかまわないのだが、傭兵というのはとにかく荒っぽい。喧嘩は日常茶飯事、酒を飲んで暴れたり、住民達と諍いを起こす。もともと田舎でこれといった事件も無いので、急にそういった事が増えると住民達は動揺する。

「たしかに、嬉しい誤算ですね」

 騎士は苦笑した。

 ネルゴットは前を睨むことをやめ、周囲を見渡す。まだ騎士達の声がそこかしこで聞こえてくる。隊列が整うまでにはまだ時間がかかりそうだった。

「おい、どうする」

「どうしようもねえよ」

 顔を付き合わせ、傭兵が声を潜めて会話していた。そんな光景が、傭兵達が集まった場所の至る所で見られた。

 周囲に騎士の姿は無い。彼らは自分たちのことで手一杯なのだ。それに傭兵というのはまとまりがある集団ではない。数十人の小規模傭兵団や個人の傭兵が集まり、大きなまとまりとしての傭兵部隊というのが出来上がっている。なのでそれぞれが好き勝手に動くことが当たり前のようなもので、傭兵達をどう扱うかというのは昔からどの指揮官も頭を悩ませていた。

 指揮官であるネルゴットは、傭兵達が一箇所に集まって動けばそれでいい、と考えていた。今回のように戦力の差がある場合は細かい作戦など意味が無いからだ。一箇所にまとめておいたほうが役に立つ。

「もうすぐ戦闘になるみたいだな」

「やっとか。イヴュル帝国の奴らぶっ殺してやるぜ」

 そう威勢の良い言葉を発している傭兵もいた。これから殺し合いに行くというのに彼らは自分達が負けるはずが無いと楽観していた。

「なにしろこっちには大魔法使い、ネルゴット様がいるからな!」

 ネルゴットが蛮族の大軍をその魔法で撃退したことは、傭兵なら誰でも知っていることだった。当時の戦争には傭兵も数多く参加したので、その光景を目にしたものは多い。その彼らが仲間や酒場で話し、それはあっという間に広がっていった。彼らが聞いた彼女のその強さは、傭兵の憧れであり、勝利の女神だった。そんなネルゴットがいるのだから絶対に負けるはずが無い。傭兵はそう信じていた。ただし、今ここにいる少人数だけが。

 大多数の傭兵は、勝利を疑っていないのん気な傭兵達へ冷たい目を向けていた。

「ふん。お前の勝利の女神はやられちまうんだよ」

「でもよ、予定と違うじゃねえか。このままじゃ本当に勝っちまうんじゃ……」

 弱気な声を出した傭兵を鼻で笑う。

「何言ってんだ。帝国のやつらがどれだけいるか知ってるだろ。あれだけ多くて負けるわけがねえ。それに援軍だって追いつく」

「だけど……」

 それでも怯えている男に、ついに声を荒げる傭兵。

「うるせえ! ビビってんじゃねえぞ! ここまできたら、やるしかねえんだ!」

 叫んだ傭兵は光る両目を、赤いマントを身に着けたネルゴットへと向けていた。


「そうか。ついに来たか……」

 報告を終え下がっていく部下を見ることも無く、イヴュル帝国軍騎士マルヒンは遠くへ目を向けた。

 その視線の先には雪に覆われた景色と、山しか見えなかった。彼の故郷であるイヴュル帝国と変わらない。

「あの獄炎鳥と戦うのか……」

 マルヒンは遠くまだ見えない敵を空想する。

 獄炎鳥というのは、蛮族の戦いの後イヴュル帝国側がネルゴットに付けた俗称だ。実際に見たことは無いが、彼女の魔法を受けた人間はまるで地獄の炎に焼かれたかのようにもだえ苦しむという。想像してしまい、マルヒンは冷たい汗を流す。

 彼の前には大勢の人間の姿がある。部隊編成の指示を急ぐ騎士。緊張した顔で整列する騎士。これから殺し合いに向かうというのになぜか楽しそうな傭兵。そして……騎士達に無理矢理腕を掴まれて引きずられる、粗末な服の男。

「い、いやだ! 戦争なんてしたくない、助けてくれえ!」

「静かにしろ! くそっ!」

 押さえつけてもまだ暴れる男を忌々しそうに睨む騎士。何度言ってもおとなしくならない男に我慢の限界になったのか、腰から剣を抜いた。

「もういい、死ねっ!」

 背中から串刺しにされた男は小さな声を漏らし、死んだ。その光景を見ていた同じような粗末な服装をした男達が、怯えた悲鳴をあげた。

「お前達も従わなければこうなるぞ!」

 男を刺し殺した騎士は、血に濡れた剣を突きつけて人々を脅す。恐怖した彼らは、ただ黙って騎士達の指示に従うしかなかった。その様子を傭兵達が笑いながら見ていた。

 マルヒンはため息をつく。食い詰め者の傭兵と、腹を減らし痩せ細った農民。これがイヴュル帝国軍の半分以上の戦力だった。こんなもので勝てるのか。

 マルヒンはこの任務を言い渡されたときのことを思いだした。

 マルヒンは上司である騎士の男に呼び出された。

「君にやってもらいたい任務がある」

「はっ。謹んで拝命します」

 イヴュル帝国において、軍の上下関係は絶対だ。もしこれで拒否でもしようものなら、明日には自分の首が飛ぶだろう。

 一体どんな任務を言い渡されるのか。マルヒンは戦々恐々としながら次の言葉を待った。

「ボラス王国に侵攻してもらう」

 マルヒンは絶句した。今現在のイヴュル帝国に侵攻するような余裕は無いはずだ。

「そう怖い顔はしなくていい。これは絶対に勝てる戦いなのだよ」

 彼から聞かされたことは、耳を疑うのは仕方がない内容だった。マルヒンは思わず詰め寄るように上司へ問いかけた。

「ほ、本当にそんなことが?」

「ああ。事実だ。これを見たまえ」

 男が出したのは大量の手紙。彼が協力者と長い時間やり取りしたものだった。それを読むと、たしかに男が言っていたことと同じことが書かれていた。手紙を持つ手が震える。

「た、たしかに……」

「では、やってくれるね」

 そう言って微笑む男の顔は、マルヒムには悪魔の微笑みに見えた。

「……本当にうまくいくのか」

 マルヒムの心から不安は無くならなかった。

 周りの騎士と傭兵達を見ると元気が有り余っているように見えた。久しぶりに腹一杯に食事ができたからだろう。

 ボラス王国に侵攻して数日、いくつもの村を略奪したおかげだ。イヴュル帝国の過酷な環境でただでさえ農作物は育たず、さらに今年は飢饉が起きてしまった。そのせいで何ヶ月も満足な食事などできなかったのだ。

 おかげで戦意は高い。まともに食料をもらえなかった農民達は別だが。

 マルヒンが物思いにふけっていると、部下が走ってきた。

「マルヒン様! 敵が見えました」

「よし、行くぞ!」

 マルヒンは内心の不安を隠し馬に乗ると、軍勢を率いて進む。そして敵の全容が見えたとき、その不安が的中したことを知った。

「あの紋章の旗が無い!」

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