第二十一話
ネルゴット率いるエル地方領騎士団と傭兵団は、雪に覆われ起伏に富んだ荒れた地形でも隊列を崩すことなく前進していた。騎士達の顔は真剣そのもの。これから憎きイヴュル帝国との戦いが始まるのだ。
徐々にイヴュル帝国の陣容の姿が見えてくる。このあたりは比較的他の場所よりは視界が開けている。起伏があるといっても人の動きを完全に阻むほどではない。多少きつい坂程度だ。馬と鍛えられた騎士なら問題ない。
先頭で馬を駆るネルゴットは、鋭い視線を前方に向ける。相手の数は多い。二千人もの人間が横に広がっている。それらは隊列も何も無く、無理矢理集められたまともな武器も持たない農民たちと、凶暴な笑みを浮かべた傭兵達だった。上空から見るといびつな楕円形となっている。
「まさに寄せ集めといったものね」
ネルゴットは顔をしかめた。戦う相手が騎士や傭兵達ではないことの困惑。そして守るべきはずの民をこうして人の壁として使う帝国のやり方に嫌悪を感じたからだ。イヴュル帝国としては、あの農民達は犯罪者なので特に捨て駒にすることには躊躇いは無い。犯罪者と言っても、飢饉のため税の減額を求めたり、無理矢理農作物を徴収しようとした騎士に抗議した程度の罪だ。彼らは捉えられた後は農奴として過酷な仕事を強いられていた。
「なんで俺達がこんな目に……」
クワを持って寒さと恐怖に震える男がつぶやく。前方に見える騎士団の姿を見て、もう自分は死ぬのだなと、絶望の吐息を漏らした。
だんだんと近づいてくる帝国軍を、ネルゴットは愛馬の上から睥睨している。人の壁の後ろに騎士達の姿があった。
「あの大軍で私達を止め、後ろから騎兵と騎士達で回り込むといった作戦かしら」
ネルゴットは敵の陣形を見てそう判断する。人の壁だけで単純にこちらの規模の二倍だ。それで包囲することもできるだろう。しかし戦闘訓練などしたことが無い農民にそんな動きは不可能。傭兵でそんなうまい動きができる者の数は少ない。ただ前に進むしかできないだろう。それでもあの数は脅威だった。
ネルゴットは自分達の陣形を思い出す。最前にネルゴットを含む騎兵隊とその後ろに騎士、合わせて三百。そのうち騎兵は百だ。城にはそれだけの数しかいなかった。これは城が篭城戦を基本とするためである。
その左翼に騎士が三百。中央と合わせて六百が今ここにいる騎士団の人数だった。そして右翼には傭兵達二百。左翼より少ないが、これは騎士達の分散を嫌ったためである。ネルゴットは騎士達を信じているが、傭兵はそうではない。右翼がもつかどうかは天に任せるしかなかった。
ついにお互いの姿がはっきり確認できる距離にまで近づいた。ネルゴットには恐怖に歪んだ農民達の表情も見える。一瞬哀れむような目になったが、すぐに眦を吊り上げ、燃えるような戦意を瞳に宿した。鋭く剣のような視線が彼らを射抜く。
「全体、構え! 私が薙ぎ払う! 突撃!」
ネルゴットは剣を抜き放ち、剣先をイヴュル帝国軍に突きつけると馬の腹を蹴る。大きく嘶くと、猛然と馬は疾走をはじめた。続く騎兵達も遅れることなく駆け出す。地面は荒れていて、ときおり人の背を越えるような高さの隆起があるというのに、騎兵達は陣形を崩すことなく駆けてゆく。
「ウオオオオオオオッ!」
後ろからはネルゴット達を追いかけて走る騎士達の姿があった。気迫のこもった叫び声が山間にこだまする。何百人の人間が走る足音はそれだけで人を威圧する。
そのとき、彼らの声に呼応したかのように声が響いた。イヴュル帝国軍ではない。騎士団の後方から聞こえてきた。
「何だ! まさか伏兵か!」
思わぬ方向から聞こえた声に、ネルゴットは微かに焦りの声を漏らす。
「違いますネルゴット様! 救援です!」
近くにいた騎士が指さす方向へ馬の疾走を止めないまま顔を向けた。自分達のやや左後ろ。壁のように塞がる山脈の麓から、騎士達の姿がこちらに向かってくるのが見えた。巻き上げられた雪で見にくいが、その軍勢が掲げている旗の紋章は、間違いなくエル地方領の隣、ノゴ地方領の紋章だった。
「なるほど! あの道を使ったのね!」
エル地方領の地理が全て頭に入っているネルゴットは、騎士団がなぜあそこから姿を見せたのか一瞬で理解した。その頭の片隅で、なぜ他領の人間があの道を知っていたのだろうか、と疑問を感じる。しかし誰か城の人間が教えたのだろうと、今はそんなことより救援が来てくれたことが大事だと思いなおした。思わず笑みが浮かぶ。
「救援が来たぞ! この戦い、勝てる!」
ネルゴットの鼓舞に、周囲の騎士達は一斉に声をあげた。
ついにエル地方領の騎士団が雪を巻き上げながら突撃してくるのを見て諦めかけたマルヒンだったが、その後遠くから聞こえた声に俯きかけていた顔をあげた。
すると彼から見て右手側の前方に影が見えた。それは最初遠くて見えなかったが、その集団が掲げる旗が見えたとき、彼は喜びの声をあげた。
「あの紋章は! よし、これで勝てるぞ!」
さっきまで青い顔をしていたマルヒンだったが、その心に一筋の光明が射し込んだ。
彼は上司からこの任務を言い渡されたときのことを思い出す。
(封蝋というのはどういうものか知っているね)
(はい。手紙を閉じる封蝋に刻まれている紋章は、その貴族の所属を表します。ですが、その紋章は見覚えがありません)
(そうだろうね。これはボラス王国の貴族のものだから。よく覚えておくように。これはボラス王国ノゴ地方領の紋章……協力者の紋章だからね)
マルヒンから見るとノゴ地方領の紋章旗を掲げた集団は、先行している騎士団より遅れているようだった。このままでは彼らが追いつく前にこちらと接触してしまう。
マルヒンは慌てて指揮をはじめた。
「全軍前進! 急げ! 相手を止めるんだ! 動かない農民どもは後ろから矢を射ってでも進ませろ!」
イヴュル帝国軍が雪崩をうって移動を始めた。
「なぜ進む必要があるのかしら?」
前へ進み始めたイヴュル帝国軍を見て、ネルゴットは疑問を浮かべた。
すでに敵は陣形を整え、大量の人間を壁として待ち構えていた。左右を高い山脈に阻まれ、地面も隆起しているところが多数あり、自由に動き回れるような余裕は無い。絶対にまずは正面から激突するしか方法がなかった。なのでそのまま待機していればいいはずだった。
陣形というのは整えられている状態が一番効果を発揮する。訓練も受けていない人間達を動かせば、必ずその陣形に綻びができるのだ。
「あの人の壁は、私の魔法を消耗させるためのもの……」
ネルゴットの魔法は強力だが、無敵という訳ではなかった。魔法はネルゴットの集中力と体力を必要とするのだ。例えば魔法を使っているときに気を失ってしまえば消滅する。気絶しなくても何かの拍子で驚くなどして集中力が乱れれば、その時点で魔法は消える。さらに魔法は自身の体力を奪っていく。炎の鳥を出現させているだけで徐々に体力は削られ、鳥の口から火の玉を吐き出させればより多くの体力が失われた。絶大な威力の魔法だが、限界でも十回程度しか使うことができないのだ。
「大丈夫かしら……」
不安が頭をよぎる。蛮族の討伐でたしかに彼女の魔法は何人もの敵を倒したが、最終的に彼らを追い返したのは騎士達だった。彼女はその魔法で蛮族の群れに穴を開けただけ。そこに騎士達が突撃し、混乱した蛮族を殲滅したのだ。
「いいえ。弱気になっては駄目」
精神力で不安を吹き飛ばす。救援が到着したのだ。これで負けるはずがない。
「私が道を開きます! 続きなさい!」
愛馬の速度を上げる。一人抜け出したネルゴットを、他の騎士達も馬の腹を蹴って追いかける。騎兵達の先頭でネルゴットは片手に持った剣を頭上に掲げた。
ネルゴットの頭上に、突然巨大な炎の塊が出現する。炎は音をたてて燃え盛りながらさらに増大し、横へ広がるとそれは羽に変化し、縦に伸びた炎は首と頭に変化した。その姿は大人が十人手を広げたよりも大きい羽を持つ炎の怪鳥。イヴュル帝国で言う、獄炎鳥だ。
その巨体と威容を目にしたイヴュル帝国の民達が思わず足を止めるが、後ろから聞こえた騎士の叫びに再び前に進むしかない。
「止まるな、進め! 立ち止まったやつは殺してやるぞ!」
マルヒムの指示通りに矢を射かける騎士。それは威嚇のためだったので上空へ向けて放たれ、矢は放物線を描いて男達の足元へ突き刺さった。偶然刺さらなかったが、次は誰かに刺さるかもしれない。男達は顔を青くさせると、巨大な炎の鳥に向けて足を進めた。
「逃げてはくれなかったわね。訓練を受けていない人間ならと思ったのだけれど、甘くなかったわ……」
覚悟はしていても、やはり無力な人間を殺すことに抵抗がある。しかし馬の疾走を緩めることはしない。もう目の前に人の壁が並んでいる。
「私を恨んでもいいわ。それでもこの場所を守ってみせる!」
ネルゴットが叫ぶと炎の鳥は口を開き、巨大な火炎弾を吐き出した。それは男達が密集している場所に着弾し、直撃した者は一瞬で黒い炭になり、爆発の衝撃波は周囲の人間の体を吹き飛ばした。絶叫があがる。
一度に何十人という人間が死傷したというのに、彼らは止まらない。傭兵などは逆に鬼気迫る顔で勢いよく走ってくる。剣を振り上げて走る姿は、まるで狂人だ。
「もう一度!」
ネルゴットは再び巨大な炎を発射する。爆発音とともに人の体が宙を飛んだ。
「突撃!」
ネルゴットが開けた穴に、馬に乗った騎士たちが疾走する勢いのまま突き刺さる。彼らの構えた槍が男の胸を貫く。貫かれなかった者たちも、馬の突進に耐えられるはずもなく弾かれ、脚で蹴り飛ばされる。そのまま絶命した人間も多い。
悲鳴と怒号が交差する。傭兵が騎兵に飛びかかろうとして逆に切り倒された。逃げようとした男が後ろから来た者に弾き飛ばされ、転倒したところで踏み潰される。一瞬で何十人もの命が消えた。その数は増え続ける。
突っ込んだ騎兵達は槍のように人の壁を突き進んだ。しかし突き破ることはできず、その半ばで停止してしまった。包囲された状態となり、左右から敵が襲いかかる。
クワや鎌を手にして襲いかかる人々を、槍と剣で馬上から切り捨てる。訓練などしたことがない農民は騎士達の敵ではなかった。傭兵も騎士との実力差がありすぎた。まだ一人の死傷者をエル地方領騎士団は出していない。
しかし数は圧倒的にイヴュル帝国側のほうが多い。たった百の騎兵隊は足を止められ、このままでは押しつぶされてしまう。そう思われた時、背後から歓声があがった。ネルゴット達の後ろを走っていた騎士達が追いついたのだ。彼らはイヴュル帝国軍へ踊りかかる。
絶叫と赤い血が撒き散らされた。剣を血で濡らした騎士は、叫びながら次なる敵へ剣を振るった。
すでに何人も剣で切り伏せたネルゴットは、再び火炎弾を発射した。人が吹き飛び、前に隙間ができる。
「進めっ! このまま貫いて敵後方の本隊、イヴュル帝国の騎士を攻撃する!」
ネルゴットの命令に騎士たちが答えると、それぞれ武器を構えて突撃準備をする。
それを確認すると、ネルゴットはもう一度魔法で攻撃するか逡巡した。すでに三回も使っていて、体力はかなり消耗していた。限界までやればまだ数回使えるが、そうなると気絶してしまうかもしれない。そうなってしまえば確実に命を落とすだろう。
悲鳴と武器どうしが激突する音に混じって、近づいてくる足音が聞こえた。ネルゴットがそちらへと顔を振り向けた。
見えたのは紋章旗を掲げた集団がすぐ近くまで来ている光景だった。位置は左翼の部隊の左後方。歩兵と足並みを揃えていた騎兵達がその速度を上げた。
「絶好の機会ね。これで後方を気にしなくてもいいわ」
ネルゴットは迷うことなく炎を発射した。さらに広く前方に道ができる。
「さあ、突撃よっ!」
「ネ、ネルゴット様!」
駆け出そうとした瞬間、騎士の切羽詰った声を聞いて手綱を緩めた。訝しげに振り返ると、騎士はあらぬ方向を見て呆然としている。
その方向へ目を向け、ネルゴットは驚愕に口を半開きにしてしまう。救援に来たはずのノゴ地方領騎士団が、仲間であるはずのエル地方領左翼の部隊に襲い掛かっていたからだ。
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