第十四話

 ネミールの母親ネルゴットの旧姓は、ネルゴット・ハヌ・ロダ。武人として有名なロダ家の貴族に産まれた。

 ロダ家は何代も前からボラス王国に仕える騎士を多く輩出してきた。それも実力が傑出した者をどこよりも多く。そのため王や他の貴族達からの信頼も厚く、それに恥じない成果を常に出してきていた。

 そんな彼女と結婚したのが、エル地方領主トイ家のルカールである。

 二人の出会いはありきたりと言えばありきたりだった。ボラス王子の誕生日を祝うため行われた王城での晩餐会でのことだ。

 ネルゴットは有名な貴族であり、女性でありながら二十歳前に王城を守る騎士親衛隊に抜擢されている。王の信任厚く、そして貴族の身分も申し分ない上に容姿も優れていた。あらゆるところから結婚の申し込みは途切れず舞い込み、華やかな晩餐会となれば老若男女問わず人間が群がってくる。

 しかしそんな状況に、ネルゴットは非常に嫌気がさしていた。いっそのこと家を出て傭兵になってしまおうか。そう思い悩んでしまうほどに。

 話しかけてくる者たちを貴族らしくさばくことに疲れたネルゴットは、酔ってしまったと嘘をついて抜け出した。これを幸いに部屋へ誘う男達もいたが、望んで覚えたわけではない男をあしらう技術でかわす。

 ネルゴットは賑わう晩餐会の会場から離れ、照明が少なく暗い王城の中庭へ逃げた。ここは密かに恋人や愛人と過ごすには良い場所で、そこかしこの茂みから人の気配がする。

 騎士として優秀なネルゴットはどうしても気配に敏感だ。男女が囁き睦み会う空気に唇を歪めながら歩く。大きく膨らんだスカートは歩きにくく、その裾が土に汚れるが気にしない。とにかく一人になりたかった。

 前方に誰かがいるのが見えた。小さな噴水のへりに男が座っている。彼はネルゴットの姿に気付いた。

「こんばんわ、お嬢さん。あなたもお一人で」

 これがネミールの両親、ルカールとネルゴットの初めての出会いだった。

 初対面の二人だがその後手紙を頻繁に贈りあう仲になり、数年後結婚する。

 二人の結婚は猛反対された。まず身分が違いすぎた。ネルゴットは有名貴族の娘で騎士親衛隊に所属するエリート。かたやルカールは辺境の名も無い領主だ。いくらルカールが貴族だとしても、どうしても見劣りする。

 そして強硬に反対したのが、ネルゴットを狙っていた者たちだ。結婚することでロダ家と繋がりを求める者、武人の家系である有力な血を手に入れたい者、彼女の容姿に惹き付けられた者。それら無数の人間達が二人の結婚に異議を唱えたのだ。

 しかし二人の思いは強固だった。結婚を認めないだけでなく、ルカールを蔑む言葉を投げる貴族達に激怒したネルゴットは、ついに家を出るので勘当してくれと父親に迫る。その対応に苦慮した父親は王に相談し、最終的に王の言葉をもって二人は見事結婚することとなった。


「お父様と出会ってから結婚するまでの話は、よくお母様が話してくれたの。全然結婚を認めてもらえなくて大変だったって……お母様は一度本当に家出をしようとしたけど、すぐ見つかって連れ戻されちゃったりもしたんだよ。それでね……」


 ルーカルとネルゴットが結婚してから数年後、二人の子供が産まれる。ネミールだ。

 無事産まれたネミールは病気などすることなく、すくすくと成長した。周りの人間はネルゴットと同じく騎士にしようと考えたが、母親はその意見を一蹴した。「こんな可愛い娘に危ないことは絶対にさせない!」と、まさに目に入れても痛くないといったほど過保護に育てる。父親も同様だった。

 落胆した人々はネミールが成長すると、再び喜びの声をあげた。ネミールが魔法を使ったからだ。

 魔法を使える人間は千人に一人といわれている。神話によると何万年も昔に精霊と人は交わり、その血が濃い人間が魔法を使えるとされていた。

 ネルゴットも幼少のころから魔法が使え、成長とともに魔法は強さを増して十二歳になるころには世界屈指の魔法使いとなっていた。彼女が親衛隊に抜擢されたのは剣の実力だけではなく、その魔法の力も関係している。

 なのでネミールも母親と同じほどの魔法使いになると期待されていた。しかし五歳から使えるようになった魔法は成長しなかった。元々魔法というのは個人によって力の大きさも効果も様々で、鍛えようと思って鍛えることができるものではない。世の中には一滴の水を出す程度の魔法しか使えない魔法使いも存在しているのだ。

 ネミールの魔法は、手の平に乗るほどの火でできた小鳥を生み出すだけのものだった。母親のネルゴットとは比べるのも馬鹿らしいほどの魔法だ。

 落胆した周囲の人間は、心無い言葉を投げつける。

「無能な娘」「できそこない」「いらない子供」「母親の血に濁った父親の血が混じったからだ」「だからあの二人の結婚には反対だった」などなど。

 もちろんルカールとネルゴットはネミールを愛していた。強力な魔法が使えないことなど、何も問題だとは考えていない。

 しかし子供は敏感だ。騎士や使用人の噂話を耳にすれば、それが自分のことだと理解する。

 初めてそれを知ったときは衝撃で混乱し、落ち着いてくると悲しみと両親への申し訳なさでベッドのなかで泣いた。両親やアイリーンにはそれを見せないようにしようとしたが無理だった。三人は困ったような、彼女を労わるような微笑で慰める。

 ネミールは自分がどう言われていてもかまわなかった。ただそのことで父親と母親が悪く言われることが我慢できなかったのだ。

 貴族は定期的に何かしら集まることがある。エル地方は辺境なのでそれほど多いわけではないが、それに初めてネミールが行ったときのこと、とある貴族の子供が言った。

「おまえって、できそこないのいらない子供なんだろ」

 陰口では聞いていたが、面と向かって言われたのは初めてだった。驚きのあまり何も反応できない。それが面白くなかったのか、笑っていた貴族の子供はつまらなそうな顔になると、すぐにどこかへ行ってしまった。

 賑やかな会場でただ呆然と立っていると、母親のネルゴットがその姿を見つけた。

「どうしたのネミール?」

「……ううん。なんでもないよ……」

 ネミールは母親に笑顔で答えた。


「……そのときは何も考えられなくて、でもしばらくするとその言葉がずっと思い浮かんで大変だったよ……ゴホ」

 エインの背中に縛られているネミールは自嘲の笑みを浮かべた。

「それは、腹が立つね」

 エインの言葉にネミールは首を振る。

「ううん。私は……怖かった」

「怖い?」

 エインは首を回し、背後へと疑問の目を向けた。

「うん。怖かった。私はもしかしたらお父様とお母様にとっていらない子供なのかもしれないって考えたら、怖くて怖くて……ゴホッ。そのせいでしばらく夜はなかなか眠れなかったなあ……ゴホッ」

 やっと眠れたと思ったら悪夢を見る。父親と母親に置いていかれる悪夢だ。

 ネミールは真っ暗な闇の中にいる。地面も空も無い。ずっと遠くに父親と母親の背中姿が見えた。

 足がなぜか動かない。必死で手をのばす。叫ぶ。

「お父様! お母様!」

 声が聞こえていないのか、両親は止まらない。そのまま歩いて遠ざかっていく。だんだん姿が小さくなり、ネミールは一人闇に取り残される。

「イヤあっ!」

 そこでいつも目が覚めるんだ、とネミールは笑った。

「最近はあまり見ないけど、あのころは毎日だったから寝不足で……勉強を教えてくれる先生にもよく叱られてばっかりだった……ゴホゴホッ」

 ネミールが大きく咳き込む。

「お嬢様!」

 馬にしがみついているアイリーンが悲鳴に近い叫び声をあげる。

 ネミールの顔は真っ赤で、大量に汗をかいていた。明らかにかなり体温が上がっている。馬車から風が吹き付ける外に出たせいで、体調が悪化してしまったようだ。

「ああ、なんて辛そうなお顔! 止まってください! お嬢様を休憩させなければ!」

「無理。そんな場所は無いよ」

 ここは人里離れた山の中だ。休憩できるような建物など皆無のうえ、風と寒さを防げる洞窟や洞穴などが都合よくあるはずもない。馬車は置いてきてしまったので、その中で休むことも不可能だった。

 風はにわかに強くなり、曇った空から白いものが落ちてくる。

「とにかく村に行くしかないんだ。風と雪がもっと強くなる前に到着しないと」

「そんな! ああ、もう! こんな事ならあなたの言うことなど無視すればよかった!」

 馬の首に腕をきつく回しながら、ネミールは叫ぶ。そんな彼女に気付くことすらできないネミールは、目を閉じてふうふうと荒い息をしていた。

 山の中を三人と二頭の馬が進む。会話はなく、口からは白い息が漏れるだけだ。

 これまでずっと山の斜面を登っていたが、今度は下っていく。

「ここまでくれば、あと少しだよ。がんばって」

 エインの言葉に背中のネミールは朦朧としながら頷く。すでに声を出す余裕すら無くなっていた。顔の汗が冷気で白く凍り付いている。魔法で小鳥を出せば多少は温まれるだろうが、意識が朦朧としている状態ではできない。魔法は集中力を使うのだ。

「お嬢様、気をおたしかに! もう少しです!」

 木々がまばらになってきた。斜面の角度も緩やかなものへと変化してきた。

「ここからは馬に乗っていこう。雪も強くなってきたし、急がないと」

 エインは背中にネミールを背負っているというのに、簡単に馬の背中へ飛び乗る。馬は子供二人分の体重程度ではびくともしなかった。

「そっちの馬は僕が引っ張る。落ちないように気をつけて」

「私よりお嬢様の心配をしてください! とにかく一刻も早く村でお嬢様を休ませないと!」

 エインはそれぞれの手に手綱を握ると、馬の腹を蹴った。早足で二頭の馬は進み始めた。片手だと言うのにエインは見事に馬を操る。

「……お母様」

 そうつぶやいたネミールの目元には小さく涙が光っていた。

 山から抜け出し道に出ると、エインは馬を早足から駆け足にする。さすがに一人で二頭の馬を扱うのは難しく、全力疾走させるのは難しかった。それに全力で走らせると、なんとか馬にしがみついているだけのアイリーンが落ちてしまうかもしれなかった。

 雪はさらに強くなる。風はそれほど強くないが、馬に乗っていればほとんど関係なかった。顔に受ける風は冷たく痛い。

 村が見えた。木の柵に門。これまで通ってきた村と変わりなかった。

 騎士達の姿は周囲になかった。どうやら先回りできたようだ。馬を走らせながら村へ入る。

「あんれ、エインじゃないかえ?」

 村に入ったとき、そう声をかけてきた人物がいた。その声が聞こえたのでエインは馬を止める。

「どうしたんかのう、馬なんか乗ってえ?」

「ナオばあちゃん」

 それは腰の曲がった老婆だった。白髪は薄く、顔はしわくちゃだ。木製の杖を持っている。

「久しぶりじゃのお。最後に会ったのは何年前じゃ?」

「二年前だよ。ねえ、ナオばあちゃん。ちょっとお願いがあって、今日家に泊めてほっしいんだけど。いい?」

「そりゃあ大歓迎じゃよ。その子らもかの」

「うん」

「……とにかく、お嬢様を早く休ませてください……」

 アイリーンの声は弱々しかった。ずっと馬にしがみついているのは、もう体力の限界だった。寒さと疲労で腕が小刻みに震えている。エインの背中のネミールも辛そうだ。

「こりゃあいかん。さあ、こっちじゃよ」

 老婆の案内で家へ招かれる。その家は小さいが風雪をしのぐには十分だった。暖炉もあるので暖かい。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

 アイリーンはベッドへ運んだネミールを心配そうに見下ろす。濡らした布を火傷するように熱い額に乗せる。少女の息は荒く苦しそうだ。

「ハア、ハア……」

「もう大丈夫ですからね。ゆっくり休んでください」

 アイリーンは労わるように手をネミールの頬に添える。発熱しているため熱い。

 扉が開く音がした。エインが部屋へ入ってきたのだ。

「体調は?」

「……最悪です。お嬢様がこんなに苦しそうに……まったく、あなたはお嬢様のことを乱暴に扱いすぎます! 領主の娘なのですよ。もしお嬢様に何かあればあなたの命など簡単に無くなります。というか、私が始末します。すでにもう私の怒りは頂点に……!」

「ネミールじゃなくてアイリーンの体調。早く着替えないと同じように倒れるよ?」

 アイリーンは家に入るとまずネミールの看病を始めた。ベッドの場所を聞くとネミールを抱えて部屋へ飛び込み、汗で濡れた服を着替えさせて寝かせる。そして井戸の位置を聞くと桶を持って飛び出し、汲んできた水で布を濡らしてネミールの額へ置いた。

 それがさっきまでの事。アイリーンはまだ濡れたメイド服のままなのだ。このままでいれば体調を崩してしまう。

「着替えてこっちの暖炉で温まろう」

「私はお嬢様を見ています。着替えますから出ていってください」

 アイリーンは鋭い目でエインを睨む。ネミールを寝込ませた原因である少年に、非常に怒っていた。大人でも怯みそうな視線を、少年は一切気にしない。

「これは水。それでコレを飲まして」

 エインは水差しと器をベッドの横の台へ置くと、小さな黒い粒をアイリーンへ手渡す。それを手の平に乗せて、訝しげにアイリーンは監察する。

「何ですかこれは?」

 それは指でつまめるほどの小さな丸い物体。真っ黒で固い。かすかに鼻を刺すような臭いがある。

「じいちゃんは丸薬って言ってた。山にある薬草や、動物の乾燥させた肝とかをすり潰して固めたもの。病気に効く」

 その説明を聞いてもアイリーンは信用できなかった。得体の知れない黒い粒を、眉間に皺を寄せて睨む。

「村の人もみんな飲んでた。病気だけじゃなくて腹痛や頭痛、なんでも効果があるよ」

「他の薬はこの村にないんですか?」

「たまに行商人が来て薬を売ってるけど、高くてなかなか買えないからないと思う。ナオばあちゃんにも聞いたけど、無いってさ」

 アイリーンはぐっと唇を噛む。

 ネミールを見ると、非常に苦しそうだ。それを見るのは忍びない。だがこんな得体の知れない代物を飲ませていいものなのか。村人とは違ってネミールの体は繊細だ。しかし他に方法が無い。城を出発する前まで時間を巻き戻し、ちゃんとした薬を準備して持っていきたい。しかし、そんなことは不可能だ。

 過去の自分を後悔しながらネミールの上体を抱き起こす。そして「すいませんお嬢様」と謝りながら、荒い息をくり返す口に黒い丸薬を押し込み、器に注いだ水を飲ませる。少し口からこぼれたが、ネミールは丸薬を飲み込むことができた。一瞬閉じたまぶたが震えたが、それだけだった。

 アイリーンはほっと胸を撫でると、口からこぼれた水をハンカチでふき取って再びベッドへ寝させた。

 それを見届けたエインは無言で背中を向けると部屋から出て行く。それに反応することなくベッドの横に膝をついた状態で、アイリーンは一心に眠るネミールを見つめ続ける。そしていつしか眠りへと落ちていった。

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