第10話 THE・リハビリ
お久しぶりでございます。牡羊でございます。
やっと物書きが出来る環境が微量ながら戻ってまいりました。が、時間が空きすぎてどうやって物語を書いていたのか全く思い出せません(汗)。
皆さんはそんな経験、ありませんか? 昔は時間も忘れて夢中に取り組んでいたけれど、暫くその事柄から離れてしまうと、なぜあんなに夢中になって取り組んでいたのか思い出せなくなったり、そもそもどうやってそれに取り組んでいたのか思い出せなくなったり……。イメージとしては、”昔やっていたゲームの操作方法を忘れる”みたいな感じです。
原因は、実生活が忙しくなって時間がなくなったり、いろんな意味で”さめた”り、突然のスランプだったり、ただの中だるみ症候群だったり……。
あ、突然PCが壊れたり(思い出したかのように)。
問題は、その取り組んでいた事柄が趣味の範囲であるか、仕事であるかってことです。仕事であるなら、そこに大なり小なり責任が生じますから、その責任を解消しなければなりません。仕事を辞めるかどうかはその後です。
ですが趣味の場合、そこに責任は生じません。その趣味に仲間が絡んでくる場合であっても、客観的に見ればそれは個人の自由ですので、負うべき責任はありません。そのぶん、復帰の是非は本人の意欲に左右されます。これが中々難しい。
趣味にも責任が加われば、復帰の可能性は見えてくるように思えますが……。
……正直、趣味なのに責任ってどうよ……何のための趣味だよ……。
そんな矛盾が生じてしまっては、元も子もないというか、本末転倒です。趣味とは本来、楽しむためのものであるはずなのに。”責任を感じることが楽しい”と文字で書いてみると、相当な
ならばどうすればよいのか。
……どうすればいいんでしょうね。
私は結局、その回答が出せないままカクヨムに戻ってまいりました。多分、答えはその人それぞれなんでしょうけど、私の場合はどうだったんでしょう?
「人の生きる意味を探すことこそ、人の生きる意味である」という、ある意味答えになっていて、ある意味答えになっていない言葉があります。こういったような曖昧な答えではなく、もっとはっきりとした回答があるはずなのですが、これがなかなかどうして見つからない。そもそも、見つかったからといってそれがどうなるとも限らない。
たった千文字書くだけでも、私の考え方は様々な方向にうつろいでいます。考えは纏まることなく、行ったり来たりを繰り返し、その状態が正常なんじゃないかと錯覚してしまいそうにすらなってきました。
それもまた~~、なんて脳死な答えを出したくはない。いまのうつろう私の中で、全く変わらないのはそんなプライドに似た流儀だけです。けれど、そんなものでも変わらずにそこにあるということは、それだけで心地よいというか、安心できるものですね。邪魔だと思える半面、有り難いと思えるもの。まるで、私と腐れ縁で繋がっている者のような。
さて、気付けば内容が鬱よりになってしまっていまいましたが、そろそろリハビリを終了する時間です(現時刻的な意味で)。このエッセイだけは定期的に更新される予感があるので、どうか付き合ってやってください。
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