第8話 嫌いなものに限って、わりとある例外。

 私は人間が嫌いです。と、冒頭一行目に打ち込んでは即、BackSpaceキーを長押しては別のことを書き込んでいたので、自分の中では何度もそう言ったつもりでも、実際に投稿した文章には2回しか書いていませんね。


 人間嫌いな私は先日、母校の部活動に顔を出しました。部室に入った瞬間、衝撃を受けました。

 現役時代には週3回も部活をサボっていたのに、部員からは私の名を呼ぶ声と歓声が聞こえたのです。それに嬉しさと恥ずかしさを覚えながら、私は見知った後輩たちに挨拶し、新入部員たちと軽く自己紹介を交わし、なんやかんや指導しながらそのひと時を過ごしました。

 そして部室を後にした私に、ある一つの感情が顔を覗かせました。


 また、来たいな。


 そう、人間嫌いの私が「また会いたい」と思ったのです。これには私もビックリですよ。現役時代は「はあ、またあいつらに会うのか……」と、部室を避けていた私がですよ!?(知らんがな)。


 そんなわけで、私には嫌いじゃない人間がいることがわかりました。基本的に人間嫌いなことには変わりはないですが、これは大発見です。

 

 と、書きはしたけれど、普通に考えてみればそれは当たり前のことです。人間全員が嫌いなら、私は友人を作ることなどできませんからね。極僅かですが、私にも友人というものは存在しますし。



 こういったものって、意外とありますよね。全体では嫌いだけど、ごく一部では嫌いではない、といった感じ(当然、逆もまた然り)。例えるなら、小説というカテゴリーは好きだがこの作品は嫌い。あるいは、犬は好きだが、向かいの家の犬だけは苦手。みたいな。


 人間という生き物は、こういった区別をつけるのに結構な時間がかかってしまうものです。向かいの犬に噛まれてからというもの、犬自体が嫌いになったりだってしますよね。あくまで原因は「向かいの犬」なのに、「すべての犬」に対して嫌悪してしまう。〇〇嫌いの典型的なパターンですよね。


 私の人間嫌いの原因は、小学生の時の無駄に我の強く、不完全な正義感をもった同級生と、私とは運動能力も成績も正反対な身内と、それを言外に指摘し比較する周りの人。あと、絶えることのない犯罪者たちでしょう。それらの人数が多かったことと、田舎で閉鎖的な空間だったこととが祟って、それに該当する人と該当しない人との境目が見えなくなったために、「それらの人」ではなく、「すべての人間」が嫌いになったのかもしれませんね。


 さて、原因がわかったからといって、すぐに人間嫌いが治るわけがありません。それこそ、物語の中にあるような大それたイベントがなければ、克服なんて簡単にできるわけないです。そもそも、最近は私自身「人間嫌い」がアドバンテージだと思っている気がありますから、治すつもりは毛頭ないです。


 それよりも、いま自分が嫌いではないものを大切にするほうが賢明な気がします。仕事や私生活に相当な障害が無い限りは、無理に好きになろうとしなくてもよいです。小説を書くのも、無理をして書こうとせず、気分が乗っているときだけ書けばいいと思います。そして、小説を書くことが何かのきっかけで嫌になったって、無理に復帰しようとしなくてもいいのです。皆が皆、逆境を力に変えられるわけではありませんからね。


 さあ、深夜書きしたせいで文章にまとまりがなくなったので、今回はこの辺で筆を休めることにしましょう。

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