第7話 タイムリミット

 私は幼少期から、他人を気遣う能力には長けていました。言い方を変えれば、他人の顔色を窺う能力が。他人の邪魔にならないよう、他人の役に立てるよう、他人が不利益をこうむらないよう、他人の利益になるよう……。

 

 それが私を疲れさせ、私を人間嫌いにしたのでしょう。最近、このエッセイを鬱病のカウンセリングみたいに使っていて、私はこの一週間で私を知ることが出来つつあるようです。高校のときにあれだけ悩んだ時間はなんだったんだ……。


 『時間』という単語を使ったことで、ある言葉を思い出しました。これは、私の祖父が私にくれた言葉です。


 ほとんどの人間に与えられた時間は80年。ほぼ1世紀近い時間があるのなら、10年くらいドブに捨ててもバチは当たらない。


 当時(といっても1年前のことですが)、その言葉のおかげでどれだけ私が救われたでしょう。私は将来、祖父の跡を継いで農業を継がなければなりません。問題は、いつ継ぐのかということ。高校を卒業し2年間研修、あるいは農業大学校を卒業した一年以内に就農すれば、国から補助金が支給される仕組みがあります。農業という名前のせいで隠れていますが、要は新しく会社を立ち上げるのと同じで、初期投資にどれだけお金を掛けられるかが大きな問題になってくるのです。


 つまり、私には残された時間が少ないのです。具体的にはあと2年。また、祖父がいつまで生きていられるか、いつまで私に技術を継承できるか、といった時間制限もあります。当時の私は焦りました。お世辞にも、祖父は若いとは言えません。いつ、その時が来るかも分からないのです。


 小説だって書きたい。でも、そんな余裕なんてなかった。そんなときに、祖父が私にこの言葉をくれたのです。私はその言葉で焦りを拭いされました。余裕はなかったのではなく、焦ったがために無いように見えていただけだったのです。祖父だって、今もしっかり遊びに行ったり、飲みに行ったりしているじゃないですか。


 私は小説を書いていこうと思います。私が生まれてきて、他人の為ではなくやっと自分の為に行動できるようになれるかもしれないのです。その時間が無駄になっても、そこで全てが終わるわけじゃない。私の人生はあと60年はあるかもしれないのです。もしかしたらSFの世界みたいに、延命技術が発達してもっと長生きできる世界になっているかもしれません。……そもそも、小説を書く時間をドブに捨てた時間だとは思いたくはないです。


 

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