九冊目  白

 おばあちゃんが死んだ。

 それはとても唐突で、いつかは訪れるとわかりきっていたことだ。



「なあ、このお人形さんおばあちゃんと一緒に入れたげようておもてんねやけど」

「?なんの?」

 父は「これよ」木目込みの雛人形を私の眼の前に差し出した。なぜかお雛様単体だ。単体と言っていいのだろうか。じゃあ一人、かな。心を射抜くようにまっすぐ私を見ている。

「おばあちゃん、このお人形さんめっちゃ好きやったんやけど、知らん?」

「………知ってる様な、知らんような」

「あ、そう。」

 父はそう呟いて、私の眼の前に差し出した雛人形を、抱えるように持った。

「まあ、しゃあないな。かれこれ十年おうてないもんなあ」

 そうなのだ。私は幼い頃はおばあちゃんの家の近くに住んでいたのだが、父が十年前に転勤した折、家族で引っ越したのだった。

 おばあちゃんは父方のひとで、父の弟さんが大のお母さんっ子だったらしい。おばあちゃんの生活は妹さんに任せていた、と、今になって父からついこの間聞いた。

「せやかてよう生きたなあ、うちのお母はんは」

 少し寂しそうに、父は笑った。

 そう思っている私に父は「せやからほれ」お雛様を差し出した。

「ちょっと持っとき」

「なんでえな。おばあちゃんのやねんやろ?お棺に入れるんとちゃうん」

「まあせやけどな」

 父は思わせぶりににやっと笑い、こう言い残した。

「お前もそれ、好きやったんやで」



 おばあちゃんは贔屓にするということを嫌う人だった。沢山いる孫や曾孫に対しても、分け隔てなく厳しかった。それを怖がって、おばあちゃんの部屋に行く子はいなかった。

 おばあちゃんは手先が器用な人だった。可愛らしいぬいぐるみ、ビーズで作ったコースター、毛糸で編んだ白蛇、どれも私はだいすきで、よくねだったものだった。

 おばあちゃんはそんな私を見て、「わざわざ自分からこの部屋に来ることを選んでいるから」私におやつを食べさせてくれたり、作った物をくれたりした。


「なあ、父ちゃん」

「なんや?いまちょっと忙しいんやけど」

「なんでこのお雛さん、一人だけなん?」

「ん?なんやどういうことや?」

「雛人形ゆうたら少なくともお内裏様もおるやろ」

「ああ、それなあ。なんかな、わけたんやて」

「なんで?誰と?」

 また父はにやにやする。

「むかーしにな、好きやった人がおったんやってな」



 お雛様をおばあちゃんと一緒にしてあげるのか、迷い続けていた。

 そんなこんなで式の前日になってしまった。

 親戚の人や、遠くから来た人は泊まる予定で早々と顔を見せて下さっている。

 花を手向ける時に一緒に入れてあげることになっているからと父は笑う。思う存分迷いなさい。そう言っているように見えた。

 腕の中の色褪せない微笑は形変わらず私に凭れかかっている。ぼんやり彼女を抱えていると、私に降りかかっていた光が何かによって遮られた。

 顔をあげる。

 黒いスーツの男性がいた。

「あ、えっと––––––おばあちゃんの、お友達ですか?」

 男性は「ああ、いや」と言葉を濁した。

「生前、お世話になったから––––––その恩返しをしたくて」

「………?」

 死んでしまっているのにどう恩返しをするのだろう。

「あの、その子––––––」

 男性は私の腕の中の彼女をちらと見る。

「この子ですか?」

「ああ。それ、あの人のだろう?なぜ君が」

「あ、これは、おばあちゃんが大切にしていたものなんです」

「……………なんだって?」

 なんでそこまで驚くんだろう。

「じゃあ君はお孫さんなのかい?」

「え、ええ。それがどうか」

 男性の頬に、一筋涙が零れ落ちた。

 え。

「忘れて、いなかったのか」

 それ以上。

 男性の頬に涙が伝うことはなかった。

 その代わり男性は縋るように私を見、「頼みたい事があるのだけれど」そう言った。

「………なんでしょう?」

「君に凭れる彼女を、少しだけ貸してくれないか」

「え」

「何もしないよ。動かないし、盗んだりもしない。持ってそのオモイを感じたいだけだ」

「………思い?」

 私の呟きに男性は首を横に振る。

「いいや。オモイだよ」



 おばあちゃんには大切なものがあった。それはお雛様だった。

 木目込みの御人形はそこそこに年老いている筈なのにちっとも色褪せず、真っ白の肌を保ち、ぷくぷくの頬と切れ長の目が可愛らしかった。

「お前はよう似てるなぁ」

 そういって撫でてくれるその手が、指が、声が、本当に大好きだった。

「もしおばあが死んでもうたら、この子ぉら、預かってくれへんやろか」

「あずかるん?」

 おばあちゃんは私にある日、そう言った。幼い私はおばあちゃんのその言葉の意味がよくわからなかった。

「せや。預かって欲しいんや」

「なんで?」

 おばあちゃんは珍しく歯を見せて笑った。

「なんでもよ」



 おばあちゃんのお葬式は身近な人達だけで執り行った。特に仲の良かった友人さんに声をかけ、無理にとは言わない旨を伝えた。それでも重い体を起こして、多くの人が来てくれた。

 おばあちゃんは意外と顔が広かったみたいだ。

 おばあちゃんと同世代の人がいるのは勿論だが、若い人も多い。

 そういえば三味線で結構、有名だったみたいだ。

 優しい微笑みの人々がおばあちゃんに花を手向ける。

 その場に、男性はいなかった。彼女のオモイを感じて、去っていった。

 ちっとも色褪せない微笑みは私の腕の中にある。


『行かないの?』


 ああそうか。

 私は立ち上がった。


『「行かないとね」』


 駆け出した。



 私の腕の中にはちっとも色褪せない微笑みがある。その彼女は嬉しそうに笑う。


『だってほら。』


 背中が見えた。あと少しだ。

 私の足音を聞いて気がついたんだろう。男性は目を大きく見開いた。


 だってほら、


『ひとりぼっちは、寂しいじゃない。』


 私の腕の中にはちっとも色褪せない微笑みがある。

 可愛らしく小首を傾げて彼女は嬉しそうに笑う。


 九冊目 佰引く壱×××××

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