四冊目  影に問う

 それは驚くほど優しい夢だった。


 私には夢があった。暖かい陽だまりで眠る事だ。

 それが決して叶わない事は、私が既に知っている。その癖まだ夢を見る。優しい光に包まれて、私はすやすや寝息を立てる。そんなどうでもいい夢だ。


 私は居るようで居ない。ある様で無い。凡庸とした私の事は誰も知らない。ただの影よりもすぐに消えてしまう様な、か弱いものだ。それでもなんの因果か、私はまだこうして生きている。私の主人は余程物好きなのだろう。


 そんな主人に私は甘えているのだ。こんな私はとうに忘れ去られてもいい筈なのに、まだ主人は私を覚えて下さっている。お陰で消える事が出来なくなってしまった。喜ばしい筈なのに、何故か心苦しい。不確かな感情だ。主人に影響されている。


 私は主人が生まれた時からお側にいる。何をするでも無いが、次々と死んでいく同胞を見ていた、私。思えば異常だ。最近の人間は私を知らずに育っていくのが普通なのに、何故主人は私を知ったのだろう。そこがわからない。


 なあ、お前。陽だまりを見た事があるかい。


「ひだまり?なんだそれは。何かの隠喩か?」


 いいや、ひだまりはひだまりだ。空に浮かんでいるだろう、ぴかぴかしろい、あれだ。


「あれはひだまりじゃ無いぞ。太陽だ。おれ達の敵だ。あれに当たれば消えてしまう」


 でもとても綺麗だ。主人の背中越しだったが、とても綺麗だった。眩しかったなあ。


「それはお前、体が溶かされてんだよ。馬鹿だなあ、早く逃げろよ」


 なあ。取り留めのない話をしてもいいかい?


「あ?ああ、まあ良いが」


 なあ。お前、お前はさっき歩いていたな。だのに今は立ち止まり、座ったり、立ったりしている。全くもって節操が無い。


「俺は自分の意思でしてる訳じゃあないさ。主人に従ってるんだ。が、主人だってまた、自分の意思で動いているかといえば意外とそうでもない。蝉の抜け殻みたいな弱っちいものを俺は頼りにしているらしいな。だが、俺はなんでそうなのかわからないし、もわからないのさ」


 あははは。お見事だ。流石さすがお前だ。だがなあ。私はそれが嫌なんだな。主人の通りに動くなんて真っ平ご免だ。確かにお前の言うとおりだろう。私たちは主人なしでは生きられない、然しだな、主人の言うとおりに動いて主人の危機を見捨てるとなれば話は別だ。


「はあ?」


 影さんよ。私は陽だまりに行こうと思うんだ。


「は?なんで」


 もうすぐ主人は私の事を忘れてしまうよ。あの大鋏が主人を救いに来るから。


「は?」


 主人はえにしを失う代わりに、今までの様な不幸から逃れる事が出来る様になる。でもお前の事は忘れようが無いだろう?だってお前は影なのだから。


「大鋏………?何を言っているんだ?」


 私が頼んだんだよ。あんなに強くも無い癖に怪我ばかりして、あのままではいずれ死んでしまうよ。私は主人を救いたいんだ。


「ちょっと待てよ、おい!」


 なあ影さんよ。


『主人をたのんだよ。』






 それは驚くほど優しい夢だった。

 暖かい陽だまりで眠る夢だ。でもそれは最期まで叶わなかった。あの白い光の玉は私を焼き尽くすのだ。燃える体が私を蝕んでいく。

 そして私は気がついた。私の求めた陽だまりが何処にあったのか。私の愛した陽だまりは何処に居たのか。それはとても簡単だった。私の側にあった。いつだって私はそれと一緒だった。


 主人。貴方が陽だまりだったのですね。


 薄れゆく意識の中、私は精一杯主人に叫んだ。この声は決して届く事はない。主人。私の主人。どうか、私の事を忘れて下さい。精一杯生きて下さい。


 私のたいよう、あなたを救えてよかった。








 四冊目 ××問景

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