またのご来店をお待ちしております

 おや。もうお帰りです?

 楽しかったですか? そうですか。それはよかった。最初に言った通り、お代は頂きませんよ。必要ありませんから。

 またいつでもいらしてくださいね。

















































 ぱらっ。

 ぱらっ。

 ぱらっ。






























 十三冊目 言の葉狂い


「と、言うとでも?」

「…………え?」

 がたんっ。本棚に背中がぶつかった。

 何これ。知らない。こんなのシナリオにない。私の予定じゃない。知らないしらない、こんなのしらない。

 尻餅をつく。痛い。重い。重くない。

 目の前にいるこの人は誰。顔を布で覆うこの人は誰。私は誰。どうして私は立ち上がれないの。どうしてここから動けないの。どうしてここに私はいるの。

「あ、あなたは誰?」

「店主です。以後、お見知りおきを」

 怖い。怖い。怖い。

 なんで?なんで?なんで?

「いつまで見て見ぬ振りするつもりですか?」

 なにが?なにを?なんで?

「貴方、」

「言わないで!違う!違う!!!」

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。知りたくない。見たくない。


「×火、でしょう?」


「違う!私は違う、そんなんじゃない!私は人間なのに、ちがう、いやだ、いやだ、い、いやだ!」

「どうして?」

 顔を手で覆い、頭を抱えてうずくまる私を一瞥いちべつして店主は私が読んでいた十二冊の本の内から一冊を抜き出す。

「実は貴方にあわせて選んでおいたんですよ。貴方がお気に召すようなものを、最初からね。例えば一冊目、《その夢のくだんについて》––––––これは夢の話です。貴方のような妖怪が見えないものを、人間は見ているというお話です」

 その本を元に戻す。

 また一冊を手に取る。

「これは二冊目、《あめふり》––––––人を愛した唐傘の話。可哀想だと思いましたか?悲しい話だと心に芽生えましたか?苦しいと心が痛みましたか?それでいいんですよ。願わくば、貴方がそれでも誰かを愛する気持ちを抱いて欲しいのですが」

「––––––」

 その本を戻す。また一冊を手に取る。

「三冊目、《改竄とワラシ》––––––座敷童子。貴方に人を愛するにおいて、妨げとなる違いを感じていただければ嬉しいと思います」

「––––––さい」

 その本を戻す。また一冊を手に取る。

「四冊目、《影に問う》––––––罔兩問景もうりょうかげにとうから引用されたものです。人に尽くす妖怪は、惨めだと思われますか?」

「––––––るさい」

 その本を戻す。また一冊を手に取る。

「五冊目、《神隠れ》––––––神隠しから生じたものです。敢えて触れ合わないからこそ紡がれる縁もある」

「––––––うるさい」

 その本を戻す。また一冊を手に取る。

「六冊目、《きってむすんで、ひらいてとじて》––––––都市伝説。縁を断つ者の心、分かる事が出来ますか?」

「––––––うるさい!うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!もういいでしょうもう済んだでしょう!もうやめてよもう、もう、もう壊さないで、お願いだから、もう、もう暴かないで………!」

 その本を戻す。

「終わりませんよ。だってこれは」

「なに?私の為だからとか言うの?それならもうやめてよ、私は人間なんだって、そうやって信じていられた私をかえして、わたしを、わたしの時間を返して!」

 抱えた頭を掻き毟る。指に私の髪が絡まる。ぬとっとした感覚。もしかしたら血も流れている。いや、もしかしなくても、だ。

「違いますよ」

 店主は私の前にしゃがんだ。

 私は、耳を疑った。

「………は?」

「気が付いていませんでしたか? どのお話にも灯となるものが出てきているんです」

 洋燈ランプに街灯、灯篭、蛍光灯。

 暖かな光。

「全て、貴方ですよ」

「………うそ」

「全て、貴方がみてきたものです。––––––其れを全て、無かったことになさるおつもりですか」

 ぱらぱらぱら。外から雨の音がする。雨の匂いがする。湿った空気が生温い。まるで肌に染み入るようだ。

「此処がどうして古書堂でも書房でもなく貸本屋なのか、わかりますか?」

 ぱらぱらぱら。雨の音?––––––本当に?

 肌に染み入るこれは、雨の空気?

「それは、此処にある本は全て世界で一つしかないからなのです」

「………世界で?」

 顔を伏せたまま呟いた私の言葉に「ええ」店主は笑う。

「これは、生の形。貴方のように当事者と観測する者の記憶で構成される記録たち。俯瞰する観測者と、想いを綴る当事者の縁の繋ぎ目。貴方は、人として生きる為に定期的に元の姿になることで均衡を保とうとした––––––しかし、だからこそこの物語たちは消えかけています」

「きえかける………?」

「疑問に思われませんでしたか?」

 なにを?

 空白の多い物語。空欄の多い物語。

 それが何故かなんて考えたことも無かった。

「《貴方に、ほんの少しでも思い出せて頂ければそれだけでよかった。》」

「………?」

「《皆さん》の、望みです」

「……………」

「貴方が人でありたいと思うことを否定しません。それは素晴らしく尊い生の縁です。けれど、忘れないで下さい」

 ぱらぱらぱら。ああ、これは雨の音じゃない。


「貴方の見てきた物語は、貴方だけのものではない」


 これは––––––これは、この音は知ってる。


「貴方が忘れる事で無くなる縁を、見返すことのできなくなる記録物語を、惜しんで下さい。あやふやだから、薄れていってしまう記憶を、止めて置かせてあげて下さい」


 忘れたくないものほど––––––

 忘れていってしまうから。


「それでも貴方が、人でない姿をしていた時の記憶を無くしてしまいたいと思われるのであれば––––––もう、何も言いませんし、何もしません。貴方の縁と意思を尊重しましょう」


 私は。伏せたままで。それでも、伝えないといけないから。

「私は、––––––私は」

 人でありたい。

 それでも、そんな悲しい事は、

 哀しい、

 哀しい。

「私の、いま、こうしている事は、誰かの書いているお話になるんですか…………?」

「そうですね。恐らくは」

「改竄は、駄目ですよね?」

「そうですね。駄目ですね」

 それなら、もう駄目なんじゃないか。もう、何も、私には出来ないんじゃないか。

「––––––でもその代わり、編纂ならできますよ」

「編纂………?」

「そう。必要な部分だけ抜き出して、他を消しておしまいなさい。多少の変更も認められます」

 編纂。それで、物語が失われないなら。

 それなら。

「貴方が読まれた一番最後の物語の、《光に在って光に非ず》が、貴方のお話です。けれどその物語があることを知っているのは私と貴方と観測者だけです。だからまだ間に合います––––––どうしますか?」

 それなら。

 私は立ち上がり、最後に私が手に取った一冊を、もう一度抜き出して頁を開いた。店主の表情は見えない。けれど笑っているのだろう。私は十数枚の頁を纏めて持ち、握りしめ、


 ばりっ。





「さて、と––––––」

 店主は編纂された本を持ち、気を失った少女––––––否、の持つショルダーバッグにそれを丁寧に仕舞った。

 その本を紡ぐのは、彼女自身だ。

 からんからん。扉が開く。店主は来店者に声をかけた。

「今回は済まなかったな。多くの縁を切って貰った」

 店に来店したのは黒の直綴に絡子の御坊である。深く笠を被り、その顔は定かに見えない。

「嘘も方便、ですか」

 御坊は呟く。人聞きが悪いなと、店主は布の下で声をあげて笑った。

「例え何でもないと思われても仕方ない役柄だったとしても、登場人物が《自分が登場しなかったことにしたい》と望めばどんな物語も消失する。それはいくら何でも哀しいだろう」

 店主にとって、御坊は気兼ねなく話せる人物のようだ。口調がさっきとは打って変わって軽くなっている。

「哀しい、ですか。その言葉が貴方の口から聞ける日が来るとは」

「そうでないとでも思っているのか」

 うんともすんとも言わない御坊に店主は「確かに」と言葉を繋げる。

「全ての物語の観測者は俺であり、編纂者も俺だ。だからと言って自分好みの物語だけでこの店を埋め尽くそうとは思わないよ」

 只。

「うつくしくない物語は、消してしまうけどね」

 しゃきん。広い袖の中から音がする。御坊は何を持っているのだろう。御坊は踵を返し、再び雨の中へ消えていった。

 ぱらぱらぱら。雨はまだ止まない。

「––––––」

 店主は破り捨てられた残骸を拾い上げる。そして目を通した。

 ぱらっ。

 ぱらっ。

 ぱらっ。

 店主は目を通した後、


「––––––これは、駄作だ」


 ぱたん。


 



 物之花足部貸本屋。

 ようこそおいで下さいました、お客様。

 貴方のとっておきがそこにある。

 但し一つだけ。貴方のお話が奪われない様に、


 ×には、お気をつけて。


 十三冊目 本の×


 裏通りモノカタ貸本屋 了

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