ネタバレ
祖母が用意してくれた弁当は二つあった。秋人が持っていたほうはおむすびに卵焼き、ミートボールとウィンナー。それから佃煮といった御弁当の見本のような内容だった。
もうひとつはともえが受け取ったほうで、こちらはサンドウィッチや果物などのデザートが入っていた。
川原にブルーシートを敷いて四人は弁当を広げて昼食を行っていた。
「ばあちゃんな、最近サンドウィッチ作りにハマってるらしい。オレやじいちゃんは米派なもんで、あんまりパンを食べないんだが、アメリカ人の友人がくると言ったら張り切って作ったようで。なんでも、自家製のクリームチーズを塗りこんでてうまいとか……」
「アタシのために、作ってくれたの! ステキなグランマね。アタシ、そっちたべたーい!」
「どっちも美味そう……。いただきまーす!」
シャーはクリームチーズに干し葡萄を混ぜ込んだサンドウィッチにかぶりついて、「シャスデリ!」と喜んでいた。アメリカ人のくせに「シャスデリ」なんて言ってしまうあたり、シャーも日本文化を吸収している証拠だろう。
青空と、小川の涼やかな空気と共に味わう食事は更に一段階味のランクを高めてくれた。なによりも、四人でこうして共に過ごして食事することが更に一味、旨味を高めてくれたのかも知れない。
「食べたら、ここで少し涼みながら遊ぶか。水遊びは気持ちいいぞ」
「イイネ!」
「水鉄砲でもあれば、面白いんだけどなー」
「水鉄砲か……。子供の頃は確かにここで、水鉄砲で遊んだな」
物思いにふける秋人のつぶやきに、ともえが少し引っかかった。不意にわいた素朴な疑問というやつだ。
「ねえ、例の『夏の幻』の事なんだけど、今のところそれらしいものはまったく見かけてないわよね」
「ああ、妖精か。となりのロトトみたいなカンジだよな。子供の頃にだけ出会える不思議な出会いってか?」
「いやそういう獣染みたタイプの妖精じゃなく、本当に小さな女の子風の羽根の生えた小さいヤツだ」
あたりの景色が某有名アニメ作品のそれと似通っているため、栄太はソッチ系を想像したが、秋人が言うにはまさにフェアリーというスタイルの幻想でイメージについていた。
「獣系なら、動物と見間違えたとかでオチが付きそうだけど、妖精ね……。小人でもいたのかね」
のりたまおにぎりをつまみ、栄太が面白そうに話題を転がす。
「あのさ。ちょっと思っていたんだけど、このウォークラリーって、亀山くんが小さい頃に遊んだ思い出の場所めぐりってことなのよね?」
「ああ、そうだぞ」
「亀山くん、一人で遊んでたの?」
ともえの疑問からくる指摘は的確であり、当然のポイントだった。
思わず、秋人本人もはっとする。自分ひとりで、ここで遊んでいたのだろうか? 昔から一人っ子で独り遊びは慣れていたから、友人がいなくてもそれなりに一日を楽しむ術を知っていたのは確かだ。釣りはまさに独りで遊んでいたし、この小川も魚を手づかみで捕まえられるからと、よくやってきていた。
動物や虫が好きな子供だったから、遊び相手は自然の生き物だ。だから、夏の幻も、妖精を思い浮かべていたのは、『蝶々』のイメージからやってきていたのかも知れない。
「独り、だと思っていたが……」
「ふぅん……じゃあ、水鉄砲は? あれも独り遊びの玩具なのかな。水鉄砲って友達と撃ち合いっこして遊ぶものだと思ったんだけど」
ともえが「どうなの?」と男子のほうへ視線を送ってきた。ともえ自身は、水鉄砲で遊んだ事がないので、想像で物を言っているためだろう。
「いや、そうともかぎんねーよ。オトコってのは、武装することに憧れるもんだ。ヒーローの剣とか変身グッズとか。オレだってガキのころ、水鉄砲は持ってたけど、誰かと遊ぶためっていうより、なりきりアイテムのひとつって感じに持ってたからな」
「吉原さんは、何かひっかることがあるのか?」
何かを思いついたみたいな表情と、言い回しでともえが探ってくるので、『夏の幻』の正体に何か掴んだのだろうかと期待を込めて聞いた。
しかし、その質問にともえは首を振った。
「ううん。もしかしたら、その夏の幻って、子供の頃、一緒に遊んだ子なんじゃないかなって思ったの。ただの思いつきだから、気にしないで」
「一緒に遊んだ、子ども? ……むう」
記憶を掘り返しても、あの幼い頃の思い出ははっきりしない。まるで、夢の中を探るような感覚で、事実と幻想がゴチャゴチャになってしまう。誰かと一緒に遊んでいたようにも思えるし、独りだったような気もする。子供の頃の記憶など、とことん曖昧なのだと落胆してしまう。
「……あのね、『錯視』って言うのがあるんだけど、人間って直接目にしたものを脳で判断して、確認するんだってさ。だから、その過程で脳が視覚から受けたものを誤解してしまうと、目の錯覚が起こるんだよ」
ともえが水筒から冷えた麦茶を注ぎながら、興味深い話をしてくれた。
錯視とはつまり、目で見た情報を脳が誤解してしまうことだという。 目の錯覚。それはつまり、脳の錯覚だと。ともえがスマホを操作し、ネットでなにやら動画を見つけ出してきた。
それは影絵のような映像で、シルエット姿の人がくるくると回っている動画だった。これが右回転か、左回転かどちらに見えるかで『右脳派』か『左脳派』か分かるというのだ。つまり、同じものを見ていても、人によってとらえ方は変わるということだ。
夏の幻は目の錯覚――。それは分かっている。だからその正体を探ってみようという遊び心が生み出したのが、今回のウォークラリーにつながったわけだ。
「じゃあ、オレは誤解か勘違いかをしているってことか」
「もしくは、拡大解釈、とか。子供のころって見るもの全て新鮮すぎて、感激のせいか事実よりも大きく感じ取っちゃうことがあるでしょう」
「じゃあさ、仮に夏の幻が妖精じゃないとすれば、さっきの話からすると、一緒に遊んだ子どもってことになるよな。小さな女の子って可能性があるな」
「だが、羽は? オレは夏の幻に『羽』が生えていたと記憶してる」
「羽……? 背中から生えてたんだよね。……羽に見えるもの……」
一同は唸りながら、羽を想像するものを考える。一人だけ、サンドウィッチをぱくついていたマイペースなブロンド少女を除いて。
「アキトはーもぐもぐ。なんで、もぐもぐ、忘れちゃったんだろう?」
「食べてからしゃべりなよ、シャー」
行儀の悪い友人に、ともえがジト目で注意したが、シャーは実に美味そうにサンドウィッチを次々と口に運んでいく。ラーメンの時も思ったが、シャーは見かけに寄らず、良く食べる女の子だ。正直、その食べっぷりは見ていて爽快でもある。
「オレは、忘れてないぞ。ちゃんと夏の幻の事は覚えている。その日、親に報告したが信じてもらえなかったんだ」
「そりゃ、妖精を見たって言われても信じないわな」
ははは、と軽く笑いながら、栄太はウィンナーに箸を伸ばした。
「つまり、亀山くんは、出会ったときからそれの事を妖精だと思い込んじゃったんじゃない?」
「だから、最初からそう言ってるだろ。オレはあくまで妖精を見たんだと。……まぁ、実際は何をみたのか分からないが、その脳の錯覚とかのせいなのかもしれんがな」
秋人としては、一緒に遊んだ子、という記憶はなかった。今になれば、ここは遊び場だったと認識しているが、当時、子供だった頃はここは秋人の幻想世界であった。
そう――、この亀山家の実家の山は、いつも冒険の舞台だったのだ。
水鉄砲も、いつ現れてもおかしくないモンスター退治のための武器だったし、彼はたった一人の勇者だった。神殿である『御堂』から冒険が始まり、奇妙なカエルの住人から情報を得る。そして、クエストへと旅立つのだ。この頃は可愛いものにはまだ、あまり関心がなかった普通に冒険好きな少年だったと思い返していた。
亀山家は実に大きく、子供の秋人にはそこは忍者屋敷であったが、その周囲に広がる自然の数々も、子供の視線から見つめると、大冒険の異世界のようだったわけである。
突如出現する大きな昆虫。大きな湖には巨大な魚がいて、少年はいつか必ず釣り上げてみせると意気込んでいた。
隠れ家も作ったし、ちょっとしたほら穴にオタカラも隠したりした。大きなひまわりが沢山咲いている広場は、『迷いの森』と名前をつけて背の高いひまわりの下を駆け回ったこともある。
そんな日々を過ごしていた冒険譚の中に、『夏の幻』は現れたのだ。それはむかしアニメで見た
(錯覚――?)
秋人は、はっとした。
そうだ、錯覚したのだ。ここは秋人にとって冒険の世界で、出会ったものは
だったら、妖精はなんだった?
小さくて。
キラキラと。
聞き取れない言葉で――。
「――聞き取れない、言葉じゃない……?」
「え?」
目の前でサンドウィッチを頬張る少女から、目が離せなかった。
小さくて。キラキラとした、黄金の髪を煌めかせ。
そして、聞き取れない
「名前――。……そうだ、夏の幻の名前があった……!」
「お、マジかよ。思い出したのか?」
そうだ、あの日妖精は最後に名乗った事を思い出した。
「夏の幻の名前は、『チャオ』だ」
真剣な表情と厳かな低い声でつむがれた衝撃の新事実に、白い目を返したのは栄太である。
「…………それ、おまえんちの犬だろー」
幻影の正体が判明するかと思ったのに、肩透かしな言葉に、栄太が呆れた声で溜息を漏らす。
「えっ、じゃあ……、一緒に遊んだ友達って、飼ってる犬ってこと?」
「チャオ、可愛いモンね!」
確かに今買っている犬の名前はチャオではあるが、夏の幻とは直接関係がない。それにいくらなんでも、犬と妖精を錯覚しないだろう。
「違う違う。そもそも、チャオを飼い始めたのは最近の話だ。子供の頃はまだ犬なんて飼ってなかった。オレが言いたいのは、その犬の『チャオ』の名付け由来だよ」
手を大げさに振って否定する秋人だが、口に出したことで、長年解き明かせなかったものが紐解かれていく感覚がしていた。
ゆっくりとだが、確実に『夏の幻』の真相が分かり始めてきた。靄がかっていた記憶が次第に晴れ渡っていく。あの夏の日、妖精はこちらを振り返りながら名乗り、光のなかへと消えていく姿が思い返される。
「オレが出会った夏の幻は、別れ際に名乗ったんだ。『チャオ』と」
みぃーん、みんみんみんみんみん……。
「「「……」」」
三人は、あっけらかんとした顔で、その場で静止してしまった。みんみんと響く蝉の声と、小川のせせらぎがBGMとなって、暫く過ぎ去っていく。
そうして、一呼吸の後、三人がはじけたみたいに爆笑しだした。
「あははははっ! そりゃ、おまえっ! 別れ際に、チャオは言うだろ! わは、あははッ、フヒはははっ」
「か、亀山くん、それで犬の名前、チャオにしてるんだ……くくっ、チャオ……くくっ」
「アキトはバカだなー!」
「わ、笑うなッ! 子供の頃の話でオレだって、妖精の
ひとしきり笑って、ペットボトルの麦茶をゴクリと飲み干したシャーが、改まって、言った。
「チャオはね、『またね』って言ったんだよ」
「そうだよ、チャオはサヨナラとか、マタネとかそういう意味の英語……」
厳密に言うと『チャオ』は、イタリア語ではあるが、英会話でもイタリア語からの借用語として、もっぱら使われている。日本でも『バイバイ』と頻繁に使われているようなものだ。
だが、子供だった秋人に、『チャオ』の意味は分からなかったのだろう。
だから、別れ際に妖精が発した言葉が頭に残って、あの妖精の名前は『チャオ』という名前なのだと思い込んだのだ。
「……え? じゃあ、つまり、その妖精って……」
「そういう事だろ……聞き取れない言葉で話していたんじゃない。英語で、話してたんだ、夏の幻は……」
「え、じゃあ羽は……?」
ともえが妖精の正体のポイントでもある羽に関して回答を秋人に求めたが、その答えは、別のところから返ってきた。
「ハネは、たぶん、リボン。ホルターネックのワンピ着てたら、大きなリボンが背中にあたるとオモウ」
「あ、なるほど……」
栄太はホルターネックがぱっと頭に出てこなかったが、ともえの方はそれで納得いったみたいで目から鱗といったリアクションだった。
「え?」
それでまるで張り付いたみたいな笑顔から、すっとんきょうな声を上げたのは、最初がともえだった。
その「え?」に続いて、栄太が「え」と表情を固まらせた。
「え?」
またも出てきた「え」は秋人だ。三人の視線はシャーから離れない。
「アキトはー、まっくろな顔してて、泥だらけだったカラ、ニッポンヨーカイかと思った」
「「「え?」」」
「夏の……、幻って……?」
真っ白な表情で、秋人は震える指先でぷるぷると金色の少女を指差した。
「シャーだよー!」
「「「ええええええぇええええええええぇぇええぇっ!?」」」
満円の笑みでネタバレしたアメリカンガールに、その他三名は、山彦になるほどの声を上げて仰天するのであった。
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