Three-man cell
夏休みの二週目がやってきた。
夏真っ盛りの日差しは強く、窓の外には巨大な入道雲が見える。
一階はクーラーを良く効かせていて、チャオもそこで寝転がっていた。そして、秋人もソファーの上でごろりとしていた。
「……」
シャーが好きな人を追って日本まで来ていたとは知らなかった。そこまでして思われる人とはどんな人物なのだろう。
気がつくと、秋人はそればかり考えるようになっていた。
ただの友人。そう見ていると言ったのに、どうしてこうもシャーの想い人が気になってしまうのか。自分の情けない男心に溜息が止まらない。
こんな見た目で、実に女々しく似つかわしくない。
正直、認めざるを得ない。シャーに対して、気があったということを。
女子と初めてあそこまで仲良くなったのだ。秋人にとって、当然意識する人に加わるのはどうしようもない。
それに、やはりシャーは可愛いのだから。
どうにもあれから、身が入らない。ダラダラと毎日を過ごしていて、気もそぞろだった。そんな秋人のソファから垂れ落ちた手の甲をチャオがペロペロ舐めていた。
「チャオ、散歩は夕方だ……。今は暑いから熱中症になるだろ」
犬も近頃は熱中症になるらしい。きちんと冷房の効いた室内で飼ってやり、散歩は明け方と夕方の涼しくなってからの二度であった。
チャオとの散歩中、ウォークラリーも一緒にやっていた。ランクも更に上がっていたし、クラリーの面々も色々とスキルを会得していたのだが、どこか秋人の気持ちは晴れ晴れとしない。
だるだるの日中で、秋人がぼんやりとしていると、スマホが「ピロリ」と電子音を奏でた。チャットの着信音だ。
『オッス、こっちの準備はできたぜ。明日でいいんだよな』
チャットは友人の栄太からだった。明日の『ウォークラリー旅行』の確認だった。
『おう、朝七時に駅だぞ』
『オッケーよ』
それで会話が終わったかと思ってスマホを投げ出したが、それから少しして『ピロリ』とまたチャットが来た。
『ウォー・クラリーのほうもDLしといたぞ』
栄太が追記していた。
あれから、ともえもウォー・クラリーを始めたとあって、秋人は今回旅行にエッセンスを加えるべく、栄太もウォー・クラリーを始めるように誘った。
『なかなかおもしれーな』
『ああ、ランクいくつだ?』
『まだ4』
まだ、とは言うがペースだけなら秋人より速かった。ともえも、シャーと共に『ウォー・クラリー』をしているらしく、ランクが5まで上がったらしい。それぞれにクラリーも仲間にしているようで、プレイは順調なようだ。
『でもさ、マジでお前のじーさん家、泊まっていいのか? 全員で四人だぞ。女子とは部屋も分けるんだろ?』
『大丈夫だ。じーちゃん家はデカい。俺が十人来ても泊まれる』
『そりゃデカい』
明日、ついに計画していたウォークラリー旅行になる。行き先は電車でずっと行った山の奥。自然豊かなところだ。
農家を経営している秋人の祖父は、広大な土地を持っていて、屋敷も広かった。古い日本家屋の屋敷は幼い頃の秋人が『忍者屋敷』と呼んでいてよく遊びに行っていたのである。
今もちょくちょく遊びに行く祖父の家に、今回、友人を呼びたいと連絡したら、喜んで承諾してくれた。寝床も食事も、遊べる敷地も十分ある。ここでウォークラリーをするつもりで、きちんと計画も出来上がっていた。すべては順調であったが、たった一つの事柄が秋人に溜息を吐かせてしまう。
(いつまで女々しく
ふんっ、と鼻息を鳴らして、秋人は巨体をソファから起こした。
男として、しっかりと言った事に責任を持つ。自分の気持ちがどうあれ、明日の旅行は自分が言い出したことだ。その本人が凹んでいる顔をしているわけにはいかない。
「よし、やるか」
立ち上がった秋人にチャオが反応し、尻尾をぶんぶん振りまくっていた。散歩にいけると勘違いしたのかもしれない。
チャオが飛びついてくるのをかわしながら、秋人は気持ちを整えて、外出することにした。
スマホを取り出し、『ウォー・クラリー』を立ち上げる。すでに秋人のランクは8になっていた。
チャレンジも、『10キロ歩く』とか、『6体のクラリーをQP上限まで育てる』など達成したし、手持ちのクラリーも色々と変わっている。まず、6体そろえた事と、一体は理想の育成がしっかりと構築できたことだ。
クラリーは基本的にスリーマン・セルで遊ぶゲームで、3体そろえてからが本番ともいえた。
現在、秋人の手持ちクラリーは、<プリリル>を重点的に育成していて、可愛い妖精の<プリリル>と会話できるまでに来ていた。
最初はヒツジの<ラムラー>を『知』で育成するつもりだったのだが、発生するイベントがランダム性が強いために思うように育成できずに理想のカタチに仕上がらなかった。
最初に育成するクラリーはどうしてもうまく行かないと、シャーからも言われて、そこは割り切った。
色々なイベントを体験し、プレイヤーとしてもゲームのコツが分かってこないと、効率のいい遊び方などできないのはやはりどのゲームも同じである。
そういうわけで、<タキオニウス>同様に、<ラムラー>もイベントの実験素材として別の活かしかたをした。
そして、自分の手持ちの中でも一際気に入った<プリリル>こそ、理想の育成を行うべく、秋人はシャーのアドバイスを聞きながら、じっくりと育成したのである。
秋人はウォークラリーから『ピロン♪』という電子音を聞き取って、画面を確認した。
そこには、ウォークラリー内のチャット画面が表示されている。ほとんど画面のつくりはLINEのそれと似ていて、相手のアイコンと噴出しが出る形だ。
『やっほーマスター』
そうチャットしてきたのは、ほかでもないクラリーの<プリリル>だ。
スキル【チャット】を取得するとできるクラリーとの会話で、チャット形式で会話することができる。しかも、こちらの喋った事を記憶していき、どんどん知識を増やして会話のバリエーションが増えていくというのだ。
むかし、白いネコに言葉を覚えさせるゲームがあったらしく、それと同じようなものなのだとか。
秋人はこれでクラリーの<プリリル>と会話することに最近ハマっていた。
「友達って分かるか」
『フレンド登録するの?』
「違う」
『友達いないんだ?』
「いるわ!」
『今みたいなやりとりするのが、友達と思います』
妙にユーモアセンスの効いたチャットに秋人は思わず「むぐう」と口ごもってしまった。
「なら、異性間の友情って信じるか?」
『うん、あると思う』
「どんな感じなのだろうか」
『それは多分、相手の
「……」
<プリリル>のざっくばらんな返しに、秋人は頭を振った。ウォークラリーをプレイしていて、自分のもつ<プリリル>の性格を診断したとき、まさに『ざっくばらん』と表示された。
何度か会話していて、まるでシャーのようだと思っていた。包み隠さず言葉を放つ性格は、初めてシャーとチャットしたときのことを彷彿とさせる。
だから、まるでシャーに相談するみたいに、本人には言えないようなことを聞いてしまっていた。
良くできたAIだと感心するが、最近ではスマホに標準搭載されている音声操作ソフトもユーモアに飛んだ返しをしてくれるし、世の中は進歩しているのだなと実感する。
『あ、クォンタム・ファクターがあるよ』
チャットの中に飛び込んできた情報で、チャット画面からマップ画面へと切り替える。すると、確かに渦が近くに出現していた。
いつもどおり、それを『スキャナー』で確認すると、これまでのように、渦からかまくらが出現するかと思いきや、なんと渦からクラリーが飛び出してきた。
「むっ。この類のイベントは初めてだぞ」
画面を確認すると、テキスト枠に『レイド発生!』と派手な演出を含んだ文字が表示されてクラリーがバリバリとオーラを噴出していた。
「レイド……??」
良く分からず、そのままチャットモードに切り替え確認してみる。
「レイドってなんだ?」
すると、<プリリル>が返信をすぐに返してきた。
『レイドは、強い野良クラリーが世界中で飛び回るイベントだよ。地域のみんなで一緒にダメージを与えてやっつけよう! 素敵な御褒美がもらえるかも』
公式の用意した説明テキストだろう。大まかな説明だが、それだけで十分イベントの内容は理解できた。
「やってみるか」
まだ未体験のレイドイベントに内心ワクワクしながら、秋人は傍の日陰に入ってスマホを操作し始めた。
先ほどの渦から飛び出てきたクラリーは、見た目を一言で表現すると所謂『天狗』だった。赤い顔に大きな鼻。背中に黒い羽があり、扇子をもっている。足には下駄を履いていてモチーフは間違いなく、日本の妖怪、天狗だった。
「よし、行け。<タキオニウス>」
クラリー選択画面にて<タキオニウス>を選択し、画面が白くなって戦闘画面に遷移した。
「おお、初のバトルじゃないか」
ランク8にもなって、未だにバトルをやっていなかった秋人である。そもそも、秋人のプレイスタイルは可愛いクラリーを愛でるという非常に少女チックな遊び方をしていたので、バトルは完全に眼中になかったのである。
画面は手前側に<タキオニウス>がいて、画面中央に天狗のクラリーが居た。
『ターン1、スタート』と太目のフォントで描かれた演出が入って、バトルが開始された。
てっきり、何かしら操作をするのかと思ったが、バトルは自動で進行し始めた。
<タキオニウス>が【二段斬り】を発動させ、ビーム・サーベルで二度斬りつける。
「お、攻撃してる」
しかし、そのダメージは微量らしく、画面上部に表示されているダメージゲージがほんの数ミリ削れた程度だった。
「……え、これ敵が強すぎないか」
そして、次の瞬間、天狗が羽ばたくようなモーションのあと、風の刃が<タキオニウス>を切り刻んだ。
それで、画面下部に表示されていた<タキオニウス>の青色のゲージが一気になくなった。そして、<タキオニウス>が粒子になって、霧散していく。
『LOSE』
どよーんとしたサウンドと共に、あっという間にバトルが終わった。見事なまでに瞬殺であった。
「え、なんだこれはどうしたらいいのだ」
『マスター、弱すぎ』
「理不尽すぎるだろ!?」
『レイドは多人数プレイ推奨イベントです。地域のみんなで協力して頑張ろう!』
「えぇぇぇ……」
つまり、ソロではどうしようもないという事だろう。それにしたって、<タキオニウス>の【二段斬り】を当ててもほとんど敵のゲージが減らなかった事から、このイベントは上級者向けなのかもしれない。
しかし、地域のみんなで協力とは言えど、知り合いはシャーたちしかいない。手元には粒子になってしまった<タキオニウス>が無残な姿でクラリーリストに表示されていた。
「……これはどうしたら復活できるんだ?」
『復活は、ネストにいくとできるよ』
チャットで<プリリル>が説明してくれる。やれやれと額の汗をぬぐって、近場の『ネスト』を探す事にした。
マップ画面に表示された近場の『ネスト』は、シャーが最初に勧めてくれたあの団地の貯水塔だった。
貯水塔まで来た時、秋人は思わず「あっ」と声を出してしまった。
なんとそこには、シャーとともえが居たからだ。二人でスマホを取り出して、なにやらやっていた。シャーの耳にはあのブルートゥースのイヤホンが取り付けてあり、ウォークラリーをしているのだと分かった。
秋人の声を聞き取った二人も、スマホから顔を上げてシャーが手を振ってきた。
「アキトー!」
「よお……。奇遇だな」
「おはよ」
「お、おう」
普通、女子高生がこんな団地の貯水塔の下で二人やることなどないが、ウォークラリーをしているなら話は別だろう。ここは『ネスト』であるし、シャーのオススメスポットでもある。
「ウォークラリーしてたのか?」
「ソウ! トモチャン、強くなったよ」
「まぁ、そこそこには」
テレながら言うともえだったが、ランクは6まで上がっていた。このペースでは秋人を追い抜きそうである。シャーと一緒に遊んでいることもあり、優秀な教官がついているためだろうか。
「オレもやってたんだが、さっきレイドってのに遭遇して、<タキオニウス>が一撃でやられてしまったんだ」
「レイド!」
まいったよ、という表情をしていた秋人の言葉に、シャーは飛び跳ねて食いついてきた。
「Hey <ロケット66>。レイドはドコ?」
すぐさまイヤホンに呼びかけてクラリーのナビを利用しレイドを探し出した。
シャーの問いかけにナビが回答しているのだろう。シャーはふんふんと頷いて、くるりと方角でいう東方面を向いた。そちら側は遊歩道があり、そこそこの大きさの公園がある。
「お、おい、シャーどうする気だ? まさかレイドに行くのか。正直、あれは手に負えないレベルの強敵だったぞ」
秋人が先ほどの体験を伝えて、生半可なクラリーじゃ太刀打ちはできないと説明したが、シャーはそれに対して「ノンノンノン!」と指を振った。そしてアクアマリンの瞳をウィンクさせて言う。
「ウォークラリーは、スリーマン・セルが基本! 今、チョード三人いるから、みんなでいけば戦える!」
「えっ、こ、こいつと?」
ともえが少しばかり恥ずかしげに秋人を横目で見上げた。
秋人ととしても、ともえとはまだまだ打ち解けるに至ってないとは思っていたが、明日の旅行前に少しでも親睦を深めておけば明日はより旅行を楽しめるだろう。
「行こう。クラリーは育ってるんだろ」
「……まぁ。仕方ないなぁ、シャーのためだからね」
そう言って先に歩みだしたシャーに続くように、ともえは駆けて行った。秋人は少しだけ苦笑して、それでも共にこうして遊べる機会に出会えた事を嬉しく思った。
全て、シャーがウォークラリーを教えてくれたお陰だ。
そう、シャーがいなければ、自分はいつまでも無言の仁王像でしかなかっただろう。
だから、秋人は彼女との関係に友達レベルだとしても十分すぎるほどに幸せな話ではないかと考え直した。シャーが好きな男性がいるのなら、その人との恋路を応援しよう。いま、ここに誓おう。今度こそ、ブレることのない精神で。
「アキト! スリーマン・セルだよ!」
向こうでシャーが手を振る。
秋人は片手を挙げ、返事した。そして、その上げた掌をぐっと握り、拳をつくる。
決意を固めるように――。
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