取得スキル【良い姿勢】
暑さと不快度の高めな一日を終え、やっとやってきた放課後である。
部活に勤しむものはそのまま部室に向かい、帰宅部はそうそうに学校から退却するのが定説だ。
秋人は後者であり、早く家に帰って愛犬チャオとの蜜時を過ごすため、帰宅準備を手早く済ませ、後ろの席に栄太へと別れの挨拶をした。
栄太はしっかり部活に入っている。彼曰く、部活も青春の一部だ、とのことだ。ちなみに天文部に所属しているらしい。
いつもの簡単な「じゃーな」程度の挨拶を済ませ、秋人は昇降口まで向かう廊下で不意に呼び止められた。
「アキト!」
一声で分かった。昨日聞いた声と全く同じだったから。
振り向くと、こちらに駆け寄ってくる小さな同級生を確認できた。相変わらず見事なブロンドは否応に目立つ。
「……おう」
「帰るの? 一緒でイカガデスカ?」
「あ、ああ。別に構わんが……」
なぜそこまでオレに絡んでくるんだ、とは聞けなかった。
一緒に帰ることに了承をもらえた青い瞳が嬉しそうに煌めいたから、もう何もいえなかったのだ。
まるで、散歩に行く前のチャオのようで、秋人はときめくというより、ほっこりと癒される気持ちだった。
「じゃあ、一緒にウォークラリーして帰ロ!」
「むぅ。しかし、あまり長くはできんぞ。オレはチャオの散歩をしなくちゃならんからな」
「ヤッ! なら、チャオと一緒にやろう」
シャーの「ヤッ!」だが、否定の「嫌」ではなく、「
「チャオと……って、昨日みたいに散歩しながらでいいのか?」
「ソウ。アタシ、チャオ好き。な?」
「そ、そう言われると、正直俺も嬉しいが」
溺愛している愛犬を好きといわれて悪い気はしない。それに、ここまで積極的に自分にアプローチしてくれる女の子を秋人は知らない。
少々つかみどころは無いが悪い奴ではないし、シャーとの親交を深めることになんのデメリットもない。
可愛いチャオが二人になったみたいで、秋人は少しばかり気持ちが高鳴っていた。可愛いハニーが増えた事に強面の顔が緩んでしまいそうになる。最も、シャーに対して犬と同様と言ってしまうわけにもいかないが。
秋人にとっては、チャオと同等というのはかなりランクが上の扱いになるが、シャーには言わないほうがいいだろう。
二人で並んで下駄箱までいくと、デコボコの二人が不揃いでどこかコミカルに見えてしまう。隣に並び立つと、シャーの頭頂部は秋人の肩までしかない。秋人が見下ろすと、チョコチョコ付いてくる金の跳ねっ毛がふわふわ揺れていた。
「ン?」
不意にシャーがこちらを見上げた。青い瞳が上目遣いにくりくりと秋人を見つめていた。
なんだか急に恥ずかしくなった秋人は「いや」と視線を前方に動かして、自分の下駄箱へと視野を狭めた。
シャーもタタっと駆けて自分のクツを取り出すと、上履きを脱いでとんとんと履き替える。小柄なためだろうか、その動きは妙に俊敏であり、手早く細やかに見えた。秋人が巨体を折りまげて、のそのそとクツを履き替えている間に、シャーはすでに玄関口でスマホを弄って待っていた。
「おまたせ」
「ヨシ! イクゾー!」
気合十分と云った様子のシャーが高々と手を挙げる。その手にはウォークラリーが起動したスマホが握られていた。
「ナナナ! ヨシ! イクゾー! って名前のソングシンガーがいるんだって、ウケるね!」
「……ウケるか?」
他愛ない会話で二人は玄関を後にした。校門を過ぎてそのまま通学路へと歩みだし、夏の日差しが肌を焼く。
暑さも湿度もまだまだ落ちない夕方だったが、秋人は隣でぴょこぴょこついて来る少女の日陰を作ってやりながら共に自宅まで歩いて帰ったのである。
「中で待っててくれ。着替えて散歩の準備をする」
「オマジャシマス」
考えてみると、同級生の女の子を家に招き入れる事態はかなりのものだったが、どうにもシャーが外国人ということもあり、『同級生の女の子』のくくりからは外れてしまうことがある。なんというか、彼女は特殊なのだ。
玄関をくぐった二人を最初に出迎えたのは、チャオだった。跳ねる勢いで「はっはっはっ」と息使いと尻尾を激しくして、秋人の足元に飛びついてくる。
「チャオー!」
シャーが喜びはしゃぐチャオに挨拶すると、チャオは「きゃわわん!」と吠えてシャーの足元に絡むように飛びつく。犬が苦手だったら、恐怖するかもしれない勢いのチャオの悦びっぷりだったが、シャーはまったく大丈夫のようで安心した。
きゃっきゃと笑いながら、足元のチャオをかがんで掌で顎の下くすぐってやった。
「あれ、秋人だれか連れて来たの……っ?」
チャオの悦びっぷりと玄関から聞こえる聞きなれない女の子の声に、母親が顔出した瞬間、表情を固まらせてあんぐりと口を開いた。
玄関で戯れるブロンドの少女に驚愕し、瞳を点にしていた。女の子を連れて来たこともだが、金髪の美少女を連れてくるとは想像の限界を超えていたせいかもしれない。
「ちょっ、あんたどういうこと?! 誰よ、この子!」
「オマジャシマス」
シャーがぺこり、と日本風にお辞儀をして、母親へと挨拶するが、「お邪魔します」が言えずに、なにやら面妖な呪文みたいになってしまっていた。
「おじゃま、します、な」
「おまじゃ、します」
「言えてないぞ」
「うー。お・ま・じゃ……」
「いいから! お、お茶ね。すぐ準備するから、座っててね」
慌てる母親が台所へと引っ込んでいくと、冷蔵庫をガタガタとやり始める。
「じゃ、オレは着替えてくるからちょっと待っててくれ」
「ハーイ」
多少緊張しているのか、シャーは学校で見せたみたいな威勢のいい返事ではなく、歳相応の女の子らしいしおらしい声で返事した。
チャオを片手でなでながら、座椅子に腰掛けてひらひらと掌を軽く振った。一応、シャーも人の家に上がるとそれなりに遠慮する精神を持ち合わせているのだろう。
あまり一人にしていられないとも思って、秋人はさっさと二階へ上がり、自室で着替えを済ませる。
なんとなく、私服をどれにしようか悩んだが、そもそも昨日のファーストコンタクト(厳密にはファーストコンタクトではないが……)の時にラフなTシャツ姿だったから、今更着飾ったって仕方ないかと、シンプルなシャツを選んで袖を通した。ズボンは夏らしいハーフパンツでまさに『いつもどおり』の姿となった。
着替えも早々に一階へと降りると、麦茶を飲んでいるシャーと彼女をどう扱っていいのか分からない母親がギクシャクと所在なさげにしていた。
「ちょっと、秋人! 彼女を連れてくるなら先に連絡しなよ!」
「……彼女じゃない。クラスメートだ。前に話したろ。ホームステイで来てるアメリカ人がいるって」
お約束な母親の反応に秋人は溜息を吐きながら説明する。どうやらシャーがアメリカ人なので、まともに彼女に声もかけられず、舞い上がっていたようだ。
「それ飲んだら、早速行くか」
シャーが冷たい麦茶を飲んでいるのを見ながら、こんな光景を我家で見るとはと、内心また夏の幻なのではと疑っていた。
しかし、シャーがコップに口付け、細い喉をゴクゴクといわせるその姿は事実そのものなのだ。
「ハイ。お茶、ありがとうございまシタ」
「あ、ハイ」
結局終始呆気にとられたままの母親だったが、それをほっといて、チャオの散歩道具を準備する。それを見たチャオがパブロフの犬よろしく、すぐさま散歩の体勢になる。散歩バッグに飛びついて、「きゃわわん!」と吠えては秋人の周囲を駆け回る。
「よぉーしよしよし! 散歩いこーなぁ、チャオ~」
飛びついて喜ぶチャオに、ついシャーがいる事を失念して、いつもどおりの猫なで声を出してしまった。
はっとしてしまって、今の猫なで声を聞かれてしまったと、秋人は表情を赤くし、シャーを見た。
シャーはきょとんとした顔で、秋人を見つめていた。やはり、こんな巨漢が、子犬相手に赤ちゃん言葉みたいにじゃれるのが気持ち悪かったかも知れない。もしや、これでこのアメリカンガールとの関係も終末を迎えるのだろうか、もしかしたら、そのまま学校で噂されてクラス中に、秋人が不釣合いな姿で犬に猫なで声を出していると笑いものにすらされてしまうかもしれない。
「しゃ、シャー……あのな、これは、その……」
「ソウユーの、見たら、みんな分かるのにネ」
「……え?」
シャーの言っている意味が分かりかねて、秋人は思わず聞き返した。しかし、その答えが返ってくるよりも、いよいよ騒ぎはじめたチャオが、早く散歩に行こうと催促するみたいに吠え出したから、結局秋人とシャーは、そのままチャオの散歩へと連れ立っていくのであった。
もう一度、二人は夏の黄昏へと足を踏み出していく。夕方六時前でも、七月の太陽はまだまだ高く、青い空を確認できるほどだった。
家から散歩へ出た二人は、とりあえず、昨日出会った公園を目差して歩き始めた。
チャオがふらふらと臭いをかぎながら、時折その足を止めるので距離はともかく、そこまで到着するのには少しばかり時間がかかりそうだ。
シャーが早速といった様子でスマホを取り出して、秋人へ見せる。画面にはウォークラリーのマップ画面が出ていた。
「アキトも、起動シロ? マップを見ると、周りにいっぱいキラキラが浮かんでるのがワカルでしょ」
言われたとおりに、ウォークラリーのマップ画面をみると、自分の位置を示す中央の矢印アイコンの周りには、小さな光る粒子が舞い散っていた。
その粒子に歩みを進めて近づいていくと、粒子が自分の矢印アイコンに吸い込まれていくようだった。
「なにか光の粒を吸い込んでいくぞ。これ、もしかしてクォンタムってやつか?」
「ソウ! 歩いてるだけで世界にキラキラしてるクォンタム・ポインツを貰えるヨ。こうやって、いっぱいクォンタム・ポインツ集めてー。ソシテ、クラリーを育てるノ」
画面の左下に数値が表示されていて、上昇しているのに気がついた。周囲のクォンタムを吸い込んで、ポイントにしているんだろう。
現在121点のクォンタムを所持しているようだ。
「どうやって使うんだ?」
「使うのは、イロイロなトコロで使える。でもイツデモ使えるワケじゃナイヨ」
シャーの説明のカタコトの説明は飲み込んでいくのに少々時間をかけたが、大まかな内容としてはこうだった。
クォンタム・ポインツは歩いていると、時たまに発生するイベント時に使用されるようだ。
イベントはバラエティに富んでいるようで、クラリーの育成を行えるジムや、アイテムを購入するショップが出現したり、自分のクラリーがコミュニケーションをとってきたりなど多岐に及ぶのだそうだ。
そして、そのイベント中、ポイントを消費することでイベントに合ったリターンが得られるようだ。
ちなみに基本無料のウォークラリーだが、このジムやショップを任意に利用する事ができる『○○チケット』という課金アイテムで清算を取っているらしい。
基本的に、ゲームに課金は親から許されてないので、このチケットを購入する事はなさそうだ。シャーも無料で遊んでいるだけで課金はしたことがないらしい。その言葉になぜだか、ほっとした秋人であった。
「あっ、なんだマップに渦のようなものが出たぞ」
秋人の持つスマホの画面のすぐ傍に渦のようなものが出現した。
「スキャナーでミルノデス」
ネストの時と同様だろう、スキャナーを起動すると渦のほうへカメラを向けた。すると、そこはなんでもない路地でしかないのに、空間に光の渦が浮かび上がっていて、その奥からなにやら出現したようだ。光の渦から飛び出るように現れたのはなんとも珍妙な形状をした建物だった。
小さなかまくらみたいなドームの形状をしていて、その色は黄色を基調にしていた。建物のグラフィックの上部にテキストが表示されていて、『カリスマ美容室』と書いてある。
「カリスマ……美容室?」
「あー、カリスマショップ。クラリーのカリスマを鍛える事ができる」
「カリスマ?」
「画面の右上のMeNuを押して、クラリーを確認しロ? 昨日とった<タキオニウス>がいると思う」
言われたとおりクラリーを選択すると<タキオニウス>が一覧に出現した。
「<タキオニウス>をタップすると、ステータスが出ると思う」
「おっ、なるほど。……ステータスは大まかに三種類なのか?」
<タキオニウス>のステータス画面を開くと三角形グラフのような画面が出現した。項目の頂点にそれぞれ『体』『知』『美』とある。
「クラリーの成長はツリーになってる。三つのツリー。バトルで活躍させたいスキルを覚えたいなら『体』を育てル。ナビや会話、情報を調べたいクラリーを育成したいなら『知』。『美』は今出てるカリスマ美容室で上がるンだけど、クールな見た目になったり、お着替えしたり、交渉とかにも使えル」
「むう……? ちょっと色々と弄ってみるか……」
言葉の説明だけでは把握しきれなかったので、<タキオニウス>の『美』をタッチすると、空欄がズラリと一覧で並んだ。まだまっさらな何も取得していない状態ということだろう。
MeNuを閉じて、『カリスマ美容室』をタップすると、その中に入り込むような演出のあと、ショップメニューが開いた。
項目としては『美を磨く』『やめる』の二つのアイコンのみだった。美を磨くのアイコンはバラのイラストが円の中に一輪描かれている。また、100と数字が書いてある。おそらく先ほどのクォンタム・ポイントを100使って『美を磨く』わけだろう。
「……やってみてもいいか?」
「アキトの好きにするとイイミタイ」
「そうか、ためしにやってみる」
『美を磨く』をぽんとタッチするとどのクラリーを選択するかの画面が出現したが現在<タキオニウス>しかないため、そのまま<タキオニウス>を決定した。
すると、<タキオニウス>が美容室に入って行き、美容室の黄色のカマクラがガタンゴトンと揺れる演出が行われた。
まるで美容室で美を磨いている演出からは程遠い気もしたがそこはまあゲーム的な演出だろう。
やがて、かまくらから粒子が飛んできて、それが<タキオニウス>を形作る。
その下にテキスト枠の中に『【良い姿勢】を取得した!』と表示されていた。
「……姿勢が良くなったんだが」
「アハハハハ!」
爆笑するシャーに、首をかしげるチャオ。これがどんな効果をもたらすというのか……なんだか妙に損をした気分になる。
【良い姿勢】をタップするとスキル説明が表示された。
『美のランク1UP、交渉時クラリーが惹かれやすくなる。』と、書いてある。
画面の下部には『OK』があり、それをタップすると、またもとのマップ画面に戻ってきた。
MeNuから<タキオニウス>を確認すると、先ほどまで美の項目は三角形が伸びていなかったが、『1』と数字がありそこをタップすると、スキル一覧に【良い姿勢】が加わっていた。
それからQPゲージが半分埋まっていた。200点のQPまで受け入れる事ができる<タキオニウス>は今の100点消費した【良い姿勢】だけで成長限界の半分も達してしまったようだ。
「……姿勢が良くなっただけで、人生の半分が終わったのだが」
「最初はあんまりQPがたくさんはハイラナイ。それに、今のカリスマ美容室は100点一気に使う、ソコソコのショップ。ほかにも10点しか使わないショップとか500点つかうのとかも出てくる」
「うーむ、【良い姿勢】が100QPの価値があるかどうかは正直さっぱり分からんが、イベントというのがどういうものなのかは分かってきたぞ」
「うんうん! じゃあ散歩のツヅキをシロー」
ウォークラリーの事が少しだけ分かってきた。
こうやって色んなイベントをこなして自分のクラリーを好みの形に仕上げるのが遊び方のひとつなのだろう。
のこりの100Pをどう使うのかも考えておいた方がいいのかもしれないが、現状はQPがまたすっからかんになっているので、歩いて粒子を回収していかなければならないだろう。
愛犬のチャオとの散歩風景がまた違う色を見せていく。それが秋人の心を高鳴らせていく。
次第に彼は、このウォークラリーに惹かれ始めて行くのだが、それは隣でニコニコ笑うフラクスンの少女がまるで新世界へ案内してくれる妖精のようにも思えた。そういう意味では、彼女こそ、秋人にとってのクラリーなのかもしれない。
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