夏の幻
ラーメン店に来た秋人とシャーは、テーブル席に腰掛けて、注文を終えた。
秋人はチャーハンと餃子のセット。シャーはラーメンと半チャーハンセットだ。
見た目によらず、しっかり喰うんだなと秋人は小柄なシャーを見ながら、コップの水を啜った。
「シャー、ウォーク・ラリーに行ってくれる女子は見つかったか?」
「んー。昨日の夜、誘ったんだけど、ダメって言われた」
「な、なに? 断られたのか? 誰に声をかけたんだ、吉原さんか?」
まさかの話に秋人は慌ててしまった。すでに誰かを誘っていたとは思わなかった。しかも断られていたとは……。ひょっとしたら、シャーも行くのを辞めるように説得されてしまったかもしれないと思って、自分が酷くショックを受けていることに気がついた。
「んーん、トモチャンじゃないよ。カズン」
「か、カズン?」
カズンという女子に心当たりはない。名前とは思えないので、あだ名だろうかと考えたが、それも秋人の脳内データにヒットする人物は出てこなかった。
「カズン、なんだっけ。あー、忘れた! カズン、なんだっけ?」
シャーも困ったような顔で秋人に訊ねてくる。なんだっけと言われても、秋人はあったこともないような人物のことなど分かりようもない。
「カズンって、誰だ。うちのクラスメートか?」
「え? あ、チガウなー! カズン! 『cousin』だよー。なんだっけ、日本語で……」
秋人が誤解をしていることを訂正して、シャーは『cousin』。即ち、イトコを誘ったといいたかったのだろう。秋人もカズンが、英語でイトコのことだとは知識が足らず、結局スマホで検索して調べた結果、回答に辿り付けた。
「イトコを誘ったのか。それは意外だったな……てっきり吉原さんあたりを誘うのかと思っていたが」
「トモチャン、忙しいからあんまり時間がないミタイ。……それに、アタシ……イトコと仲良くなりたかったノデ……」
普段のシャーからは想像がつかないような寂しげな表情を見て、秋人は益々彼女の内情を知りたくなってしまった。考えてみれば、シャーのことは本当に全然知らないのだ。
「イトコと、仲良くないのか?」
プライベートな話になるし、シャーがこんな表情をするくらいだ。もしかすると触れて欲しくなかった話題かも知れないが、秋人はそれでも彼女に踏み寄りたかった。なぜだか、彼女の寂しげな表情に、秋人の心が動かされてしまうのである。まるで、いつかみた夏の幻のようだった。
「アタシ、ホームステイしてるカラ、イトコの家にオマジャしてます。パパの弟の家、日本で、暮らしてる」
「叔父さんってことだな。じゃあ、そこの子供を誘うつもりだったのか」
「ソウ。でも、ダメみたい。ジュケンセイだから、遊べないって」
寂しげに言うシャーは、うつむいて、はらりと金色の前髪が揺れた。受験生であれば、確かに夏は勝負時だろう。遊んでいる余裕はないのかもしれない。確かに、こればかりは断られても仕方ないのではないかと、秋人は思った。
しかし、態々その受験生であるイトコを誘いたかった理由が気になっていく。
「受験生なら、仕方ないと思うが……あ、受験って高校か? 大学?」
「大学受験。今、高校三年生ダカラ。いつも、怒ってるんだ。ジュケン、大変ミタイ」
「……じゃあ、先輩ってことになるのか。うーん大学受験なら、なおの事だな。シャーはなんで、そのイトコを誘いたかったんだ? 仲良くなりたかったって……言ってたが」
踏み入った質問だが、シャーのその表情を見ていると、聞かないわけにもいかない。
少しばかりシャーは黙っていたが、ゆっくりとイトコについて、語ってくれた。
「アタシ、日本にどうしても来たかったノデ、ホームステイすることにした。叔父さんが、日本で暮らしてるから丁度いいって、パパとママも留学の事、許してくれたし……、叔父さんたちもカンゲイしてくれた。ケド……イトコは、アタシが来た事、ダメみたいで……。受験中なのにホームステイに来たアタシ、嫌がってる」
「……むう……なるほどな……」
事情はなんとなくわかった。確かに、シャーがホームステイに来たことは、ナイーブな受験生にとって、何かしら影響が出てしまう事もあるだろう。
しかし、シャーはもう日本に来てしまっている。今更ほかの受け入れ先や住まいを用意するというのも大変な話なのだろうし、ならば、なんとかそのイトコとの親睦を深めたいと考えたのだろう。……しかし、それさえも逆効果になってしまったのかもしれない。受験生は、結局そっとしておいてやるのが一番だったりする。険悪な関係の中、過ごしていかなければならないのは辛い事だが、シャーが関わる事でストレスを受けてしまうのであれば、イトコとの交流は置いておくべきかもしれない。
「ハイ、おまたせ」
どう励ましたらいいか、気の聞いた言葉をいえない秋人が腕組みしていると、ラーメン屋のおばちゃんが、ラーメンと半チャーハンを持ってきた。シャーのメニューだ。
「餃子とチャーハン、もうちょっとまってね」
そう言っておばちゃんは引っ込んでいった。
「わはっ! ラーメン、キタコレー!」
先ほどまでの寂しげな表情はどこへ行ったのか、シャーはキラキラと瞳を輝かせて割り箸を割っていた。
それを見て、なんとなくぼんやりと思ったのが、箸の扱いはできるんだな、ということだ。
そのまま、シャーがラーメンを啜る姿をまじまじと見つめ続け、可愛らしい唇に、ちゅるちゅると麺が入っていく様に、秋人は思わずはっとして、見つめるのを辞めた。
シャーの唇をまじまじと見ていて、なんだかドキドキとしてしまったのだ。
シャーにそんな風に見ていたと思われたくないし、慌てて秋人はそっぽを向いた。照れ隠しのためか、口が勝手に動いた。
「う、うまいか」
「ウマいなー! 日本のラーメンね、アメリカでいま、ブームなんだ。でも、チャーハンとギョーザは、アメリカ、いまいちだから、ニッポンのチャーハンギョーザは好きみたい!」
「そ、そうか」
とりあえず、暗かった雰囲気はどこかへいったので、そこはほっとした。しかしながら、そうなるとウォークラリーに誘う女子がどうなるか分からない。もう夏休みが始まってしまったし、学校へ行く機会も少なくなってしまう。
「シャーの当てが外れたとあっては、ウォークラリー旅行は難しくなりそうだな」
「トモチャンを誘うヨ。トモチャンなら、来てくれるカラ、いきたいな」
トモチャンと云う名前に不慣れだが、クラスメートの吉原ともえを指しているのだろう。あの様子だと、来てくれるかは少々疑問なところだが。
「吉原さんとは、仲がいいんだな」
「トモチャンは、ヤサイ……じゃない、ヤサシーから。バイトで忙しいケド」
なるほど、少しだけ分かってきた。吉原ともえと仲は良い様だが、あちらは何かバイトをしているので、帰ることも一緒に出来ないのだろう。ともえがどんなバイトをしているかは分からないが、シフト次第では予定を空けられるかもしれない。
まるっきり希望がないわけではないようで、秋人もとりあえず安心した。ちょうどよく自分の分のチャーハンセットがやってきて、小さなレンゲを手にとって、秋人は空腹を満たすべく、パラパラしたチャーハンを豪快にかっ込んで食べ始めたのであった。
食事も終わり、腹ごしらえも済んだ。
満足そうな顔でシャーはニコニコと店のまえでくるりと回った。
「今日から夏休み。日本の夏休みはちょっとだけしかないって聞いてるから、ダイジにしないとナ」
「ああ、あっちだとサマーバケイションって長く取るんだっけ?」
「三ヶ月くらいあるよ? ニッポンは一ヶ月だけダネ。どうしようか!」
どうしようか、と言われても秋人はどうにも回答できない。一ヶ月でも十分長めの休暇なのだから、やることは色々と思いつく。しかし、アメリカ育ちのシャーからすれば少ない期間でどれだけやりくりするか今からきちんと考えているのかも知れない。
ふと、アメリカではどういう夏休みを経験してきたのか気になって、秋人は雑談を広げてみた。
「シャーは、これまでどんな夏休みを過ごしてきたんだ? やはり、旅行とかにいくのか?」
「ソウ! 旅行は行くね! ニッポンも、何度か来た事あるンだ」
「ほぉ。そういえばどうしても日本に来たかったと言っていたもんな。なんでだ?」
「イトコが日本で暮らしてるから、よく、来てたんだ。だから、日本語も、チンマリと知ってた」
アメリカ人らしいジェスチャーふんだんに、シャーは会話をつないでいく。身振り手振りが、まるで踊っているみたいに見えた。金色の、妖精のように見えてしまった。
「……」
そんなシャーの姿に秋人は、少しばかりぼんやりとしてしまった。幼い頃に見た、『夏の幻』がちらりと顔を覗かせてきたようで、秋人は暫し、舞い踊るような金髪少女に見惚れていた。
「アキト?」
自分をまじまじと見つめてくる巨漢の男を前にシャーはトークを中断し、首をかしげた。
そして、はっとしてから、慌てて秋人に対して背を向けた。
「あ、シャー、どうした?」
「ミ、みんなし!」
「え」
「こっち、みんなし!」
急に背を向け、顔を見せないシャーの態度に、逆に秋人がうろたえた。やばい、ぼんやりと見つめ続けてしまったせいで、女子を変な目で見ていると思われたのかもしれない。そんな風に考えたからだ。
「す、すまんシャー、そういうつもりじゃないんだ」
今や制服も夏服で、シャーの制服姿はある意味、眩い。薄いシャツに、みじかいスカートから伸びる脚は真っ白で、長い。身長が若干低めだろうと、彼女は立派に女性で、年頃の乙女といえた。
男なら、そんな彼女の胸元や白い脚線美に眼を奪われることもあるだろう。そんな眼で人から見られれば、気持ち悪いと思われてしまっても仕方ない。だが、秋人はそういう意味では、彼女を見ていなかった。どうにか、誤解を解きたかった。
「違う、オレは別に、そういう意味で見ていたんじゃないんだ! ちょっと考え事を……」
「そういうイミ?」
背を向けていたシャーがくるりと振り向いた。なぜだか、口元を片手で塞いでいた。
「アタシ、歯にネギ、ついてない?」
「は?」
「だって……、アキト、変な顔して、ずっと見てたから……アタシ、ヤバイみたいって思った」
シャーが恥ずかしげに、口元を隠したまま、上目使いに秋人を見上げている。
どうも彼女は、さっき食べたラーメンのネギが歯にくっついていて、それを見つけた秋人が言いにくそうにしていたのだと勘違いしたようだ。
「……違う、何も付いてないから、安心しろ」
「マジで?」
「マジだ」
精一杯真面目な眼をして返事してやった秋人だったが、彼を知らない人間からすれば、震え上がってしまうようなメンチの切り方になっていた。
しかし、シャーはそれで警戒を解いて、ほっと安心して隠していた口元から片手をどけた。
「もー、じゃあなんで見てるし? そういう意味ってどんな意味?」
「……そこは突っ込むな……」
「えー、なんで。もしや、アキトもアタシのカラダが目当てなの?」
「ごほっごほげほっ! な、何言ってんだ、お前はっ」
「……トモチャンが、ニッポンの男は金髪の女の子がダイスキだから……気をつけろって。アキトは違うと思ってたけど、アキトも、やっぱり、エロいんだ」
「ちがうっ! だから、そういう意味で見てたんじゃないと言ってる!」
なにやらとんでもないほうへ、会話が動き出してしまって、いたたまれなくなってしまう。正直、シャーの金髪は目を引くが、下心全開で彼女を見ていたわけではない。吉原ともえが彼女に変な偏見を植え込んだせいか、シャーは妙な知識で警戒の表情を見せる。
誠心誠意、伝えようと思うが、自分のこの巨漢と強面が、もどかしくなるほど、説得力がない。
なので、秋人は正直に、どうしてぼんやりとしていたのか、白状することで誤解を解こうと思った。
「実はな……その、笑うなよ。……『夏の幻』を思い出していたんだ」
「ナツノマボロシ?」
そう切り出した秋人の言葉に、シャーも興味津々に聞いてきた。
「オレが小学生の時だが……、オレは妖精を見たことがあるんだ」
「マジでか! ニッポンの妖精、ザシキワラシっていうんだよね、知ってる!」
思ったよりも食いつきのいいシャーに、秋人は少しばかりほっとした。とりあえず、いかがわしい眼で見ていたことはもう、どうでもよくなっているのか、そもそも本当にこちらを軽蔑していたわけではないのか分からないが。
「いや、そういう妖怪じゃなくて、妖精だ。西洋とかファンタジーな感じの、小さな、女の子の姿で、羽根が生えてる」
「フェアリーだね。クラリーもクォンタム・フェアリーだけど」
「そうだ。なんというか、お前を見てると、それを思い出した……」
誤解を解くためとはいえ、なんだか恥ずかしい告白だった。
つまり、お前が妖精のように可愛かった――そんな風な意味で見ていたことを告げているようなものだから。
「……アタシ、そんなちいちゃくないシ」
「いや、悪かった……」
シャーはどうやら、小さいということに関して反応を示したようだった。口を尖らせ、拗ねるようにふい、と横を向いたのが、またチャーミングだったが、そんなことは言えようもない。
ともかく、妙な誤解はこれで解けただろう。
ごまかすための作り話なんかじゃない今の話題は、秋人がずっと幼い頃に経験した『夏の幻』であった。小学生のころ、夏休みに彼は確かに妖精に出会ったのだという記憶があった。
誰に説明しても笑って済まされ、信じてはもらえなかった。やがて、自分もあれは自分の勘違いか幻だったのだろうと考え直したのだ。
だから、秋人はそれを『夏の幻』として、おぼろげなまま、記憶の隅においやっていた。なぜシャーを見て、それが想起されたのかは分からない。確かに彼女は『ウォークラリー』を教えてくれた。そして、妖精の様に可憐な少女だ。そんなロマンチックな錯視をしたとしても不思議ではないと思いたい。
とりあえず、誤解が解けたことに一安心し、二人はそのままウォークラリーをやるために、夏の真昼に散策することになった。
さんさんと降り注ぐ日差しを受け止めながら、秋人はそういえば、と思い出していた。
あの妖精を見てから、自分は可愛いものが好きになったのだったと――。
次なる『ネスト』は、可愛いクラリーに出会えるように願いながら、スマホのアプリを起動するのである。
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