夏休みへ向かう下校
終業式が滞りなく終わり、ついにやってきた夏休みだった。
クラスは活気だっていて、誰もが嬉しそうな表情で開放感に満ち満ちている。そこらじゅうからこれからの予定を話し合う声が聞こえてきていた。
「なぁ、ちょっといいか」
巨漢の仁王像と陰であだ名されている秋人は、周囲同様に後ろの席の友人である栄太に声をかけた。
「お前、夏休みの間、部活はどうするんだ?」
「天文部で合宿があるぜ。夏の夜空を見に行くってヤツ。結構楽しみにしてんだ。軽い旅行気分だぜ」
心底楽しみなのだろう、栄太はニッカリと笑って白い歯を見せた。
天文部は山へ行き、旅館に宿泊して天体観測するようだ。中々に青春を謳歌しているじゃないかと、秋人は関心した。
「でも、天文部って毎日部活するわけじゃないよな。空いてる日あるだろ」
探るような物言いの秋人に、栄太は「ちっちっち」と指を振った。
「なんだよ、回りくどいぜ。夏休み遊ぼうってんだろ、ダイジョブダイジョブ、部活だけの夏休みで終わらせる気はないぜ」
話がはやくて助かる。ツーカーとまでは言わないまでにしても、二人の間で大体考える事は察するくらいはできる仲なのだ。栄太のキラクさに秋人もほっとしてしまう。
「……それなんだがな、オレに少し考えがあって。女子と遊びたいんだろ?」
「…………え」
秋人から女子の話題が出てきた事に栄太は目を点にして驚いていた。
自分の計画は、はやくも女子抜きでの夏休みになりそうだった。なので、そこは部活のほうで補填しようと考えていたのだが、思いもよらないところからチャンスがやってきたようだった。
「まだうまく行くか分からんが、一応予定を開けられそうなところがあるなら教えてくれないか」
「ま、まじかよ! 朴念仁の筆頭とされたお前が、どういう風の吹き回しなんだ!? あっ、まさかシャ……」
栄太がシャルロットの名前を口に出そうとした瞬間、秋人の大きな手が栄太の顔面を被うように口をふさいだ。軽い張り手みたいになっていて、栄太の鼻っ柱を潰していた。
「静かにしろ。まだ確定してるわけじゃないんだ。ただ、予定だけ空けといてくれ」
「いちぃ~……! わ、わかった。部活の時以外なら大丈夫だから……」
赤くなっている鼻を押さえながらのその言葉を聞いて、秋人は「よし」と頷いた。残る問題は『シャー』のほうだ。
昨日、『ウォー・クラリー』をして、チャオの散歩を楽しんだ後、シャーとひとつの約束をした。
それはオリエンテーリングの『ウォーク・ラリー』をするという約束だ。そのためにはメンツをそろえることが重要だった。
秋人とシャーの二人きりの『ウォーク・ラリー』では、本来の『ウォーク・ラリー』にならないためだ。ウォーク・ラリーは班行動で協調性を磨き、親睦を深める意味合いもある。それに、ウォーク・ラリーをする為には、それなりに都心から離れた場所へ旅行に行く事になる。場所はいい場所を知っているので問題ないが、シャーと二人きりで旅行というのは、色んな意味で問題があると思った。
だから、最低でも後二人はメンツを揃えたかった。秋人は栄太を誘う事をすぐに考え付いたが、彼の青春謳歌計画に助力もできるひとつの案として、シャーに女子の友達を一人呼んでほしいと提案した。
シャーは快くOKしたが、ちょっとした小旅行になるため、女子が男子二人と一緒に参加したくなるかはまた別の話になるだろう。
こればかりは秋人の力ではどうしようもないので、シャーに頼るしかない。そっと後ろへ視線を投げた秋人だったが、シャーはいつもよく話している友人の吉原ともえと談笑しているようだ。もしかすると、ともえを誘っているのかもしれないが、先日の栄太のアプローチもあって、断られる可能性も十分に考えられる。それどころか、シャーに「行くのをやめろ」と忠告までするかもしれない。というか、普通するだろう。
見ている限り、二人の間に何か険悪なムードは漂っていないので、この案に否定的な会話をしているのではないようだ。まったく無関係の会話をしているかもしれないが。
「何見てンの?」
栄太が自分の肩越しの向こうを見ている秋人に詰め寄ってきた。
「……いや。……そういえばお前、この前、吉原さんと会話していたが、彼女のことを知ってるのか?」
「ん? ああ、知ってるってほどじゃないよ。中学が同じってだけだ。高校上がってからはアイツも忙しそうだし会話らしい会話なんて、それこそ昨日のアレくらいだぜ」
「シャーと、仲良さげだが、友達なんだろうか」
それにしては、と自分の発言に心の中で引っかかるものを感じていた。
シャーは、おとといも先日も、下校が一人だった。ウォークラリーをするから、と言っていたが、奇妙だと思っていた。彼女はそれなりに学校で人気がある。女友達もそれなりにいるはずだ。特に仲がいいと思われるともえと一緒に帰っている様子がないし、何か都合でも悪いのだろうか。
「どうかねえ、女子の友情って簡単に壊れるって言うし……。お前さ、『バイトモ』って……知ってる?」
「ばい、とも?」
聞きなれない言葉に秋人は思わず鸚鵡返しに聞き返した。バイト友達だろうか、と想像したが、その後に続いた栄太の言葉にそうではないことを知らされる。
「バイトモってのは、『バイバイ』だけ言う友達のこと。女子んなかじゃよくあるんだと」
「……? なんだそれは、それが友達なのか?」
「シラネーよ。女子の文化は男にゃ理解できないトコあるからなぁ。一緒に遊ぶ事はないんだけど、挨拶だけする関係らしいぜ。バイバイ友達の略なんだってよー」
説明されても、理解が追いつかない。それはどういうくくりの仲なのだろう。ならば、そもそも挨拶さえもしない関係もあるのだろうか。秋人も女子の感覚には少々カルチャーショックを受けていた。
「ま、あの様子だと、吉原さんとフィリップスさんは『バイトモ』じゃあなさそうだけど」
「うむ……」
結局、秋人は、まだまだシャーのことを分かっていないのだなという事だけしか分からなかった。
学校は昼までで終わっている、今日はまだまだ時間に余裕はあるが、昼食時の十二時はお腹も空いていた。普通ならさっさと家に帰って昼飯を食べるのだが、なんとなくシャーの事が気になっていた。
便所に入って個室の便座に腰掛けると、LINEを立ち上げた。
「…………」
女子にLINEするのは生まれて初めてだ。どう切り出せばいいか、暫し悩み、じっと画面を睨みつけていたが、ヴヴヴとバイブしたスマホがLINEのチャット着信を告げた。
画面にはシャーからのメッセージで『帰ったの?』とあった。
慌てつつも、秋人は慎重にメッセージの返信を打ち返した。『まだだ、便所だ』と素直に伝えすぎて送信したあとに後悔した。なぜオレは女子に便所にいることを報告しているのかと。デリカシーのかけらもない自分に軽い自己嫌悪がする。
そのシャーの返しはスタンプだった。
ウサギがコロコロの糞をお尻からぽんぽん発射しているコミカルなイラストだった。
さすがの秋人もブフォっと噴出した。こんなスタンプ、どこで入手したのだろう。いや、そうじゃない。シャーの返しの意外性に度肝を抜かれたのもあるが、これではまるで自分が脱糞しているように思われているじゃないか。慌ててそこだけ否定する。
『違う。何ももよおしてない』
『もよ??』
『排泄していたわけじゃない』
『排泄??』
『だから、あーもう、なんて説明していいか分からん』
『うんこしてた?』
『おまえ、人が折角言葉を選んでいるのに』
これが記念すべき女子との初チャットだというのか……。秋人はスマホのチャット履歴にがくりと肩を落としてしまった。
一応、年頃の女の子だというのに、気遣ったのがバカバカしいほどにシャーは開けっぴろげだった。だが、それが秋人には安心に繋がった。女子との会話に変に気を揉んでいた自分を、まるで気にせずに話せと言ってくれたみたいに感じられたのだ。
『いっしょにかえろ?』
チャットに届いた彼女の文面に、秋人はドキンとした。
こんな事を言われてしまうと、恥ずかしくなってくる。そして、どうにも
冷静を取り繕って、やっとこれだけ返信できた。
『下駄箱で待ってる』
**********
下駄箱で合流した二人は、そのまま校門から出るとどちらともなく、イヤホンを取り出した。
「持ってきたナ!」
「おう」
それはスマホに取り付ける周辺機器のマイク付きイヤホンだ。
これを利用する事でウォークラリーをより一層楽しみやすくできるのだ。イヤホンからウォークラリーのナビの機械音声が『ネスト』までの距離と方角を教えてくれる。まるで、自動車のナビそのままだった。
これはナビの基本機能の一つで、クラリーを育成しなくても利用できる機能の一つだ。シャーの<ロケット66>は更に知能を上げてナビのスキルを磨いているため、イベントがどのあたりで発生するかなども調べてくれるらしい。
「今日は、ランチどうするの?」
シャーが聞いてきた。自宅に帰れば、母親が焼き飯かインスタントラーメンあたりを手早く作ってくれるだろう。普段ならまっすぐ帰って昼食の流れだったが、シャーの事が気になっていた秋人は、質問に質問で返した。
「お前はどうするんだ」
「ンー、決めてない」
家で食べる予定はないようで、シャーは昼時をどう過ごすのか、まだ未定のようだった。
もし、秋人は自分の家に帰ればすぐさまインスタントなランチにありつけはするのだが、それは別に自由で帰りに何か適当に食べてきてもいいといわれている。学校から家への帰り道の途中にラーメン屋がある。そこで食べて帰っても構わないが、シャーと一緒にラーメンというのもどうなのだろうと、また考え込んでしまう自分がいた。
だが、つい先ほどのチャットのやり取りでも思ったことだが、シャーに対して遠慮する事自体、なんだか彼女に対して壁を作ることになりそうにも思えた。相手がオープンに対応してくれているのだから、こちらも肩肘張って付き合うのは対等ではないように思うのだ。
「……嫌いじゃないなら、ラーメンでもいかないか」
「えっ! イイネ! チャーハンとギョーザすき?」
「お、おう。あの店、ラーメンよりチャーハンの方がウマいぞ」
「ラーメンなのに、ウケるー!」
とりあえず、好感触のようで秋人はほっと胸をなでおろした。
そして、やはり彼女に対して、変に気構えることをやめようと思った。今考えていたのだって、彼女が『外人の女の子』だから、ラーメンは好きじゃないという、どこからかやってくる偏見のためだ。だが、そうではない。シャーは一人のヒトなのだ。同年代のクラスメートなのだから。
ラーメン屋へと向かいながら秋人は、改めてシャーとの付き合い方を見直すのであった。
そんな折、イヤホンからのナビゲーション音声が届いた。
『クォンタムファクター発生』
「むぅ、ファクター?」
足を止め、スマホを取り出すと、マップ画面中央の自分の傍に『渦』が発生していた。前回、カリスマ美容室が出現したものと同様だ。
「イベント発生! やれ?」
シャーもスマホを操作し始めた。どうやらあちらもイベントに出くわしたらしい。
秋人はスマホの画面の『渦』のほうを確認し、『スキャナー』を立ち上げる。するとカメラモードが起動し、目の前に光の粒子が渦巻く『クォンタムファクター』が出現した。
渦の中からは青色のかまくらが出現し、テキスト枠内に『スポーツジム』と書いてあった。
「青い、スポーツジムが出てきた」
「『体』のスキルを手に入れるコトできるヨ! あ、色はレア度を表してるミタイ。白、青、黄色、赤の順でイイスキルが手に入るでゴザル」
(ゴザルはないだろ、どこで覚えた)
内心つっこみつつ、ゲームの説明を頭に入れながら、青のスポーツジム内に入っていく。『体』を鍛えるためのクラリーは今のところ用意していない。<タキオニウス>は『美』に半分使ってしまったし、前回入手した<ラムラー>は『知』で育ててみたかった。
しかしながら、折角出てきたイベントなので、利用してみたいという誘惑から、とりあえず、<タキオニウス>はこのゲームを知るためのある意味、実験体にしてしまおうと考えたのである。
<タキオニウス>は、せっかくシャーがオススメしてくれたクラリーなのだが、秋人の好みからは外れてしまっていたので、未体験のイベントは全て<タキオニウス>で行わせ、ゲームの内容を自分の中で理解していこうと計画したのだ。
カリスマ屋同様に、アイコンが並んでいて『体を鍛える』は50の数字と共に表示されている。つまり、50点のQPを使って『体』系のスキルを取得するイベントなのだろう。
QPは歩いていたおかげで、余裕がある。50QPは安いものだ。迷いなく、秋人は<タキオニウス>をスポーツジムに通わせた。
青のかまくらがバタンバタンと揺れて、やがて<タキオニウス>が中から戻ってくる。
演出の後、テキスト枠に『【二段斬り】を取得した!』と表示されていた。
「お、【二段斬り】とは、バトルの技って感じがありありとするな」
「ソウ! 【二段斬り】はマイナーなバトルスキル。通常攻撃の半分の威力で、二度アタックする」
それだけ聞くと、どうにもパッとしないスキルにも思えた。しかし、ゲーム序盤で取得するスキルとしてはよくある話のようにも思えたので、秋人はとりあえず、納得する。これで、<タキオニウス>はQP150までゲージが堪っている。残り50Pしかスキルを習得できないのだろう。
「もうすぐゲージが埋まりそうだ。<タキオニウス>も成長限界に来るんだな。あっという間だ」
「最初は、それでイイよ。ランクも上げていかないとダメなのだ」
「ランクって……何のランクだ?」
またも知らない単語が出てきた。<タキオニウス>のステータス画面を見ても『ランク』という項目は見当たらない。
「MeNuの中の『ステータス』の中に今のランクが書いてるから、ミロ?」
シャーの説明にしたがって操作すると、確かに『ステータス』のアイコンを見つけられた。そのままそれをタップすると、画面が切り替わり、なにやらいくつかの項目と数字が羅列した画面へと遷移した。
「えーと、ランクは1か……。このランクってRPGでいうレベルみたいなのか?」
「ソウカモー? ランクは、特定のアクションで貰える『トークン』を使って上げていくヨ」
「とーくん? どうやってもらえるんだ」
画面を確認していくと、『ステータス』項目内に『トークン』があった。残念ながらまだ一つも持っていないようで0と書いてある。
「トークンは、特定のアクションをいくつかクリアしないともらえない。『チャレンジ』の項目があるデショウガ」
MeNu内の項目に『チャレンジ』があった事を思い出して、そこを開くと、またズラリといくつかのリストが出現した。
最初に眼を引いたリストのテキスト内容は『クラリーをQP上限まで育てる』だった。
QPの限界まで育成させたクラリーがいれば、このチャレンジをクリアできるのかもしれない。そうすると、『トークン』と呼ばれるランクアップアイテムが貰えるのだろう。色々と奥深そうなゲーム性に秋人はなかなかワクワクしてきた。
チャレンジの内容を見ていくと、『????』と書いてあるまだ内容が開示されていないチャレンジもあるようで、ランクを上げる事でこれらが開いていくのかも知れない。
まず、簡単に達成できそうだと思ったのは、先の『クラリーをQP上限まで育てる』と、『クラリーを三体仲間にする』だった。
「ランクがあがると、どうなるんだ?」
「色んな機能が追加されていくよ。最初はフレンド登録を獲得するカラ。早くランク2にして、フレンドしよ?」
笑顔でシャーがブイサインなのか、数字の2なのか不明だが、チョキチョキと指を動かして見せていた。
「お前はランクいくつだ?」
「アタシ、15。中級者ダネ」
「15か、随分離れているように感じる」
シャーは随分ウォークラリーになれているようだから、流石に差はあるだろうが、一緒に並び立てるほどにまでなれるだろうか少々不安だった。
「最初はすぐに上がるよ! 夏休みだし、色んなトコにいくたび、ウォークラリーすれば、アッと言う間だから、やれー?」
シャーの口調は、人にオススメするときに命令口調になるのがクセなのだろう。口調は乱暴に聞こえるが、天真爛漫な笑顔と、彼女の可憐な声色がそれを打ち消すみたいだった。寧ろ、そこが彼女のチャームポイントにも思えてくるほどに、シャーのそのトークは独特の魅力を持っていた。
だからこそ、益々気になってくる。なぜ、彼女はこうも一人で下校し、自分などに絡んでくるのか。
そこの角をまがればラーメン屋が見えてくる。そこでなら、少しはゆっくりと話す機会もできるだろう。秋人は空腹よりも、そちらが気になって仕方なかった。
福龍ラーメンと書いてある看板を見つめながら、秋人はイヤホンを取り外すのであった――。
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