ミッションスタート

 『ネスト』の御堂は、低い生垣に囲われた中で、夏日差しを遮る大きな木の陰にひっそりとあった。

 どんなに暑い夏の日でも、不思議とここは涼やかで、小さな木製のベンチが設置され、ちょっとした憩いの場になっている。

 秋人はそれがなんのために建てられた御堂なのかは理解していなかったが、幼い頃からここは祖父の家のすぐ傍の遊び場としてよく利用していた。


「ナビ、『ネスト』スキャン開始」

 音声操作でシャーがスマホを御堂に構えて画面に『ネスト』を捕らえた。すると、御堂からクォンタムの光が噴出して、やがてひとつのクラリーを形作った。


「あっ、これ亀山くんの<プリリル>?」

 ともえも、スマホを操作して画面に出現した<プリリル>を確認して声を上げた。

「そうだ。これから、三人はオレと<プリリル>から発令されるミッションをクリアしてもらうぞ」

 『ネスト』から出現した<プリリル>は交渉対象ではなく、設定された『自作ミッション』を案内するゲーム・マスターだった。そして、そのミッションを製作した秋人の企画こそがウォークラリーだ。


「さっきも気になったが『夏の幻を探せ』ってミッション名の由来はあるのか?」

「ああ、実はオレが幼い頃、この辺りでよく遊んでいたんだが、オレはその時妖精を見たんだ」

「は? 妖精って、クラリーじゃなくて……?」

 告白の内容にともえと栄太が、巨漢の男から出た言葉とは思えないという表情で、眉をしかめていた。

 確かに、メルヘンチックな話ではある。幼い頃の空想の産物。森の妖精の某有名アニメのような話だ。しかし、秋人は実際に『見た』という実感がはっきりとあるのだ。

 自分自身も笑える話ではあるが、これこそ、今回のウォークラリーの題材にもってこいとも思った。

 即ち、幼い頃見た、『夏の幻』は一体何者だったのかというナゾを解き明かすためのウォークラリーである。そのため、この開始地点の御堂『ネスト』から、ミッションのチェックポイントは全て、秋人が幼い頃に遊んでいたスポットめぐりになっている。

 ちょっとしたタイムカプセル探しのようなミッションは、ウォークラリーとしても申し分ないし、ミッションとしても十分楽しめることだろう。


「……なるほどな、その小さい頃見た、夏の幻は一体なんだったのか、ってウォークラリーか」

「ミッションとしては、指定してあるポイントを全て回ればクリアだ。ポイントポイントでナビを立ち上げて、ヒントを見つけないと、次の目的地は見つからないぞ。時間制限はないから、行く先々でゆっくりと景色を楽しんでもいいし、適当なところで昼食にしてもいい。ハイキングのような感覚で楽しんでくれ」

「へええっ、なんだか楽しそうじゃない! シャー、最初はどこにいけばいいか分かる?」

「マッテマッテ! <プリリル>が何か言ってる! ヒントかもー?」

 どうやら、ミッションにはみんな興味を抱いてくれたようだ。ひとまずの掴みはOKという感じで、秋人も「ほっ」と胸をなでおろした。

 秋人とて、もう子供ではない。本当に『夏の幻』の妖精など見つかるはずはないと分かっているが、こうしてこのメンツで自分の過去を追想してくれたら共感しやすくもなるだろう。

 シャーの、知らない土地、風景を楽しみ、人と触れ合うという目的にそえるのではないかと考えて練った計画だった。


 画面内の<プリリル>がテキストでなにやら伝えてきたのを三人はじぃっと見つめて考え出した。

 テキストはこう表示されていた。


『御堂を向いて、左へすすめ。下り坂を真っ直ぐいくべし。カエルの案内人をみつけろ』

 シャーが御堂と向き合って、それから左方面へ指さした。

「アッチみたい!」

「どらどら……、ああ、確かに下り坂だ。行ってみるか」

 ちょっとした傾斜の下り坂に脚を引っ張られながら、一行はいよいよミッション『夏の幻を探せ』の一歩を踏み出した。


「まっすぐまっすぐ!」

「つっても一本道だけど」

「あ。あれってカエルじゃない?」


 下り坂をおりて行った先に飛び出し禁止の看板を示すカエルの人形が置いてあった。

 近くまで行ってよく見ると、随分年季が入っている。塗装などは禿げていて本来は緑のカエルだったかもしれないが、乳白色のカエルのマスコット人形だった。

「これが夏の妖精?」

「そんなわけないでしょ」

 秋人自信すら記憶の奥に仕舞い込んでしまった『夏の幻』ははっきりとした形で思い出すことはできない。ただ、妖精であったという記憶は残っている。丁度、<プリリル>のような少女に羽が生えているようなものだ。とても小さかったとも記憶しているが、少なくともカエルではない。


「なら、ここもあくまでチェックポイントか?」

「カエルの案内人ダカラ。このカエルが案内してくれるカモ?」

「ってことは、ナビの出番ね」

 ナビを立ち上げ、『スキャナー』でカエルをカメラに捕らえると、御堂の時と同様に、カエルの看板人形から粒子が広がって、またも<プリリル>が出現した。

 フワフワと舞いながら、またも画面にテキストが表示される。


『ここまでは練習だ! さあ、幻のカケラその1! 幽霊亀のいる池をさがせ』


「ゆ、幽霊亀ぇ? 具体的な方角のヒントはないのか?」

「ユウレイ! ユウレイってなんだっけ」

「ユウレイは、ゴーストじゃない?」

「いや、ファントムかも? はたまたモンスター? つか、亀ってなんだよ、ユウレイのカメって」


 出されたヒントに三人は色々と議論しながら、ウォークラリーの画面を見つめてはたと気が付いた。


「ナビの範囲を広げて……あっ、あるわ。ここから北東側に、小さな池かしら……」

「そこに幽霊亀がいるんだな?」

 ナビを探りマップモードで画面を引くと、池があることを見つけることができたが、幽霊亀の池なのかは正直分からない。栄太が秋人に回答を確認するみたいに目配せして聞いてきたが、秋人は「さて、どうかな」と濁した返事でニタリと笑って見せた。

 ゲームマスターとして、参加者を楽しませるべく、そう易々と種明かしはするべきではない。

「いくしかナイ!」

「おっしゃ、それじゃその池まで行って見ようぜ」

 青空の下、四人は心地よい山の風に撫ぜられながら、ナビマップを頼りに、進み始める。池へと進む道は山向こうの光景が良く望める景色になっていた。自分達が乗ってきた電車の路線が見え、遠くには山間に広がる街も確認できた。

 開けた場所で、空気がうまい。吹き付けてくる風も心地よく、シャーのブロンドを揺らしていた。


「なんだか、心地いいわね」

「スッキリするね、トモチャン」

 先頭を行く少女二人が笑顔を零しながら談笑する。『ウォーク・ラリー』としてもいいカンジだと、秋人は喜んでいた。気持ちのいい山の空気は、日頃学校で狭い教室内のスクールカーストに息苦しくしている高校生にとって、憩いになった。

 開けた景色は、締め付けていた心を解き放たせ、堅くなっていた脳をほぐすみたいだ。

 とある学者が言っていたが、良いアイディアを練る時は、天を仰ぐといいのだとか。それもできる限り、高い天を眺めること。低い天井の下ではいい発想は生まれないらしい。

 真か嘘かは分からないが、秋人はこの青空に刺激された事で、ひょっとすると妖精にも出会えるかも知れないなどと、ガラにもなく考えてしまっていた。


 暫く歩くと、ナビの通り、そこそこの池があった。人が入り込まないように鉄柵で仕切られてはいるが、間違いなく池である。鉄柵に貼り付けられていた看板に、『貯水池では釣りをしないでください』と書いてある。

「貯水池……これが、幽霊亀の池、なのかしら?」

 ともえが金網からまじまじと池のほうへ視線を投げると、池の中には魚が泳いでいる事が確認できた。なるほど、確かに釣りが出来ない事もない。

 池の土手には小さな管理小屋もあるが、そこも鉄柵を越えないとならない場所だ。

「ユウレイ、どこかなあ」

「この池は、昔から出るって評判だ」

 さらりと言った秋人の言葉に、ともえがぎょっとした。

「な、何が出るって!?」

「だから、ユウレイだよ。あの池を夜中の3時に見つめると、白い腕が手招きしてるのを目撃できるとか……」

「や、やめてよ、そういうのニガテなの」

 青い顔をするともえに、意外と秋人は思いながらシャーを様子見したがシャーは特にそういった話題は問題ないらしい。しがみついてくるともえの隣で笑顔を浮かべていた。

「へええ、吉原さんホラーだめなん? こりゃ、今夜楽しくなりそうじゃん」

「こ、今夜?」

「え、やらないの? 肝試し」

「ぜ、絶対ない! しない!」

 栄太が面白そうに笑う中、ともえが必死に拒否していた。シャーはその二人を見てやっぱり楽しげに笑っていた。どうやらウォークラリーは気に入ってもらえているようだ。

「ま、白い手の話はさておき、幽霊亀はこの近くにいるぞ。探してみろ。別にこの鉄柵は超える必要はないから安心してくれ」

 その言葉で、栄太とシャーは勇んで調査を開始したが、ともえはまだ青い顔で池のほうを見るのを避けていた。どうも本当にホラー系に弱いらしい。


「かめ……、カメねえ……?」

 栄太が池の周囲をぐるりと回るように調査をしていると、ひとつ目に付いたものがあった。それは鉄柵のゲートだった。しっかりと施錠されていて、ゲートを開くことはできないが、そのゲートに一枚の注意看板が立てかけてある。


『ここでは泳がないでね』


 そう書かれた看板には、亀の甲羅をしょった緑のオバケが描かれて池を泳いでいる描写がされてあった。


「あっ! あったー! あったよ、これだ幽霊亀! 河童のことだったんだ」

 幽霊亀の正体は、つまり河童のことであった。つまり、この看板がチェックポイントなのだ。

「見つけたか。ここだけの話だが、子供の頃はよくここに忍び込んで遊んでいた。釣りもやっていたんだが、怒られてな。翌日にはこの看板が付けられてカギも強硬なものになったんだ」

「お前要因なのかよ、この幽霊亀……つか河童」

「どうやって忍び込んでたの?」

 昔はやんちゃな子供だったことを意外そうに笑いながら、栄太とともえがその当時の事を訊ねてきた。

 小さい頃は、わりといい加減な管理状態であったこの貯水池は鉄柵の下のほうが大きく開いていて、小さかった子供の頃なら滑り込むことができていたのだ。

「ああ、昔はゲートの下のほうをくぐれたんだよ。小さな隙間があってな」

「えっ?」

 そんな告白に、シャーが不思議そうな声を上げた。

「どうやってくぐったの?」

 妙に神妙な表情のシャーの質問に、秋人は少し怪訝な顔をしたが素直に当時の事を説明した。


「どうやってって、言ったとおりだぞ。隙間に体を横にして匍匐前進ほふくぜんしんならぬ、匍匐横進って具合に……ズリズリと……」

「汚れなかった?」

「まぁそうだな。腹のほうを地面につけて移動してたから、前のほうは泥まみれになることもあったか」

 子供の頃など、汚れなんかまったく気にせず泥まみれで遊んでいた。帰ると親からこっぴどく叱られたが、泥まみれになって『探検』をしていると、まさに冒険をした勲章のように思っていたものだ。


「アキト、おっきいのに……どうやってくぐったの?」

「いや、オレだって子供の頃はあるんだぞ。昔からこんなにデカかったわけじゃない……」

「えー?」

 そう言えば、以前シャーに子供の頃の話をしたとき、『ウケるー』とか言って、まともに取り合ってくれなかった。秋人の巨体からは、小さかった頃など想像つかずに、奇妙なクリーチャーで想像してしまったのだ。

「つか、ナビしようぜ。この河童にスキャナーを向ければいいんだろ?」

 腕組みしてなにやら考え出したシャーを促すみたいに栄太がスマホを取り出して、河童の看板にカメラを向けた。

 ずばりそれはチェックポイントで看板から、ガイド役の<プリリル>が出現する。どうやら、これが今回のウォークラリーミッションの基本形のようだ。

 次なる目的地のヒントを告げる粒子の妖精の案内と共に、秋人の幼少時代を追走し、自然豊かな遊び場の山を散策していく。

 まるで子供の頃に戻ったみたいに、四名は野山を駆け巡る――。


 やがてやってきた小川で、一同は「わぁっ」と感嘆の声を上げた。

 夏の山道を歩き回り、みんな汗を垂らしていた。そこに現れた涼しげな小川は、まるで歓迎するようにせせらぎを響かせている。


「ひょー! 川じゃん!」

 栄太が言いながら駆け出した。水辺そばまでいって、登山靴トラッキングシューズと共に靴下も脱ぎ捨ててバシャバシャと水の中へはいっていった。

 水の深さは一番深いところでも膝下くらいまでしかない。心地よい水の流れに脚をくすぐられていく。


「つめてー! サイコー!」

 はしゃぐ栄太に続きともえも水辺まで向かって、水に手をつけてみた。なるほど、ひんやりとした山の水の温度が心地いい。

「綺麗な水ね。透き通ってる」

「だよな、泳いでる魚も見えるんじゃないか?」

「子供の頃、手づかみで捕まえていたからな。見えると思うぞ」

「クマかよ、お前っ」

「だから、お前らはオレの子供の頃まで現在いまの姿で想像するな」

 どうやら、秋人の子供時代はなかなか想像することが困難なようで、栄太がどんな光景を思い描いているのか、すぐに察する事ができた。

「どうだ、シャー。川に来たかったんだろ」

 秋人は、隣で川辺ではしゃぐ、ともえと栄太をぼんやりと見つめていたシャーに声をかけてみた。

 こういうとき、真っ先に飛び込んでいくと思っていたシャーだったが、なにやら先ほどから辺りの光景に目を奪われる事が多く、シャーは暫し景色にクギ付けになってしまうことがあった。


「シャー? どうした、疲れたか」

 覗き込んできた秋人に、びくんとひとつ跳ね上がって、シャーは改めて確認するように、秋人の顔をじぃっと見つめ返してきた。

 青い瞳がまじまじと秋人に正面から向き合ってくるのが、彼の胸を高鳴らせてしまう。その気持ちを封印するように、秋人は瞼を落として、ゆっくりと開いた。

 そして、気持ちをニュートラルにして、『友情』のギアに切り替えようとした秋人が見たシャーの表情に、彼は面食らった。


 アクアマリンの宝玉が濡れて揺れている。

 そして、頬は紅潮し、可憐な口元が少しばかり、ぽかんと開いていた。


(この瞳――?)

 秋人は、不意に感じた既視感に困惑した。そして、それはシャーも同じ感覚に捕らわれているようにも見えた。

 シャーは、何かを見つけたような顔をしていたのだ。ずっと探していた、何かを。ついに、やっと、見つけたという感動に表情が追いつかず、沸き起こる熱いものに、瞳の奥から自然と涙があふれてしまったような――。


「アキト――?」

「あ、ああ」

 確認するみたいな声色だった。まさか、という表情で、シャーは名を零した。彼女が何を言わんとするのか、秋人には分からない。

 それよりも、自分の中で感じ取ったデジャヴの正体が気になって、目の前の少女のことをきちんと考えられずにいた。


「おうい! 丁度いいから、ここで弁当にしようぜ!!」

 向こうから声を響かせた栄太に、二人ははっとして、小川のほうへと振り向いた。

 相変わらず小川の中から手を振る栄太と、奇妙な反応を示した友人にきょとんとしたともえが、水辺で腰をかがめている。


「メシにするか」

「ウン!」

 栄太の提案をなぞるような秋人の言葉に、飛び切りの笑顔が返ってきた。

 今までシャルロット・フィリップスという人物と付き合ってきて、彼女が天真爛漫な少女であることを理解していた秋人だったが、それでも今の彼女の笑顔は今までに見た中でも、もっとも光っていた。

 それが、秋人の心にまたも点火してしまう。

 封印しようと心のギアを動かしたはずなのに、エンジンに火が入り、『友情』のギアでは、もう加速が押さえられそうにない。


(シャーとは、友人だ――)

 理性はそう言うのに、彼女の笑顔がそうさせてくれない。


(こんなの――、ムリだろ――。そんな顔されたら、オレが作った『友情計画』が壊れてしまうだろ――)


 このウォークラリー計画は、確固たる友情を育むべく進められるべきなのだ。そのための、旅行なのだから。

 秋人は、シャーの笑顔から、顔を逸らすしかなかった。

 そうしなければ、裏切る事になる。ともえへの言葉を。シャーの想いを乱してしまう。関係は崩れ去っていく。これ以上の幸福を、自分が得るべきではない。彼女の珠玉の笑顔は、彼女が求める彼へと向けられるべきなのだから。


「さ、昼飯だ」

 秋人は、空腹感に気持ちを支えさせ、逃げ場を求めるように、腰掛けられそうな石を探す。

「トモチャン! ゴハンのあと、川で遊ぼう!」

「ええー……濡れちゃうじゃない……」

「ソレがいい! みんなで水遊び、しよ!」

 シャーは、普段の様子に戻ったようだ。調子が出てきたのだろう。無邪気にはしゃぐ少女は、どうしようもなく、秋人のギアを『慕情』に切り替えさせていくのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る