ウォークラリー ~粒子妖精戦争~

花井有人

亀山の夏、黄金の夏

 もうすぐ一学期も終わる七月の中ごろ。

 制服は夏服になっていても、暑いことは避けられない。

 亀山秋人は夕方の通学路を家に向かって汗をかきながら歩いていた。


 高校一年にして、身長百八十センチあり、ガタイもいいため、柔道部など部活勧誘がやってきていたが、秋人は全てそれを断った。

 寡黙であり、無骨であり、不器用な彼はクラスの誰もが『漢』であると認識していた。

 そんな彼も気候には敵わないのか、汗を額にかきながらのしのしと歩を進めていた。


 いつも変わらぬ帰り道。

 見慣れた景色はつまらない住宅地に差し掛かっている。

 毎日同じ事の繰り返しに、秋人は溜息を零す。



「ただいま」

 自宅に帰り着くと、家飼いをしているペットの柴犬のチャオが飛びつくように出迎えてくれた。

「おー、チャオたん~! ただいまーぷぷぷぷぷー!」

 その巨体から出すとは思えない猫なで声を発しながら、愛犬に顔面を舐めまわされている秋人の顔は幸福に満ち満ちていた。

 彼が部活を断り続ける理由が、この愛犬チャオである。

「散歩行きましょうね~! 着替えるからちょっと待ってねー!」

 足元に絡み付いてくるように飛びつくチャオを気遣いながら、二階の自室に引っ込んで制服を脱ぐ。

 すぐにラフな普段着を着こんでから、一階に降りると、母親と出くわした。

「おかえり」

「おう、散歩行って来る」

「じゃあ、ついでにコンビニでドッグフード買ってきて。切らしてたのよ」

「おう」

 犬のリードを取ってくると、チャオが反応し、激しく跳ねながら秋人の足にまたも飛びつく。

 散歩に行くときの手提げ袋に、犬の糞を回収するとき使用するビニール袋を詰め込んで、ショルダーバッグをひっかけて散歩へ出かけたのだった。


 亀山秋人は、大の動物好き……と云うか、可愛い物が大好きだったのだ。

 自身の見た目からは似合わない乙女チックな趣味である事は理解していたが、だとしても好きなのだからしょうがない。

 ともかく、最近飼い始めたチャオに、秋人は夢中だった。

 毎日、帰宅してから一時間ほどのチャオとの散歩を日課として、自宅周辺を歩いて回っていたのだ。


 自宅周辺は、住宅地であるが、その周囲には公園やら、神社、学校や遊歩道もあるので、犬の散歩コースとしては申し分なかった。

 ……申し分、ないとは思うのだが……。

 こうして毎日同じ風景を見て散歩をしていると、どうにもつまらない。

 別段、都会でもないとある市の住宅街だ。

 おもしろいモノがホイホイあるわけがないのは理解できるが、高校一年の秋人にとって、それは退屈な風景だという印象しかなかった。

 そんなつまらない散歩コースをチャオは毎日、楽しそうに駆け回る。

 くるんと巻いた尻尾をピコピコ揺らせて、気になるものがあれば、すぐに駆け寄り、においを嗅ぐ。

(いつも同じコースなのに、飽きないもんだなあ)

 チャオのお尻を眺めながら、秋人はチャオを羨ましく思った。


 散歩コースも折り返し地点に差し掛かる頃、秋人は少し広めの公園に居た。

 大きめのグラウンドに、別スペースにはブランコや滑り台もある。休日の午前中はグラウンドでゲートボールをしている御年寄り達を見る事もできる、多くの人間が利用する公園なのだ。

 蛇口を捻ると水が出る水道もあって、喉が渇いたチャオのために、立ち寄るポイントでもある。

 今も、チャオに水を飲ませているところであったのだが、そこでとある男女に目が引かれた。

 と、いうより、女の方に目が行ったというべきだろう。


 その女性は、綺麗なブロンドの髪を光らせ、公園の名前が掘り込まれた石碑の前で男と何やら話している様子だった。

 そのブロンドの髪から、外人であることは明確に判断できる。

 青い瞳は、透き通っていて、こんな日本の住宅街傍の公園にいるのが似つかわしくないとも思える。

 だが、秋人はその女性、いや、年齢的に少女と表現するべきか――。

 彼女を知っているのだ。


 彼女は、秋人のクラスメート。アメリカからのホームステイで留学に来ているシャルロット・フィリップスだ。

 秋人はまったく話したことなどない。

 そもそも、クラスの女子と話したことがない。

 寡黙で怖いと思われているらしく、女子は秋人にあまり近づこうとしないからだ。

 なので、彼女の事は同じクラスメートの金髪、くらいにしか知識がない。

 家はこの辺りなのだろうか? あの一緒にいる男はなんだろう。

 少し興味が湧いた秋人は、様子をうかがってみた。


 シャルロットは、まだ制服のままで帰宅した様子が無い。今、帰宅途中なのだろうか。

 男の方は、日本人で見たところ二十歳かそこらの大学生のように見える。

 御互いにスマホを見せ合って、なにやら騒いでいる……というか、どうも険悪なムードのように見える。


(痴話げんかか?)

 だとしたら、ほおっておけばいい。

 しかし、これがナンパ目的の男であって、シャルロットが迷惑しているのだとしたら、助け舟くらいは出してもいい気がする。

 暫く様子見と行こうと思ったその時――。


「きゃわわん! きゃわわん!」

 チャオが吠えた。秋人が立ち止まっていたせいで、早く行こうと急かしているのだろうか。

 その鳴き声にシャルロットと男がこちらに顔を向けた。


「ハイ! アキト!」

 シャルロットが明るい声でこちらに駆け寄ってきた。

 自分の名前を呼ばれた事に驚いた秋人は、そこで立ち止まっているしかなかった。

 シャルロットが秋人に駆け寄ると、男のほうはバツが悪くなったように、小さく舌打ちしてからその場を去って行った。

「は。はい。しゃるろっとサン」

 慣れない挨拶をして、硬い表情で秋人はシャルロットへ手を上げた。

「助かりましタ! アイツ、ネンド草かっタ!」

(ネンド、草、刈った?)

「アタシ、あの人知らないケド、ガールフレンドになれって、ヒツコイ」

「……あぁ、ナンパされてたのか」

 どうも先ほどのネンド草は、めんどくさかった、と言いたかったらしい。

「アキトが来たから、ヨカッタね!」

「いや、俺は何もしとらん」

「イヌ!」

「チャオだ」

「チャオ、名前? ウケるー!」

(なぜ、ウケる)

 シャルロットは、しゃがみこんでチャオの首元を撫でながら、楽しそうに笑っていた。

 こうして、改めて近くで彼女を見て分かったが、シャルロットは小さい。

 その身長は百五十センチくらいしかないように見える。

 欧米の人間は大きくなるのではないかと思ったが、東洋人の自分が高一で百八十あるし、まだまだ背が伸びている事を考えると、欧米人だからデカくなるというわけでもないだろうと勝手に自己完結した。

「……今、帰りなのか」

「ソウ」

「一人か、珍しいな」

「クラリーしてたからな」

 チャオを撫でまくりながらシャルロットは秋人に目を向けた。

「くら、り? なんだって、良く分からない」

「War Q Riry」

 流暢な英語で発音されたせいで、秋人は尚更聞き取れなかった。

 相変わらず、いぶかしんだ顔をシャルロットに向けているとシャルロットが「ヘイヘイ」と立ち上がって、傍にくるよう手招きした。

 彼女はスマホを見せ付けて、覗き込めというように、指を指し示す。

 秋人は、仮にも女子のスマホの中身を見ていいものかと、一瞬躊躇したが、あちらが見ろと言っている以上、見ないのも悪い気がする。

 結局、彼女のスマホの画面を覗き込むと、そこには地図が映し出されていた。

 ナビゲーションとかでよく見る画面だ。

 GPSを使用しているのか、画面中央には矢印のアイコンが光っていた。

「……地図? どこか行きたい所でもあるのか?」

「ノンノン、見ろよ?」

 ……改めて画面を見ると、矢印アイコンの直ぐ傍にキラキラと輝く粒子がフワフワ浮いているように見える。

「ん、なんだこれは。目の前に光が浮いているようだが」

 地図と照らし合わせれば、光がある箇所は、公園の石碑の箇所に該当しそうだ。

 つまり、目の前だ。

 そこで、シャルロットがニヤリと笑うと、スマホを数度タップした。

 そのままスマホのカメラを石碑に向ける動きをとった。

 石碑を撮影するのだろうかと思った秋人は、ぐいと、手を引かれてシャルロットと密着するようにスマホ画面を再度覗かされた。

 小さい割りに力があるなと驚きながら、密着したシャルロットの柔らかさに秋人は少しドギマギした。

「ドコ見てるんだ、ちゃんとしろ?」

 この少女はところどころ、日本語の使い方がおかしいなと内心ツッコミながら、示されるまま彼女のスマホに眼を向け、秋人は息を呑んだ。


 スマホのカメラが起動していて、目の前の公園の石碑を写しているのだが、その石碑からポツポツとホタルのような光が浮き上がり始めたのだ。

 やがて、その光が中央に集まりだし、スマホのカメラ画面がまばゆく輝る。

 すると、光が形をつくりはじめ、画面中央には耳と尾がふっくらと大きく膨らんだ小動物に変化したのだ。

 思わず、スマホから目を離して、石碑を直視する秋人だったが、石碑には何も異常はない。

「なんだ、これは!?」

 スマホで写した画面の中にだけ出現したそのウサギとリスを足して二で割ったような小動物は、石碑の上でキョロキョロと首を回すような動きをしていた。

「Quantum fairy」

「くおん、え?」

「クォンタムフェアリー、略してクラリー」

 そうして、彼女はドヤ顔でこう言った。

「これがウォークラリー!」

 秋人は、シャルロットの言っている事が飲み込みきれなかった。

 試しに、自分のスマホのカメラを立ち上げて石碑を写しても、そこにはあの小動物どころか、輝く粒子も写らない。

 シャルロットのスマホが特別なのかとスマホ本体を観察してみたが、いたって普通の、日本で売られているスマホだ。

「アキトも、ウォークラリー、シたいか」

「俺もできるのか? 俺のスマホで写してもダメだぞ」

「デキる。これは、スマホのアプリ。ロハのゲームだぞ」

「ゲーム? スマホのゲームって言うと、ガチャがあって、体力制のポチポチ押すヤツか」

「チガウし! このゲームは、GPSとARを使った、実際の地球を舞台に遊ぶゲーム」

「ARってなんだ……」

「ARは、こうやって、スマホの画面で見ると現れる、トクベツなピカドン!」

 どうも、この小動物や光の粒子の事を言っているらしい。

「まずは、アプリをダウンロード! そこにコンビニあるよ。ね?」

 シャルロットが秋人を誘うように、コンビニの方へ駆け出す。

「お、おい、まて。……まったく、アメリカ人ってのはみんなこうなのか?」

 どちらにしても、コンビニには用事があった。

 シャルロットに引かれる様に足を向ける。秋人は何だかんだ言いながらも、彼女の小柄な身体から溢れる引力に導かれていくのだった。


 秋人はコンビニでドッグフードを買うため、チャオのリードをシャルロットへ任せる。

「すまんが、チャオを頼む。ちょっと買い物を済ませてくる」

「オーキードーキー。じゃあ、アキトのスマホ、貸して。ウォークラリーをDLしとく」

 秋人は、スマホをシャルロットに手渡し、リードを預けてコンビニ内に入っていった。

 暑いし、ジュースでも奢ってやるか。そんな風に考えて適当に、ポカリスウェットを選んでドッグフードと一緒にレジに持って行く。

 しかし、なぜ彼女は自分の名前を知っていたのだろう。

 彼女は外人で、留学生でクラスでも目立つから名前は覚えやすかったし、実際うちの学校で彼女を知らない人間の方が少ないだろう。

 対して自分は、デカイくらいが特徴の寡黙な男子だ。

 名前を覚えられるような事はしてないと思っていたのだが、と、少々シャルロットに別の興味が湧き始めてきていた。


 コンビニから出ると秋人のスマホをクリクリやっているシャルロットと、自分の姿を見止めたチャオが「きゃわわん!」と高く鳴くのを確認した。

「どうだ、ゲームは入ったか」

 秋人は、シャルロットの顔を見つめ、訊ねてみた。

「まだ、コンビニのWiFiにつなげて、ストアでDL中」

「そうか、すまんな。俺はそういうのがあまり詳しくないんだ」

 言いながら、シャルロットにポカリスウェットを差し出す。

「おっ、くれるの?」

「やる」

「アリガトマス!」

 遠慮などなく、素直に受け取って、ボトルキャップを空け、ポカリを飲む彼女は、まるでTVCMのタレントのように絵になっていた。

 彼女のブロンドの髪がそう魅せるのかもしれない。

「ついでに、アタシのとLINE、フリフリしておいた」

「なに? いいのか?」

「ナニガ?」

「いや……」

 彼女のアプローチに押されながら、自分の知らないところで女子のLINEIDを手に入れていた事に少々、気持ちが付いていかなかった。

 この見た目と、性格から、女子とはまったく仲良くなれずにいた秋人は、女子との連絡なんて皆無であったので、この状況に戸惑っていたのだ。

 対してシャルロットは、何も意識していないように、軽々しく、オープンに、彼を自分のスマホに入れ込んだ。

「シャルロット……」

「その呼び方、やめろ?」

「うっ」

 思わず、指摘された事に秋人は息を詰まらせた。

 考えて見れば、シャルロットというのは、ファーストネーム。苗字ではなく、名前ではないか。

 つまり、女子の名前を呼び捨てで呼んでいたのだ。それは注意もされるだろう。

「すまん。ええと、フィリップスさん」

「シャー」

「大佐?」

「シャー!」

「何、威嚇しているのか?」

「違う! えっと、なんだっけ。アダナだよ、シャー!」

「え?」

「アタシのことは、シャーと呼んでくださイ」

 秋人は、別の意味で汗をかきはじめていた。

 仲良くなったとも思えないような、ついさきほどの出会い。

 そんな彼女からのアダナ呼び提案。

 アメリカ人ってやっぱり、アグレッシブなんだなあと、異文化交流を肌で感じた。

「じゃあ、シャー」

「なに!」

 小柄な彼女が青い瞳を大きく開き、くりくりと動かす。

 その笑顔は、夏の日差しを吹き飛ばしてしまいかねない輝きをみせつけていたと感じた、高校一年亀山秋人は、変わらぬ景色が黄金に見え始めたのだった――。

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