バッティングセンター

 


 その後、前園と俺でなんとか一年生を慰め、なんとかするとなんの解決のアテもないことを言ってしまった。



 ——その日の練習は、やはりというべきか、そのままの空気を引きずっていた。


 皆どこか気まずそうに小声で話し、落合に至っては口を開いていない。


 柊木ひいらぎの引いたラインも、心なしか曲がっているような気がする。


 先生はベンチに座ると首を捻り、いぶかしんだ表情で俺に聞いてきた。

「なにかあったのか?」


 そんなことを言われても、答えづらいこと限りない。


「えっと……まあ、新入りのバイトの話で一悶着あったというか……」

「ふ……む?」

 どうやら誤魔化しようもなさそうなので、かくかくしかじかとなるべく穏便な表現で、事の顛末てんまつを話した。


「そうか……なるほど。困ったな……」

 先生はさほど深刻そうな顔をせず、アチャーというおどけた表情をしてみせる。


「ちょっと行ってくるか」

 先生はよっこらせとベンチから腰を上げ、ブルペンで投球練習を行っている落合のもとへ歩み寄った。


「落合……ちょっといいか」


 先生が声を掛けると、捕手の方を向いていた落合が「はい」と返事をして振り返る。

「今日の昼に何があったか聞かせてもらったぞ」


 落合がこちらをキッとにらむ。

 うわー、やめてくれ……。俺は悪くない……。



 キャッチャーのトンカツは心配そうにマウンドを見つめている。

 内野の各ベースについてボール回しをしている野手陣の中にも、察し始めてきたやつがいるかもしれない。


「一見みんなと変わらないように見えてもな、完全に他の人と同じことができるほどの経済的余裕がない人だってたくさんいるんだ」


「…………」


 ベンチからも聞こえるんだ。きっとトンカツにも聞こえているだろう。


「それに誰しもおまえの家みたいに、家族を挙げて娘の野球に懸けているところばかりじゃないんだ。わかるだろう?」


 落合は下を向いたまま答えない。


 そのあとはよく聞き取れなかったが——どうやら先生は拒む落合の手に何かを握らせていたようだった。


 なんだ!? そういう力で解決しようとしているのか!?

 教育者として——いや、人としてどうなの!?!?


 先生はなにやら落合を言いくるめると、野手陣含めて全員に指示を出した。


「みんな聞いてくれ! 今日の練習はこれまでだ!」


 えっ……。

 まさかの指令に皆唖然あぜんとして固まっている。


「あとはこいつに言ってあるから、適当に聞いてくれ」

 先生はあごで落合を示すと、そのままグラウンドを後にしてしまった。

 …………。


 こうなったら選択肢はない。


れん……先生からなんと言われたのかしら……」


 吉川と落合がやっと口をきいた。





 グラウンド整備を終えたのち、彼女らはユニフォーム姿のまま校門を出てすぐの通りを歩いていた。それも、各自バックパックを背負いながら。

 チームのデカいバットケースを持たされているのはもちろん俺である。


 落合はついて行く気はないと拒んだようだが、吉川が「これは監督命令よ」と厳しく迫った為に、後ろの方から不貞腐ふてくされながらもついて来ている。トンカツが面倒を見なければ、今にも隊列から落伍らくごしそうな有様である。


「私は来るつもりはなかったんだ」

「まあ、打ち込みできるのもいい機会じゃない。ね?」


 一方、椿つばきは都の腕を引っ張って、先頭の吉川さえ追い越して歩く。

「椿、危ないわ。ゆっくり歩いて」


 俺は花粉症に悩まされ、ポケットティッシュを消費しながら付いて行く。バットケースを背負う姿は、さながら旅の一行の強力のようだった。


 京葉線を左に見ながら北上していると、線路をまたぐ橋があり、それを渡ったのちに再び線路沿いを北上する。


 工場地帯の中、左手に突如として三角屋根の屋内バッティングセンターが現れた。駐車場もそこそこ広い。


 ここらではちょいと有名なバッティングセンターである。


 建物の入り口の外に、需要のあるのかわからない簡易な「釣り堀」がある。「釣り堀」と言っても、でっかいたらいみたいなもんだ。


 先頭を行っていた椿は真っ先にこの「釣り堀」に食いついた。

「椿、今日の目的はそれじゃないわ」

 吉川が諭して、みな入り口からゾロゾロと屋内に入っていくが、椿は相変わらず中の魚を凝視している。それも、都の腕をずっと掴んだままなので、身動きのできない彼女は困った顔で「はやくいきましょうよー」と言っている。


 俺はこいつらを気にしていてもしょうがないと諦めたので、見捨ててさっさと中に入った。


「いらっしゃいませー」


 うむ、店員の接客態度も今の所良好である。


 平日であるためか俺ら以外に客はいないので、ほぼ貸切状態だ。

 吉川と先輩二人は店員と話し込んでいて、どうやら顔なじみらしい。


 ここでのバッティングは、入り口横の券売機でカードを買うことで料金を支払う仕組みだ。そのカードを打席後方の機械に差し込めばマシンが動き始めると言うわけである。


 落合は嫌そうにしながらも、先生からもらった一万円札を差し込む。


「カードはどうする」

 落合は吉川にぶっきらぼうに聞く。

「そうね、十五ゲームを二枚、四ゲームを三枚にしましょう」


 それぞれのカードを主要な人に渡すと、皆徒党を組んで散っていった。

 どうやら吉川は一年生と一緒に行動するようだ。


 ここのバッセンは、バーチャルなんとかとやらで、実際にピッチャーが投げている映像とシンクロして球が出てくる超いいところである。


 それにしても左打席の少ないことよ。左打席のある一二〇キロのブースは激しい争奪戦になるのが通例だ。

 案の定、前園と椿がこの打席を巡ってじゃんけんをしている。


「じゃーんけんぽいっ! うわあああ負けたああああ!」


 前園が頭を抱え膝から崩れ落ちる。椿は表情を変えずに「勝ったわ」と言いながら右手で小さくガッツポーズをしている。


 昨今は左打者も珍しくないのに、露骨に待遇が悪い。まあ、素人が対象なら右打者が圧倒的に多いし、判断としてはどう評価すべきなのかはわからん。


 落合は椅子に座りこんでそっぽを向いて、まるで打つ気なんてないという素振りだったので、トンカツは堪りかねて促す。


「あー……ほら、打ちたくないならストラックアウトとかもあるよ」

「は? バカにすんなよ。軟球だぞ? それにネットのせいでアンダースローは投げられないし」


 確かに、さすがにトラックアウトは練習には使えないだろうな。軟球であることは感覚がまるで違う上に、軽率に重さの違う球を思い切り投げるのは肩や肘にはリスクがあるかもしれん。


 一年生は吉川の指導のもと、楽しそうに七五キロの低速球でキャッキャと騒いでいる。

 もちろんバリバリ経験者の葵嬢は別メニューで、前園のグループにひっついて一二〇キロの左打席で打っている。


 しかし、一番気になっていた都は打席には立たず、吉川に一番右端のブースにあるストラックアウトに連れて行かれた。


 待機しているやつらも、横目でチラチラと都の様子を気にしている。


 俺も例外ではない。


 都がブースに入ると、足元の機械がガシャンと音を立ててボールを都の胸元まで放る。

 都はそれを両手でハシっと掴むと、少し困惑した表情を見せた。


「えっと……」


「あの的を目掛けて投げてみるといいわ」


 吉川が、九等分されたストライクゾーンを模した的を指差すと、都は意を決して右足を上げた。


 的目掛けて右足を真っ直ぐ踏み込むと、少し肘の位置の低いスリークォーター気味に腕を振り切る。


 きっと、皆がそれに見入っていただろう。


 ボールはドシィっと音を立てて、九等分中真ん中の枠に見事に命中した。


 「おおっ!」と歓声が上がる。


「すごいじゃない」

 吉川が微笑む。


「ええっ!?!? 何が起こったんだい!?」

 前園が左打席内で振り返ると、何がそんなにすごかったのかと騒がしく尋ねている。


 どうやら「皆」ではなかったらしい。


 すると、よそ見をしている前園の尻にマシンから投ぜられた球が勢いよく当たった。

 

「ゔああ!」


 前園は悶絶した。


 都はそれっきりボールが逸れに逸れて、ストライクが入ったのはその一球だけだった。


「なんだー。見たかったなー」


 前園が不満を口にする。結局、前園はホームベースに背を向けて都の投球を見ていたので、何球か打てる球を無駄にしたようだった。


「惜しかったわね。縦横斜めどれかでビンゴなら景品が取れたわよ」

 吉川は冗談めかして景品の入ったガラスケースを見やる。


「あっ! ポケットティッシュがあるじゃねぇか!」


 俺は思わず叫んでしまった。そうだ、折からの花粉症のせいで資源は完全に枯渇し、今まさに、誰から恥を忍んでティッシュを恵んでもらうか考えていたところだった。


「そんなに欲しいなら打って来るなりすれば良いじゃない」

 吉川がそう言って笑うと、右の袖を後ろからクイクイと引っ張られた。

 振り返ると、椿が前園の打ち終わった一二〇キロのブースを指差している。


「打つところ、見たいわ」


 俺に打席に立てという事らしい。


「そんなこと言われてもな」


 正直打てるかどうかわからないし、なにより面倒だ。


「ほら、今バッ手ないし……」

「それなら私のを貸すわ」


 椿は、両手の白地に赤と金のラインの入ったバッティンググラブを外すと、俺に向かってポンと放ってきた。


「え!? ちょっ……」


 俺はそれを受け止めたものの、打つ気は一向にない。そういう強引なノリはやめて欲しい。

「お! ノボさん打つのかい!?」

 しかし、よりによって前園に気付かれてしまい、騒いだせいで周りの面々にも興味を持たれてしまったようだ。

 もううんざり。


「っ……しゃーねぇーなー」


 完全に詰んだ。やむを得ないので、バッティンググラブを着け、促されるまま一二〇キロ左打席のブースに向かう。


 しかし、なぜここまですんなりいっているのか。


「おい、椿」


 俺は振り返り聞いた。


「なんでこの打席だってわかった」


 椿は言葉の真意を読み取れないらしく、首を傾げた。


「いや、なんで左打ちってわかったんだ」

「……。よく左で打つ仕草をしているじゃない。さっきもガラスの前で構えてた」

「……。そうなのか」


「そうよ」


 俺はこの言葉に多少のショックを受けた。普段からそんなことをしていたなんて……。


 野球は二度とやるつもりがなかったのに……まったく気づかなかった。。


 ごちゃごちゃ考えつつも、持ってきていたバットケースから手頃なバットを選ぶ。

 操作性が肝心なので、重心が割と手元にあるこれでいいだろう。


 ブースのドアを開けると、椿からもらったカードを打席後方にある機械に挿入する。

 よく見ると、八〇キロ、一〇〇キロ、一二〇キロの三つのスイッチがある。

 俺は迷わず一二〇キロのスイッチを押した。


 向こうのピッチングマシンがガシャコッと起動した。

 初球までには少し時間がある。焦らずに左打席に入り、左足から位置を固める。


 映像のピッチャーが動き出した。


 俺は投手へ向けられた右手のバットを、弧を描くように左の耳元に持ってくると、左手を添え、腰を沈めた。


 ——第一球。


 来た! 打つ!


 ——ドスン——と音を立てたのは、キャッチャー代わりの防球マットだった。


 ボールはバットの上を通過し、顔はライト方向へ向く情けないフォロースルーを決めていた。


「くっ……」


 時間はない。すぐに二球目が来た。高めだ。


 ——チッ。


 微かな音を残して、ボールは再びマットに突き刺さった。


 くそっ。恥さらしじゃないか。


 後ろを振り返ってはいないが、気配から感じるには相当な人数が俺の打撃を注視しているはずだ。

 しかし、誰も声を上げない。

 こんな惨めな内容なのだから、バカにして笑ってくれた方がまだ楽なのに。


 ——三球目。内角。


 ——ガッと鈍い音がしてピッチャー前にボテボテと力ない打球が飛ぶ。


 少しだけ球が見えてきた気がする。


 そのあと二三球詰まった当たりを繰り返しただろうか。ついに、打球がバットの芯を捉えた。

 クシャっとボールが潰れたような感覚のあとに、想像もしなかったほどボールがポーンと弾かれ、ピッチャーの映像が映し出されている部分を保護する防球ネットのフレームに当たった。


 よし、この調子だ。


「その調子よ」


 椿の声だろうか。心の内を見透かしたようにボソッと言う。


 それにしても、このバッティンググラブはよく見ると、手のひらの部分が革でできているじゃないか。多くの人はウォッシャブルで安価な合成皮革を使うものだが、こいつは異常にこだわっているのか、さては金持ち……。


 このバッティングセンターの球は比較的素直なので、何球か打っているとすぐに球筋に慣れて芯を食うようになってきた。

 ホイール式のマシンを採用するバッティングセンターだと、上下のホイールの回転数設定がおかしくて、バックスピンがちゃんとかかっていないことがままある。

 下手な設定をすると、球が回転していなくて一四〇キロの超高速ナックルみたいな球を投げるところもあったりするから困る。それはそれで練習になるのかもしれんけど……。


 快音も聞こえてきているが、狙いはそれではない。まあ、練習としては「狙う」のは邪道なんだけどな。


 投手の映像の下に、残りの球数が三球と表示された。


 焦る。


 軟球であるせいもあり、打球に角度をつけようボールの下を叩くと、擦るようにボールが力なく打ち上がってしまう。


 ——遂に残り一球となった。


 映像の投手が振りかぶり、球が放たれる。


 ——内角低めだ!


 膝元にひっつきそうな球を、左打者特有の腰の逃し方で対応し、すくい上げる。脳内イメージは完璧に阪神の桧山だった。


 打球は確かに芯を捉えた。


 引っ張った打球は低い弾道を描くとマシンを越え、一番右側の「ホームラン!」と書かれた丸い的に当たった。


 ————。


 ——やっ……やったぜ!


 感激とは裏腹に、間の抜けたファンファーレが流れる。


 後ろを振り返ると、前園がはしゃいでいる傍ら椿が右手で小さくガッツポーズしていた。




 持ってきた荷物があるので、来た道を辿たどり再び学校を目指す。

 日はすっかり沈み、辺りの工場地帯の明かりがきらびやかに輝いていた。


 やはり荷物持ちは辛い。バットケースには6本もバットが入っている。


 「ホームラン」を打った後、俺は他のお菓子やら一ゲーム無料券やらの景品には目もくれず、即座に大量のポケットティッシュを選んだ。


 店員さんはダメとは言わなかったが、「え……これでいいんですか……」と、ちょっと怪訝な顔をしていたし、周りの部員たちも「はぁ!?」と意外そうな、いや、むしろドン引きと言った感じの声を上げていた。


 まあこれでいいんだ。貴重な資源が確保できた。後はこの権益を死守するだけである。


 そんなことを考えながら歩いていると、洟が垂れそうになってきた。

 ちょうど隣に椿がいたので声をかける。

「わり、ちょっと持っててくれ」

 マジで垂れてきそうなので、返事が来る前に無理やりバットケースを渡すと、景品のティッシュでブーンと洟をかむ。


 うむ。やはり、自分で獲得したティッシュで洟をかむのは格別だぜ。


 ポケットティッシュを感慨深く眺めていると、裏面にこのバッティングセンターの広告らしき紙が入っている。

「ん……? 時給九百円、一日三時間以上、曜日時間応相談……」


 そこまで書かれた文字を読み上げると、横から突然椿がそれを取り上げた。

「おっ、おい!」

 椿はそれを持って吉川のもとに駆け寄り、目の前に突きつける。

「これよ」

「えっ!?」


 説明も大してしないまま椿は桜木の手を掴むと、もと来た道を一目散に走り始めた。


「ちょっ、椿!」


 既に椿は桜木を連れて、バッテリー間くらいは離れたところまで行っていた。


「先輩、みんなを頼みます!」


 吉川はポニーテールの先輩にそう告げると、バッグを背負ったまま彼女らを追いかけ始めた。


 俺も、資源を奪われたので、バットケースの重さに耐えながら追いかける。


 残りのメンバーは先輩の指揮のもと、歩いてついていくようだ。




 三人はバッティングセンターの方に左折した。俺もヨタヨタと左に曲がり、そのままバッティングセンターのドアを開けた。




 すると、フロントのスタッフに椿が詰め寄っている。


 彼女は桜木の肩を叩き、明らかに年上の男性スタッフにタメ口で言った——。



「彼女はバイト希望よ」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る