無為な週末


 土曜の午前中は、リビングでダラダラと過ごすのがここ半年の習慣である。


 ソファーにグニャーっと倒れこむのがまた良いものだ。おはなしの相手はスマホのAI。


「スマホよスマホよスマホさん。この世で一番イケメンなのはだーれ?」

 スマホはピローンと音を立てて答える。

「ソレハ、ノボルサンデス」

 こいつわかってんじゃねえか。


 外は春の陽気で満ちているが、それは花粉が満ちているということに他ならないので、当然のように家にひきこもっている。


 青春を無為に過ごしてはいけないというような説教もわからんでもないが、理想の「青春」などほぼ諦めかけている。


 むしろこれが今の自分にとって「無為自然」な生き方であって、妙な作為などしないほうが人生穏やかにいくもんだ。


 ほら、深い思索によって諸子百家にも並ぶ思想が得られた。部活などやらなくてもそれなりに有意義な時間は過ごせるのだ。



 すると、姉がジーンズにシャツといったラフな出で立ちでリビングに入ってきた。


かけるの試合見に行く? 練習試合だけど」


 姉は、休日には中学生の弟の試合を観に行くことを好む。姉もかつて野球をやっていたし、野球一家の長女としては興味があるんだろう。


「いや、いいや」


 俺はしばらく野球というものを意識的に遠ざけている。しかし、そうだとすれば、あの日のグラウンドを覗きに行ったのはなんだったのだろう。


「そう……」


 誘いはするものの、深くは干渉してこない。姉は冷蔵庫から冷えた麦茶を引っ張り出し、コップに注ぐ音だけが響く。


 姉はここ半年の俺を理解しているがゆえに、多くを語らない。しかし、「今」の自分を考えると、姉の俺に対する理解は正確ではない気がしてきた。


「あのさ」

「ん?」


 俺は唐突に口を開いた。


「俺がもう一回野球やりたいって言ったらどうする?」





「はぁ? 何をいまさら……」

「だよね」


 自分でもなんでこんなことを聞いてしまったのかわからない。

 でも、自分は野球に全く未練がないと思われているのも、なんとなく寂しかった。



「……やるあてでもあるの?」



 ないと言ったら嘘になるだろう。高望先生からは部員全員の前で女子野球部に入らないかと言われたし、バッティングセンターの件の後も、前園に本当に入らないのかと念を押された。


 どうなのだろう。自分は「野球がやりたい」のだろうか。少なくとも今姉が想像したやり方ではないだろう。


 自分の意思のはずなのに雲のようにつかみどころがなくて、具体的な言葉となって出てこない。


「野球部には絶対に戻らないって言ってたじゃん」


「当たり前だろ。絶対に戻らない」


「じゃあ何」


 姉が畳み掛けてくるのので、乱暴な口調で反応してしまう。


「最近帰ってくるのが遅いけど、それと何か関係あるの?」


「まあ、そこまであるってほどでもないっていうか……」


 関係は大いにある。あるに決まっている。


「え、何? あるの? ないの?」


「もういいだろ!」


 やってしまった。どう考えても、誤魔化した言い方しかできない俺が悪いし、なんなら姉にもっと話を聞いて欲しい。それでも、心の内まで踏み込まれることに、拒否反応が出てしまった。



「なんでそんな言い方するの!? そっちから話してきたんじゃん」


 姉はコップのお茶を飲み干すと、それをテーブルに叩きつけ廊下へ出て行ってしまった。

 


 ——この状況でどうしろと言うのだろうか。



 姉はとっくに家を出て行ってしまったので、いまさら試合を見に行くこともできない。


 ろくな答えも出せず、ただ怠惰な時間だけが流れている。


 果たして自分はどうしたいのか。野球は好きか? そう問われれば、好きと答えるだろう。じゃあ、野球部が好きかと言われれば好きではない。むしろ嫌いだ。


 高校野球をやるにあたり、基本的には在学する高校のチームに所属する。学校の部活動がほとんどなのだから当然といえば当然だ。クラブチームのリーグが多数存在する中学野球とは根本的に異なる。

 それ以外には、地域の草野球チームに入って楽しむという選択肢もあるだろう。現に、退部した後そのような形で野球を楽しんでいる人もいると聞いている。


 しかし、今目の前には新たな道が提示されている。


 まだ選手としての可能性を諦めた訳ではない。実際、今でも自分なりのトレーニングは欠かさずやっているし、いつでも動ける準備はできている。その可能性を手放してしまっていいのか。新しい選択肢を選べば、草野球はまだしも本格的に「高校野球」ができる可能性がなくなるだろう。だからといって、部活に戻るなどという見込みはあるのだろうか。


 後味の悪さの中、ぐるぐると自問自答を繰り返す。


 気がつくともう昼下がりである。


 身体を動かしていないため腹も空いていない。

 仕方なく俺はひとっ走りしに家を出た。

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