病院にて

 ——検査を終えて病院の待合室へ戻る。


 結論から言えば、全く異常はなかった。ノーダメージ。

 待合室には学校のお偉方と女子野球部の顧問が待っていた。

 偉いおっさんは、急の知らせに駆けつけた母とぶつけられた当の被害者である俺に対し、それはもう申し訳なさそうにペコペコと謝罪をする。

 もとい、ほぼ母に対して。


 二度とこのようなことがないよう再発防止に努め——などと決まり文句を言ったあとは、うちの母も穏便に済ませたいらしく、日本人の性というべきか、しばらくお互いにゴニョゴニョと中身のないことを話して終わらせた。


 別れ際、女子野球部顧問の先生が俺のことを少し気遣ってくれる。


「本当に申し訳なかった。しばらくは体調の変化がないか、ご家族にもよく見てもらって過ごしてな。帰ってから急変しないとも限らんからな……。そうだ、何かあったらここに連絡してくれ」


 俺にそう声をかけると、電話番号のメモをサッと書いて渡してきた。


 そこには、番号と一緒に——高望——と書かれていた。


 ん……なんて読むんだ……たかぼう?…………。

 結局名前の謎は深まるばかりである。


「じゃあな。お大事に」

 先生は俺にそう言うと、さらに母の方へ向き直して深くお辞儀をして、待合室から出て行った。


「いやあ、すごい騒ぎになっちゃったわね……。検査で異常なくてよかったけど」

「あの先生の責任問題になるのかね。かわいそ……」

 当てられた身ではあるけれど、少し同情して言葉が出てしまう。


「そういえば、さっきからあそこで待っている女の子がいるわよ」

 母が唐突に言う。

 病院の出入口のガラス越しに、さっきの先生と一言二言話してからお辞儀をしている女子二人が見える。

 あれは……。


妙見みょうけん様。妙見昇みょうけんのぼるさまー」

 呼ばれて会計に向かう母をよそに出口へ向かう。


 ガラス張りの自動ドアを開けると、二人はこちらに気づきビクッと反応した。


 先の二人で間違いなさそうだが、先程と違い二人とも深い紺色を基調としたセーラー服だ。鮮やかな水色のスカーフが目を引く。


 男子がブレザーなのに組み合わせがおかしいなどというクレームは、ポスト・ハルヒ世界においては受け付ける必要もないだろう。


 まあ、港街にはセーラーってことだ。多分。


 触覚の長い彼女はバツの悪そうに右の触覚をいじる。

 ひとつ結びだったもう一人は、先刻と違い髪をおろしている。

 背中にまでかかる長い黒髪が印象的で、選手としての彼女の姿とは別人のようだった。


「あ……あの……」


 彼女が口を開き、一瞬沈黙が流れる。


「すみませんでしたっ!」


 二人はユニゾンで謝り、頭を下げる。


「いや、いいんですよ。先生とはもう話はしたし……。ああ、検査は異常なかったので……」

「それはよかったわ……」


 二人が安堵の表情を浮かべる。

 触覚は目を見開いて肩で息をしている。

 さっきは随分マイペースだったようにも見えたが、意外と心配していたのかもしれない。

 まあ、当ててしまった張本人なのだから無理もない。


「それよりあなたが打ったんですよね。めっちゃ飛びますね」

 あんまり深刻な雰囲気にしたくもないので、適当に話を振る。

「いやー、会心の当たりだったもんでー。ハハハ……痛でっ!」

「こら、調子に乗らない」

 冷静な口調ながら、頭にチョップのツッコミが決まる。


「あ、あとタメだからサ、敬語じゃなくていいんだよ」


 そうなのか……。いや、むしろこのちっちゃいのは年下なんじゃないかとさえ思ってたんだけどね?


「私も二年生だから、そんなに気を使わなくてもいいわ。そういえば名前を名乗ってなかったわね。私は吉川よしかわ八重やえ


「あたしは前園まえぞの桃花ももか


 あー、これは俺も個人情報を開示しなきゃいけないパターンだな……。

 なんとも面倒な作業……。

 ん……そういえばどこかで、もうすでに名前を言ってしまっている気もする。


「ああ、俺は妙見昇みょうけんのぼる

「ん、妙見!?」


 ああ……やっぱりそういう反応された……。


「ミョウケンってどう書くのかしら……」


妙見菩薩みょうけんぼさつの妙見だね!?」

 前園とやらが食い気味に答える。


「妙ちきりんの妙に、見ると書いてけん!妙見菩薩ってのは元々インドの菩薩信仰から生まれて中国を経て日本に伝わってきたんだけどその時中国で北極星信仰と習合したことで日本では北斗七星を神格化したものとして──」


「モモ、もういいわ」


 吉川がたまりかねて話を止める。

てか、どんだけ詳しいんだよ……。しかも妙ちきりんって言いましたよね……。


「あら、どうもー」

 突然、会計を終えたらしい母が後ろから割って入って来る。なんでそんな急に声が高くなるのか。その営業スマイルみたいなの怖いよ?


 二人は一瞬ハッとした顔をすると、すぐさま俺の母であることを理解したのか、頭を下げて謝った。


「すみませんでした!」


 それにしてもきれいなユニゾンだ。息ぴったりすぎ。素晴らしいコンビ。


「いいのよ、気にしなくて。先生とはもうお話したし、検査も異常はなかったから」

 えっ、どこかでその台詞……。この親子もコンビネーションは異常ありだった。


「二人は野球やってるの?」

「はい」

 吉川が代表して答える。どうやら吉川の方が、こういう時にイニシアチブをとるらしい。前園のほうがよくしゃべるのにな。


「すごいわねー。この子もやってたのよ」

「えッ!」


 余計なことを……。


 どうせ背が低いからとか、髪が長いからだとかで「全然そう見えねーw」とか思ったんだろ?

 思わずため息が出る。


「心配してくれてありがとう。これからも昇をよろしくね」

「よろしくってなんだよ……。特に関わりもないのに……」

「じゃあ、先に行ってるわよー」

 母は軽く会釈すると、無駄にニコニコしながら駐車場へ歩いて行った。


「野球……やっていたのね……」


「すげ! 奇遇だね。なにそれもっと詳しく」

 前園がやけに食いついてくる。

 あんまり個人的なことを詮索されるのも面倒だ。それに、はっきり言ってもう疲れたし帰りたい。

 こちとらあったかいご飯とお風呂に、ふかふかのお布団が家で待っているのだ。


「うん……あ、わりぃ、もう行くから」


「あ、うん……また明日ね」


「気をつけて帰ってね。お大事に」

 吉川というのは挨拶まで抜かりのない人だ。


「んじゃあ、わざわざありがとな。また明日」



 …………ん? ……また明日?

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