歩きスマホのような。 [ホラー][怪談]
それは四月の終わり頃であった。珍しく仕事帰りが遅くなったヨーコは、深夜の路地を歩いて帰宅の途についていた。路地の幅は三人が並べる程度。微妙にうねって見通しが悪く、街灯の少なさと相まって、薄気味の悪い道であった。深夜近く、辺りはすでに寝静まったようで、コツ、コツコツとパンプスの足音がやけに響く。折から街灯の一カ所が蛍光灯が切れてジジ、ジジと嫌な音と明滅を繰り返すのが鬱陶しかった。この春に引っ越してきたことを初めて後悔するような不気味さであった。
と、塀の向こうの暗がりから、すいと音もなく誰かがやってきた。黒ずくめなのか身体はよく見えず、ただ顔だけがぼんやり白く、弱く、下から照らされたように光っている。飛ぶ生首。ヨーコは驚いて身をすくめ、ヒッと小さな悲鳴をあげるや、よろけて木塀に倒れかかった。
気付けば首はおろか人の姿も気配すらなく、彼女一人が呆然と佇むばかりであった。
夜道の歩きスマホを、早とちりで不気味に見間違えたのだとヨーコ自身は納得し、ちょっとした笑い話としてご近所にこの体験談をしたところ、そこは下町のこと、話が尾ひれを付けて広まり、数日の内には小学校の生徒達が『生首路地』と名付けて昼夜構わず“探検”などと称して路地を意味もなく行ったり来たりするようになってしまった。
七月終わりのこと。帰りが遅くなったヨーコは、同じ時刻、同じあの場所で、またしても飛ぶ生首を見てしまい、驚いて木塀に倒れ込んだ。その夜こそ、早鐘のように鳴り続ける心臓をどうにか落ち着かせながら1Kのアパートに帰り着いたヨーコであったが、その後冷静になった時に、腑に落ちない点に思い至った。
既に夏である。自分もノースリーブになり肌の露出が増えている。ではあの夜の「生首の人」は、夏の暑さをおして、夜の闇に紛れるほど全身黒ずくめの服装をしていたのだろうか?
そう気付いてしまってから、ヨーコは残業を拒み、引っ越し先を探し始めた。
だがどうしても避けられない付き合いがあり、八月、またヨーコは帰宅が深夜になってしまった。折悪しく、春のあの夜と同様、街灯が一カ所切れかけてジジ、ジジジという嫌な音をさせていた。静まった夜道に自分の足音だけがコツ、コツコツと響いていた。その場所にさしかかる手前から、ヨーコは目を瞑って走った。通り過ぎてしまえば何も見るまい、そう思ってのことだった。片手を木塀に這わせて微妙なカーブを過ぎ、ヨーコは蹴躓きそうになって足を止めた。アパートはもうすぐだ、と安心したのがいけなかった。ヨーコは振り返ってしまった。
顔が光って浮いていた。曲がり角に、ヨーコの方を向きながら。
ヨーコは走った。ぼんやりした光が着いてきている気がする。アパートまで走り抜いた。一階にある部屋に飛び込んだ瞬間、ドアの明かり取りのガラス越しに、白い光がふわっと浮かんだ。光の中に、人の顔のような陰影があるのに気付き、ヨーコは悲鳴すら上げず気を失った。
翌朝、ノックの音でヨーコの目を覚ました来客は、警察官であった。いわく、
「ある容疑者が、以前住んでいたこちらの部屋の床下に知人の死体を埋めたと供述しておりまして、どうか捜索にご協力願えませんでしょうか。容疑者と被害者の写真がここに――」
見るまでもないとばかり、ヨーコは悲鳴を上げながら部屋を飛び出して二度と戻らなかった。
―了―
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