みひらき物語 ~ 1400字掌編集
久保田弥代
ハイヒール・リベリオン [現代ドラマ]
七時の待ち合わせまであと五分。
なのに私は、電車で駅に着いたばかり。駅を出てから待ち合わせの店まで、歩いて五分。あいつはきっと、もう待ってる。コーヒーは二杯目になっていることだろう。夜遊び用のスーツに着替えて、私の仕事帰りのスーツに眉をひそめる心づもりをして。
もう間に合わないな――人波と一緒にドアから吐き出されながら考えた。会社帰りに荷物まで持ったまま、夜の繁華街を走るなんて、嫌だし。
いっそ振り返ってしまおうか。でもな。
逡巡するうちに、私の身体は流れに乗って改札から押し出されていた。しゃーない。
夜が始まる期待に満ちた喧噪に、私のコッツ・コッツという陰気な足音がまぎれ込む。申し訳ない。いつもと違う足音は、あいつの前で履いたことがない五センチのピンヒールだからで、あいつと私の身長差は二センチしかないからだ。コッツ・コッツ。でも今日は大事なプレゼンで、ちょっと自分を演出しなきゃいけなかった。履き替え用にもう一足なんて、面倒くさい。
コッツ・コッツ。コッツ・コッツ。コツン。
どうして私は、自分のパンプスを眺めながら歩いているんだろう。
気付いてしまうと、それが我慢ならなくなった。気に入らない。私は背筋を伸ばし胸を張った。息を吸って、吐いて、整えて。そうだ、ふざけんな。どうして私が卑屈になってなきゃいけないんだ。あんたの気持ちなんか知るか、分かって欲しきゃ口に出せ。元請けの要求なんか知るか、私のクライアントはおまえらだ。
よおし。ひとつケリつけようじゃないの。
私はゆっくり大股に歩き出そうとした。途端にかくっと足が崩れた。やった。やりやがった。このタイミングか。爪先だけでよたよたと格好悪く移動して、傍らの店の壁に寄りかかる。指でぶら下げたパンプスのヒール、その先端のゴムが外れていた。こんなの、ため息しか出ない。
「うちで修理できますよ」
驚いて声の方を振り返ると、私が寄りかかっている店の中から、店員らしい私と同世代の男が、シューズやサンダルや革靴に囲まれて立っていた。なんだ、ここ、靴屋だったんだ。
「急げば十分くらいです。それくらいなら彼氏だって我慢してくれるでしょう?」
巧いこと言おうとしたのか、それともただの気障か。私は彼の顔をまじまじと見てしまった。
「あ、あれスミマセン。まずかったです……かね」
しょぼくれてしまう仕草が、叱られた犬みたいだった。きっと面白い人なんだろうね。
「時間ならたっぷりありますよ。でももういいの、新しいのを買います」
けんけんで彼に近付き、彼が急いで出してくれた足置き台に、ストッキングだけの足を乗せる。彼を見上げると、身長差は五センチくらいか。
私に睨まれて犬みたいになってる彼を助けてやるために、笑顔で私はこう言った。
「ね、私に一〇センチのヒールって、似合うと思います?」
《 了 》
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