黄水仙の咲かぬ間に [現代ドラマ][ミステリー風]
灰色の団地に暮らす七〇過ぎのこんな老人を、よもや女の子供が訪ねてくるとは思いもよらなかった。頬に大きな
「屋上で、花を供えさせてください」
それで自治会役員の自分のところへ、と合点した。一月前、この棟に住んでいた中学生の女の子が、屋上から飛び降り自殺したのだ。元から悪い噂の多かった一家は、すぐに引っ越してしまった。あれ以来屋上は
春の盛りの空は深く青く、今日の強い風は雲を
この
女の子は鉄柵へ歩み寄っていく。後追いなどされては困るので自分も近くへ行った。
死んだ子とは親しかったのかと尋ねてみた。意外なことに「似たもの同士なだけです」と無感情な返事を寄越した。それなのに花を捧げるとは感心だねと
不意に女の子に動きがあって、思わず肩を掴んだ。恐れていたようなことではなくて、花束を鉄柵の先へ投げ落としただけだった。女の子は、
「もらった球根がようやく育ったので」少し間を空けて、続きがあった。「学校であの子はなじめなさそうで、家では親から殴られて。私も親に殴られる同類だから、分かるんです。好きだった
思わぬ言葉に
「私たち、子供だから。まだ人間じゃないんです。子供だから逃げられない。生きていける場所を大人に取り上げられたら、後はいなくなるしかないの」
生きていける場所――そんな大げさな。そう言おうとしたが、唇が動かない。
「ありがとうございました」と頭を軽く下げ、女の子は歩き去ってしまう。呼び止めねば。だがこの子の名前を知らない。最初に名乗られてはいた。しかし気に留めもしなかった。名前すら知らず、どうして人を尊重できよう。この子は正しい。自分自身、この子を――死んだ子さえ、一
白い服が灰色の階段へ消えた後、呆然と鉄柵にもたれた。子供を殺すのは、大人なのか。
だがそれですら、眼下に現れた白い頼りなげな人影が済ませてしまうのを見て、後はもう、言いしれぬ絶望感に身を焦がすのみとなった。
―了―
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