木曜はピアノの調べ ―outside― [現代ドラマ]
ジャズ好きな父とクラシック好きな母の仲を、特に音楽好きに育たなかった僕では繋ぎ止められなかったのだろう。二人は今、離婚へ向けた話し合いを重ねている。中学一年に上がったばかりの僕は、どちらかに引き取られることになるはずだ。
二人どちらと居ても僕は気詰まりで、それなのに二人してシフト制の仕事で共稼ぎだから、平日午後でも顔を合わせてしまうことがある。そんな日の学校帰りは憂鬱だ。
でも木曜日だけは、少し気分が紛れる。急坂の住宅地で、庭のあるきれいな一戸建てを見つけたからだ。バス停が目の前にあるその家から、木曜日午後だけ生ピアノが流れてくる時間がある。僕はその音がとても気に入っていた。
自分の家の大げさな音響機器で聞く音楽は、何か刺々しくて、好きになれなかった。父が聞かせてくるジャズも、母が聞かせてくるクラシックも。でも、不思議とここで聞くピアノは素敵だと思えた。週のうち、たった一時間だけ聞こえてくるその音が、最近の僕の癒やしだった。
僕はさもバスを待ってそこにいるかのように、塀と坂道が作り出す斜めのギャップに身を置き、わずかに聞こえるピアノの音に耳を澄ます。両親から聞かされた曲のメロディが流れてくることもあった。もっとカジュアルな、ポップなメロディの時もあった。気付くと僕は、小さな頷きを繰り返すようにして、メロディに合わせてリズムを取っている。ピアノにもいろんな表情があり、感情があるのだなと僕はここで知った。さみしい、楽しい、悲しい。それとは別の感情もあることに、最近になってまた気付いた。聴いている僕は、どんな音を聴いていても楽しい。そしてたぶん、演奏している人も、楽しがっているのだろうと。
その木曜日は、か細い雨が降り続く日だった。習慣のように、学校帰りにその家を訪れた僕は、立って傘を差したまま、いつものように耳を澄ませた。
けれど、耳にするピアノはいつもと違っていた。楽しげなメロディはなく、悲しい音もさみしげな音も、ひたすら強くて激しくて、僕はリズムに乗れなかった。戸惑ううちに音は途切れ、不意に、雨音を押しのけて激しい雑音が響いた。力任せに、叩き付けるように窓を開けた時の音。自分の部屋でやったことがある僕には、何の音なのかすぐにピンと来てしまった。
「あぁーッ!」
女の人の金切り声がした。続けて、やけっぱちにピアノを叩くような、音楽ともメロディとも言えない音。それが変わる。ジャズのような揺らいだリズム。また変わる。楽器と戦っているかのような激しいクラシカルな調べ。不協和音混じりで、不安な音。
それは音楽じゃなかった。じゃないけど、それは、はっきりとした音だった。
爆発するような乱れた和音がいくつか続いた後、演奏は不意に途切れ、世界は無音になった。
雨音と、何台目かのバスが発車する音に僕が我に返ると同時に、カラカラと窓が閉ざされた。
僕は走り出して家に向かった。なんでもいい、家にあるCDを聴きたい。音を聴きたい。家のCDをすべて聴くまで、そのすべてを教えてもらうまで、両親に離婚してもらっては困る。されてたまるか。坂道を転びそうになって下りながら、僕はそう思っていた。
―了―
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