15.新垣綾香の場合

 極力音を立てないように、ベッドの周りを囲むカーテンを開ける。

 白いシーツに夕日が鮮やかなオレンジ色を落としていた。

 放課後になってから、貧血で倒れて保健室に運ばれてきたその子は、真っ白いベッドのなかで小さく寝息を立てていた。

 デスクのメモを見る。秋田凛。二年生。

 所見や既往歴の記憶はないから、単純にすこし体調が悪かっただけだろうと思いつつ、一応のところ、私は手元の資料をチェックする。


「ん……」


 ベッドから声が漏れる。

 起こしてしまっただろうか。

 しばらく聞き耳を立てていたが、身体を起こす気配はない。

 私は資料を手早くさらい――秋田さんについての特別な記録はないことを確認して、端末をスリープモードにした。


 放課後の保健室。日によっては体育系部活の怪我だったり、単純におしゃべりにくるなどで誰かしらがいるのが常だったけれど、今日は閑古鳥が鳴いていた。

 唯一保健室へ運ばれてきたのは、いまベッドで寝息を立てている秋田さん一人だけ。

 保健室なんて場所は、利用されないで済むならそれが一番だ。利用すべきなのに利用しないケースを除けば、だけれど。


 来客が少ないことによって、記録や事務の仕事もいつもより早く終わった。

 これ以上の利用者がなければ、あとは秋田さんを起こし、部屋を片付けて今日はもう終わり。

 私は声をあげないように、椅子の上で静かに大きく伸びをした。

 凝り固まった背骨がこきこきと音を立てる。


「……さてと」


 そろそろ秋田さんを起こさなくてはならない。

 私はふたたび、秋田さんの眠るベッドのまえに立つ。

 そこで、私の動きが止まる。

 白いベッド。

 白いシーツ。

 濃紺の制服。

 眠る色白の女子生徒。

 まだつやとはりのある肌。

 その髪は無造作にベッドの上に広がって。

 夕日がそれらをまるごと染め上げる。

 ……なんて、そそられるシチュエーションだろう。

 私はその画を写真に納めたい衝動を必死で抑えて、目に映る光景を脳裏に刻み込む。


 起こさなくてはという義務感と、もっと眺めていたいという衝動が心のなかでぶつかり合う。

 その背徳的な対立すら、心地よかった。


 私は女生徒が好きだ。

 これを恋慕とか欲情とか、どう名付けて評価するかについては決めたことがない。

 決める予定もない。ただ、好きだという事実があるだけ。


 断っておくと、ただの一度も手を出したことはない。

 人としての倫理観と、養護教諭としての職業倫理感くらいは備えている。

 だから、見るだけだ。

 この宝石を。


 女子高校生。

 ほとんどの女性が、若い数年のあいだだけ限定的に得る称号。

 身体的には発展途上であり、精神的にはむしろ未熟であり、さまざまな社会的権利は限定されていて、それでも大人の領域に片足を突っ込んでいる。

 だれにでも訪れる不安定な期間、思春期。

 黙っていても自動的に過ぎ去り、大人への転換を余儀なくされるまでのほんの少しの猶予期間。

 なんて、美しい。


「……っと」


 思わず唇を舐めていた自分に気づき、反省する。

 この仕事に就くことができたのは天啓としか言いようがないが、時折波のように訪れるこのインモラルな衝動と戦わなくてはならないのは、辛いところだった。


「そろそろ、起こさないとね」


 私は自分を律して、気持ちを切り替えると、そっと、ベッドで眠るお姫様みたいな女子生徒の頬へと手を伸ばす――


「新垣、先生?」


 保健室の入り口から、とがめるような声がした。

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