7.真中美菜の場合

「め、メグ……なにやってるの……」


「それ」を観て、その場から逃げ出した私の口から思わずもれた言葉は、ふるえて、かすれていた。



 校舎の棟と棟をつなぐ二本の渡り廊下のうちのひとつを渡っていたとき、ふと反対側の渡り廊下に視線を向けると、そこにはクラスメートで親友の坂岸恵がいた。

 メグは誰か、ちょっとカルい感じの人と話しているみたいだったので、わたしはそのまま渡り廊下を抜けようとした――のだけれど。

 メグが話していた人が、ふつう人と人が会話をするときにはまずしないくらいの距離まで近寄っていたので、わたしはなにかの予感を感じて、扉の近くにはりついて、メグの視界に入らないように、そっとふたりのことをうかがっていた。


 信じられないことが起こった。

 その人は、自分の顔をメグに、すごくすごく、まるで恋人みたいな距離まで近づけて――


「だ、だめ……」


 わたしの口から悲鳴みたいな声が漏れてた。

 あちらに聴こえるほどのボリュームじゃないけれど。

 その先を観つづけることができなくて、わたしはそこから逃げ出した。



「メグ……」


 中庭のベンチに座ると、わたしは不安に高鳴る胸をぎゅっと押さえた。

 メグ。わたしのともだち。ううん……ともだち以上の、もっと大切な存在。

 子どものころからずっといっしょで、引っ込み思案なわたしをいつも引っ張ってくれて、うれしいときはいっしょに喜んでくれて、元気がないときははげましてくれて、悲しいときはいっしょに泣いてくれる、大事な大事なひと。

 もし、人類で自分と誰かひとりだけが生き残れるなら、わたしがまちがいなく選ぶのは、メグ。


 そのくらい、だいじ。

 その大事なメグが、知らないひとと、あんなに、あんなに顔を近づけて――

 脳裏にさっきの映像が浮かんできて、わたしはそれをかき消すように首をぶんぶん振る。


「どうしたら、いいんだろう」


 混乱している。

 自分はメグがすき。

 それは胸を張って言える。

 じゃあ、メグが自分以外の誰かのことを好きだったとき、わたしはどうすればいいんだろう?

 理屈ではわかってる。メグとその誰かのことを、迷わず応援するのが一番いい。

 けど。――けど。わたしの心は、それがたまらなく辛いって思っている。

 メグの幸せがわたしの幸せのはずなのに、それをわたしのどこかが否定している。

 その矛盾が、体中を切り裂くみたいに痛くて、辛くて、苦い。


 こんな辛さ、経験したことないよ。


 メグ。

 つやつやの短い黒髪をちょっと結んで、いつも太陽みたいに笑って、あんまり大きくない身体で元気よく走り回って、もう高校生になったのにいつでもヒザに擦り傷がある、元気な女の子。


 それが、誰かのものになっちゃうの――?


 わたしの胸がいっそう重たくなって、泣きだしそうになったとき。


「あ、ミナ、な~にやってんの?」


 声がきこえたと思ったら、次の瞬間には背後からにょきっと二本の腕が生えてきて。


「うりっ!」

「んぁぅっ!」


 わたしは両の胸を乱暴に掴まれて、揉まれた。

 思わず変な声が口から漏れる。


 こんなことをするのは一人しかいない。

 ツバサ。メグとおなじクラスメート。


 もうっ、突然なにをするの、ツバサ、とわたしは言おうとしたけれど。

 その言葉が出るよりまえに、感情の堰は切れてしまって。


「ツバサ……ツバサぁ、うぇえぇぇぇぇ……」


 わたしはツバサにすがって、涙をぽろぽろ流していた。


「ちょ、ちょっと、ミナ、どうしたの? ねえ! あ、あたし? あたしまずいことした? 痛かった?」


 ミナはおろおろしていたけれど、わたしはそれを気遣うこともできず。

 ただただ、自分の額をツバサのブレザーの胸元にこすりつけていた。

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