8.豊田翼の場合

 あたしの友達、真中美菜はあたしにないものを持っている。

 それは、弱冠十六歳にして、両の手では収まらないほどの大きな胸だ。

 いや訂正――おっぱいだ。


 制服の濃紺のブレザーは身体の線を細く見せる。

 そもそもきっちりかっちりしている服なので、とくに上半身は身体の形をコンパクトに、引き締めた姿にみせてくれる――はずなのに、ミナの場合はそれを凌駕する。

 きちんと着るとブレザーの形が崩れる。学生服の想定の外側にミナはいる。ボタンを留めれば、ブレザーとおへそのあいだには大きな空間ができる。単純にこぶしが一つ入る。

 ボタンが跳んだこともあるらしいので、ミナは集会なんかのときくらいしかボタンを留めていないけれど。指導の先生に服装を注意されかけて思いとどまられるのがつらいと話していた。


 ミナのおっぱいは形もいい。ブラウスはこんなにもすばらしい服だったかと思わされる。これがミナのボブカットと、平均より小柄な背丈と相まって信じられない破壊力を産む。自分と同じ服を着ているとは思えない。ブラウスってそんなベッドの天蓋からさがるヴェールみたいな幻想的な魅力あったっけ? 夏に汗でうっすら透けてるときは思わず両手を合わせて拝んだ。二礼二拍手一礼した。谷間に賽銭を投げた。さすがに怒られた。


 ミナにとっては悩みらしい。胸の大きな人には大きな人の悩みがあるっていうのはよく聴く話だ。汗をかくとか、重たくて肩がこるとか、走るときに痛いとか邪魔だとか、かわいい服や下着を見つけてもサイズがないとか。


 けれど、あたしにとっても悩みだ。毎日自分との差を見せつけられる。

 ミナが豊かな山脈をその身体に備えているのにたいして、あたしは坂にすら達せていない。なんでも着ほうだいだ。逆に悩む。


 ちょっと分けてくれ。

 分けられるものなら分けたいよ。

 こんな会話を何度したかわからない。


 羨望はそのまま直接的な欲求になり、わたしはある日、友人であるのをいいことに、ごくごく気軽に、ちょっとじゃれ合う感じで、ミナのおっぱいを正面から掴み――


 脳裏に電撃が走った。

 百聞は一見に如かず。

 百見は一触に如かず。

 ただし一触をしても理解できるとは限らない。

 なんだこれは。

 触れた表面には肌の弾力、その奥にある未知の物質、いや脂肪だとはわかっているけど、これが自分の腹にあるのと同じだなんて絶対に考えたくない、そういうその、幸せ物質、ハッピーマテリアルだこれは、指がつぷつぷと沈んでいく、掴もうとおもったのに掴まれている、物理的にも精神的にも掴まれている、これはだめだ、あたしは、あたしは、堕ちる、堕ちてしまう、とどまれ、あたしの理性――


「ひゃうっ」


 ミナのリアクションの吐息が、あたしの理性をこまかく砕いてミキサーにかけて溶解して分解して空気の中に混ぜてどこかにやってしまった。

 さようなら、いままでのあたし。


 そして現在。あたしは立派なおっぱい星人(ミナ専属)になっている。普段は平静を装っているし、それまでどおりミナやほかの友達と接しているけど「あ、溜まってきたな」と思ったときには脈絡なく容赦なくミナのおっぱいを揉む。

 幸いにも、他愛ないじゃれあいということで認識されている。おっぱい星人の烙印は甘んじて受けることにした。誉れであります。


 そういうわけで、ちょうど「溜まってきた」ところに、ベンチに座っているミナを見かけたので、あたしはミナにそっと後ろから忍び寄り、いつものようにそのハッピーマテリアルをわしづかみにしたのだけれど――


 泣かれてしまった。いや、これが原因ではないと思う、ミナはきっとなにか悲しいことがあって、そこにたまたまあたしが通りがかったんだ。そうと確信できるくらいの信頼関係はある。


「ミナ……」


 あたしは泣きじゃくるミナの肩を抱き、頭を撫でて、それから彼女の胸に視線を落とす。

 歳にしては不釣り合いなくらいおおきく膨らんだそれに、右手をそっと下から添える。


 重たい。


 これまでいろんなものをこの胸に抱えてきたのであろうミナを想って、あたしは添えた右手の人差し指を、そっと曲げて、胸の中へ沈ませた。

 分けられないものは分けられない。

 分けられるものは、分かち合える。

 ミナの抱えてるなにかが、ミナにとって分けられるものなら、喜んで受け入れよう。

 あたしはミナ専属だからね。

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