14.秋田凛の場合

 気づいてしまった。

「委員長」こと山本さんの鞄には、アニメグッズがぶら下がっている。


 気づいたのはある日の放課後、人がまばらになった教室。

 山本さんが、柏橋さんの授業中の居眠りを注意したときだった。

 その場は瞬間、緊張に包まれた。クラスに残っていた全員が、怒気を含んだ声を出した山本さんのほうを見た。

 結局、そのあとすぐに柏橋さんが謝り、その場から去って、事態は収束した。

 けれど、私はそのときにみてしまったのだ。

 山本さんのカバンに下がっていた、小さなマスコットに。


 それは、はた目にはメルヘンな小動物のように見えるけれど、実際には、深夜に放送中のちょっとマニアックなアニメシリーズのキャラクターで。

 しかもあのキーホルダーは、ガシャガシャで数百円で手に入るようなものじゃなくて、何万円もする前シーズンのブルーレイボックス、その初回特典にだけ同梱されているものだ。

 とても小さいのに、造形もすっごく、いい。

 それがあの「委員長」こと山本さんのカバンにぶら下がっている。

 この意味を理解しているのは、たぶんクラスの中で私だけだ。


 その日からというもの、山本さんから目が離せなくなった。

 山本さんは、あのアニメを観ているんだろうか。

 ――観ているなら、いっしょに語りたい。

 ――先週のストーリーの展開について、あれこれ盛り上がりたい。


 けれど、私はその気持ちを口にすることはしなかった。できなかった。

 だって、拒絶されちゃうかもしれないから。

 いままでだってそうだった。

 クラスメートが私の好きなアニメのキャラクターグッズをひとつ持っていたのを見つけて、気軽に話しかけたらオタクだとバカにされたり。

 好きなマンガの話題をしてたから、輪に入って楽しくおしゃべりしていたつもりが、私の入れ込みように引かれちゃったり。

 絶対にあの人だってその作品のこと大好きに決まってるのに、オタクだって知られたくなくて、私に作品のことを尋ねられても好きって気持ちを表に出さなかったり。

 そんな経験を、私はなんども重ねてきている。

 だから、学習した私は、ちょっと共通点を見つけたくらいで、話しかけたりなんか、しない。


 でも、でも!

 今までとはことの重大さが違うんだ。

 あんなアイテムを持ってるなんて、ライトなファンとかじゃあり得ないんだ。

 私はうずうずを募らせていた。山本さんをみながら。


 けど、あれが山本さんの持ち物じゃなかったら?

 たとえば誰か家族のものだったりしたら?

 友達とか、いるのかわからないけど、彼氏からもらったものだったとしたら?

 私は山本さんのことで頭がいっぱいになる。

 

 考えはもとのところへ戻ってくる。

 あんなにレアなアイテムを、その作品が好きでもない人に渡してしまうなんて、考えられない。そんなの、ファンのすることじゃない。

 私のなかの山本さんAがわたしにそう囁く。


 考えは飛躍していく。

 いや、もしかしたら山本さんのちかくに、あのアニメの関係者がいるのかもしれない。

 たとえば、お父さんがアニメ会社の人で、サンプルをたまたまもらったとか。だから断定はできない。

 私のなかの山本さんBはそう警告する。

 ……いや、それじゃ、ますます山本さんにお近づきになりたいじゃないか!

 私のなかの山本さんBは、たしかに、となにか合点していた。


「……! 秋田さん!」

「はっ!?」


 私は呼ばれたほうを見た。

 先生が呆れ顔でこっちを見ている。

 それだけじゃなく、クラス中がこっちを見て笑っている。……山本さんも。

 私は授業中だっていうことをすっかり忘れていた。

 私は肩をすぼめて「きいていませんでした」と謝った。


 その日の夜、私はふとんの上で盛大にごろごろごろごろした。

 枕を抱えて悶絶した。


「ああ、山本さん、あなたのことが知りたい!」


 私自身にも末期と自覚できる言葉が口から漏れていた。


「……」


 私は枕に顔をうずめて策を練る。


「きいてみよう……」


 そう、まずはジャブを打つんだ。

 それ、かわいいね、どうしたの?

 このフレーズを山本さんに投げかけてみるのだ。


 誰かからもらったものなら事情を教えてくれるはず。

 アニメのグッズだと教えてもらったら、そのままお近づきになればいい。

 事情を明かさず動揺だけするようなら――それは白状したようなものだ。お近づきになればいい。


「よし……」


 私は部屋の電気を消した。



 寝不足……というよりも一睡もできないまま、授業だけをなんとか乗り切った翌日、放課後。

 私は山本さんの席へと足を運ぶ。

 心臓は早くも大きく鼓動している。

 山本さんは、カバン……例のマスコットがついたカバンに、教科書をしまっていた。

 山本さんをみて――なんだか、すこし雰囲気が変わったように、私は感じた。

 見た目に変化はない。しっかり手入れされたロングのストレートヘアもいつも通り。

「委員長」のあだ名に恥じないきっちりした姿勢も、服装も。

 ぜんぶが同じなのに、なにかがほんのすこし違う。

 すこし――魅力的に見える。

 なんでだろう。私が山本さんを意識しているから、見え方が変わった?

 私のドキドキは、もっと強くなった。


 山本さんは、近づいてきた私に気がついたみたいで、手を止めて私を見た。


「あ、あのっ!」


 私は極力自然を装って、山本さんに声をかける。


「……なに?」


 山本さんの、大人びた顔の割にすこし高い声の返事が耳に届く。

 さあ、言え、言うんだ私。

 尋ねるだけ。マスコットについて尋ねるだけ。

 それ、どうしたの。たった七文字。

 頑張れ、私。

 緊張は極限に達する。

 言葉が出てこなくて、代わりに心臓は胸をやぶって飛び出しそうに強く鼓動している。

 山本さんが心配そうに口を開いたのは見えた。

 私はなんとか言葉を出そうと、口を、開けようとして――


「……っあ……っ」


 視界が白む。耳鳴りがする。身体がちりちりして、脚はぞわぞわして――

 直後、限界をはるかに超えた緊張で、私の意識は私を放り投げた。

 かすかに、山本さんの悲鳴みたいな声がきこえたような気がした。

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