11.片木麗華の場合

「オーケー、最高傑作を待ってるから」


 私の返事に、脚本の執筆作業でコンピューターに向かう文魅は返事をしない。文魅はもう、自分の世界に入ってしまった。

 私は鬼気迫る表情の文魅を見て、ふるえる。期待と、恐怖とで。


 私の名前は片木麗華。文魅とおなじ演劇部の二年生。

 担当するのは主に、長身を活かした男役。

 脚本家の文魅と一緒に、演劇部の星と呼ばれている。

 ものおじしない、どんな役でもどんとこいの役者……と、皆からは思われているみたいだけれど。


 もともと、私は自己主張の強い人間じゃない。

 名前ほどの華もないし。

 むしろ、人前に出るのなんて怖くてしょうがなかった。

 ううん、今も怖い。


「あんたは華がある。私と一緒に演劇をやれ、私が最高の脚本ほんを書く、だからあんたはあんたができる最高の演技をしろ」


 一年生のとき、文魅にそうやって拉致するみたいに演劇部にひっぱられてきて、反論する時間も与えられないまま入部させられていた。やったこともない男役を命じられて、無理だよって泣いたり怒ったりしてから一年ちょっと。

 あのとき、文魅ほとんど人さらいみたいだったよ、というと文魅は歯を見せて笑う。


 舞台に立つのはいつまでたっても慣れない。とてつもなく怖い。いつも舞台袖では怖くて震えている。

 たくさんの目が、心が、私を観る。試す。

 それでも私は舞台に立つ。役を演じる。せいいっぱいの華を背負う。

 なぜなら、私は文魅に惚れているから。

 文魅の書く世界に、作る舞台に一目ぼれしてしまったから。

 だから、いっしょうけんめい応える。


 ひとつのことに気づいてからは、怖くても舞台に立てるようになった。

 人は、いつでも何かを演じている。

 両親の前の自分。友達の前の自分。先生の前の自分。まったく知らない人の前の自分。ぜんぶ、違う自分を自然に演じている。

 自分がその場で「そうありたい」と思い、そして自分のまえの誰かが「そうあってほしい」と思った姿の結果が、その場に現れる「自分」なんだ。


 だから、演じることは、そのまま生きることで、自然なこと。

 文魅が必要だと思う私、観客が観たいと思う私、私がそうありたいと思う私。

「私が惚れている文魅の求める私」が、そのまま私の役になる。

 文魅はぜんぶを出して脚本を書いてくれる。だから、怖くても私も全部出さなきゃだめだ。

 そう思ってからは、私は舞台に立つことに誇りを持てるようになった。怖いけど、その怖さに向き合えるようになった。





 ――舞台袖。この世界とここではない物語の世界とが混じる、魔法の場所。

 幕の向こうから観客の期待がざわめきになって伝わってくる。


「文魅」


 舞台袖で震えている私が声をかけると、文魅はだまって私のまえで両手を広げる。

 そっと、その片手に私の指を絡めて。

 もう片方の腕は、腰に回して。

 目を閉じて。唇を結んで。

 三秒、しっかり抱きしめ合う。

 混ざり合う。二人の息も、体温も、心も。

 私より十センチくらい背丈の小さな文魅は、私のことを強く強く抱きしめてくれる。

 文魅の小さな体の全部を込めた、私という存在の全肯定。

 三秒のあいだに、私は一回真っ白になって、それから別の私になる。文魅の世界のひとつになる。

 ――やがて、震えは止まる。

 ぜんぶが入れ替わったら、私は文魅に笑いかける。


「行ってくる」


 私の声は舞台の外の私より一オクターブくらい低くなっていて。

 それを聴いて、文魅はにやっと笑って、返事の代わりに舞台の開演を知らせるブザーを鳴らす。


 幕があがり、拍手が沸き起こる。

 私は、舞台の中央のスポットライトへととびこんでいった。

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