12.柏橋明の場合

「あかりせんぱぁい、終わりました?」


 後輩ちゃんの言葉が、最大限気を遣ってくれていることをあたしは知っている。

 言外に、あたしの作業が長い、と言っているのだ。

 広い講堂には、あたしと後輩ちゃんの二人ぼっち。

 あたしが作業をしていると、後輩ちゃんは必然、孤独なのだ。


「うん。ごめん、もうちょい」


 言いながら、あたしはスポットライトのシャッターを微調整する。スポットライトの光は、誰もいない舞台に小さな白い円を描いている。

 この小さな白い円は、観る人に「ここに主役がいますよ」と伝える機能を持っている。


「先にあがっちゃっていいからー」

「そんなこと言われてもー」


 後輩ちゃんは困ったような声を出す。

 そりゃそうだよね。

 後輩ちゃんにも立場がある。先輩を置いて先に帰っちゃうと、ナマイキ扱いされちゃうんだろう。それはわかる。わかるんだけど。


「ごめんねぇ……」


 わかるんだけど、後輩ちゃんのために調整作業を切り上げることはできなくて、あたしはありったけの申し訳なさを込めてあやまる。

 後輩ちゃんはちょっとあきらめ顔で笑った。


 それからあたしの作業は実に三十分。

 台本にびっしりの書きこみと、色とりどりのバミリ――舞台用語で、役者の立ち位置や裏方がライトを当てる場所なんかを示す印――とを対照する確認作業が終わり、あたしは「よっしゃー」と叫んで、照明の操作台から立ち上がった。


「おつかれさまでした」


 帰り支度が完璧な後輩ちゃんが寄ってくる。

 あたしはにっこり笑って、後輩ちゃんにピース。

 待っててくれた後輩ちゃんには悪いけど、舞台の仕込みが完璧に終わったときは、チョー気持ちいいのだ。


「うん、あとは明日の本番しっかりやろう!」

「先輩、すっごいこだわりですね。話には聞いてたけど。『照明の鬼』だって」

「そりゃあね。みんなで作った舞台だもの。完璧に仕上げたいじゃない」

「前に出る役割じゃないのに、こだわれるのがすごいって、みんな言ってますよ」


 みんなってだあれ。あたしはそう尋ねたかったけど、ぐっと飲み込んだ。

 きっと、それは後輩ちゃん自身の疑問なんだ。

 だから、答えてあげればいい。


「裏方がいないとね、舞台は絶対にできないんだよ。ほんとの舞台は、なにが一つ欠けても完成しないの。ライトのひとつだけで、印象ってすっごく変わるんだから。……きみ、役者で出たことあったっけ?」


 あたしの質問に、後輩ちゃんは首を横に振る。


「んじゃー、ちょっとそこ、舞台の真ん中、立ってみて」

「え? ……はい」後輩ちゃんは、言われたとおりに、講堂の舞台の中央に駆けていく。「これで、いいですか?」

「オッケー。……ほら」


 講堂の全部の照明を落とす。静まり返った講堂は闇と静寂につつまれる。暗幕の向こうからほんの少し洩れてくる外の光りと、舞台の反対側にある非常口の光りだけが、この場所がまだこの世界であるとわずかに示してくれている。

 そこに、スポットライトの電源を入れる。真っ暗な空間の中に、天から降り注ぐように降りる光は、埃や塵に乱反射して真っ白な道を作り、後輩ちゃんだけをその場所に浮き上がらせる。

 この瞬間、講堂は異世界になる。


「……わぁ!」


 後輩ちゃんの声が変わる。高揚したときの、ちょっと高い声。


「ね? セカイ、かわるっしょ?」後輩ちゃんにつられてあたしも嬉しくなり、声が高くなる。「うん。きみ、いますっごい、すっごいキレイだよ」


 あたしは後輩ちゃんが一番きれいに見えるように、スポットのシャッターを調整する。思った通りの光が作れて、二人で数秒その景色を楽しんでから、あたしは講堂の照明をもとのとおりに戻した。


「すごかったです! ファンタジーの世界っていうか、お姫様になったみたい!」


 後輩ちゃんは興奮冷めやらぬ様子だ。


「でしょ? あしたはそこに麗華が立つの。麗華をサイコーにかっこよくみせるのが、あたしたちの仕事」

「なるほど……わたし、テンションあがってきました!」


 素直な後輩ちゃんに、あたしも嬉しくなる。


「でも、あかり先輩はやっぱりすごいです」

「そうかな?」

「そうですよ」

「……あのね。あたしの場合は、なんだけど、光を当てる相手には必ず、恋をすることに決めてるの」


 後輩ちゃんは不思議そうな顔をしているので、あたしはそのまま続ける。


「たとえば、それが世界で一番大事な人の晴れ舞台だったら、サイコーにきれいにしてあげたいって思うのは、ふつうのことでしょ。ひっくりかえせば、誰かが舞台に立つとき、その人に恋してたら、その人のことを一番きれいにできるってこと。たとえば今回の舞台なら、麗華が主役だから、あたしはいま、麗華にめっちゃ恋してる」

「恋!? 恋ですか!?」

「そう、恋。麗華の高い背も、艶めく黒髪も、すらっと長い手足も、スーツを着たときのシルエットも、役をしょったときにだけ出る低い声も、ぜんぶぜんぶに恋してるの。だから、さいっこーにきれいに照らしてあげたい」

「わあ、ガールズラブ!」

「へへ、そうかも。……でも、これが一番、いい舞台を作れる、あたしのやり方なんだ。きみにとって参考になるかはわかんないけどね」


 あたしはそう言いながら荷物をまとめると、後輩ちゃんをうながして講堂の外に出る。


「さて、センセーに作業が終わった報告に行かなきゃ。後輩ちゃんは上がっていいよ?」


 あたしが言うと、後輩ちゃんは熱っぽい目であたしをみていた。


「あの、先輩、よかったらいまのお話、もっと聞かせてください! わたしも、もっと照明のこと、知りたくなりました!」


 後輩ちゃんの気合の入った申し出に、あたしは思わず口角が挙がっていた。


「オッケー、じゃあ、センセーに報告したら、ファミレス寄っていこっか」

「はいっ!」


 あたしは頼れる後輩の出現の予感に、胸が高鳴る。

 明日、舞台本番なのに、今夜は興奮して眠れないかも。

 嬉しい悩みを抱えて、あたしはこれ以上なく幸せだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る