第10話 誘惑
牧田には今年で8歳になる小学2年生の甥がいて、うちの高校の近くにある小学校に通っており、帰り道でたまに一緒になるのだそうだ。牧田の事を昔から慕っていて、勉強を一所懸命頑張れば同じ高校に通えると思っている純真無垢な少年で、しかし本人に会うと目を見て話す事が出来ない照れ屋でもある。
まあ、そんな少年のプロフィールはどうでもいいのだが、要はその甥を誘拐して、最初の殺人の被害者にしようという事らしい。作戦は至ってシンプルで、いつものように偶然会ったフリをして声をかけ、「いいものを見せてあげる」と言って近くの公園のトイレまで連れて行き、用意してあった道具で拘束する。
最初に遊びだと言って手錠をかけ、口をガムテープで塞ぐ。両肩、両足の順番で縛り、完全に身動きを取れなくする。そんなに簡単に言う事を聞くか? と俺が問うと、牧田は自信ありげに「だってあの子、私の事好きだもの」と言った。そして拘束した甥を、大きなボストンバッグに入れる。相手が小学校低学年だからこそ出来る方法だ。
そしてそれを回収するのは、三木経由で依頼した業者だ。普段から人間の調達を請け負っている連中なので、まず間違いはない。家族が帰りの遅さを気にしだす当日18時頃には公園のトイレの掃除用具入れから少年入りのボストンバッグを回収し、そのまま三木邸まで届ける。
少年の殺害が行なわれるのは、それから3日後の予定で、その時牧田は人生で初めての殺人を犯す事になる。
身内であるという立場を最大限に利用した作戦であると言える。牧田でなければ、まず公園に1人で誘い込む事すら難しいだろうし、今時の小学生らしく、防犯ブザーも子供用の携帯電話も持っている。もしも第三者が同じ事をすれば、それらのグッズを駆使されてすぐに捕まるのがオチだ。
だからこそ、俺が気になったのは、牧田に疑いの目が向けられるのではないか、という点だった。
「そこであなた達に協力をお願いしたいのよ」
達? 俺以外に誰が。
「私の代わりに疑われる人間をあらかじめ作っておく。捜査の初動が撹乱出来れば、ただの行方不明事件として処理される公算が高まる」
既に牧田は、ネットのアングラ系出会いサイトを介して、1人の男と会う約束を取り付けたという。誘拐実行の2日前、遊具が沢山あって、普段から甥がよく遊んでいる別の公園で待ち合わせだそうだ。そこに出会い系サイトの男と、牧田が現れる。
男は当然下心を持ってくるので、牧田をホテルに連れて行こうとする。そういう約束だ。しかし牧田はそれを拒否する。男を挑発して、逆上させるような事を言う。腕の1つでも掴めばそれで十分。牧田は男を振り払って、その場から逃げる。
「その現場を俺が目撃する、と」
「あなたと、あなたが偶然連れてきた藤原君がね」
「なるほど、それでその格好な訳か」
夜、俺の家にやってきた牧田は、中学校の時の制服を着て、黒縁眼鏡で髪を後ろで結わっていた。最初は一体誰かと思い、次に一体何のつもりかと思ったが、これでようやく納得出来た。遠目なら藤原もこれが牧田だとは気づかないだろう。
「近所の人間ではない怪しい男と、中学生がトラブルになったその2日後、小学生が行方不明になったら、あなたならどう思う?」
俺は警察ではないが、調べてみる価値があると判断するのは普通の事のように思える。そして、日本の警察の捜査力は決して飾りではない。調べる対象さえ見つかれば、すぐに身元を突き止められる。事件になっていない事件には無力だが。
その呼び出される男がどんな人物かは知らないが、少なくとも殺人者ではないはずだ。少し取調べをすれば、小学生行方不明事件とは全く何の関係も無い、ただの児童買春の常習犯である事が発覚する。そして捜査は振り出しに戻る。だが既にその時、牧田は日常に溶け込んでいる。
「もちろん、この作戦の最中に想定外の事が起きた場合は一旦中止するつもり。誘拐の現場を誰かに見られたりね。そうしたら、多少強引でもふざけてたって事にして、甥にはおもちゃか何かを買ってあげる事にする」
まあ、誘拐にさえ成功すれば、後は闇から無の世界。親父の死体処理の腕は、今更疑う余地もない。
血縁関係のある甥という事であれば、三木のリクエストにも答えられている。牧田としては、取り得る最大効率の作戦を立てたつもりなんだろう。
「どう? 協力してくれる? 未来の常連客の為に、多少のサービスはしてくれてもいいと思うんだけれど」
「断る」
はっきりと言ってやった。牧田は驚いていた様子だったが、そこに少しのわざとらしさも感じた。
「今の作戦が仮に上手くいったとしたら、俺と藤原は警察に詳しい話を聞かれる事になる。はっきり言って非常に面倒だし、それを引き受ける程に俺がお前にして欲しい事など1つもない」
何でもする、と言われても、何もして欲しくない。
俺の部屋に沈黙が流れる。女子を迎え入れたのは初めてだし、こんな場面をもし藤原に見られたら、またあの時みたいに面倒くさい事になるのは分かりきっている。そんな事を考えていると、牧田が俺のそんな心配を重くさせるような事を言ってきた。
「……例えば、私の身体を自由にしていい、とか」
「悪いけど、俺に殺人趣味はない」
「そうじゃなくて」牧田が椅子代わりに座っていた俺のベッドで、勝手に上半身だけ横になった。「普通の男子は少しくらい女子の身体に興味があるものじゃない?」
牧田はそう言って、ベッドから投げ出した足を少しずらした。そこでようやく俺は、牧田が俺に差し出そうとしている物の正体に気づいた。
「それとも斉藤君ってあっち系?」
花井の顔が頭に浮かび、俺は即座にそれを振り払った。
「そんな訳ないだろ」
「なら、そこまで悪い条件じゃないと思うんだけど。ただの事実の目撃証言と、私の処女の交換」
思えば、いちクラスメイトだった頃の牧田からは想像もつかないような台詞だ。流石に想像もつかないような趣味を持っていただけの事はある。
この奇妙な提案に、一体どう対応したらいいものか、俺は少し真剣に考えてみる事にした。
提案を受け入れる事自体は簡単だ。証言でも俺はボロを出さないし、藤原を公園の近くに何か理由をつけて連れてくる事も容易い。だがそうした場合、俺は一時の快楽と引き換えに、これ以上無い程に厄介なしがらみを引き受ける事になる。
殺人の共犯だけならまだしも、牧田との肉体関係、更に牧田が次に犯す殺人の後処理、仕事上の付き合い。それらは俺にとって深すぎる人との付き合いになる。
嫌だ。
断固として御免だ。
これは単純に天秤の問題と言える。この場合、面倒事を避けたいという希望が性欲に勝っているというだけの話であって、牧田に魅力が無い訳でも、俺の性的指向が世間とずれている訳でもない。俺は至って普通の男子高校生だ。人並みにゲスだし、人並みにエロい。
だけど牧田は嫌だし、この条件も嫌だ。
かと言って、断固として拒否を続けるのもどうだろうか。牧田の中で、誘拐作戦はほとんど決定事項のようだし、俺が協力しなかった所で、作戦自体を取りやめるとは思えない。
という事は、俺が拒否した所で牧田は何らかの迂回手段を取って、作戦を行なう。その時、対象になるのはおそらく俺の親友である藤原1人だろう。
それはそれで不安だ。どうせ藤原を巻き込む事になるのなら、俺が一緒にいた方がマシな気がする。
もしかすると、三木は牧田に生贄を要求した時点で、こうなる事を予測していたのではないだろうか。牧田が1人で犯行をするのは、初めてという事もあって不安が大きい。そこで頼りにするのは俺か親父しかいない。親父が金にならない仕事を引き受けるはずが無いので、結果として俺にお鉢が回ってくる。
そして俺が協力、監修すれば、三木はローリスクで新たな殺人対象を得られる。それも、いつも殺している債務者や浮浪者ではなく、若くて普通の人間だ。
「待て」
制服のリボンに手をかけた牧田を制する。
「ああ、分かったぞ」
三木が俺に気づかせた。殺人者独特の心理。
「お前、人を殺す前に自分を変えたいんだろ?」
牧田が訝しげに俺を見て、訊ねる。
「……どういう意味?」
「殺人者になる前に、処女を捨てたいんだ。だから、そんな提案をした」
黙る牧田に俺はトドメを刺す。
「自己満足に俺を巻き込むなよ」
その後、牧田は一言も喋る事なく、俺の部屋を出て行った。
俺はメールで、誘拐に協力する事だけを簡潔に伝えた。対価はいらない。ただ、三木が俺の客である以上、そうせざるを得なかった。
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