第3話 血
その日、授業が終わって部活に行こうとするとメールが入った。親父からだ。
「仕事」
たったの2文字だったが、それで十分だった。俺は藤岡に体調が悪いので部活を休むと嘘をつき、校舎を出た。高校がバイトを禁止している訳ではなく、担任に報告して簡単な申請書と親の同意があればそれで良いのだが、仕事の関係上時間が決まっていないし、内容も内容なのでその辺の手続きは一切していない。
帰宅するや否や、制服から作業着に着替え、車に乗り込んで即出発する。片道2時間。隣の隣の県までの長い道のりだ。
場所は月曜以来の三木邸だったが、今回の依頼人は森園という女だった。三木と同じく殺人が趣味の人間だが、その方法と依頼内容は大きく違う。
「あら、大志くん久しぶりね」
4ヶ月ぶりの再会に、「どうも」と俺が返すと、森園は人懐っこい笑顔をこちらに向けた。
森園は30代前半の既婚者で、子供も1人いる。趣味の暦は長く、学生時代から殺人行為を繰り返していたと以前語っていたのを聞いた。
「斉藤さん、いつもと同じようにお願いね」
森園にそう言われた親父は表情を変えず、「ええ」と答えた。森園からの依頼は既にこれまで5回以上受けている為、打ち合わせ等は必要ない。
部屋に入ると、三木がディナーを食べていた。2人で食べるにしては多いようなローストビーフと、パン、サラダ、赤ワインの瓶が2本と炭酸水、床には青白くなった男の死体。両手両足を縛られている。
「いらっしゃい。月曜ぶりだ」
ワインの入ったグラスを揺らしながら、三木が俺と親父に言った。
「一緒にどうだい?」
肉汁の滴るローストビーフは、レストランで出るような華やかな見た目をしている。正直言うと、腹が減ってきた。家を出てから、学校での昼飯以来何も食べていない。
「作業に入りますので」
親父がそう言うので仕方なく、俺もそれに従う。
まずは男の死体を風呂場へ運ぶ。年齢は40代の半ばくらいだろうか、浅黒い肌に服は薄手のフリースで、ズボンは黒染んで汚れている。ホームレスか、あるいはそれになりかけの身寄りが無い男だとすぐに分かった。体格の割に、体重はやや軽い。理由は森園の趣味にある。
死因は出血によるショック死。患部は首筋と、見なくてもわかる。森園はいつもそこから血を吸って飲む。いわゆる吸血鬼という奴だ。森園にとって、人間の血液はどんなヴィンテージワインよりもおいしい物らしい。
首筋の傷以外には切り傷もなく、吐瀉物や排泄物もないので、担架の必要は無い。これが内臓をぶち撒けた死体となると、親父が作ったビニール製の担架が必要となるのだが、今回はその必要は無さそうだ。
俺が両脚を持ち、親父が肩を持つ。そして風呂場まで運び、俺だけ三木達のいる部屋に戻ってくる。
僅かに滴り落ちた血の跡が床に残っていた為、それを綺麗にする必要がある。後は親父の解体作業後、ちょっとした作業があるが、それを含めても今回は楽な仕事だ。
俺が作業をする横で、三木と森園は美味そうに料理を食べている。
「やっぱりB型の血は肉に限るわね」
「ほう、そんな物かい」
「ええ、だからローストビーフは抜群」
「じゃあA型は?」
「魚料理が合うわね」
「赤ワインと白ワインみたいな物か」
「あはは、言われてみればそうね」
三木と森園の関係は、俺にはよく分からない。三木は独身だが森園は既婚者だし、かといって不倫をしているという風でもない。ただ同好の士として、こうして殺人行為を共有し、三木が場所や人を提供して、森園が人や料理を提供しあう関係のようだ。
まあ、いずれにしても俺は客のプライベートに踏み込むつもりは無い。逮捕されずに、長く贔屓にしてもらえれば何も文句はない。
「大志君、もうその辺でいいからこっち来て一緒に食べなよ」
森園がそう言った。俺は親父のいる風呂場の方を向き、様子を伺う素振りを見せると、「お父さんには黙っててあげるから。ね?」とトドメを刺された。どうやら夕飯を食べて来なかったのが思ったよりも効いていたようだ。
俺が遠慮がちに余った椅子へと座ると、森園がローストビーフを何枚か取り皿に盛ってくれた。サラダも一緒に。いつの間にか三木がフォークとグラスを用意してくれている。ワインを注がれそうになったので、「未成年なので……」と俺が言うと、
「君もワインより血の方がよかったか」
森園が三木の冗談に笑いながら、口直し用の炭酸水を俺のグラスに注いでくれた。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
一口、ローストビーフを食べると、頬が落ちるかと思った。料理などには無頓着な俺だが、それがかなり高級な肉である事くらいは分かった。そしてこれを調理した森園の腕が良い事も。
「大志君って、高校生だっけ?」
「はい」
「学校はどう?」
どう? と訊かれても。
その漠然とした質問に、あくまでも子供として答えるならば、「部活が楽しい」とでも言っておけばとりあえず当たり障りは無いように思える。
だがきっと、この人達は俺のそんな浅はかな計算など瞬時に見破る事だろう。見破った上で、俺に、会話の提供を求めるのをやめる。それはこの夕食をご馳走になった俺としては、やや礼儀に欠ける行為に思えた。
そんな時、昼間の学校であった事を思い出した。
「今日、机にハムスターの死体が入れられてました」
テーブルマナーとしては適切では無い会話だと思うが、殺人後のディナーならば許されるだろう。
森園は、俺の想定していた以上にこの話題に食いついてきた。
「何々、どういう事? 詳しく聞かせてよ」
仕方なく俺は、死体のあった状況や、気づいた時の対処。それから、3日前にゴミ捨て場に猫の死体があった事などを加えて話した。森園は目を輝かせながら相槌を打っていたが、三木は話を聞きながらも黙々と食事を進めていた。
「いじめられているんですかね」
と話を結ぶと、三木は一言だけ、
「いや、違うね」
森園が、ため息混じりに言葉を継ぐ。
「のろけってやつね」
どうやら2人の間には、俺には触れない共通認識が生まれているらしい。
「のろけというのは、どういう事ですか?」
森園は年の割に小悪魔めいた微笑を称え、グラスの炭酸水を飲み干す。
「大志君は見た目に違わず鈍感ね」
もったいぶるような口調に、俺も段々と痺れてきた。
「わかりませんね」
「誰かが君に気づいて欲しいんだよ」と、三木が言葉を変える。「君に本性を打ち明けたがっている人物がいる」
森園はにやにやしながら、三木の言葉に同意している。
「元も子もない言い方をすれば、大志君に気があるのね。多分、女の子。いやん、いじらしいわ」
どうして机の中に小動物の死体を入れられた話が、恋愛云々の話になるのか。一般人である俺には理解が出来ない。だが、2人には明らかなようだった。
「最初に猫の死体をゴミ捨て場に置いたのは、不特定多数に見られつつも、大志君が確実に見られるように。あまり多くの人が野次馬に来ると、肝心の大志君に伝わらないし、逆に大志君だけにそれを見せると、見て見ぬフリをされてしまう可能性がある。周りに人がいる状況で、大志君がどんな反応をするかが見たかったという訳ね」
森園の言葉は理屈に適っているようにも聞こえたが、正直な所、その大前提とする気持ちに理解が追いついていない。いくら何でも飛躍しすぎだ。
「で、次に大志君の机にハムスターの死体を入れたのは、君だけに本性を打ち明ける気持ちが出来つつある証拠ね。他の人にそれを見せなかったのは正解かも」
「……と言うと?」
「断言してもいいわ。明日、大志君が学校に行った時、死体について話かけてくる女の子がいるから、その子が犯人よ」
「明日は土曜なんで学校は無いです」
「じゃあ月曜」
豪語する森園。否定しない三木。無責任な事を言ってくれるものだと思いながら、しかしとりあえず話題の提供は出来て良かったとも思う。
「でも思い出すわ。あたしも高校生の頃、まだ人を殺す勇気がなくて、金魚だとかお婆ちゃんの家の鶏だとか、こっそり殺して血を吸っていたものよ。あたしにも当時好きだった男の子がいてね……」
それからしばらくの間、森園の思い出話を聞いていると、解体を終えた親父がやってきた。
「仕事は?」
そう訊かれ、俺は死体のあった辺りを見た。親父は納得したようで、「パック」とだけ言った。
俺はテーブルから立ち上がり、「ご馳走様でした」と森園と三木に挨拶すると、「また学校で何かあったら聞かせてよ」と言われた。何も無いとは思うが、そう口に出して言うのも難だ。
それから俺は、風呂場に向かう。親父が死体から抜いた血液が、バケツ2つにたっぷり入ってる。死体はもう跡形もなく、死体だった物は青いポリバケツに収まっている。
解体後の俺の仕事とは、家から持ってきたビニール製のパックに、バケツに入った血を詰めていく事だ。給油ポンプを使って、1パック1パックの手作業。絞り出した血液を無駄にしないように、なるべく零さずに。そういう注文なのだ。
パックに詰められた血液は三木邸の冷凍庫に保存され、森園が来る際に解凍して飲んでいくようだ。流石に家族も使う自宅の冷蔵庫に、これを入れておくのは無理らしい。
作業が終わると、500mlのパックがちょうど4つ出来上がった。
男の血液量が4リットルとして、半分の2リットルを森園が既に飲んでいたとすれば、計算は合う。
それから風呂掃除をして、バケツを洗って、血液パックを森園に渡してその日の仕事は終わった。
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